271 ユリアン
先に結婚した一千万組の夫婦について、王国中を沸かせる発表があった。
一千万組の懐妊が確認されたのである。
出産予定は八か月後。
知らせが広まると、シュタインフェルト王国は再び大きな祝いに包まれた。
一方、行政官たちは喜んでいるだけでは済まなかった。
八か月後には、一千万人もの赤子が生まれる。
治癒院の増設が始まった。
既存の治癒院だけで対応するのではなく、人口に合わせて各地に新しい治癒院を建設する。
商業ギルドと各商会も動いた。
必要になる赤子用の衣服は一千万着では足りない。着替えも必要になるため、生産しなければならない量はさらに増える。
紡織工房には注文が入り、布地を扱う商会も必要量を確保していく。
産婆の手配も必要だった。
一千万人の出産が同じ日に集中するわけではない。
それでも短期間にこれほど多くの出産が続くのは、シュタインフェルト王国でも初めてのことだった。
行政官たちは地域ごとの出産予定を確認し、必要な治癒院と産婆の数を割り出していく。
八か月ある。
準備する時間は十分にあった。
王宮でも報告を受けたカイゼル・シュタインフェルト王とアイゼル・ローゼンクランツ公爵が喜んでいた。
現在の人口は一億五千万人。
八か月後には一億六千万人になる。
しかも人口が増えるだけではない。
国内は空前の好景気だった。
セトルメントからは魔物素材、魔石、布地が税として納められている。
セトルメントに拠点を置いた冒険者ギルド、商業ギルド、各商会から入る税も莫大だった。
さらに一千万組の出産準備が始まったことで、新たな需要まで生まれている。
治癒院を造る。
赤子の衣服を作る。
必要な物資を運ぶ。
産婆を手配する。
仕事が増えれば収入を得る者も増える。
収入を得た者が商品を買えば、また別の商売が動く。
国民の士気も高かった。
結婚を祝い、懐妊を祝い、八か月後に生まれてくる子供たちを待っている。
カイゼルもアイゼルも、報告を受けるたびに顔が緩んだ。
王国は豊かになっている。
人口も増える。
国民も喜んでいる。
二人ともニヤケが止まらなかった。
さらに王宮へ、もう一つ嬉しい知らせが届いた。
アリッサが懐妊したのである。
カイゼルの喜びはさらに大きくなった。
国中で一千万組が新しい命を授かり、その中にはアリッサもいる。
祝い事が次々と重なっていた。
そんな王宮で、一人の女性が宰相に詰め寄っていた。
カイゼルの娘。
第一王女ユリアン・シュタインフェルトである。
二十二歳。
恐ろしいほど整った顔立ちを持つ美女だった。
王女として育てられた気品もあり、黙って立っているだけなら誰もが目を奪われる。
だが今、その美しい顔は宰相へ向けられていた。
「アルデバランの王族との縁談を取りまとめてよ」
宰相は目の前の第一王女を見た。
王国内では三千万組もの結婚が始まり、その前に結婚した一千万組からは懐妊の知らせまで届いている。
王国中が結婚と出産の話題で持ちきりだった。
その流れが、とうとう第一王女のところまでやって来たのである。
ユリアンは二十二歳。
結婚を考えても不思議ではない年齢だった。
だが彼女が望んでいるのは、シュタインフェルト王国内の貴族との縁談ではない。
アルデバランの王族。
しかも本人は、宰相なら取りまとめられるだろうという顔をしている。
宰相はすぐには返事をしなかった。
ユリアンがもう一度言った。
「聞いているでしょう?」
もちろん聞こえている。
問題は、聞こえていることではなかった。
第一王女ユリアン・シュタインフェルトの縁談。
しかも相手はアルデバランの王族。
王国中が結婚に沸く中、今度は王宮でも新しい縁談が動き始めようとしていた。
第一王女ユリアン・シュタインフェルトから縁談を求められた宰相は、すぐに国際結婚斡旋ギルドへ相談を持ち込んだ。
相談を受けたのは三人の副グランドマスター。
ミランダ、ミレイユ、ミアーダである。
三人は現在、三千万組という大規模な結婚斡旋を進めている。その経験も実績も十分だった。
だが、今回の相談は少し事情が違う。
「第一王女殿下ですか」
ミランダが確認すると、宰相が頷いた。
「アルデバランの王族との縁談を希望されています」
ミレイユとミアーダも顔を見合わせた。
王族同士の婚姻である。
一般の結婚とは違い、本人同士だけの問題では済まない。両国の関係にも影響する以上、扱いを間違えるわけにはいかなかった。
三人はすぐにグランドマスターへ報告した。
報告を受けたイメルダ・シュトラウス伯爵の動きは早かった。
ほどなくして転移魔法でシュタインフェルト王国へやって来た。
「お待たせしました」
宰相はイメルダを迎え、改めて事情を説明した。
第一王女ユリアンは二十二歳。
本人がアルデバラン王族との結婚を希望している。
ただし、特定の相手を指名しているわけではない。
イメルダは話を聞きながら考えた。
アルデバランには百三十か国がある。
王族だけなら大勢いる。
しかし第一王女の相手となれば、誰でも紹介すればいいというものではなかった。
王族としての立場。
年齢。
