258 妻
シュトラウス伯爵は、空に投影された表彰式を見上げていた。
妻が映っている。
イメルダ・シュトラウス伯爵。
自分の妻である。
そして今回で八回目の表彰だった。
「今度は何をしたんだ……」
妻が表彰されること自体には、もう驚かない。
一度や二度ではない。
八回目ともなれば、驚くより先に表彰理由が気になる。
やがてオーキスが今回の功績について話し始めた。
シュタインフェルト王国の公爵令嬢アリッサ。
第78アルデバラン王国国民のロルフ。
二人の結婚が決まった。
その縁を結んだのがイメルダだった。
シュトラウス伯爵は首を傾げた。
「……それはいつもの仕事ではないか?」
結婚斡旋ギルドのグランドマスターなのだから、男女の縁を取り持つのは珍しくもない。
むしろ、それが妻の仕事である。
アリッサとロルフの二人が互いを好いていた。
イメルダが気づいた。
双方の意思を確認して、縁談を進めた。
何もおかしくない。
いつものイメルダだった。
それで八回目の表彰。
さすがにシュトラウス伯爵にも理由が分からなかった。
だが、オーキスの説明はそこで終わらなかった。
シュタインフェルト王国。
かつて二千万人だった国の人口は、今や五千万人に達している。
増えた者の多くは、国を失った民だった。
シュタインフェルト王国は彼らを追い返さなかった。
保護した。
食事を与えた。
住居を造った。
教導し、自立する力を与えた。
新しく造られた街では、住民自身が首長を選び、自治まで始めている。
アルデバラン王国が命じたのではない。
カイゼル王とシュタインフェルト王国の人々が、自分たちで選んだ。
アルデバラン王国は表に出ない。
それでも、大陸は少しずつ安定し始めている。
さらに第78アルデバラン王国との交易も始まった。
人が行き来する。
商品が行き来する。
その中から今度は、一組の夫婦が生まれた。
シュトラウス伯爵は、そこまで聞いてようやく理解した。
「……そういうことか」
一組の結婚だけを表彰しているのではない。
国家が決めた政略結婚でもない。
二人が自分たちで相手を選んだ。
その結果として、シュタインフェルト王国と第78アルデバラン王国の間に家族が生まれる。
それが重要なのだ。
シュトラウス伯爵は周囲を見た。
多くの国民が足を止め、空を見上げている。
オーキスの説明を聞きながら、頷いている者もいた。
理解できるのだろう。
ここにいる者たちも、かつて国を失った。
今では国を持ち、街を持ち、仕事を持ち、家族を持って暮らしている者も多い。
その人々にとって、シュタインフェルト王国で起きていることは遠い国の話ではなかった。
かつて自分たちが歩いた道と重なる。
国を失った者が保護される。
力を与えられる。
自分で働く。
自分で暮らす。
そして、いつか自分たちで次の生活を作る。
シュトラウス伯爵は再び空を見上げた。
そこには妻が映っている。
オーキスから国家的な意味を説明されても、どこか困ったような顔をしていた。
大陸の安定。
国境を越えた人のつながり。
国を失った多くの民が救われていく流れ。
そんな話をされても、イメルダには実感がないのだろう。
シュトラウス伯爵には分かった。
妻が考えていたことなど、もっと単純だ。
アリッサがロルフを好きだった。
ロルフもアリッサを好きだった。
二人とも結婚したい。
ならば縁談を進めればいい。
おそらく、それだけだった。
空に映るイメルダは、相変わらずだった。
自分が大陸の安定に貢献したと言われても、本人にはそんなつもりはない。
ただ、幸せになってほしい二人がいた。
だから世話を焼いた。
シュトラウス伯爵は小さく笑った。
「お前はいつもそれだな」
国王から見れば、国家的な偉業。
多くの国民から見れば、国を失った者たちの未来につながる一つの縁。
だが、夫であるシュトラウス伯爵から見れば違った。
空に映っているのは、昔から何も変わらない。
放っておけない相手を見つけると、つい世話を焼いてしまう。
いつもの妻だった。
表彰の生中継が終わった。
空に投影されていた王宮の映像が消えると、足を止めていた人々もそれぞれの日常へ戻っていった。
シュトラウス伯爵も屋敷へ戻った。
