256 縁談
シュタインフェルト王国を訪れた者がいた。
イメルダ・シュトラウス伯爵。
結婚斡旋ギルドの初代グランドマスターであり、アルデバラン国民でもある。
以前、カイゼルたちが第78アルデバラン王国を訪れた際には、アルデバラン本国までテレポーテーションで送り届けた人物でもあった。
イメルダは王宮へ向かった。
応接室にはカイゼル、アイゼル、軍務卿が集まった。
アリッサも呼ばれている。
「お久しぶりでございます、カイゼル陛下」
「久しいな、イメルダ伯爵」
カイゼルは穏やかに答えた。
「以前は大変世話になった」
「お役に立てたのでしたら何よりでございます」
イメルダは微笑んだ。
続いてアイゼルと軍務卿にも挨拶をする。
最後にアリッサへ視線を向けた。
「アリッサさんも、お元気そうで何よりです」
「はい。イメルダ伯爵も」
アリッサは少し緊張していた。
イメルダがわざわざシュタインフェルト王国まで来た。
しかも、自分まで呼ばれている。
何の話なのか。
イメルダは席に着くと、しばらくシュタインフェルト王国の近況について話を聞いた。
人口は五千万人まで増えた。
保護された難民の多くが自立を始めている。
新しく造られた街では独立自治も進んでいる。
第78アルデバラン王国との交易も始まった。
「ずいぶん変わりましたね」
「ああ。私自身、ここまで短期間で変わるとは思っていなかった」
カイゼルが答える。
「国民が自分で動いている。私が知らないところで始まっていることも増えた」
「それはよろしいことです」
イメルダは満足そうに頷いた。
そして話が一段落したところで、アリッサを見た。
「ところで」
アイゼルがわずかに眉を動かした。
イメルダの視線が娘へ向いたことに気づいたからだった。
「そろそろ、アリッサさんとロルフさんの縁談を進めませんと」
アリッサの身体が固まった。
アイゼルの表情も変わった。
「……イメルダ伯爵」
「はい」
「今日は、その話で来られたのか?」
「もちろん、それだけではございません」
イメルダは涼しい顔で答えた。
アイゼルが少し安心しかける。
「ですが、大切な用件の一つです」
安心するには早かった。
カイゼルがアイゼルを見る。
軍務卿は黙っていた。
アリッサは何も言わずに俯いている。
イメルダだけが普段と変わらない。
「アリッサさんのお気持ちは、以前から存じております」
アイゼルの顔がさらに難しくなった。
「ロルフ殿は……」
「立派に自立しておられます」
先回りされた。
「いや、しかしだな」
「ご自分のお店を持ち、店主としてきちんと生活しておられます」
「それは分かっている」
「でしたら結構ではございませんか」
アイゼルは黙った。
相手は元奴隷。
娘は公爵令嬢。
父親として何も思わないはずがない。
だが、ロルフ自身に問題があるのかと聞かれれば、アイゼルにも否定する材料はなかった。
アリッサ自身がロルフを好いていることも知っている。
「アリッサ」
アイゼルが娘を見る。
「はい」
「お前は……」
言いかけたところで、イメルダが微笑んだ。
「そこを確認するのでしたら、わたくしがここへ来る前に済ませております」
アイゼルがイメルダを見る。
「いつの間に」
「結婚斡旋ギルドでございますから」
当然のことを答えるような口調だった。
カイゼルが笑いを堪えている。
軍務卿は表情を変えない。
アリッサだけが顔を赤くしていた。
アイゼルは腕を組んだ。
「私はまだ認めると言ったわけではないぞ」
「ええ。ですから、これからお話を詰めるのでございます」
イメルダは穏やかに答えた。
アイゼルがどれほど難しい顔をしても、まるで気にしていない。
アリッサとロルフの縁談は、本人たちの知らないところではなく、本人たちの意思を確認したうえで、いよいよ具体的な話へ進もうとしていた。
アイゼルは難しい顔をしたままだった。
イメルダは気にする様子もなく話を続ける。
「ロルフさんのお店は順調です。生活基盤について心配する必要はございません」
「それは聞いている」
「アリッサさんのお気持ちも確認しております」
