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戦わずに世界を変えた男――教育と物流で“循環国家”を作ったら、いつの間にか大陸が一つになっていた  作者: 慈架太子


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289 嬉しかった

 シュタインフェルト王国。


 王宮では、アルデバラン王国、ミストバルカス公国を交えた協議が行われていた。


 議題は一つ。


 アレクサンド・シュバリツコフ侯爵の表彰についてだった。


 発端は、料理人たちがロルフの店へ押しかけるようになったことだった。


 店の営業に支障が出る。


 アリッサから相談を受けたアレクサンドは、それなら別の場所へ料理人を集めればいいと考えた。


 せっかくなら料理コンテストにする。


 ただ、それだけだった。


 料理人たちは自分の店で料理を作り、時間停止のアイテムボックスに入れて会場へ持ってきた。


 順位を競うより、互いの料理を食べ、調理法や食材について話す者が多かった。


 その記録は百三十二カ国へ残された。


 そこから状況が変わった。


 記録を見た国民が、料理人の店へ転移するようになった。


 食べ転移。


 料理を食べるために国境を越える。


 転移なのだから移動に時間はかからない。


 近所の店へ歩いて行くより、外国の店へ転移する方が早い。


 客が動いた。


 料理人が動いた。


 商人が動いた。


 食材が動いた。


 酒造家や調味料を扱う商人まで動き始めた。


 気に入った土地にそのまま泊まる者も現れ、宿屋にも客が増えた。


 百三十二カ国で、同じことが起きた。


 経済が一気に動き始めたのである。


 しかも経済だけではなかった。


 それまで知らなかった国の料理を食べる。


 知らなかった食材を知る。


 調理法を知る。


 酒を知る。


 調味料を知る。


 滅んだ国で食べられていた料理まで、再び多くの人々の口に入るようになった。


 文化交流まで急速に広がっていた。


 規模が違った。


「異論はありません」


 アルデバラン王国側から声が上がる。


 ミストバルカス公国側も同じだった。


「我が国も異論はありません」


 シュタインフェルト王国側にも反対する者はいなかった。


 百三十二カ国で起きた好景気。


 百三十二カ国に広がった文化交流。


 そのきっかけとなった企画を作ったのは、アレクサンドだった。


 もちろん、アレクサンド一人で作った結果ではない。


 料理人が参加した。


 各ギルドが動いた。


 記録が残された。


 それを見た国民が、自分で店を選び、自分で転移した。


 商人たちも自分で商機を見つけた。


 だが、その最初の場所を用意した功績は消えない。


 三国の協議によって、アレクサンド・シュバリツコフ侯爵の表彰が決まった。


 問題は、その先だった。


「表彰だけでは足りんな」


 誰かが言った。


 反論はなかった。


 百三十二カ国へ影響を与えた功績である。


 金貨を与える。


 領地を与える。


 勲章を与える。


 どれも褒賞としては小さかった。


 そして決まった。


 アレクサンド・シュバリツコフ侯爵を、アルデバラン王国の公爵へ陞爵する。


 王族ではない。


 王家の親戚でもない。


 政略結婚によって王家と結ばれたわけでもない。


 古くから続く公爵家を継ぐわけでもなかった。


 一人の家臣が、自ら積み重ねた功績だけで公爵になる。


 周囲は驚いた。


 だが、それだけだった。


 反対する者はいない。


 他に功績に釣り合う褒賞がなかった。


     ◇


 その知らせは、マーレ・シュバリツコフ子爵のところにも届いた。


「……公爵?」


 聞き返した。


「はい。アレクサンド・シュバリツコフ侯爵は、公爵へ陞爵されることになりました」


「……そうか」


 娘が評価された。


 喜ばしい。


 父親として、これ以上誇らしいことはない。


 かつて若い王国騎士だった娘が実績を重ねた。


 伯爵になった。


 侯爵になった。


 そして今度は公爵である。


 マーレはしばらく黙っていた。


「……公爵か」


「はい」


 もう一度確認した。


 やはり公爵だった。


 娘は公爵。


 父親は子爵。


 もちろん、爵位は親子で競うものではない。


 そんなことは分かっている。


 娘が認められたのだ。


 嬉しい。


 本当に嬉しい。


 それでも何かが胸に引っかかった。


「少し休む」


「大丈夫ですか?」


「大丈夫だ」


 大丈夫ではなかった。


