283 ロルフの店
アリッサとロルフの夫婦は、幼い一人娘を連れて、第78アルデバラン王国からシュタインフェルト王国へ移住してきた。
新しい生活の場所に選んだのは第2セトルメントだった。
二人はそこで飲食店を開業した。
店で扱うのは、レッサードラゴンをはじめとする竜種や魔物の料理だった。
食材の仕入れに困ることはない。
必要になればアリッサとロルフの二人で国外の森へ向かい、食材となる魔物を大量に狩ってくればいい。
狩った獲物はアイテムボックスへ収納して持ち帰る。
冒険者でもある二人にとって、それは普段の仕事の延長だった。
開業した店はすぐに繁盛した。
今日の料理は、アーマードリザードのステーキとホルモンの魔力煮込み。
アイゼル公爵は席に座り、ステーキを一口食べた。
続いてウィスキーのハイボールを飲む。
またステーキを食べ、ハイボールを味わった。
「旨い」
アイゼルは満足そうに頷いた。
ロルフの料理が大好物だった。
もっとも、頻繁に店を訪れる理由はそれだけではない。
「おじいちゃん」
幼い娘がアイゼルのところへやってきた。
アイゼルの表情がすぐに緩んだ。
「おお、アリス」
孫の名はアリス。
アイゼルにとっては可愛くて仕方がない孫だった。
店を訪れれば旨い料理が食べられる。
娘の顔も見られる。
そして孫にも会える。
頻繁に足を運ばない理由がなかった。
「お父様、また来たの?」
アリッサが料理を運びながら笑った。
「ロルフの料理を食べに来た」
「そういうことにしておくわ」
アリッサは笑いながら仕事へ戻った。
アイゼルは娘の後ろ姿を見送る。
幸せそうだった。
ロルフとの間にはアリスが生まれ、夫婦で店を開き、忙しく働いている。
父親として、それ以上望むものはなかった。
店では二十人ほどの従業員を雇っていた。
それでも客が次々と入ってくる。
料理を運ぶ者。
注文を受ける者。
厨房でロルフを手伝う者。
皆が忙しく働いていた。
繁盛しているため、店の外で待つ客の姿も珍しくない。
さらに別の意味でも人がやってきた。
「こちらで働きたいのですが」
また一人、店を訪れた者がロルフに声をかけた。
「今は募集していませんよ」
「そうですか……」
募集を出していない。
それでも応募者がひっきりなしにやってくる。
理由は、いつの間にか第2セトルメントに広まっていた。
ロルフの賄い料理が旨い。
店で客に出す料理だけではなかった。
従業員に作る賄いまで旨いという噂が広がり、それを聞いた者たちが働きたいと訪れるようになったのである。
給金を得られる。
料理も覚えられる。
そしてロルフの賄いを食べられる。
働きたい者が集まるのも無理はなかった。
アイゼルはその様子を眺めながら、ホルモンの魔力煮込みを味わった。
店は繁盛している。
従業員も楽しそうに働いている。
娘も幸せそうだ。
ロルフは忙しそうに料理を作っている。
そして孫のアリスがいる。
アイゼルはハイボールを一口飲み、もう一度ステーキへ手を伸ばした。
今日もロルフの料理は旨かった。
シュタインフェルト王国へ入ってくる人々は、今も増え続けていた。
流民や棄民、難民、冒険者だけではない。
最近になって目立つようになった者たちがいる。
かつて王族だった者。
貴族だった者。
文官だった者。
騎士だった者。
自らの国を清算し、国を離れた者たちだった。
その数は次第に増えていた。
だが、入国を管理する行政官たちの対応は変わらない。
元王族だからといって優先しない。
元貴族だからといって特別な住居を用意することもない。
文官や騎士だった者についても同じだった。
逆に冷遇することもなかった。
流民も。
棄民も。
難民も。
冒険者も。
かつて王だった者も。
順番に受け入れる。
教導管理システムへ登録する。
それだけだった。
過去の身分によって扱いを変える必要はない。
シュタインフェルト王国へ来た以上、そこで何をするかは本人が決めればよかった。
その情報に気づいたのは宰相だった。
人口統計や各地から上がってくる情報を確認している中で、以前なら見過ごせない肩書きを持っていた者たちが大量に入国していることを知った。
元王族。
元貴族。
元文官。
元騎士。
しかも一つの国からではない。
宰相は入国記録を確認した。
問題を起こしたという報告はない。
特別扱いを要求しているという報告もなかった。