妻はまだ王宮にいる。
八回目の表彰。
改めて考えると、とんでもない回数だった。
一度でも国王から功績を認められ、表彰されれば家の誉れになる。
それを妻は八回も繰り返している。
しかも、今回の功績は大陸の安定にまで話が及んだ。
シュトラウス伯爵は椅子に座り、先ほど見た表彰式を思い返した。
本人は大陸を安定させようとしたわけではない。
国同士を結ぼうとしたわけでもない。
アリッサとロルフが互いを想っている。
それに気づいて、結婚できるように動いた。
結果として、それが国家的な意味を持った。
「八回目か……」
口にしてみても、やはり妙な気分だった。
やがてイメルダが帰ってきた。
「ただいま戻りました」
「おかえり」
シュトラウス伯爵は妻を見る。
いつものイメルダだった。
八回目の表彰を受けた直後だというのに、特別に誇らしげな様子もない。
「お疲れ様」
「ありがとうございます」
イメルダが向かいに座る。
シュトラウス伯爵はしばらく妻の顔を見ていた。
「どうかなさいました?」
「いや」
「何か?」
「八回目なんだなと思ってな」
イメルダが少し困ったように笑った。
「そうなのです」
「他人事みたいに言うな」
「ですが、今回は本当に驚きました」
「私も驚いた」
シュトラウス伯爵は頷いた。
「最初に表彰理由を聞いたときは、何を言っているのかと思ったぞ」
「まあ」
「アリッサ嬢とロルフ殿の縁談をまとめたのだろう?」
「はい」
「いつもの仕事ではないか」
イメルダも頷く。
「わたくしも、そう思ったのです」
二人の意見が一致した。
シュトラウス伯爵は思わず笑った。
「陛下の説明を聞いて、ようやく分かった」
「わたくしも説明していただきましたが、まだ少し不思議な気持ちです」
「そうだろうな」
シュトラウス伯爵には、その理由も分かる。
「お前はアリッサ嬢とロルフ殿しか見ていなかったのだろう?」
イメルダは少し考える。
「二人だけというわけではございませんが」
「では、何を考えていた?」
「お二人とも結婚したいのですから、きちんとお話を進めませんと」
「それだけか?」
「それだけでございます」
やはりそうだった。
シュトラウス伯爵は笑う。
「大陸の安定は?」
「考えておりませんでした」
「シュタインフェルト王国と第78アルデバラン王国の関係は?」
「それも特には」
「国家的に重要な婚姻になるとは?」
「まったく」
迷いのない返事だった。
「アリッサさんがロルフさんをお好きで、ロルフさんもアリッサさんを大切に思っていらっしゃいます。それなら結婚できるようにお手伝いするのが、わたくしたちの仕事でしょう?」
「ああ」
それ以上でも、それ以下でもなかった。
シュトラウス伯爵は妻を見ながら、先ほど空へ映し出されていた姿を思い出す。
国王が大陸の安定を語っている横で、本人だけが少し困っていた。
「お前はいつもそれだな」
今度は空に向かってではなく、本人に言った。
「何がでございます?」
「目の前にいる人間の世話を焼いているうちに、話が大きくなる」
イメルダは首を傾げた。
「そうでしょうか?」
「八回表彰されている人間が言うことではないな」
「それとこれは別でございます」
「別なのか?」
「ええ」
イメルダは当然のように答えた。
「困っている方がいらっしゃれば、お手伝いすればよろしいでしょう?」
シュトラウス伯爵は何も言えなくなった。
おそらく、この妻は九回目があっても変わらない。
十回目があったとしても同じだろう。
国王から偉業だと言われても、本人にとっては目の前の誰かに世話を焼いただけ。
シュトラウス伯爵は笑った。
「まあ、いい」
「何がです?」
「そのままでいてくれ」
イメルダは少し不思議そうな顔をしたあと、柔らかく微笑んだ。
「はい」
八回の表彰を受けた伯爵。
大陸の安定につながる縁を結んだ人物。
だが、この屋敷ではただの妻だった。
シュトラウス伯爵にとっては、それで十分だった。
八回目の表彰を受けた翌日。
シュトラウス伯爵家の朝は、いつもと何も変わらなかった。
シュトラウス伯爵が朝食の席に着く。
向かいにはイメルダがいる。
昨日、百三十か国とミストバルカス公国の空に姿を映し出され、国王から偉業を称えられた人物である。
