298 イートフード大陸生まれの人々
イートフード大陸への移住を決めた基礎自治体班は、一班だけではなかった。
最初に移住した一千万人が普通に暮らしている。
仕事がある。
食料も豊富にある。
街の周辺には魔物が押し寄せてくるが、騎士や冒険者が狩り続けている。
各種ギルドも揃っていた。
それを見た別の基礎自治体班が移住を決めた。
さらに別の班も続いた。
一千万人単位で人々が転移してくる。
彼らはすでに教導を受け、自分たちで基礎自治体を運営してきた者たちである。
新しい土地へ移っても、やることは変わらない。
住居を作る。
道路を整備する。
下水処理施設、公衆浴場、大食堂、共同トイレ、大教導講堂を建設する。
農地を作り、工房を建てる。
新しく来た班が、先に移住した班から教わることもあった。
人が増えるたびに街は広がった。
一億人。
二億人。
さらに増えていく。
ほどなくして、イートフード大陸には数億人が暮らす巨大な街が出来上がっていた。
それでも新しい国が建国されたわけではない。
それぞれの基礎自治体が、自分たちに必要なことを自分たちで行っている。
その頃、アストラル大陸では別の大きな変化が起きていた。
薬師ギルドがイートフード大陸で生産している薬だった。
毎日のように狩られる大量のアース・ドラゴン。
その血液を利用して、薬師たちは最上級ポーションとエリクサーを大量に生産していた。
完成した薬はアイテムボックスに収納される。
薬師やギルド職員が各国へ転移し、必要な場所へ届けていく。
そして再びイートフード大陸へ戻って生産を続ける。
百三十二カ国へ、最上級ポーションとエリクサーが大量に行き渡り始めた。
効果はすぐに現れた。
病に苦しんでいた者たちが回復していく。
長く寝込んでいた者が起き上がる。
治療を続けていた者が、元の生活へ戻っていく。
これまで治すことのできなかった病まで消えていった。
やがて、アストラル大陸から病そのものが姿を消した。
恩恵を受けたのは病人だけではなかった。
事故で腕を失った者がいた。
魔物に脚を奪われた者もいた。
長い間、失った四肢とともに生活してきた人々にもエリクサーが使われた。
失われていた腕が再生する。
脚が再生する。
再び生えた指を一本ずつ動かしながら、何度も確かめる者がいた。
自分の脚で立ち上がり、恐る恐る一歩を踏み出す者もいる。
そして歩けることが分かると、そのまま家族のところまで歩いていった。
泣きながら抱き合う家族もいた。
同じ光景が、一つの国だけではなく百三十二カ国で起きていた。
約百億人が暮らすアストラル大陸が歓喜した。
始まりは食料だった。
これから人口が増え続けても、誰も飢えないようにする。
そのために見つけたのがイートフード大陸である。
そこで狩ったアース・ドラゴンは食料になった。
皮などの素材からはドラゴンドレスが生まれた。
そして血液は最上級ポーションとエリクサーになり、人々から病を消し、失われた四肢まで取り戻した。
魔物しかいなかった大陸から、アストラル大陸へ新しい豊かさが流れ始めていた。
そしてイートフード大陸そのものにも、すでに数億人の日常が根付き始めていた。
数億人が暮らす巨大な街へ成長したイートフード大陸に、結婚斡旋ギルドも進出した。
百三十二カ国で十億組もの縁を結んできたギルドである。
人が数億人も暮らしているのなら、結婚を望む者も当然いる。
支部が開設されると、すぐに多くの人々が登録に訪れた。
一つの基礎自治体だけではない。
一千万人単位で移住してきたいくつもの基礎自治体班から、結婚を希望する男女が集まってくる。
結婚斡旋ギルドの職員たちは、これまでと同じように一人ずつ話を聞いた。
どのような相手を望んでいるのか。
どんな仕事をしているのか。
結婚したあとも今の仕事を続けたいのか。
どこで暮らしたいのか。
子供を望んでいるのか。
登録された内容を確認し、相性のよさそうな者を紹介する。
紹介されたからといって結婚する必要はない。
実際に会って話をする。
一緒に食事をする。
気が合えば、もう一度会えばいい。
合わなければ別の縁を探せばいい。
