273 連鎖
ユリアンとレックスの婚約は、シュタインフェルト王国だけでなくアルデバランでも喜ばれていた。
その様子を眺めていた一人の女性がいた。
第二王女リヴィア・アルデバラン。
二十歳。
弟であるレックスの婚約が決まり、両親まで喜んでいる。
リヴィアはしばらくその様子を見ていたが、やがてイメルダ・シュトラウス伯爵のところへ向かった。
「イメルダ卿」
「はい?」
振り返ったイメルダに、リヴィアが詰め寄った。
「弟に先を越されたわ」
イメルダは黙って続きを待った。
「私も相手が欲しい。私ももう二十歳よ」
王族として考えれば、二十歳まで未婚でいるのは遅いくらいである。
だがリヴィアの話はそれだけでは終わらなかった。
「イメルダ卿、なんとかして」
「どなたか気になる方がいらっしゃるのですか?」
「いるわ」
返事は即答だった。
イメルダが少しだけ目を細める。
相手を探してほしいという相談ではない。
すでに相手を決めているらしい。
「シュタインフェルト王国騎士団長、マイケル団長を紹介して」
イメルダは驚かなかった。
むしろ話は簡単だった。
相手が決まっているなら、あとはマイケル本人の意思を確認すればいい。
もちろん第二王女の婚姻である以上、両王への報告も必要になる。
「承知しました。まずオーキス陛下へご報告いたします」
「お願い」
リヴィアは満足そうに頷いた。
イメルダはすぐにオーキス王へ報告した。
「リヴィア殿下が、シュタインフェルト王国のマイケル騎士団長との縁談を希望されています」
オーキスは一瞬驚いた。
だが、すぐに笑顔になった。
「マイケル団長か。良い縁ではないか」
反対する理由はなかった。
シュタインフェルト王国の騎士団長である。
オーキスもその人物を知っている。
王国を支える立場にあり、カイゼルからの信頼も厚い。
「本人が望んでいるなら、話を進めてみればいい」
オーキスの了承を得ると、イメルダは転移した。
次に報告する相手はカイゼル王である。
「今度はリヴィア殿下か」
話を聞いたカイゼルは目を丸くした。
ユリアンとレックスの婚約が決まった直後である。
今度はアルデバランの第二王女が、シュタインフェルト王国の騎士団長との縁談を望んでいる。
「相手はマイケルなのだな?」
「はい。リヴィア殿下ご本人からのご指名です」
カイゼルの顔に笑みが浮かんだ。
「それは良い縁ではないか」
こちらも反応はオーキスと同じだった。
第一王女ユリアンと第一王子レックス。
そして今度は第二王女リヴィアと騎士団長マイケル。
両国の間に、さらに新しい縁が生まれようとしている。
カイゼルはすぐにマイケルを呼んだ。
王からの呼び出しを受けたマイケルは、何の話なのか分からないまま王宮へやって来た。
そこにはカイゼルとイメルダがいる。
「陛下、お呼びでしょうか」
「ああ」
カイゼルは妙に嬉しそうだった。
マイケルはその表情を見て、何の用件なのか考えた。
騎士団に関する話には見えない。
イメルダがいる理由も分からない。
「マイケル団長」
イメルダが声をかけた。
「はい」
「縁談のお話です」
マイケルの表情が止まった。
「……私のですか?」
「ええ」
イメルダは穏やかに告げた。
「第二王女リヴィア・アルデバラン殿下が、あなたとの縁談を希望されています」
マイケルは動かなかった。
しばらく言葉も出てこない。
カイゼルは笑いを堪えている。
イメルダは返事を急かさなかった。
第二王女から名指しで縁談を申し込まれたのである。
しかも相手はアルデバラン王家。
少しくらい固まっても仕方がない。
ユリアンとレックスの婚約が決まった直後。
今度はリヴィアから、新しい縁が動き始めた。
その中でただ一人。
騎士団長マイケルだけが、状況を理解したまま固まっていた。
マイケルは固まったままだった。