「……それも聞いた」
「ロルフさんのお気持ちも確認しております」
アイゼルが黙った。
本人同士の意思があり、生活にも問題がない。
それでも父親として簡単に頷けるかどうかは別の話だった。
「公爵家の娘だ」
アイゼルが言った。
「はい」
「それで終わりか?」
「他に何かございますか?」
イメルダは平然としている。
アイゼルは言葉に詰まった。
身分が違う。
それを口にするのは簡単だった。
だが、シュタインフェルト王国はこの短期間で大きく変わった。
元難民が街の首長になっている。
元兵士が国民となり、新しい仕事を始めている。
保護された者が自立し、次に保護された者を支えている。
ロルフも自分の力で店を持ち、店主として暮らしている。
元奴隷だからという理由だけで否定するには、目の前の現実が変わりすぎていた。
「アイゼル卿」
イメルダが穏やかに呼びかけた。
「わたくしどもは、身分を合わせるために縁談を進めているわけではございません」
「分かっている」
「家同士を結びつけるためでもございません」
「ああ」
「一緒に暮らしたいと思っている二人がいる。それなら、その二人が幸せに暮らせるようにお手伝いする。それが結婚斡旋ギルドの仕事です」
アイゼルは娘を見る。
アリッサはまだ顔を赤くしていたが、父親から目を逸らさなかった。
「お前はロルフ殿と結婚したいのか?」
「はい」
今度はイメルダも口を挟まなかった。
アリッサが自分で答えた。
「私はロルフさんと結婚したいです」
「そうか」
アイゼルはそれだけ言った。
すぐに賛成するとも、反対するとも言わない。
だが、先ほどまでより表情はわずかに柔らかくなっていた。
イメルダはそれを見ると微笑んだ。
「では、この件は引き続き進めましょう」
「待て。私はまだ何も言っていない」
「反対ともおっしゃっておりません」
「イメルダ伯爵……」
「急ぐ必要はございません。きちんとお話を進めてまいります」
アイゼルが深く息を吐いた。
カイゼルはとうとう小さく笑った。
「アイゼル。諦めた方がいいのではないか?」
「陛下まで何をおっしゃるのです」
「いや。イメルダ伯爵を相手に、この話を止められる気がしない」
軍務卿も否定しなかった。
イメルダは何事もなかったように話題を変えた。
「それから、本日は紹介したい者たちを連れてまいりました」
応接室の扉が開いた。
三人の女性が入ってくる。
イメルダの前まで進み、それぞれ一礼した。
「結婚斡旋ギルドの副グランドマスターを務めております」
イメルダが一人目を示す。
「ミランダ」
続いて二人目。
「ミレイユ」
そして三人目。
「ミアーダです」
三人は改めてカイゼルへ頭を下げた。
結婚斡旋ギルドには一万人を超える職員がいる。
その中で副グランドマスターを務めている三人だった。
「副グランドマスターが三人も?」
カイゼルが尋ねた。
「はい。わたくし一人で何もかもできる規模ではなくなっておりますから」
イメルダは当然のように答えた。
カイゼルは三人を見る。
結婚斡旋ギルド。
名前だけを聞けば、人と人との縁を取り持つ組織にすぎない。
だが、その活動によって結ばれた夫婦はすでに膨大な数に上っている。
人と人を結ぶ。
家庭が生まれる。
子供が生まれる。
そして、新しい生活が始まる。
シュタインフェルト王国はいま、五千万人の国になった。
その中には故郷を失い、この国で新しく人生を始めた者も多い。
ミランダ。
ミレイユ。
ミアーダ。
この三人が、これからシュタインフェルト王国の歴史を変えていくことを、このときはまだ誰も知らなかった。
「三人には、しばらくシュタインフェルト王国に滞在してもらいます」
イメルダの言葉に、カイゼルが三人を見た。
「結婚斡旋ギルドを、この国でも?」
「はい」
イメルダは頷いた。
「五千万人もの方が暮らしているのでしょう?」
「ああ。急激に増えた」
「でしたら、必要になると思います」
カイゼルには、その意味がすぐに分かった。
シュタインフェルト王国の人口は二千万人から五千万人へ増えた。