両国の関係。
そして何より、実際に結婚する二人の相性がある。
イメルダには一人、紹介できそうな人物に心当たりがあった。
「レックス殿下はいかがでしょう」
宰相が反応した。
「第一王子レックス・アルデバラン殿下ですか」
「ええ」
レックス・アルデバラン。
十八歳。
アルデバランの第一王子である。
ユリアンは二十二歳なので、四歳年上になる。
年齢差はあるが、イメルダはそれだけで候補から外すつもりはなかった。
「レックス殿下なら、ユリアン殿下にご紹介できます」
宰相は少し考えてから頷いた。
第一王女と第一王子。
縁談として釣り合わない相手ではない。
もっとも、王族同士の婚姻である以上、紹介しただけで終わる話でもなかった。
両国にとって重要な縁談になる。
婚姻が成立すれば、シュタインフェルト王家とアルデバラン王家が直接結ばれることになるからだ。
それでもイメルダは、すぐにレックスとの縁談を進めようとはしなかった。
「まず、ユリアン殿下とお話ししましょう」
「殿下と?」
「ええ。アルデバランの王族との縁談を望んでおられることは分かりました。ですが、それだけでは何も分かりませんもの」
なぜアルデバランの王族なのか。
どのような相手を望んでいるのか。
結婚後に何を望んでいるのか。
第一王女という立場を持つ以上、国家間の事情を無視することはできない。
だからこそ、その前に本人の考えを知っておきたかった。
三千万組の結婚を扱っていても、一組の結婚を見るときにすることは変わらない。
相手を知る。
本人の希望を聞く。
そのうえで、紹介できる相手を考える。
レックスが第一王子だからという理由だけで、ユリアンとの婚姻を決めるつもりはなかった。
「レックス殿下のお名前を出すのは、ユリアン殿下とお話ししてからにしましょう」
イメルダがそう決めると、宰相も了承した。
面談の手配が始まった。
第一王女ユリアン・シュタインフェルト、二十二歳。
第一王子レックス・アルデバラン、十八歳。
四歳年下の第一王子を紹介することになるのか。
それともユリアンの希望を聞いた結果、別の相手を探すことになるのか。
まだ何も決まっていない。
まずは本人に会う。
イメルダは第一王女ユリアン・シュタインフェルトとの面談を決めた。
イメルダ・シュトラウス伯爵と第一王女ユリアン・シュタインフェルトの面談は、王宮の一室で行われた。
部屋へ入ってきたユリアンを見て、イメルダはまずその容姿に目を留めた。
二十二歳。
恐ろしいほどの美女である。
王女としての立ち居振る舞いにも隙がない。
ユリアンはイメルダの向かいに座った。
「お時間をいただきありがとうございます」
「こちらこそ。アルデバランの王族との縁談をご希望だと伺いました」
「はい」
返事に迷いはなかった。
イメルダはすぐに相手の名前を出さなかった。
「なぜアルデバランの王族なのでしょう?」
ユリアンは少し考えてから答えた。
「今のシュタインフェルト王国を見ているからです」
イメルダは黙って続きを待った。
「私たちの国は大きく変わりました。人口は増え、セトルメントもできました。商売も盛んになっています。アルデバランとの関係が深くなってからです」
それだけが理由ではなかった。
シュタインフェルト王国とアルデバランの間では、すでに多くの結婚が成立している。
国境を越えて夫婦となった者たちが暮らし始め、それを王国中が祝っていた。
「私も王族です。結婚するなら、王国にとって意味のある縁を結びたいと思っています」
イメルダは頷いた。
王女として育ってきたユリアンである。
自分の婚姻が個人だけの問題ではないことは理解している。
「お相手に求めるものはありますか?」
「王族としての役目を理解している方であれば」
「容姿は?」
ユリアンが少しだけ笑った。
「良いに越したことはありません」
イメルダも微笑んだ。
「年齢は?」
「特には」
そこでイメルダは一人の名前を出した。
「第一王子レックス・アルデバラン殿下はいかがでしょう?」
ユリアンの表情が変わった。
「第一王子?」
「はい」
アルデバラン王国第一王子。
レックス・アルデバラン。
十八歳。
イメルダが年齢を伝えると、ユリアンは少し驚いた。
「十八歳……」
「ユリアン殿下より四歳年下になります」
ユリアンは考え込んだ。
四歳差。
しかも自分のほうが年上である。
だが、それだけで拒む様子はなかった。
「レックス殿下は、この縁談をご存じなのですか?」
「まだです」
イメルダは即答した。
ユリアンとの面談を終える前に話を持っていくつもりはなかった。
「まずユリアン殿下のお考えを伺いたかったのです。お会いしてみたいということであれば、次はレックス殿下へお話をします」
ユリアンはしばらく黙っていた。
第一王子である。
婚姻が成立すれば、シュタインフェルト王家とアルデバラン王家が直接結ばれる。
王族として考えれば非常に大きな縁談だった。
だが、ユリアンが確認したのは別のことだった。
「どのような方ですか?」
イメルダはその質問に少し笑みを深くした。
王位継承順位でもない。
