285 食べ比べ
料理人マルセルは、第2セトルメントにあるロルフの店を訪れていた。
評判の店があると聞けば、一度は食べてみたい。
最近では自分の店を空け、各地の料理を食べ歩くことも増えていた。
ロルフの店についても以前から耳にしていた。
レッサードラゴンをはじめとする竜種や、さまざまな魔物を料理として出しているという。
店へ入ったマルセルは、その繁盛ぶりに驚いた。
「凄いな」
広い店内には多くの客がいる。
ホールでは二十人ほどの従業員が注文を受け、次々と料理を運んでいた。
厨房にも同じくらいの従業員がいるらしい。
それだけの人数で料理を作り、客を迎える大きな店だった。
酒を楽しんでいる者もいれば、ステーキを豪快に食べている者もいる。
運ばれていく料理を目で追うだけでも面白い。
マルセルが店内を眺めていると、後ろから大勢の客が入ってきた。
「マルセル?」
聞き覚えのある声だった。
振り返ると、アレクサンドが立っていた。
ガイルをはじめ、いつもの仲間たちも一緒である。
総勢四十七人。
「久しぶりね、マルセル」
「アレクサンド卿。お久しぶりです」
思わぬ場所での再会にマルセルも笑顔になった。
四十七人が一度に入ってきても、店側が困る様子はない。
従業員が手際よく席へ案内していく。
そこへアリッサもやってきた。
アレクサンドはマルセルを呼び、二人を紹介する。
「この方はシュタインフェルト王国の第1公女、アリッサ様よ。こちらは私の領で飲食店をやっている料理人、マルセル。元王宮料理人。最近は外に食べ歩きにばっかり行ってるって噂だわ」
イプシオが吹き出した。
「そうそう。うちの領にしょっちゅう来てる」
「イプシオ卿まで……」
マルセルは苦笑した。
否定できない。
気になる料理があると聞けば、実際に足を運んで食べてみる。
最近では、それがすっかり楽しみの一つになっていた。
アリッサが微笑む。
「アリッサ・ローゼンクランツです。よろしくお願いします」
「マルセルと申します。よろしくお願いいたします」
挨拶を終えると、アレクサンドが尋ねた。
「マルセル、ロルフさんの料理はもう食べた?」
「いえ。今来たところです」
「絶品よ」
その一言でマルセルの目が店内へ向いた。
元王宮料理人である自分に、アレクサンドがそこまで言う料理である。
ますます興味が湧いた。
「では、いただいてみましょう」
マルセルはアリッサに料理を注文した。
その様子を見ていたアレクサンドが、ふと思いついたように声を上げる。
「そうだわ、マルセル」
「何でしょう?」
「アリッサ様とロルフさんにオーク薄切り肉の柑橘蒸しを出してあげて」
「え?」
マルセルがアレクサンドを見る。
今度はアレクサンドがアリッサへ顔を向けた。
「アリッサ様、厨房を使わせてくださいな」
突然の申し出だった。
アリッサは少し驚いたものの、すぐに頷いた。
「承知しました。アレクサンド卿、マルセルさん、まずは当店の料理を召し上がって下さい。その後ご案内します」
「ありがとうございます」
マルセルも頭を下げた。
ロルフの料理を食べに来ただけだった。
アレクサンドたちも、四十七人で食事に来ただけである。
誰も料理勝負を企画していたわけではない。
それなのに、マルセルがロルフの料理を食べ、そのあとロルフとアリッサがマルセルの料理を食べることになった。
アレクサンドは楽しそうに席へ向かう。
イプシオも笑っていた。
やがてマルセルの前に、ロルフの料理が運ばれてきた。
マルセルは目の前の料理をじっくりと眺める。
外国から来た二人の料理人による食べ比べが、思いがけない形で始まった。
マルセルの前にロルフの料理が運ばれてきた。
まずは肉料理から口にする。