増えた三千万人の多くは、この国で新しく生活を始めた者たちだった。
住居はある。
食料もある。
仕事も増えている。
街では独立自治まで始まっている。
だが、自立できることと、その後の人生をどう生きるかは別だった。
ミランダが口を開いた。
「まず、実際に街を見せていただきたいと思っております」
「構わない」
「ありがとうございます」
ミレイユも続ける。
「どのような方々が暮らしているのかを知りませんと、私たちにも何が必要なのか分かりません」
ミアーダも頷いた。
「こちらのやり方を知らないまま始めても、うまくはいかないでしょうから」
イメルダは何も付け加えなかった。
三人に任せるつもりなのだろう。
カイゼルは軍務卿を見る。
「街を自由に見てもらえるようにしてくれ」
「承知しました」
話が決まると、三人はその日のうちに動き始めた。
最初に訪れたのは、保護された難民たちが暮らす街だった。
集合住宅が並んでいる。
公衆浴場がある。
治療施設も教導会場も動いている。
通りには店ができていた。
工房もある。
ゴーレム馬車が行き交い、畑で働く者の姿も見える。
かつて難民だった者たちが、自分たちで選んだ首長の下で街を運営していた。
三人は街を歩いた。
そこで暮らす者たちと話す。
仕事を聞く。
家族がいるのかも聞いた。
どこから来たのか。
今の暮らしをどう思っているのか。
これから何をしたいのか。
話を聞くほど、一つのことが見えてきた。
生活を立て直した者は多い。
だが、一人で暮らしている者も非常に多かった。
故郷を失った。
家族を失った。
逃げる途中で離れ離れになった者もいる。
元兵士もいた。
職人もいた。
農民も商人もいた。
境遇はそれぞれ違う。
それでも、シュタインフェルト王国へ来て教導を受け、自分で生きていけるようになったという点では同じだった。
「なるほど」
ミランダが呟いた。
ミレイユも周囲を見る。
「生活はもう成り立っていますね」
「ええ」
ミアーダが答えた。
「だから、その次を考えられるようになっているのでしょう」
三人は結婚を勧めて回らなかった。
結婚したいのかどうか。
まず、それを本人に聞いた。
今は一人でいたいという者もいる。
仕事を優先したい者もいる。
故郷に残した家族を探したいという者もいた。
そうした者に無理に相手を紹介することはなかった。
一方で、良い相手がいるなら家庭を持ちたいと答える者もいた。
人数は少なくなかった。
だが、出会う機会がない。
五千万人も暮らしているのに、自分の生活範囲で知り合える人数には限りがある。
三人にとって、それは見慣れた問題だった。
結婚斡旋ギルドが扱ってきたものと同じである。
違うのは規模と、この国が置かれている状況だけだった。
三人は王都だけを見なかった。
新しく造られた街を回った。
以前からある地方都市にも足を運んだ。
農地が広がる地域も見た。
工房が集まる場所にも行った。
そして、話を聞き続けた。
数日後。
三人は再びイメルダの前に集まった。
「どうでした?」
イメルダが尋ねる。
ミランダが答えた。
「始められます」
ミレイユが続ける。
「希望される方は、かなりいらっしゃいます」
ミアーダも頷いた。
「無理に勧める必要はありません。出会う機会さえ作れば、自分たちで選べます」
イメルダは微笑んだ。
「では、お任せします」
それだけだった。
三人は、自分たちが何をすればいいのか、すでに分かっていた。
シュタインフェルト王国で、結婚斡旋ギルドの活動が始まろうとしていた。
アリッサとロルフの結婚が決まった。
急ぐ必要はございません。
先日、イメルダは確かにそう言った。
超特急だった。
アイゼルが明確に反対しないと分かった翌日には、ロルフが王宮へ招かれていた。
応接室にはカイゼル、アイゼル、アリッサがいる。
イメルダはロルフが席に着くと、さっそく本題に入った。
「ロルフさん。アリッサさんと結婚したいというお気持ちは変わっておりませんね?」
「はい」
即答だった。
「アリッサさんは?」