行政官たちも通常の入国者として処理している。
ならば、今の段階で何かをする必要はない。
宰相は彼らの動向を注視することにした。
ただし、指示は出さなかった。
何かをさせるつもりもない。
かつて王だったから政治をさせる。
かつて文官だったから行政官にする。
かつて騎士だったから騎士団へ入れる。
そのようなことを決める理由はなかった。
本人たちが何を選ぶかは本人たちの問題である。
ただ、これだけの人数が入国している以上、カイゼルには報告しておく必要がある。
宰相は王宮でカイゼルに報告した。
「陛下、少し気になる動きがあります」
「何だ?」
「かつて自国を清算した王族、貴族、文官、騎士たちが多数入国しております」
カイゼルは宰相を見た。
「問題を起こしているのか?」
「いいえ。現在のところ、そのような報告はありません」
「ならば今まで通りでよかろう」
「私もそのように考えております」
カイゼルはそれ以上何も命じなかった。
元王族だからといって会う必要もない。
元貴族だからといって王宮へ招く必要もない。
シュタインフェルト王国には、すでに四億八千万人の国民が暮らしている。
そこへ新たな人々が加わった。
それだけだった。
宰相も報告を終えると通常の仕事へ戻った。
ただ、教導管理システムに登録された情報については引き続き確認していた。
彼らがこれから何をするのか。
仕事を始めるのか。
学校へ通うのか。
商売を始めるのか。
あるいは、別の道を選ぶのか。
今の段階では分からない。
だから指示もしない。
シュタインフェルト王国へ入国した時点で、過去の肩書きが新しい役割を決めることはなかった。
そして第2セトルメントでは、そんな動きとは関係なくロルフの店が今日も繁盛していた。
客が入り、料理が運ばれ、酒が飲まれる。
アイゼルもまた孫のアリスの顔を見ながら、ロルフの料理を楽しんでいた。
ロルフの店を頻繁に訪れるのは、アイゼルだけではなかった。
ユリアン王女とレックス王子夫妻も、この店の常連になっていた。
理由は単純だった。
とにかく旨い。
レッサードラゴンをはじめとする竜種の料理。
アーマードリザードのステーキ。
ホルモンの魔力煮込み。
その日によって料理に使われる魔物も変わる。
食材が少なくなれば、アリッサとロルフが国外の森へ狩りに行く。
二人で大量に狩り、アイテムボックスへ収納して持ち帰る。
それがそのまま店の料理になる。
今日もユリアンとレックスは向かい合って座り、ロルフの料理を楽しんでいた。
「やっぱり美味しいわ」
ユリアンがホルモンの魔力煮込みを味わう。
レックスもステーキを食べて頷いた。
「旨いな」
「でしょう?」
料理を運んできたアリッサが得意そうに答えた。
ユリアンが笑う。
「作ったのはロルフでしょう?」
「食材は私も一緒に狩ってきたのよ」
「それなら自慢してもいいわね」
二人は顔を見合わせて笑った。
アリッサとユリアンは幼い頃からの友人だった。
それぞれ結婚し、今では暮らす場所も変わった。
それでも二人の関係まで変わったわけではない。
ユリアンにとって、友人夫婦が営む店へ食事に来ることは楽しみの一つになっていた。
もっとも、店は繁盛している。
アリッサもいつまでも二人と話しているわけにはいかなかった。
「ごゆっくり」
そう言って、次の客のところへ向かう。
ユリアンとレックスも食事を続けた。
そこへ小さな足音が近づいてきた。
アリッサとロルフの娘、アリスだった。
「ユリアン」
「アリス」
ユリアンの表情がすぐに柔らかくなる。
アリスは母親の友人であるユリアンにもよく懐いていた。
ユリアンのそばまで来ると、嬉しそうに顔を見上げる。
ユリアンは座ったまま手を伸ばし、アリスの頭を優しく撫でた。
「今日も元気ね」
「うん」
アリスが笑う。
ユリアンも笑った。
幼い少女の頭を何度か撫でる。
そして、向かいに座るレックスを見た。
レックスと目が合った。
ユリアンは何も言わない。
レックスも何も言わなかった。
だが、その様子を見れば何を思っているのかは分かる。
子供が欲しい。
誰の目にも明白だった。
少し離れたところで仕事をしていたアリッサも、その様子に気づいていた。
幼い頃から付き合ってきた友人である。
ユリアンがどんな顔でアリスを見ているのかも分かる。
だが、何も言わなかった。