両国にもたらす利益でもない。
本人が知りたいのは、レックスという人間だった。
「それは、実際にお会いになったほうがよろしいでしょう」
「教えてくださらないの?」
「私の評価を先に聞けば、それを通してレックス殿下を見ることになりますから」
ユリアンは一瞬きょとんとしたあと、笑った。
「結婚斡旋ギルドというのは、面白いことをするのですね」
「結婚するのは私ではありませんもの」
イメルダは穏やかに答えた。
王族同士の婚姻なら、国家間の条件を詰めることになる。
それは避けられない。
だが、その前に二人が互いを知る機会くらいは作れる。
ユリアンは決めた。
「お会いしたいです」
「分かりました」
イメルダは立ち上がった。
これでユリアン側の意思は確認できた。
次はレックスである。
十八歳の第一王子が、四歳年上のシュタインフェルト第一王女との縁談をどう受け止めるのか。
イメルダにもまだ分からない。
だから聞きに行く。
ユリアンとの面談を終えたイメルダは、今度はレックス・アルデバランに会うため、アルデバラン王国へ向かうことにした。
イメルダ・シュトラウス伯爵から縁談の話を聞いたオーキス王と王妃バイオレットは、大いに喜んだ。
相手はシュタインフェルト王国第一王女、ユリアン・シュタインフェルト。
二十二歳。
第一王子レックスより四歳年上である。
「ユリアン殿下か」
オーキスの顔が緩んだ。
シュタインフェルト王国との関係はすでに深い。
多くの国際結婚が成立し、街道を通じて人と物が行き交っている。
レックス自身も先日シュタインフェルト王国へ赴き、大聖堂の建設に携わったばかりだった。
その国の第一王女との縁談である。
バイオレットも嬉しそうだった。
「レックスも十八歳ですものね」
「ああ。王族なら遅いくらいだ」
王族の婚姻は国同士の関係にも影響する。
第一王女と第一王子の婚姻が成立すれば、両王家が直接結ばれることになる。
オーキスとバイオレットにとって歓迎すべき縁談だった。
だが、二人が喜んだからといって話が決まったわけではない。
イメルダはレックス本人に会うことにした。
レックス・アルデバランは十八歳。
第一王子として、自分の婚姻がいずれ王家にとって重要な問題になることは理解していた。
そこへイメルダが訪ねてきた。
「レックス殿下。縁談のお話があります」
レックスは少し驚いた。
「私にですか?」
「ええ」
イメルダは向かいに座った。
「お相手は、シュタインフェルト王国第一王女ユリアン殿下です」
レックスの表情が変わった。
つい先日、自分が大聖堂の建設に携わったシュタインフェルト王国。
その第一王女との縁談だった。
「ユリアン殿下は二十二歳です。レックス殿下より四歳年上になります」
「四歳ですか」
「気になりますか?」
レックスは少し考えた。
「いいえ。それくらいなら」
四歳という年齢差だけで断る理由にはならなかった。
「ユリアン殿下は、この話をご存じなのですか?」
「もちろんです」
イメルダはユリアンとの面談について説明した。
ユリアン自身がアルデバラン王族との縁談を望んだこと。
そこでイメルダがレックスを候補として挙げたこと。
十八歳であることも伝えたうえで、ユリアンが会ってみたいと答えたこと。
レックスは黙って話を聞いていた。
「父上と母上は?」
「先ほどお話ししました」
「何と?」
イメルダが微笑んだ。
「大変お喜びでした」
レックスは小さく息を吐いた。
「そうですか」
両親が喜ぶのは分かる。
シュタインフェルト王国との関係を考えても、悪い縁談ではない。
だが、イメルダが確認したいのはそこではなかった。
「レックス殿下はどうお考えですか?」
レックスは少し考えた。
相手は第一王女。
自分は第一王子。
婚姻となれば、二人だけの問題ではなくなる。
それでも今は、まだ結婚を決めろと言われているわけではない。
まず会う。
その相手がどのような女性なのか、自分で確かめることができる。
「ユリアン殿下は、どのような方なのですか?」
「恐ろしいくらいの美女でした」
レックスが一瞬黙った。
イメルダはそれ以上説明しなかった。
性格について先に自分の評価を聞かせるより、本人と会って話したほうがいい。
「それだけですか?」
「それだけです。あとはご自分でお確かめください」
レックスは苦笑した。
だが、そのほうがいいとも思った。
誰かから聞いた人物像ではなく、自分で会って知ればいい。
「分かりました」
レックスは答えた。
「私もユリアン殿下にお会いしてみたいです」
「承知しました」
イメルダは頷いた。
ユリアンはレックスに会うことを望んでいる。
レックスもユリアンに会うことを望んだ。
これで双方の意思は確認できた。
王族同士の婚姻である以上、その先には両国で詰めなければならないこともある。
だが、それは二人が会ってからでいい。
イメルダの役目は、まず二人を引き合わせることだった。
第一王女ユリアン・シュタインフェルト、二十二歳。
第一王子レックス・アルデバラン、十八歳。
二人の顔合わせが決まった。