選ぶのは本人たちだった。
それでも、数億人が暮らす街である。
これまでなら出会うことのなかった者同士が、次々と顔を合わせるようになった。
料理人と鍛冶職人。
薬師と農業をする者。
紡織ギルドでドラゴンドレスを作る女性と、運輸ギルドで働く男性。
海洋魔物を狩る冒険者と、料理店で働く女性。
住んでいる基礎自治体が違っていても、同じイートフード大陸の街で暮らしている。
紹介された二人がドラゴン料理専門店へ行くこともあった。
別の二人は海洋魔物専門店へ行った。
酒が好きな者同士なら、酒造ギルドが開いた店へ行く。
街にはすでに、二人で時間を過ごせる場所がいくらでもあった。
交際を始める者が増えた。
やがて結婚を決める者も現れた。
一組が結ばれる。
別の場所でも一組が結ばれる。
数億人の街の各所で、結婚式が行われるようになった。
新しい家庭も次々と生まれていく。
その光景には、これまでの百三十二カ国とは少し違う意味があった。
イートフード大陸へ移住してきた基礎自治体の住民たちは、そのほとんどが亡国の民だった。
アストラル大陸には約百億人が暮らしている。
その中で、アルデバラン王国とシュタインフェルト王国のプロパーは、合わせても約四千万人しかいない。
圧倒的大多数の人々は、かつて別の国で暮らしていた。
だが、その国々の多くはすでに存在しない。
戦乱から逃れて亡命した者がいる。
国が滅びたあとに保護された者もいる。
生まれた村も、暮らしていた町も失った者がいた。
帰る国そのものを失った者もいた。
彼らは保護され、教導を受けた。
魔法を学んだ。
仕事を覚えた。
自分で稼ぐ力を身につけた。
保護されなければ生きられなかった者たちが、やがて自分たちで生活できるようになった。
さらに基礎自治体を作り、自分たちで暮らす場所を運営するようになった。
そして今度は、その基礎自治体ごとイートフード大陸へ移住してきた。
命令されたからではない。
誰かに住む場所を決めてもらったわけでもない。
自分たちで見て、自分たちで考え、自分たちでここに住むことを選んだ。
家を建てた。
道路を作った。
働く場所を作った。
店を開いた。
そして今、結婚斡旋ギルドによって新しい縁まで結ばれ始めている。
夫婦になった者たちは、新しい家で生活を始めた。
朝になれば仕事へ向かう。
夕方になれば帰ってくる。
二人で食事をし、休日には街へ出る。
アストラル大陸へ行きたければ転移すればいい。
それでも生活の場所として帰ってくるのは、イートフード大陸だった。
そんな夫婦が数億人の街で増え続けている。
ならば、その先に起きることも自然だった。
今、この街で暮らしている者たちは、別の土地で生まれた人々である。
しかし、ここで結ばれた夫婦に子供が生まれれば違う。
その子供が最初に見る家は、この街にある。
最初に歩く道もここにある。
学ぶ場所も、友人と遊ぶ場所もここにある。
親たちは故郷を失った。
だが、その子供たちは違う。
親たちが自分で選び、自分たちの手で作ったこの街が、生まれたときから故郷になる。
かつて魔物しか存在しなかった大陸だった。
そこへ人が渡った。
街を作った。
暮らし始めた。
そして新しい家庭が生まれている。
そう遠くない将来。
イートフード大陸で生まれ、イートフード大陸を故郷と呼ぶ人々が誕生するだろう。
イートフード大陸で結婚斡旋ギルドが活動を始めた頃、三国の王たちは宴を開いていた。
シュタインフェルト王国のカイゼル王。
アルデバラン王国のオーキス王。
ミストバルカス公国のライラ女王。
卓上にはアース・ドラゴンの料理が並び、酒も用意されている。
カイゼルが杯を手にした。
「オーキス王。今日は私から乾杯させていただきたい」
「もちろん構わないが、何を祝う?」
カイゼルはすぐには答えなかった。
祝うべきことは一つではない。
百億人を超える未来を見据えて始めた食料確保。
三百隻の巨大船を造り、三百万人を送り出した。
何もなかった海岸に港を造った。
常時スタンピード状態の大陸でアース・ドラゴンを狩り、食料として利用できることを確かめた。
