288 食べ転移
料理コンテストの記録が各国の管理システムに保存されると、百三十二カ国の各ギルドで大きな反響があった。
料理人だけではない。
記録を見た国民たちも、そこに映っている料理に興味を持った。
「これ、食べてみたいな」
そう思えば、店へ行けばいい。
国が違っていても問題はなかった。
転移を使えるのだから、距離など関係ない。
アルデバラン王国本国から第6アルデバラン王国へ行くのも、シュタインフェルト王国へ行くのも同じだった。
映像で気になった料理を見つけ、その店がどこにあるのか確認する。
そして転移して食べに行く。
そんな者が百三十二カ国で現れ始めた。
アルデバラン王国本国の王宮でも、料理コンテストの記録を繰り返し見ている者がいた。
バイオレット王妃である。
もともと食べることが好きだった。
映像を見る目的も、料理コンテストそのものではなくなっている。
「この店も行ってみたいわね」
料理人と店を確認する。
次の料理が映る。
「これも美味しそう」
また候補が増える。
映像を見るたびに、食べに行きたい店が増えていった。
そして候補を決めると、いつもの顔ぶれに声をかけた。
マーガレット。
サーシャ。
ミーナ。
これまでも一緒に食べ歩きを楽しんできた四人だった。
だが、今回は歩かない。
「最初はここにしましょう」
バイオレットが選んだのは、アルデバラン王国本国にあるプロキシーの店だった。
料理コンテストで、肉と野菜の煮込みや豆のスープなどを出していた料理人である。
四人は転移した。
食べ歩きではない。
食べ転移だった。
プロキシーの店へ到着すると、バイオレットたちは店の様子を見て驚いた。
大繁盛していた。
次々と客が出入りしている。
しかも客はアルデバラン王国本国の者だけではなかった。
百三十二カ国から、料理コンテストの記録を見た者たちが転移してきていた。
「同じことを考える人は多いのね」
バイオレットが楽しそうに笑う。
四人も客に混ざって店へ入った。
プロキシーが料理コンテストで出していた料理も注文する。
肉と野菜の煮込み。
豆のスープ。
魚と根菜を煮たもの。
薄いパンで肉を包んだもの。
やがて料理が運ばれてきた。
バイオレットは、まず肉と野菜の煮込みを食べた。
「美味しいわ」
派手な味ではない。
肉と野菜を一緒に煮込み、素朴に味を付けている。
だが、何度でも食べたくなる味だった。
マーガレットも食べる。
「本当ですね。落ち着く味です」
サーシャは豆のスープを口にして頷いた。
ミーナは薄いパンで包まれた肉を食べている。
「これも美味しいですよ」
「そっちも食べてみたいわ」
四人で料理を分けながら、次々と味わっていく。
周囲の客たちも同じだった。
料理コンテストの映像で見たものを注文する者。
それ以外の料理を試す者。
いくつもの料理を頼み、仲間同士で分けて食べる者もいる。
料理コンテストでは参加した料理人しか食べられなかった。
だが、記録を見た者まで食べることを禁止されているわけではない。
食べたければ、店へ行けばいい。
そして転移がある。
百三十二カ国という広さが、食事をするための障害にならなかった。
「飲み物はどうされますか?」
店の者に聞かれ、バイオレットは迷わなかった。
「ハイボールをお願いします」
「私も」
マーガレットが続く。
「私もお願いします」
サーシャも同じものを頼む。
ミーナも笑った。
「では私も」
結局、四人とも自然にハイボールを注文していた。
運ばれてきたハイボールを飲みながら、また料理を食べる。
バイオレットは満足そうだった。
「いいわね、これ」
「料理ですか?」
マーガレットが聞く。
「もちろん料理もよ」
バイオレットは笑う。
まだ映像で確認した店は、いくつも残っている。
今日はその最初の一軒に来ただけだった。
食べ歩きではなく、食べ転移。
四人の楽しみが、また一つ増えていた。
食べ転移を楽しみ始めたのは、バイオレットたちだけではなかった。