 マーレ・シュバリツコフ子爵は、その日から三日ほど寝込んだ。




 三日後。


 ようやく起き上がったマーレ・シュバリツコフ子爵は、シュトラウス伯爵と向かい合っていた。


 二人の前にはウイスキーとグラスが置かれている。


 マーレが水魔法で水を出す。


 シュトラウス伯爵が風魔法を使った。


 細かな泡が生まれる。


 炭酸水。


 それをウイスキーと合わせた。


 ハイボールだった。


「……公爵だそうですな」


 シュトラウス伯爵が言った。


「ええ」


 マーレはグラスを傾けた。


「娘が公爵になりました」


「おめでとうございます」


「ありがとうございます」


 めでたい。


 間違いなく、めでたい。


 アレクサンドが積み重ねてきた功績が認められたのだ。


 父親として嬉しくないはずがない。


 だが、マーレはもう一口飲んだ。


「私は子爵です」


「存じております」


「娘は公爵です」


「それも存じております」


「……そうですか」


「ええ」


 シュトラウス伯爵も飲んだ。


 二人の間に沈黙が落ちた。


 しばらくして、マーレが尋ねる。


「イメルダ夫人は?」


「結婚斡旋ギルドです」


「今日も?」


「今日もです」


 結婚斡旋ギルドは、もはや一国の組織ではない。


 百三十二カ国で人と人との縁を結び続けている。


 イメルダ・シュトラウス伯爵は、その中心にいた。


 始まりは、ただの世話焼きだった。


 結婚できずにいる者を見つけては放っておけない。


 似合いそうな相手を探す。


 会わせる。


 それだけだった。


 それが今では、百三十二カ国で動く巨大な結婚斡旋ギルドになっている。


「……大変ですな」


 マーレが言った。


「そちらほどではありません」


「いや、そちらも相当でしょう」


「そうでしょうか」


「そうでしょう」


 二人はまた飲んだ。


 娘が出世し続けた父親。


 妻の仕事が巨大になり続けた夫。


 どちらも不幸ではない。


 むしろ逆だった。


 アレクサンドは自分の能力を使い、多くの人間から認められている。


 イメルダも、自分がやりたいことを続けている。


 二人とも誇らしかった。


 だから止めたいとは思わない。


 それでも。


「遠くへ行きましたな」


 シュトラウス伯爵が呟いた。


「ええ」


 マーレにも、その言葉がよく分かった。


 身分の話でも、距離の話でもない。


 娘も妻も、いつの間にか自分たちの想像を遥かに超えるところまで行ってしまった。


 嬉しい。


 誇らしい。


 そして少し寂しい。


「どうしてこうなったのでしょうな」


 マーレが呟いた。


「分かりません」


 シュトラウス伯爵が答えた。


 二人で考える。


 アレクサンドは、最初から公爵を目指していたわけではない。


 イメルダも、巨大な組織を作ろうとしていたわけではない。


 目の前にあることを放っておけなかった。


 それを繰り返していた。


 結果だけが、とんでもなく大きくなった。


 そして、その二人を早くから評価していた人物がいる。


「……王妃様ですな」


 シュトラウス伯爵が言った。


 マーレは黙った。


 アレクサンドの能力を認めた。


 活躍すれば評価した。


 さらに力を発揮できる場所へ押し上げていった。


 その裏には、バイオレット王妃がいた。


 イメルダも同じだった。


 縁談の世話をしていた女性を評価し、その働きを国家規模へ広げる後押しをした。


「王妃様ですか……」


「ええ」


 二人は手元のグラスを見る。


 ハイボール。


 ウイスキーを炭酸水で割る。


 この飲み方を広めたのも、バイオレット王妃だった。


 マーレはグラスを見つめた。


「……これもですか」


「これもです」


「そうでしたな」


「ええ」


 娘が遠くへ行った。


 妻が遠くへ行った。


 その二人を評価した人物がバイオレット王妃。


 そして、少し寂しくなった男二人が慰めに飲んでいるハイボールまで、バイオレット王妃が広めたものだった。


 逃げ場がなかった。


 マーレは静かにグラスを持ち上げた。


「飲みましょう」


「そうですな」


 二人はグラスを合わせた。


 別に不幸ではない。


 娘も妻も立派にやっている。


 それが何より嬉しい。


 ただ今日は、二人で静かに飲みたかった。


 シュトラウス伯爵が空になったグラスを見る。


「もう一杯作りますか?」


「お願いします」


 再び水魔法と風魔法を使う。


 細かな泡がグラスの中を昇っていく。


 二人はそれを眺めながら、同じことを考えていた。


 どうしてこうなったのだろう。




 アルデバラン王国。