その本人は朝食を取りながら、何やら考え込んでいた。
「どうした?」
「シュタインフェルト王国のことを考えておりました」
シュトラウス伯爵の手が止まった。
「昨日帰ってきたばかりだろう」
「ええ」
「もう仕事の話か?」
「仕事というほどではございません」
嫌な予感がした。
この妻がそう言うときは、大抵仕事である。
「ミランダたちから連絡がございまして」
「三人の副グランドマスターか」
「はい。結婚を希望される方が、かなりいらっしゃるそうです」
シュトラウス王国の人口は五千万人。
その中には国を失い、シュタインフェルト王国で新しい生活を始めた者が大勢いる。
生活が安定すれば、その先を考える者が出てくるのも当然だった。
「三人に任せたのではなかったのか?」
「任せておりますよ」
「ならば問題ないだろう」
「ええ。三人とも、とてもよくやっております」
それならなぜ考え込んでいたのか。
シュトラウス伯爵が尋ねる前に、イメルダが続けた。
「ただ、人数が人数ですから」
「……まさか」
「結婚斡旋ギルドの職員を、もう少し派遣した方がよいかもしれません」
やはり仕事だった。
「イメルダ」
「はい」
「昨日、表彰されたばかりだぞ」
「それが何か?」
「少しくらい休んだらどうだ」
イメルダは不思議そうな顔をした。
「疲れておりませんよ?」
「そういう問題ではない」
「では、どういう問題でしょう?」
シュトラウス伯爵は答えに困った。
表彰された翌日は休まなければならないという決まりなどない。
本人が疲れていないと言うなら、なおさらだった。
「まあいい」
「はい」
「好きにしろ」
「ありがとうございます」
イメルダは嬉しそうに微笑んだ。
シュトラウス伯爵は朝食を続ける。
しばらくすると、イメルダがまた口を開いた。
「あなた」
「今度は何だ?」
「アリッサさんとロルフさんの結婚祝いは、何がよろしいと思います?」
今度は仕事ではなかった。
「私に聞くのか?」
「もちろんです」
「お前の方が詳しいだろう」
「結婚斡旋ギルドとしてではございません。わたくしたち夫婦からのお祝いです」
シュトラウス伯爵は少し考えた。
アリッサとは面識がある。
ロルフのことも妻から聞いている。
だが、二人が何を欲しがるのかまでは分からない。
「本人たちに聞けばいいのではないか?」
「それでは贈り物になりません」
「必要なものを贈った方が喜ぶだろう」
「それもそうなのですが……」
イメルダが考え込む。
昨日、大陸の安定につながる偉業を成したとして表彰された伯爵が、今日は新婚夫婦への贈り物で悩んでいる。
シュトラウス伯爵は、その姿を見て笑った。
「何がおかしいのです?」
「いや。昨日との落差がひどいと思ってな」
「落差?」
「昨日は陛下から大陸の安定について話をされていただろう」
「はい」
「今日は結婚祝いで悩んでいる」
「大切なことでしょう?」
「お前にとってはな」
「あなたにとってもです」
「私もか?」
「夫婦からのお祝いだと申し上げました」
当然のように巻き込まれていた。
シュトラウス伯爵は苦笑する。
「分かった。一緒に考えよう」
「ありがとうございます」
イメルダの表情が明るくなった。
しばらく二人で話した。
何が二人に似合うのか。
新しい生活で使えるものがいいのか。
それとも長く残る記念になるものがいいのか。
話しているうちに、シュトラウス伯爵はふと気づいた。
妻は八回表彰された。
国王から偉業を称えられた。
多くの国で、その姿を知られている。
それでも、家に帰れば何も変わらない。
人の縁を気にする。
結婚する二人を気にする。
誰かが幸せになるなら、少し手を貸したくなる。
そして夫まで巻き込む。
「あなた?」
「何だ?」
「また笑っておりますよ」
「気にするな」
シュトラウス伯爵は答えた。
八回表彰されても変わらない。
おそらく九回目でも変わらない。
それでいい。
シュトラウス伯爵は、目の前で結婚祝いを真剣に考えている妻を見ながら、そう思っていた。
結婚祝いについて話しているうちに、朝食はすっかり終わっていた。
それでもイメルダは席を立たない。
「長く使えるものがよろしいでしょうか」