料理コンテストの記録が各国の管理システムに保存されると、百三十二カ国の国民たちも次々と動き始めた。
映像を見て、気になる料理を見つける。
記録には料理人の名前、所属する国、店の情報も掲載されている。
「これ、食べてみたいな」
そう思えば、その店へ転移すればいい。
距離を考える必要はなかった。
自宅から近所の店まで歩いていくより、外国の店へ転移する方が間違いなく早い。
転移すれば、そこに着く。
移動に使う時間はない。
「今日はどこへ食べに行く?」
「第6アルデバラン王国にしよう。料理コンテストに出ていた店がある」
「じゃあ行こう」
次の瞬間には、その国にいる。
食事を終えれば、また転移して帰るだけだった。
料理コンテストに参加した料理人の店には、百三十二カ国から客が訪れるようになった。
プロキシーの店もそうだった。
第6アルデバラン王国で店を営むジョザイアのところにも、各国から客がやってきた。
映像で見た料理を実際に食べてみたい。
理由はそれだけで十分だった。
そして店へ行けば、料理コンテストに出されなかった料理もある。
「これも旨そうだな」
「頼んでみよう」
目当ての料理を食べたあと、別の料理を注文する。
気に入れば、また来る。
友人にも教える。
「昨日行った店、旨かったぞ」
「どこの店?」
「第18アルデバラン王国」
「じゃあ今日行ってみよう」
国名を聞いても、遠いとは誰も言わない。
距離に意味がないからだ。
それまで外国へ行くという行為には、旅行という感覚があった。
だが、転移が日常になれば、それさえ変わる。
朝食は自分の国。
昼食は別の国。
夕食はさらに違う国。
そんなことも簡単にできる。
仕事の昼休みに外国へ食事に行って、そのまま戻ってくることもできた。
休日を取る必要もない。
旅程を組む必要もない。
移動に何日も使うこともない。
旅行のハードルがなくなった。
しかも、食べ転移を繰り返しているうちに、人々が触れるものは料理だけではなくなっていった。
転移した先には、その国で暮らしている人々がいる。
食事をすれば酒も目に入る。
店で使われている食材にも気づく。
食事のあとに町を見て回る者もいた。
そこで自分の国では見かけない商品を見つけることもある。
気に入れば買って帰ればいい。
また来たくなれば、いつでも来られる。
一度の食事をきっかけに、別の国の料理を知る。
酒を知る。
商品を知る。
そこで暮らしている人々の生活にも触れる。
百三十二カ国には、それぞれ違ったものがある。
同じ食材でも調理法が違う。
同じ魔物の肉でも、国が変われば食べ方が変わる。
酒の好みも違えば、料理との組み合わせも違う。
以前なら、そうした違いを知るには実際に外国を訪れる必要があった。
今も実際に訪れていることには変わりない。
ただし、そのために必要なのは転移することだけだった。
料理コンテストは料理人同士の文化交流になった。
その記録を見た国民たちは、今度は自分たちで店へ食べに行った。
誰かに行けと言われたわけではない。
文化交流をしようと考えたわけでもない。
ただ食べたかった。
美味しそうな料理を見つけたから、その店へ行った。
そして食べ転移を繰り返すうちに、百三十二カ国の国民が互いの国を知る機会は増えていった。
外国の料理が、遠い国の珍しい料理ではなくなる。
食べたければ今日食べに行ける。
気に入れば明日も行ける。
近所の店へ歩いていくより早く、別の国の店へ行ける。
距離という制約が消えたことで、百三十二カ国の人々の生活圏そのものが広がっていた。
食べることを楽しみながら、知らなかった料理を知る。
知らなかった国を知る。
知らなかった文化を知る。
百三十二カ国の国民は、食べ転移によって文化的にも豊かになっていった。
食べ転移は画期的だった。
食べ転移が広がるにつれて、百三十二カ国で人の動きが一気に増えた。
最初に動いたのは、料理を食べたい客だった。
だが、料理を目的に外国へ行けば、そこで別のものが目に入る。