 オーキスは、アレクサンド・シュバリツコフ侯爵の陞爵についての報告を読んでいた。


 公爵。


 改めて文字で見ても大きな爵位だった。


 王家との血縁はない。


 王族との婚姻によって得た地位でもない。


 古くから続く公爵家を継承するわけでもない。


 一人の家臣が、積み重ねてきた功績によって公爵になる。


 それでも反対する者はいなかった。


 百三十二カ国で経済が大きく動いた。


 料理を通じた文化交流も急速に広がっている。


 そのきっかけとなった料理コンテストを企画したのがアレクサンドだった。


 本人は、ここまでの結果を狙ったわけではない。


 外国の料理人が何度もロルフの店へやって来る。


 客として料理を食べた後、自分の料理を出してロルフやアリッサに食べてもらう。


 営業の邪魔になる。


 相談されたアレクサンドは、それなら別の場所へ料理人を集めればいいと考えた。


 せっかくだから料理コンテストにする。


 始まりは、それだけだった。


 オーキスは報告書を置いた。


「あの小娘がな……」


 思わず声が漏れた。


 若い頃のアレクサンドを知っている。


 一介の若い王国騎士だった。


 まだ経験も浅かった。


 小娘と呼んだこともある。


 そのアレクサンドが教導を受けた。


 実績を積んだ。


 伯爵になった。


 侯爵になった。


 そして今度は公爵になる。


「公爵か」


 王家の親戚になったわけではない。


 政略結婚をしたわけでもない。


 公爵になることを目指して動いてきたわけでもない。


 自分にできることをやってきた。


 その結果が積み重なった。


 気がつけば、公爵にまで届いていた。


 オーキスは小さく笑った。


「大した小娘になったものだ」


     ◇


 報告には、料理コンテスト以降の変化もまとめられていた。


 百三十二カ国。


 約四十五億人。


 今では巨大な生活圏になっている。


 だが、その多くは、かつて飢えていた。


 奴隷だった者。


 娼婦だった者。


 孤児。


 難民。


 貧民。


 圧政の下で生きていた者。


 食べるものがなく、明日のことすら考えられなかった者もいた。


 その者たちが保護された。


 教導を受けた。


 働く力を身につけた。


 自分で仕事をするようになった。


 飢えから解放された。


 腹が減れば食べられる。


 住む場所がある。


 仕事がある。


 服がある。


 病になれば治せる。


 子供を育てられる。


 読み書きができる。


 魔法が使える。


 転移も使える。


 そして今では、食べられるだけではなかった。


 美味しいものを食べられる。


 好きなものを食べられる。


 今日、何を食べたいのかを自分で選べる。


 料理コンテストの記録を見る。


 気になる料理を見つける。


 店を選ぶ。


 転移する。


 移動に使う時間はない。


 近所の店へ歩いて行くより、外国の店へ転移する方が早い。


 昨日は肉料理。


 今日は魚料理。


 明日は知らない国の料理を食べてみる。


 そんなことを、かつて飢えていた者たちが普通に選べるようになった。


 約四十五億人全員が、かつての一般的な貴族よりも裕福な暮らしをしていた。


 金を大量に持っているという意味ではない。


 暮らしそのものが豊かだった。


 そして豊かさは、さらに広がっている。


 料理を通して、他国を知るようになった。


 知らなかった食材を知った。


 知らなかった調理法を知った。


 知らなかった酒を飲んだ。


 知らなかった味を覚えた。


 滅んだ国の料理も残っている。


 故郷を失った者が、昔食べた料理を口にして懐かしむ。


 その料理を別の国の者が食べ、美味しいと思う。


 国がなくなっても、その国で暮らしていた人々の味まで消えたわけではなかった。


 食べ転移によって、それらが百三十二カ国へ広がり始めている。


 経済だけではない。


 人々は文化的にも豊かになっていた。


 オーキスは報告書から目を上げた。


 約四十五億人。


 かつて飢えていた者たちが、今では今日食べたいものを自分で選んでいる。


 それだけではない。


 自分の故郷の味を懐かしみ、他人の故郷の味を楽しむことまでできる。


 オーキスはしばらく何も言わなかった。


 やがて、静かに笑った。


 正直、嬉しかった。




 オーキスは、しばらく報告書を眺めていた。


 約四十五億人。


 数字だけを見れば、あまりにも大きい。


 だが、その一人一人に生活がある。


 朝になれば起きる。


 仕事へ行く。


 家族と話す。


 腹が減れば食事をする。