そこから多くの者が動き始めた。
料理人はドラゴン料理を考案した。
薬師ギルドはドラゴンの血液から最上級ポーションとエリクサーを大量に生産した。
紡織ギルドはドラゴンドレスを開発した。
海へ出た者は海洋魔物を狩り始めた。
そして今では、いくつもの基礎自治体班が移住し、数億人が暮らす街まで生まれている。
「すべてでしょうか」
カイゼルが答えた。
オーキスがわずかに眉を上げる。
「随分と大きく出たな」
「それだけのことが起きましたから」
カイゼルは笑ったが、その口調にオーキスへの敬意は残っていた。
ライラも杯を持つ。
「私も同じ気持ちです。食料の心配をしていたはずなのに、今では病まで消えてしまいました」
最上級ポーションとエリクサーは、すでに百三十二カ国へ大量に運ばれている。
病に苦しんでいた者が回復した。
長く寝込んでいた者が起き上がった。
腕を失った者には腕が再生した。
脚を失った者は、再び自分の脚で歩いた。
約百億人が歓喜した。
ライラが静かに続ける。
「以前なら、民が病に倒れれば、助けたくても助けられないことがありました。それが今では、病そのものが消えようとしている。失った腕や脚まで取り戻せるのです」
「薬師たちがよくやってくれた」
オーキスが答えた。
「ええ」
ライラは頷いた。
それ以上、誰の功績なのかを語る必要はなかった。
オーキスが、自分の功績として受け取る王ではないことをライラもカイゼルも知っている。
教えた者が成し遂げれば、その者の成果。
機会を与えた者が自分で道を選べば、その者の選択。
オーキスはずっとそうしてきた。
だからこそ二人は、この王に深い敬意を抱いていた。
カイゼルがアース・ドラゴンの料理を口にする。
「それにしても、数億人ですか」
「最初の一千万人だけでも驚いたけれど、次々と基礎自治体班が移住するとは思わなかったわ」
ライラも料理へ手を伸ばした。
「住める場所があり、仕事があり、食料もある。本人たちが住みたいと思ったのなら、それでいいだろう」
オーキスの答えは簡単だった。
カイゼルが頷く。
移住してきた者のほとんどは、故郷を失った人々である。
滅亡した国から亡命した。
あるいは国が滅びたあとに保護された。
教導を受け、自立し、やがて自分たちで基礎自治体を運営するようになった。
その者たちが今度は、自らの意思で新しい大陸を選んだ。
ライラが思い出したように言う。
「結婚斡旋ギルドも活動を始めたそうですね」
「あのギルドなら行くだろうな」
オーキスが笑った。
カイゼルも表情を緩める。
「すでにかなりの縁が結ばれているそうです」
「早いわね」
「百三十二カ国で十億組を結んだ者たちですから」
「それを言われると納得してしまうわ」
今度はライラも笑った。
宴の空気が少し柔らかくなる。
故郷を失った者たちが、自分で新しい土地を選んだ。
そこで働き、暮らし、今度は夫婦になろうとしている。
オーキスが杯を置いた。
「なら、次は子供だな」
カイゼルとライラも、その言葉の意味をすぐに理解した。
今いる数億人は、別の土地で生まれた人々である。
だが、そこで結ばれた夫婦から生まれる子供は違う。
最初からイートフード大陸に家がある。
この街で育つ。
この街で学ぶ。
この街が故郷になる。
ライラの表情が穏やかになった。
「故郷を失った人たちの子供が、今度は新しい故郷を持つのですね」
オーキスが頷いた。
カイゼルは改めて杯を掲げる。
「では、イートフード大陸で新しく始まった暮らしと、これから生まれてくる子供たちに」
ライラも杯を上げた。
オーキスも続く。
三つの杯が静かに触れ合った。
魔物しかいなかった大陸に、間もなく新しい故郷を持つ人々が生まれようとしていた。
乾杯を終えた三人は、しばらくアース・ドラゴン料理を楽しんでいた。
カイゼルが杯を置く。
「それにしても、数億人ですか。最初に計画を立てたときには、ここまで人が移住するとは考えていませんでした」
イートフード大陸を発見したとき、目的は明確だった。
約百億人まで増えた人口。
さらにその先まで人口が増え続けることを考え、将来の食料を確保する。