外国から来た商人は、料理に使われている食材に気づいた。
「これは何だ?」
自分の国では見たことのない野菜だった。
食べてみる。
旨い。
料理人に聞けば、その国では普通に使われているという。
「売っているのか?」
もちろん売っている。
商人は買った。
アイテムボックスがあるのだから、そのまま自分の国へ持ち帰れる。
珍しい野菜だけではない。
果実。
香草。
穀物。
魚。
魔物肉。
ある国では当たり前に食べられているものが、別の国では珍しい。
商人たちは次々と買って帰った。
持ち帰った食材を店に並べれば、料理コンテストの記録を見た客が気づく。
「これ、あの料理に使われていた食材じゃないか?」
売れた。
売れると分かれば、商人はまた買いに行く。
食品ギルドや商品ギルドを通じて扱う者も増えていった。
酒造家も外国へ転移した。
目的は料理だった。
だが、料理を食べれば酒のことを考える。
「この肉料理なら、別の酒も合いそうだ」
「この果実は酒に使えないか?」
「この穀物でも作れるかもしれない」
食べながら次の酒を考える。
気になる食材があれば買って帰る。
自分の酒造所で試してみる。
外国の料理を知ったことで、新しい酒の案が次々と生まれていった。
調味料商も動いた。
「この味は何だ?」
料理人に聞く。
使われている調味料を知る。
味を確かめ、気に入れば買って帰る。
自分の国で売ってみる。
料理人が買う。
家庭でも使われる。
それまで一部の国でしか使われていなかった調味料が、別の国へ広がっていった。
客も増え続けた。
料理コンテストに参加した店だけではない。
食べ転移した者が別の店を見つける。
「ここも旨かったぞ」
その話を聞いた者が転移する。
そこでまた別の料理を知る。
百三十二カ国の飲食店を、百三十二カ国の客が利用するようになっていった。
食事を終えて、すぐ帰る者ばかりではなかった。
気に入った町なら、そのまま滞在する。
「今日はここに泊まろう」
帰ろうと思えば、転移ですぐに帰れる。
それでも泊まる。
もう少しこの町を楽しみたいからだった。
夕食を食べる。
酒を飲む。
宿屋に泊まる。
翌朝は別の店で朝食を食べる。
買い物をしてから帰る者もいる。
宿屋が儲かった。
飲食店が儲かった。
食材を売る者が儲かった。
酒を売る者も、調味料を売る者も儲かった。
客が増えれば、店は仕入れを増やす。
仕入れが増えれば、生産する者の仕事が増える。
農家が作ったものが売れる。
漁師が獲ったものが売れる。
冒険者が狩った魔物の肉や素材も売れる。
商人は、それらを別の国へ運んで売る。
一つの国だけではなかった。
百三十二カ国で同じことが起きていた。
ある国の客が外国へ行く。
その国にも外国から客が来る。
食材を買って帰る商人がいる。
反対に、その国の食材を買いに来る外国商人もいる。
酒が動く。
調味料が動く。
商品が動く。
そして人が動く。
百三十二カ国の経済が一斉に動き始めた。
経済爆発だった。
どこか一つの国だけが利益を得たわけではない。
食べ転移の行き先は百三十二カ国すべてに広がっている。
それぞれの国に料理があり、酒があり、食材があり、商品がある。
そして、それを求める者が別の国から転移してくる。
すべての国が好景気になった。
始まりは、外国の料理人がロルフの店に自分の料理を持ってきたことだった。
それを一カ所に集めただけの料理コンテスト。
そこで料理人同士が互いの料理を知った。
記録を見た国民が、自分でも食べたいと思った。
そして転移した。
ただ食べに行っただけだった。
そこから商人が動き、酒造家が動き、調味料商が動き、客が動いた。
宿屋まで繁盛した。
誰かが百三十二カ国の経済を動かそうと計画したわけではない。
食べたい。
売りたい。
作ってみたい。
泊まってみたい。
それぞれが自分で選んで動いた結果、百三十二カ国すべてが大きな好景気に入っていた。