一口噛んだところで、マルセルの動きが止まった。
「……旨い」
もう一切れ食べる。
今度は味だけではなく、肉そのものの状態を確かめるようにゆっくりと噛んだ。
マルセルが小さく唸る。
「これは鉄板焼きじゃないな」
表面には綺麗な焼き色がついている。
だが、鉄板で焼いた肉とは熱の入り方が違った。
断面を見る。
中心まで綺麗に熱が通っている。
場所による焼きむらもほとんどない。
「熱が均等に入っている。魔力焼きだな」
料理人であるマルセルには分かった。
火で外側から加熱したものとは違う。
肉そのものへ魔力を通して加熱している。
「旨い」
マルセルは再び料理を口へ運んだ。
アレクサンドが笑う。
「絶品でしょう?」
「ええ。これは旨いです」
マルセルは素直に認めた。
食べ歩きをしているのは、こういう料理に出会うためでもある。
自分が知らない食材。
知っている食材でも、自分とは違う扱い方。
料理人が変われば、同じ肉でも別の料理になる。
マルセルは一口ごとに味を確かめながら食べ進めた。
ロルフの料理は、それだけの価値があった。
やがて食事を終える。
「ごちそうさまでした」
マルセルが満足そうに息をついた。
そこへアリッサがやってきた。
「いかがでしたか?」
「美味しかったです。特にこの魔力焼きは面白い。これほど均等に熱を入れるとは」
「ありがとうございます」
アリッサも嬉しそうに笑った。
マルセルが席を立つ。
「では、今度はこちらですね」
アレクサンドが言い出した、オーク薄切り肉の柑橘蒸し。
アリッサが頷いた。
「厨房へご案内します」
二人は店の奥へ向かった。
厨房も広い。
二十人ほどの従業員がそれぞれの持ち場で働き、次々と入ってくる注文を捌いている。
その中でロルフも料理を作っていた。
「ロルフ」
アリッサが声をかける。
「先ほど話したマルセルさんよ」
ロルフがマルセルを見る。
「ロルフです」
「マルセルです。先ほど料理をいただきました。とても美味しかったです」
「ありがとうございます」
挨拶を終えると、アリッサが調理に使える場所へマルセルを案内した。
「こちらをお使いください」
「ありがとうございます」
厨房だけ借りれば十分だった。
オーク薄切り肉の柑橘蒸しに必要なものは、すべてマルセルのアイテムボックスに入っている。
マルセルはアイテムボックスから食材を取り出した。
オークのバラブロック肉。
柑橘。
料理に使う調味料。
必要なものが次々と調理台へ並んでいく。
ロルフも仕事を続けながら、その様子を見ていた。
マルセルはオークのバラブロック肉を置く。
そしてウィンドカッターを発動した。
風の刃がバラ肉を切っていく。
一枚。
また一枚。
厚さの揃った薄切り肉が次々と出来上がっていった。
厨房で働いていた料理人たちも、仕事の合間にマルセルの手元を見る。
マルセルにとっては、いつもの調理だった。
必要な厚さまで切り終えると、ウィンドカッターを止める。
薄切りにされたオークのバラ肉が綺麗に並んでいた。
次に柑橘と調味料を用意する。
ここまで来れば、あとはいつも通り作るだけだ。
ロルフの料理を食べるために来たはずだった。
料理勝負をする予定などなかった。
アレクサンドたちも、ただ食事をするためにこの店へ来ただけだった。
それが偶然顔を合わせたことで、外国の料理人同士が互いの料理を食べることになった。
マルセルは薄切りにしたオーク肉へ手を伸ばす。
表情はすっかり料理人のものに変わっていた。
ロルフとアリッサが見守る中、マルセルはオーク薄切り肉の柑橘蒸しの調理を開始した。
マルセルは薄切りにしたオークのバラ肉を調理台へ並べた。
その上に柑橘を加え、用意していた調味料で味を整えていく。