第二王女リヴィア・アルデバラン。
その本人から名指しで縁談を望まれている。
騎士団長として戦場に立つときなら、どのような状況でも判断できる。
だが、これは想定していなかった。
「……なぜ私なのでしょうか」
ようやく出てきた言葉がそれだった。
イメルダは答えなかった。
それを説明するのはリヴィア本人である。
マイケルは困ったようにカイゼルを見た。
国王は相変わらず嬉しそうだった。
そこへ助け舟を出したのが、アイゼル・ローゼンクランツ公爵だった。
「マイケル」
「はい」
「何をそんなに驚いている」
「しかし、相手はアルデバランの第二王女殿下です」
アイゼルは呆れたようにマイケルを見た。
「お前もシュタインフェルト王国の侯爵家の令息だろう」
マイケルが黙る。
「しかも王国騎士団長だ。家格に何の問題がある」
言われてみれば、その通りだった。
マイケルは騎士団長という職務に就いているため、普段は自分の家格を意識することが少ない。
だが侯爵家の令息である。
王女との縁談が成立し得ない身分ではない。
「胸を張れ、マイケル」
アイゼルが言った。
「第二王女殿下が自分でお前を選んだのだ。そこでお前が縮こまってどうする」
「……はい」
ようやくマイケルの表情が少し戻った。
カイゼルも笑った。
「私も良い縁だと思っているぞ」
国王からまでそう言われ、マイケルは逃げ場を失った。
もっとも、誰も結婚しろと命じているわけではない。
イメルダが確認した。
「マイケル団長。リヴィア殿下は、あなたを紹介してほしいと仰っています」
「紹介、ですか」
「ええ。まだそれだけです」
マイケルはようやく状況を整理した。
結婚が決まったわけではない。
第二王女が自分に会いたいと言っている。
ならば、まず会えばいい。
「リヴィア殿下とは、以前にもお会いしています」
「それで殿下もあなたをご存じなのでしょう」
イメルダが答えた。
マイケルは考えた。
なぜ自分なのか。
それはまだ分からない。
だが本人に会えば聞くことができる。
「分かりました」
マイケルは顔を上げた。
「私も、リヴィア殿下とお話しさせていただきたいです」
「承知しました」
イメルダが微笑んだ。
それで十分だった。
マイケルの意思が確認できれば、次は二人を会わせればいい。
アイゼルが満足そうに頷いた。
「それでいい。最初からそう言えばいいのだ」
「突然、第二王女殿下との縁談だと言われたのですよ」
「だから何だ」
「驚くくらいは許してください」
今度はカイゼルが笑った。
先ほどまで固まっていたマイケルも、ようやくいつもの調子を取り戻している。
だが話はここで終わらない。
イメルダはリヴィアのもとへ戻った。
「マイケル団長にお話ししてまいりました」
「それで?」
リヴィアの返事は早かった。
「お会いして、お話ししたいとのことです」
リヴィアの顔が一気に明るくなった。
「本当に?」
「はい」
「断られなかったのね」
「まだ紹介する段階ですもの。マイケル団長も、まずお話をしたいと仰っています」
それでリヴィアには十分だった。
弟のレックスがユリアンと面談し、互いを知るところから婚約へ進んだ。
今度は自分の番である。
相手は自分で選んだ。
シュタインフェルト王国騎士団長マイケル。
イメルダは二人の面談を手配することにした。
ユリアンとレックスから始まった王族の縁談は、それだけでは終わらなかった。
第二王女リヴィアの選択によって、次の縁へとつながっていた。
イメルダが用意した席で、リヴィアとマイケルは向かい合った。
すでに互いの顔は知っている。
だが、こうして二人だけの縁談を前提として話すのは初めてだった。
最初に口を開いたのはマイケルだった。
「リヴィア殿下。一つ、お聞きしてもよろしいでしょうか」
「もちろんですわ」
マイケルは少し迷ってから尋ねた。