「まだ考えていたのか」
「大切なお祝いですもの」
シュトラウス伯爵は呆れながらも付き合っていた。
妻がこうなれば、納得するまで考える。
止めても仕方がない。
「ロルフ殿は店を続けるのだろう?」
「そのおつもりです」
「アリッサ嬢も冒険者を続ける」
「ええ。お二人で暮らす場所については、これから相談なさるそうです」
「ならば住む場所が決まってからでもいいだろう」
イメルダが瞬きをした。
「それもそうですわね」
「急ぐ必要はない」
シュトラウス伯爵が何気なく言うと、イメルダが微笑んだ。
「ええ。急ぐ必要はございません」
「お前が言うと信用できんな」
「まあ」
「縁談は超特急だったそうではないか」
「お二人とも結婚すると決めていらっしゃいましたから」
「だから翌日にロルフ殿を王宮へ呼んだのか」
「無駄に待つ必要はございませんでしょう?」
悪びれる様子もない。
シュトラウス伯爵は笑った。
「そういうところだぞ」
「何のことでしょう?」
「何でもない」
八回目の表彰理由が、少し分かった気がした。
イメルダは誰かに何かを強いるわけではない。
結婚したくない者に結婚を勧めることもしない。
迷っているなら待つ。
まだ仕事をしたいと言うなら、その意思を尊重する。
だが、本人たちが決めたなら早い。
その選択を邪魔しているものがあれば、どうすれば取り除けるかを考える。
アリッサとロルフも同じだった。
公爵令嬢と元奴隷。
身分だけを見れば、大きな隔たりがある。
だが、イメルダが見ていたのはそこではない。
二人が互いを選んでいる。
だから話を進めた。
結果として、その結婚に国家的な意味まで生まれた。
おそらく妻にとっては、最後まで順番が逆なのだ。
国のために人を結ぶのではない。
人を見て、必要なら手を貸す。
その結果がどこまで広がるのかなど、最初から考えていない。
「あなた?」
「ん?」
「どうかなさいました?」
「少し考えていた」
「何をです?」
シュトラウス伯爵は妻を見る。
「お前は昔から、人のことばかり気にしているな」
イメルダは少し考えた。
「そうでしょうか?」
「自覚がないのか」
「困っていらっしゃる方を見れば、気にはなりますけれど」
「それを世話焼きと言うんだ」
「放っておく方がよろしいのですか?」
「そんなことは言っていない」
即座に返すと、イメルダが楽しそうに笑った。
シュトラウス伯爵も苦笑する。
今さら変わってほしいとも思わない。
むしろ変わられた方が困る。
八回も表彰されたからといって、急に偉人らしく振る舞う妻など想像もできなかった。
「そういえば」
イメルダが何かを思い出した。
「今度は何だ?」
「あなた、今日はお忙しいですか?」
「午後なら時間はある」
「では、ご一緒してくださいません?」
「どこへ?」
「結婚祝いを見に参りましょう」
シュトラウス伯爵は妻を見た。
「住む場所が決まってからでいいという話ではなかったのか?」
「贈るのは後でも、見ておくことはできますでしょう?」
「……そうだな」
「それに、見ているうちに良いものが見つかるかもしれません」
もう行くことは決まっているらしい。
シュトラウス伯爵は諦めた。
「分かった。付き合おう」
「ありがとうございます」
嬉しそうに笑う妻を見ていると、断る理由もなかった。
国家的な偉業。
大陸の安定。
国境を越えて生まれた新しい家族。
昨日は随分と大きな話を聞いた。
だが今日、シュトラウス伯爵がすることは、妻と一緒に新婚夫婦への贈り物を探すことだった。
それでいいと思った。
大きなことをしたからといって、毎日まで大きくなる必要はない。
人はいつもの暮らしを続ける。
イメルダも同じだった。
八回表彰されても、誰かの幸せを気にしている。
そして、そのたびに夫を巻き込む。
シュトラウス伯爵は立ち上がった。
「では、午後から行くか」
「はい」
イメルダも笑顔で立ち上がる。
八度の表彰を受けた偉人。
多くの人々の縁を結んできた伯爵。
それでもシュトラウス伯爵にとっては、何も変わらない。
少し世話焼きで。
人の幸せを放っておけなくて。
自分まで当然のように巻き込んでくる。
昔から変わらない、妻だった。