「はい。私もロルフさんと結婚したいです」
「結構です」
イメルダは満足そうに頷いた。
アイゼルが口を開く。
「イメルダ伯爵」
「はい」
「少し待ってもらえるか」
「もちろんでございます」
返事だけを聞けば、いくらでも待ってくれそうだった。
アイゼルはロルフを見る。
「ロルフ殿」
「はい」
「娘と結婚した後も、店を続けるつもりか?」
「そのつもりです」
ロルフは迷わず答えた。
店は自分で始めた仕事だ。
アリッサと結婚するからといって、やめる理由はない。
「暮らす場所はどうする?」
「アリッサさんと相談して決めます」
アイゼルは娘を見る。
「アリッサはどうしたい?」
「ロルフさんと一緒に暮らします」
「公爵家を出てもか?」
「はい」
アリッサにも迷いはなかった。
アイゼルは腕を組んだ。
相手は元奴隷で、現在は店を持つ店主。
娘は公爵令嬢。
以前なら、それだけで簡単には進まない縁談だった。
だが、ロルフは自立している。
自分で働き、自分で生活している。
アリッサも父親の庇護がなければ生きられない娘ではない。
冒険者として活動し、国外へも出る。
教導を受け、力も持っている。
何より二人とも、自分で相手を選んでいた。
「分かった」
アイゼルが口を開いた。
「私は反対しない」
「お父様」
アリッサの表情が明るくなる。
ロルフも頭を下げた。
「ありがとうございます」
「ただし、ロルフ殿」
「はい」
「アリッサを泣かせるようなことはしないでくれ」
「もちろんです」
アイゼルはそれ以上何も言わなかった。
カイゼルも頷いた。
「これで決まりだな」
「はい」
答えたのはイメルダだった。
「では、お二人の結婚を進めましょう」
アイゼルがイメルダを見る。
「もう進めるのか?」
「はい」
「先日は急ぐ必要はないと言っていなかったか?」
「申しました」
イメルダは涼しい顔をしている。
「ですが、お二人とも結婚を望んでおられます。アイゼル卿も反対なさらないのでしょう?」
「それはそうだが」
「でしたら、何を待つのでございますか?」
アイゼルが黙った。
待つ理由を聞かれると、特になかった。
イメルダはそのまま二人へ向き直った。
「結婚後もロルフさんはお店を続ける。こちらはよろしいですね?」
「はい」
「アリッサさんも冒険者を続けますか?」
「続けたいと思っています」
「では、そのようになさいませ」
結婚するからといって、どちらかが仕事をやめる必要はない。
次は住居だった。
二人で暮らす場所について希望を聞く。
公爵家との付き合いについても確認する。
ロルフの店についても話す。
イメルダは一つずつ質問した。
答えを決めるのはアリッサとロルフだった。
本人たちが迷うことについては急かさない。
相談が必要なら相談させる。
だが、二人の答えが一致したことについては、その場で次へ進む。
話が止まらない。
アイゼルは途中から口を挟まなくなった。
止める理由がないのだから仕方がなかった。
やがて必要な確認が終わった。
イメルダが微笑む。
「これでよろしいでしょう」
アリッサが尋ねる。
「もう決まったのですか?」
「ええ。おめでとうございます」
ロルフも驚いている。
アイゼルは額に手を当てた。
「本当に早いな……」
「そうでしょうか?」
イメルダは不思議そうな顔をした。
「急ぐ必要はないとおっしゃっていたではないか」
「ええ。急いではおりません」
アイゼルが顔を上げる。
カイゼルもイメルダを見る。
どう考えても早かった。
「お二人のお気持ちは決まっております。アイゼル卿も認められました。必要なことを確認しただけでございます」
イメルダにとっては、本当にそれだけらしい。
本人たちが迷っているなら待つ。
決めるまで待つ。
選ぶまで待つ。
だが、選んだ後まで待つ必要はない。
アリッサとロルフは、すでに互いを選んでいた。
だから話を進めただけだった。
急ぐ必要はございません。
確かに嘘ではなかった。
ただし、無駄に待つとも言っていなかった。
こうしてアリッサとロルフの結婚は、超特急で決まった。