「何故、私なのですか?」
侯爵家の令息であり、シュタインフェルト王国の騎士団長。
アイゼル公爵からも、家格に問題はないと背中を押された。
それは理解した。
だが、それとリヴィアが自分を名指しした理由は別だった。
リヴィアは迷わなかった。
「あなたの騎士団長としての職責、指揮、部下を導くところ。何もかも素敵ですわ」
マイケルがわずかに目を見開いた。
「それでも、一番素敵なのは他人の仕事を正しく評価するところです」
「他人の仕事……ですか?」
「ええ。あなたはアリー男爵の仕事を評価なさった。孤児たちの仕事も」
その名前を聞いて、マイケルは黙った。
リヴィアは続けた。
「アリー男爵は神聖ラトリアの神官でした。教会が腐敗し、国民をアンデッドにする恐ろしい国でした」
マイケルも知っている。
だからこそ、アリーが何をしていたのかも理解していた。
「彼女にとって、神官として死を悼み、弔うことが何より大切なのです」
リヴィアの声は穏やかだった。
「孤児たちも同じです。あの子たちはヴェロン王国の孤児でした。幼いときから死に向き合ってきたのです」
戦いが終わったあと。
残された遺体を確認し、死者を弔い、アンデッドとなることを防ぐ。
目立つ仕事ではない。
敵を倒すわけでもない。
歓声を浴びる仕事でもない。
だが、誰かがやらなければならない仕事だった。
「あなたは、それを正しく評価なさいました」
リヴィアは真っ直ぐマイケルを見ていた。
「そして王宮に報告を上げてくださった。だから私たちも、アリー男爵や孤児たちが何をしていたのか知ることができたのです」
マイケルは何も言わなかった。
「大きな功績を挙げた者を褒めることは、誰にでもできますわ」
リヴィアは少し微笑んだ。
「でも、目立たない場所で自分の役目を果たしている人を見つけ、その仕事の意味を理解し、きちんと評価する。それができる人は多くありません」
マイケルの表情が止まった。
「私は、そこが一番素敵だと思いました」
リヴィアは言った。
「あなたは立派な騎士です」
マイケルは再び固まった。
先ほどカイゼルの前で縁談を聞かされたときとは違う。
今度は、何を言えばいいのか本当に分からなかった。
アリーの仕事を王宮へ報告したことを、特別なことだと思ったことはない。
孤児たちについても同じだった。
必要な仕事をしていた。
価値のある仕事だった。
だから報告した。
ただそれだけだった。
騎士団長として当然のことをしたつもりだった。
誰かに褒めてもらおうと思ったことなどない。
まして、それを外国の王族が見ているなど考えたこともなかった。
だが、見ていた人がいた。
リヴィア・アルデバラン。
第二王女である彼女が、自分の働きを知っていた。
戦果ではない。
騎士団長という肩書でもない。
自分が誰を見て、何を評価したのか。
そこを見ていた。
「……殿下」
ようやくマイケルが声を出した。
だが、その先が続かなかった。
リヴィアは急かさない。
ただ穏やかに待っている。
マイケルは一度息を整えた。
「私は、自分の仕事をしただけです」
「ええ」
リヴィアは微笑んだ。
「だから素敵なのですわ」
マイケルはまた言葉を失った。
自分が評価した者たちの仕事を、さらに別の誰かが見ていた。
そして今度は、そのことによって自分自身が評価されている。
そんなことになるとは思ってもいなかった。
マイケルは目の前のリヴィアを見た。
第二王女だからではない。
自分が何をしたのかを、きちんと見てくれていた一人の女性として。
初めて、リヴィア・アルデバランという人を見つめていた。
リヴィアとマイケルの面談について、イメルダから報告を受けたカイゼルとアイゼルは、揃って唸った。
リヴィアがマイケルを選んだ理由。
騎士団長としての職責や指揮。
部下を導く姿。