食べ転移による好景気は、大きな商会や飲食店だけに起きていたわけではなかった。
マルセルの店に果実を卸している農婦、ハンナもその影響を受けた一人だった。
ハンナはこれまで、自分たちが育てた果実をマルセルの店へ卸していた。
料理に使う柑橘をはじめ、いくつもの果実を育てている。
マルセルが作る料理に使われれば、それで十分だった。
ところが料理コンテストの記録が百三十二カ国へ保存され、食べ転移が始まってから状況が変わった。
ハンナのところへ注文が入った。
最初は一件だった。
「この果実を売ってほしい?」
話を聞けば、外国の料理人だった。
マルセルの料理を知り、自分でも使ってみたいという。
ハンナは注文を受けた。
すると、また別の注文が入った。
今度は商人だった。
さらに料理人。
食品を扱う商人。
酒造家からも問い合わせが来た。
「これで酒を作ってみたいんです」
注文してくる国も一つではなかった。
第6アルデバラン王国。
シュタインフェルト王国。
それ以外の国からも次々と注文が入る。
百三十二カ国からだった。
ハンナは畑を見ながら考えた。
「これ、私一人じゃ無理だね」
育てるだけなら、これまでと同じ農婦の仕事だった。
だが、今度は注文を受けなければならない。
誰が何を、どれだけ欲しいのか。
いつまでに必要なのか。
収穫した果実を分け、注文した相手へ渡す必要もある。
畑の仕事をしながら、すべてを一人でやるのは無理だった。
なら、人を雇えばいい。
ハンナは働いてくれる者を集めた。
果実を育てる者。
収穫する者。
注文を確認する者。
商品を分ける者。
最初は必要な仕事を手伝ってもらうだけだった。
だが、注文は減らなかった。
むしろ増えていく。
「シュタインフェルト王国から追加です」
「こっちは第21アルデバラン王国」
「酒造家から新しい注文が来てます」
ハンナの周囲で働く者が増えていった。
仕事を分ける。
任せる。
報告を受ける。
必要なら、さらに人を増やす。
いつの間にか、ハンナ一人が果実を育てて売るだけではなくなっていた。
複数の人間が、それぞれの仕事を担当して動いている。
組織になっていた。
名前も必要になった。
「ハンナ商会でいいんじゃない?」
誰かが言った。
ハンナは笑った。
「そのままだね」
だが、分かりやすい。
こうしてハンナ商会ができた。
ハンナ自身は、それでも畑へ出た。
果実を見る。
育ち具合を確認する。
必要なら自分でも手を動かす。
農婦であることをやめたわけではなかった。
ただ、以前とは違う仕事もするようになった。
ある日、ハンナは自分のスキルを確認して目を丸くした。
商売スキル。
そして組織スキル。
二つのスキルが発現していた。
「なんだい、これ」
思わず笑った。
商人になろうと思って始めたわけではない。
組織を作ろうと考えていたわけでもない。
果実を育てていた。
マルセルの店へ卸していた。
外国から注文が来た。
一人では無理になったから人を雇った。
仕事を分けた。
それだけだった。
だが、実際に商売を続け、人をまとめているうちに、ハンナは商売スキルと組織スキルを発現させていた。
注文を確認する。
生産量を見る。
必要な人数を考える。
誰に何を任せるか決める。
以前なら一つずつ考えていたことが、少しずつ分かるようになっていく。
それでもハンナは、いつものように畑へ出た。
目の前には、自分たちが育てている果実がある。
その果実を待っている者が、今では百三十二カ国にいた。
一人の農婦が育てた果実がマルセルの料理に使われた。
その料理を別の国の料理人が知った。
料理人だけではなく、商人や酒造家も果実に興味を持った。
そして注文が集まった。
ハンナは注文に応えるために人を雇った。
気がつけば、商会ができていた。
ハンナは果実を一つ手に取り、育ち具合を確かめる。
「さて、今日も忙しくなるね」
農婦ハンナは農婦のままだった。
ただ、その傍らにはハンナ商会という新しい組織が生まれていた。