手つきに迷いはない。
自分の店で何度も作ってきた料理である。
ロルフは自分の仕事を続けながら、ときどきマルセルの手元を見ていた。
オーク肉そのものは珍しくない。
だが、これほど薄く切ったものを重ね、柑橘と合わせる料理は初めて見る。
マルセルが魔力を使う。
火は使わない。
肉と柑橘へ均等に熱を入れながら、ゆっくりと蒸し上げていく。
やがて柑橘の香りが広い厨房に漂い始めた。
ロルフが手を止めた。
「いい香りですね」
「もう少しです」
マルセルは加熱の状態を確かめる。
薄切りにした肉だからこそ、熱が入るのも早い。
だが、加熱しすぎれば食感が変わる。
頃合いを見て魔力を止めた。
「できました」
オーク薄切り肉の柑橘蒸し。
マルセルは出来上がった料理を皿へ盛り付けた。
アリッサも厨房へ入ってくる。
「できましたか?」
「はい。どうぞ」
ロルフとアリッサの前に料理が置かれた。
ロルフはまず香りを確かめる。
柑橘の爽やかな香りと、蒸されたオーク肉の香りが混ざっている。
一枚取って口へ運んだ。
「……旨い」
アリッサも食べる。
すぐに目を見開いた。
「美味しい」
薄く切られたオークのバラ肉は柔らかい。
脂の旨味がある。
そこへ柑橘の香りと酸味が加わっていた。
肉の脂をしっかり味わえるのに、重く感じない。
ロルフはもう一枚食べた。
今度は料理人として確かめるように、ゆっくり噛む。
「なるほど」
マルセルが笑った。
「どうです?」
「薄く切る理由が分かりました。柑橘と一緒に食べたときのバランスがいい」
ロルフは調理台に残っているオークのバラブロック肉を見る。
厚く切って焼けば、肉そのものを強く味わえる。
自分が出しているステーキもそうだった。
だが、薄く切れば別の食べ方ができる。
「ウィンドカッターでここまで薄く揃えるんですね」
「慣れれば難しくありませんよ」
マルセルにとって、ウィンドカッターは戦うためだけの魔法ではない。
料理に使えば、刃物とは違った切り方ができる。
厚さを揃えることもできる。
ロルフが頷いた。
自分は魔力で肉へ均等に熱を入れる。
マルセルはウィンドカッターで肉を薄く切り、魔力で蒸す。
使っているのは同じ魔法でも、料理人によって使い方が違う。
アリッサがもう一枚食べた。
「これ、いくらでも食べられそうですね」
「うちでも人気があります」
「分かります」
アリッサは素直に頷いた。
そのころ、厨房の外ではアレクサンドたちが待っていた。
イプシオが厨房の方を見る。
「いい匂いがしてきたな」
ガイルも気づいていた。
「柑橘か」
アレクサンドが笑う。
「マルセルの料理も美味しいわよ」
そこへアリッサが厨房から顔を出した。
「アレクサンド卿、出来上がりました」
「待ってたわ」
アレクサンドたちの席へも、オーク薄切り肉の柑橘蒸しが運ばれていく。
突然始まった食べ比べだった。
どちらが上かを決める者はいない。
審査員もいない。
賞品もない。
ロルフの料理をマルセルが食べた。
今度はマルセルの料理をロルフとアリッサが食べた。
ただそれだけだった。
だが、ロルフは調理台に置かれたオークのバラ肉を見ていた。
薄く切る。
柑橘と合わせる。
蒸す。
自分にはなかった料理だった。
一方のマルセルも、先ほど食べたロルフの魔力焼きを思い出していた。
肉へ均等に熱を入れる。
自分の料理にも使えるかもしれない。
二人の料理人は、それぞれ相手の料理から得たものを考えていた。
アレクサンドたちの席にも、オーク薄切り肉の柑橘蒸しが運ばれた。
四十七人分である。
マルセルが作り方を見せたあと、厨房の料理人たちも手伝って仕上げていた。
「これよ、これ」
アレクサンドが嬉しそうに料理を口へ運ぶ。