そして何より、他人の仕事を正しく評価するところ。
リヴィアは、その具体例としてアリー男爵と孤児たちのことを挙げていた。
アリー男爵は神聖ラトリアの神官だった。
神聖ラトリアでは教会が腐敗し、国民をアンデッドにしていた。
その犠牲者は数千万人に及ぶ。
生き残った者のうち、保護することができたのは一千万人。
冒険者ギルドですらお手上げとなったほどの惨状だった。
アリーは、その国で神官として生きてきた。
だからこそ彼女にとって、死者を悼み、弔うことは何より大切だった。
そして孤児たちもヴェロン王国の孤児だった。
幼い頃から死に向き合ってきた子供たちである。
そのアリーと孤児たちが、死者を確認し、弔い、アンデッドとなることを防ぐ仕事をしていた。
マイケルは、その仕事を見過ごさなかった。
価値のある仕事だと認め、王宮へ報告を上げた。
そしてリヴィアは、そのマイケルを見ていた。
アリーが何者なのか。
孤児たちがどこから来たのか。
なぜ彼女たちが死者と向き合うのか。
その背景まで理解した上で、彼女たちの仕事を正しく評価したマイケルを、
「立派な騎士です」
と評した。
「……そこまで考えていたのか」
カイゼルが低く呟いた。
アイゼルも返事をしなかった。
自分たちもマイケルの仕事は評価していた。
アリーや孤児たちの働きを見逃さず、その価値を認め、報告を上げた。
騎士団長として立派な仕事だった。
だから評価した。
だが、それだけだった。
その報告の向こうにあるものまで、自分たちは見ていなかった。
アリーがなぜ死者を弔うのか。
孤児たちがなぜ死者と向き合えるのか。
そこに至るまで、彼女たちがどんな人生を送ってきたのか。
「我々はマイケルを見ていた」
アイゼルがようやく口を開いた。
「だがリヴィア殿下は、その向こうにいる者たちまで見ていたのですな」
カイゼルは黙って頷いた。
そして、ふと思う。
これはリヴィアだけなのだろうか。
アルデバランでは、多くの者が難民や保護民と接している。
国王も王族も、冒険者も、教師も、商人も、普通の国民も。
救い出した。
それで終わりではない。
保護した。
それで終わりでもない。
その人間には、それまで生きてきた人生がある。
失った家族がいる。
失った故郷がある。
忘れられない出来事がある。
そして救済されたあとにも、人生は続いていく。
仕事を覚える。
働く。
誰かと出会う。
結婚する。
子供を育てる。
新しい土地で暮らし始める。
アルデバランの者たちは、救済した人間のその後まで見ている。
「アルデバランの国民と王族は……ここまでなのか」
カイゼルの声には驚きが混じっていた。
シュタインフェルト王国も、すでに多くの人間を保護している。
難民を受け入れた。
隷属者を救った。
奴隷や孤児、娼婦も保護した。
今では一億五千万人の国民を抱える国になった。
五千万人がセトルメントで新しい生活を始め、二千万人は旧イルミナ王国で暮らしている。
自分たちは、その人々を国民として受け入れた。
ならば背負うものは、人数ではない。
一人一人の人生なのだ。
救済した瞬間だけではない。
その人間がこれから生きていく人生まで、国は向き合うことになる。
アイゼルが深く息を吐いた。
「一億五千万人ですか」
その数字の意味が、先ほどまでとは違って見えた。
人口でもない。
労働力でもない。
税を納める国民の数でもない。
一億五千万の人生だった。
カイゼルも大きく息を吐いた。
「まだまだだな」
「ええ」
アイゼルも頷いた。
「まだまだです」
二人とも、それ以上の言葉が出なかった。
リヴィアが一人の騎士を選んだ理由。
ただそれを聞いただけだった。
それなのに、自分たちがこれから背負うものまで見せられた気がした。
カイゼルとアイゼルには、ため息しか出なかった。