 以前なら、その食事すら満足に得られなかった者が大勢いた。


 何を食べたいかではない。


 食べられるものがあるか。


 それが問題だった。


 奴隷なら、与えられたものを食べるしかない。


 貧しければ、手に入るものを食べるしかない。


 飢えていれば、味など気にしていられない。


 選択する余地そのものがなかった。


 それが今では違う。


「今日は何を食べよう」


 そんなことを考えられる。


 肉が食べたい。


 魚がいい。


 野菜をたくさん使った料理がいい。


 酒に合うものが欲しい。


 昨日、管理システムで見た料理を食べてみたい。


 百三十二カ国の中から店を選び、転移する。


 食べて、美味しいと思えばまた行く。


 別の料理が気になれば、次は違う国へ行く。


 誰に命じられたわけでもない。


 好きなものを自分で選んでいる。


 オーキスには、それが何より大きく思えた。


     ◇


 料理の記録には、華やかなものばかりが残っているわけではなかった。


 昔から家庭で食べられていた料理もある。


 町の食堂で出されていた料理もある。


 滅んだ国の料理もある。


 かつて保護された元娼婦たちが、自分たちの故郷で食べていた料理を作って店を始めたことがあった。


 高級料理ではない。


 子供の頃に食べた料理。


 母親や祖母が作っていた料理。


 肉と野菜の煮込み。


 豆のスープ。


 魚と根菜を煮たもの。


 薄いパンで肉を包んだもの。


 同じ国から保護された者が食べれば、懐かしいと喜んだ。


 もう食べられないと思っていた。


 そう言った者もいた。


 その料理が残っている。


 今では同郷の者だけが食べているわけではない。


 違う国で生まれた者も食べる。


 美味しければ気に入る。


 料理人なら作り方に興味を持つ。


 商人なら使われている食材や調味料を見る。


 酒造家なら、その料理に合う酒を考える。


 一つの国だけで食べられていたものが、別の国の人間にも知られていく。


 国が滅びても、そこで暮らしていた人々まで消えたわけではない。


 料理も同じだった。


 誰かが覚えている。


 作る。


 食べる。


 懐かしむ。


 そして、それを知らなかった誰かが美味しいと思う。


 それだけで残っていく。


 オーキスは小さく息を吐いた。


 豊かになったのだ。


 食料が増えたというだけではない。


 金を持つようになったというだけでもない。


 自分で選べるものが増えた。


 楽しめるものが増えた。


 知らなかったものを知ることができる。


 昔のものを懐かしむこともできる。


 明日は別のものを選ぶこともできる。


 約四十五億人全員が、そんな生活を送っている。


     ◇


 オーキスは再び、アレクサンドの陞爵についての書類を手に取った。


「公爵か……」


 今回の料理コンテストだけで、ここまでのすべてを作ったわけではない。


 長い時間をかけて、多くの者が積み重ねてきた。


 保護した者がいた。


 教えた者がいた。


 働いた者がいた。


 農作物を作った者がいた。


 魔物を狩った者がいた。


 料理を作った者がいた。


 酒を造った者がいた。


 商品を運んだ者がいた。


 店を開いた者がいた。


 そして、それを選んで買った者がいた。


 今回、アレクサンドが作ったのは、その者たちが互いを知るきっかけだった。


 料理人を一カ所へ集めた。


 料理人たちは互いの料理を知った。


 記録が百三十二カ国へ残った。


 それを国民が見た。


 食べに行った。


 そこから勝手に広がった。


 アレクサンドらしいと、オーキスは思った。


 あの小娘は、百三十二カ国を好景気にしようとして料理コンテストを開いたわけではない。


 文化を発展させようと大計画を立てたわけでもない。


 困っている者がいた。


 それならこうすればいい。


 そう考えて動いただけだった。


 その結果が、約四十五億人の暮らしをさらに豊かにした。


「あの小娘がな……」


 もう一度呟いた。


 今度は笑っていた。


 若い王国騎士だった家臣が、公爵になる。


 かつて飢えていた者たちが、好きな料理を選んで食べている。


 滅んだ国の料理まで残り、別の国の者が美味しいと言っている。


 百三十二カ国の人々が、自分で選び、自分の生活を楽しんでいる。


 オーキスは書類を閉じた。


 公爵への陞爵。


 異論などなかった。


 それ以上に。


 ここまで来たことが。


 正直、嬉しかった。





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