そのための新しい食料供給地だった。
「食料庫としては、十分すぎるほど成功しているわね」
ライラが言った。
「ええ。それどころか、人が住み始めました」
最初は一千万人だった。
かつて保護された人々で作られた基礎自治体班が、まるごと移住してきた。
すると別の班も動いた。
さらに別の班も続いた。
誰かが移住を命じたわけではない。
住める。
働ける。
食料にも困らない。
そう判断した者たちが、自分たちで移住を決めた。
結果として、街の人口は数億人に達した。
「これだけの人数が動いて、大きな混乱が起きていないことも立派だ」
オーキスが言った。
「もともと基礎自治体を運営していた人々ですから」
ライラが答える。
「住む場所が変わったからといって、それまで身につけたものがなくなるわけではありません」
「その通りですね」
カイゼルも頷いた。
住居を作る。
道路を整備する。
上下水道を整える。
公衆浴場や大食堂を作る。
農地を開き、工房を建てる。
必要なものがあれば、自分たちで作る。
足りないものがあれば、商人が運ぶ。
仕事が増えれば、人を育てる。
すでに自分たちで暮らしを成り立たせてきた者たちである。
新しい大陸でも同じことをしただけだった。
ライラが料理を一口食べる。
「新しい国を作ってほしいという話も出ていないのでしょう?」
「聞いていません」
カイゼルが答えた。
オーキスも静かに頷く。
三人にとって、それは不思議なことではなかった。
人々はすでに基礎自治体を持っている。
住民が自分たちで首長を選び、必要な行政を行っている。
それで数億人の生活が動いているのなら、新たな王や世襲の領主を置く理由はない。
「必要なことが出てくれば、そのとき対応すればいいでしょう」
ライラが言う。
「ええ。今うまく動いているものを、こちらの都合で変える必要はありません」
カイゼルも同意した。
オーキスが二人を見て、穏やかに笑った。
「なら、問題はないな」
三人の意見は一致していた。
誰かが数億人を上から動かしているのではない。
それぞれの基礎自治体が動き、その間を人と物が行き交っている。
必要なら互いに協力する。
それで巨大な街が成立していた。
しばらくすると、ライラが別の皿へ手を伸ばした。
「ところで、この料理は初めて食べます」
「新しく考案された料理だそうですよ」
カイゼルが答える。
ライラが一口食べた。
そのまま、もう一口食べる。
オーキスが笑う。
「気に入ったようだな」
「ええ。これは美味しいです」
カイゼルも同じ料理を食べた。
「確かに。酒にも合いますね」
政治の話は、いつの間にか料理の話へ変わっていた。
ドラゴン料理専門店では毎日のように新しい料理が考案されている。
海洋魔物専門店も増え続けている。
醸造ギルドや酒造ギルドも、それぞれの料理に合う酒を作り始めた。
「今度は三人でイートフード大陸へ食べに行きませんか?」
ライラが提案した。
「食べ転移か」
オーキスが笑う。
「私たちがやってはいけない理由もないでしょう?」
「ありませんね」
カイゼルも笑った。
百三十二カ国から民間人が楽しんでいる食べ転移である。
三人の王が参加したところで何もおかしくない。
「では決まりですね」
ライラが嬉しそうに杯を上げた。
「ドラゴン料理だけではありませんよ。海洋魔物専門店にも行きましょう」
「一日で回るつもりか?」
「転移できるのですから、また行けばいいでしょう」
オーキスが声を上げて笑った。
カイゼルも杯を上げる。
少し前まで、百億人の将来を考えて食料の話をしていた三人だった。
今では、そのために見つけた大陸へ何を食べに行くかを相談している。
しかも、その大陸には数億人が暮らし、新しい家庭が次々と生まれている。
やがて、その家庭に子供が生まれる。
親たちは故郷を失った人々だった。
だが、子供たちは違う。
生まれたときから家がある。
街がある。
帰る場所がある。
三人が酒を酌み交わしている間にも、イートフード大陸では新しい暮らしが続いていた。
そして間もなく、その大陸を生まれ故郷と呼ぶ最初の世代が誕生しようとしていた。