アリスがユリアンに可愛がってもらっている。
それだけで十分だった。
「お母さん」
アリスがアリッサを呼んだ。
「なあに?」
「お腹すいた」
アリッサが笑った。
「また?」
「うん」
厨房にいるロルフにも聞こえたらしい。
「アリス、少し待ってて」
「はーい」
元気な返事が返る。
ユリアンはそのやり取りを見て笑い、ホルモンの魔力煮込みをもう一口味わった。
向かいではレックスがステーキを食べている。
「本当に美味しいわね」
「ああ。アイゼル公爵が頻繁に来るのも分かる」
そのアイゼルも、少し前までこの店で孫の顔を見ながらハイボールを飲んでいた。
ロルフの店には今日も次々と客が入ってくる。
二十人ほどの従業員が忙しく働き、厨房ではロルフが料理を作り続けていた。
王族が来ても。
公爵が来ても。
第2セトルメントの住民が来ても。
出てくるのは同じロルフの料理だった。
旨いものを食べたい。
それだけで客が集まってくる。
評判はさらに広がり、ロルフの店は今日も賑わっていた。
ロルフの店には、もう一つ大きな客層があった。
結婚斡旋ギルドの職員たちである。
イメルダをはじめ、ギルドで働く者たちが頻繁に店を利用していた。
現在、結婚斡旋ギルドの職員は一千万人。
もちろん一千万人が一度に店へ押しかけるわけではない。
だが、それだけの職員を抱える組織で評判になれば、店を訪れる人数も自然と多くなる。
今日も仕事を終えた職員たちが数人で店へ入ってきた。
「いらっしゃいませ」
従業員が席へ案内する。
注文されるのは竜種の料理や魔物料理。
酒を頼む者も多い。
料理が運ばれると、すぐに賑やかな食事が始まった。
結婚斡旋ギルドの仕事は今も続いている。
十億人婚姻計画。
すでに四億組の婚姻が成立していた。
それだけの縁を扱っていれば、職員たちも忙しい。
仕事が終われば旨いものを食べたい。
酒も飲みたい。
ロルフの店は、そんな職員たちが食事をする場所の一つになっていた。
イメルダも店を気に入っている。
「今日も繁盛していますね」
店内を見渡しながらイメルダが言った。
「ありがたいことです」
アリッサが答える。
空いていた席もすぐに埋まる。
料理を食べ終えて客が出れば、また次の客が入ってくる。
二十人ほどの従業員は忙しく店内を動いていた。
厨房ではロルフが料理を作り続けている。
これだけ忙しいなら従業員を増やしてもよさそうなものだが、募集していなくても応募者は毎日のようにやってくる。
賄い料理の噂は、結婚斡旋ギルドの職員たちにも知られていた。
「ここの賄い、美味しいらしいですよ」
「客に出す料理を食べれば分かります」
そんな話まで聞こえてくる。
アリッサは苦笑した。
客として頻繁に来てくれるだけでも十分だった。
結婚斡旋ギルドの職員が一千万人もいる。
その一部が繰り返し利用するだけでも、ロルフの店にとっては大きい。
上得意の客だった。
一方、ユリアンとレックスは食事を終えても、しばらく店で過ごしていた。
アリスは相変わらずユリアンの近くにいる。
ユリアンが頭を撫でると、嬉しそうに笑った。
その様子をイメルダが見ていた。
何も言わない。
アリッサとユリアンが幼い頃からの友人であることも知っている。
ユリアンがアリスを可愛がっていることも、それを見ながらレックスへ視線を向けていたことも見えていた。
だが、すでに二人は夫婦である。
イメルダが縁を取り持つ必要はなかった。
「ごちそうさまでした」
ユリアンが席を立った。
「また来るわ」
「いつでもどうぞ」
アリッサが笑顔で答える。
レックスもロルフへ声をかけ、二人は店を出ていった。
その直後にも、新しい客が入ってくる。
今度も結婚斡旋ギルドの職員だった。
ロルフは厨房からそれを見て、次の料理に取りかかった。
公爵が孫の顔を見るためにやってくる。
王女と王子の夫妻もやってくる。
結婚斡旋ギルドの職員たちもやってくる。
第2セトルメントの住民も、噂を聞いた者もやってくる。
身分も仕事も違う。
店へ来る理由は同じだった。
ロルフの料理が旨い。
それだけだった。
今日もアーマードリザードのステーキが焼かれ、ホルモンの魔力煮込みが運ばれていく。
酒を飲みながら料理を楽しむ客の声が店内に広がっていた。
第2セトルメントに開いた一軒の飲食店は、今日も大いに繁盛していた。