薄切りにしたオークのバラ肉に、柑橘の香りと酸味がよく合っている。
イプシオも一口食べて頷いた。
「やっぱり旨いな」
「でしょう?」
「なんでアレクサンドが自慢するんだ?」
ガイルの言葉に、アレクサンドが笑う。
「私の領の料理人だもの」
厨房から戻ってきたマルセルが苦笑した。
「私の料理ですよ」
「分かってるわよ」
四十七人が次々と料理を口へ運んでいく。
先ほどまでロルフの料理を楽しんでいた者たちが、今度はマルセルの料理を味わっている。
どちらが上かなど、誰も気にしていなかった。
旨ければ、それでいい。
厨房ではロルフも、オーク薄切り肉の柑橘蒸しをもう一度食べていた。
今度は作り方を思い返しながら味わう。
オークのバラブロック肉をウィンドカッターで薄く切る。
柑橘と調味料を合わせる。
そして蒸す。
ロルフが感心したのは、肉の切り方だった。
これほど薄く切れば食感が大きく変わる。
柑橘や調味料とも一緒に食べやすい。
「面白いな」
ロルフが呟いた。
マルセルが厨房へ戻ってくる。
「何がです?」
「肉は切り方でも随分変わるんですね」
「変わりますね」
マルセルも頷いた。
「厚く切れば肉そのものを強く味わえる。薄くすれば調味料や他の食材と合わせやすくなる。どちらがいいという話ではありません」
「料理次第ですか」
「ええ」
ロルフは頷いた。
今度はマルセルが尋ねる。
「先ほどの魔力焼きですが、いつもあの方法で?」
「肉によって調整しますが、よく使います」
「やはりそうですか」
マルセルは先ほど食べた料理を思い出した。
鉄板焼きとは違う。
肉の内部まで均等に熱が入っていた。
「私も試してみたいですね」
「どうぞ」
ロルフはあっさり答えた。
マルセルも笑う。
「では遠慮なく」
料理の作り方を隠す理由などなかった。
旨いと思えば食べる。
気になる調理法があれば試してみる。
自分の料理に使えそうなら、自分なりに考える。
ロルフも同じだった。
「俺も薄切りを試してみます」
「ウィンドカッターなら厚さも揃えやすいですよ」
「なるほど」
アリッサも二人の話を聞いていた。
「二人とも、もう次の料理を考えているの?」
「料理人ですから」
マルセルが答える。
ロルフも笑った。
そこへ従業員から新しい注文が入った。
「ロルフさん、追加です」
「分かった」
ロルフはすぐに仕事へ戻る。
店は営業中だった。
広い厨房では二十人ほどの料理人が動き続けている。
マルセルも邪魔にならないよう厨房を出て、アレクサンドたちのところへ戻った。
「マルセル」
アレクサンドが声をかける。
「はい?」
「ロルフさんの料理、どうだった?」
「旨かったですよ」
「それだけ?」
「食べに来た甲斐がありました」
その答えを聞いて、イプシオが笑った。
「マルセル殿は、また食べ歩きに行かれるのでしょう?」
「もちろんです」
マルセルは即答した。
知らない料理があれば食べてみたい。
知らない調理法があれば見てみたい。
元王宮料理人であっても、それは変わらなかった。
今日もロルフの魔力焼きを知った。
ロルフもマルセルの薄切りと柑橘蒸しを知った。
料理大会でもなければ、勝負でもない。
マルセルが評判を聞いて食事に来た。
そこへ偶然アレクサンドたちがやってきた。
ただそれだけのきっかけで、外国の料理人二人が互いの料理を食べることになった。
店内ではアレクサンドたち四十七人が食事を続けている。
厨房ではロルフたちが次の注文を作っている。
マルセルも満足そうにその様子を眺めていた。
突然始まった食べ比べは、勝敗を決めることもなく終わった。
それでも二人の料理人は、来たときには知らなかった調理法を一つずつ知っていた。




