246 食事
謁見を終えた一行は、王宮内の別室へ場所を移した。
用意されていたのは、大人数を招く晩餐会ではない。
オーキスがカイゼルと話をするために設けさせた、小さな食事の席だった。
同席しているのは両国の限られた者だけである。
「どうぞ。堅苦しい席ではありませんから」
オーキスに勧められ、カイゼルたちは席についた。
やがて料理が運ばれてくる。
最初に置かれたのは、厚く切られた肉を焼いた料理だった。
表面には美しい焼き色がつき、香ばしい匂いが立ち上っている。
カイゼルは肉を見る。
何の肉なのか分からない。
隣に座るローゼンクランツ公爵も同じらしく、しばらく皿を見ていた。
だが、食事に招かれて肉の正体を尋ねる必要もない。
カイゼルはナイフを入れた。
驚くほど柔らかい。
一切れ口へ運ぶ。
「……これは」
思わず手が止まった。
第七十八国で食べたレッサードラゴンのステーキを思い出す。
あれだけでも十分に衝撃だった。
シュタインフェルトではドラゴンの肉を料理として口にする機会など、まずない。
まして、あれほど旨いものだとは思っていなかった。
だが、目の前の肉はさらに上だった。
噛むほどに濃い旨味が広がる。それでいて重くない。
ローゼンクランツ公爵も無言で二口目を食べている。
軍務卿は何も言わなかったが、一度皿を見てからオーキスへ視線を向けた。
「オーキス王」
「はい」
「これは……何の肉です?」
「アース・ドラゴンです」
「アース・ドラゴン?」
「ええ」
オーキスは普通に答えた。
「以前、一億体規模のスタンピードがありまして。その際に狩ったものです」
「…………一億?」
カイゼルの手が完全に止まった。
ローゼンクランツ公爵も顔を上げる。
「今、一億体と?」
「はい」
「アース・ドラゴンが?」
「いえ。アース・ドラゴンだけではありません。いろいろ混じっていました」
その説明で安心できるはずもなかった。
カイゼルは改めて皿を見る。
一億体規模。
それはもはや、シュタインフェルトの軍事常識で想像できる数字ではない。
しかもオーキスは、その話を武勇伝として語っている様子すらなかった。
料理を説明しただけである。
次の皿が運ばれてきた。
今度は先ほどとは肉質も香りも違う。
「こちらは?」
「キマイラです」
「…………」
カイゼルは黙って食べた。
旨い。
それ以上、何を言えばいいのか分からない。
さらに次の料理が置かれる。
ローゼンクランツ公爵が、今度は自分から尋ねた。
「これは、まさか……」
「ベヒーモスです」
しばらく誰も口を開かなかった。
アース・ドラゴン。
キマイラ。
ベヒーモス。
どれもシュタインフェルトであれば、出現しただけで騎士団が動く魔物である。
それが順番に料理となって出てくる。
カイゼルはオーキスを見た。
「これらは、来客用に保存しているのですか?」
「いえ」
オーキスは首を振った。
「アイテムボックスにまだ残っていましたので、せっかくですから召し上がっていただこうかと」
「まだ残っている……」
「かなり狩りましたから」
カイゼルは返す言葉を失った。
国の威信を示すために秘蔵していたわけではない。
隣国の王を驚かせるためでもない。
残っていたから出した。
それだけだった。
やがて料理が進むにつれ、最初にあった緊張も少しずつ薄れていった。
カイゼルとオーキスの間でも、料理や互いの国について言葉が交わされる。
謁見の間で向かい合っていた時とは違う。
二人の王が、同じ卓で食事をしている。
その空気になった頃だった。
オーキスが静かに口を開いた。
「カイゼル王。先ほどの話に関連して、最初に明確にしておきたいことがあります」
カイゼルが手を止める。
「何でしょう」
「我が国は、貴国の国策には介入しません」
突然の言葉だった。
カイゼルはオーキスを見る。
「政治体制にも介入しない。領土問題にも介入しない。他国との戦争にも介入しません」
ローゼンクランツ公爵も黙って聞いている。
オーキスは続けた。
「貴国がどのような国であり続けるか。それを我が国が決めることはありません」
「……そこまで明言されるのですか」
「はい」
オーキスは迷わず頷いた。
「ただし」
その声が、わずかに変わった。
「犯罪者は別です」
「犯罪者?」
「ええ。国が違うからという理由で、略奪や殺人を見過ごすつもりはありません」
オーキスはカイゼルをまっすぐ見た。
「民を襲う者がいれば処理します」
それだけは、交渉の条件ではなかった。
アルデバラン王国が最初から引いている線だった。
カイゼルは、オーキスの言葉を頭の中で整理した。
国策には介入しない。
政治体制にも、領土問題にも、他国との戦争にも介入しない。
しかし、略奪や殺人を行う者は犯罪者として処理する。
それは先ほど聞いた、五十一か国の清算とも一致していた。
「分かりました」
カイゼルは頷いた。
「そこまで明確にしていただけるのであれば、こちらも話がしやすい」
「そのために先に申し上げました」
オーキスはそう答えると、卓上に大陸地図を広げた。
食事の席に用意するには不似合いなものだったが、これから話す内容には必要だった。
「貴国は今も、群雄割拠する大陸の渦中にあります」
「その通りです」
カイゼルの目が地図へ落ちる。
百を超える国が清算されても、大陸から争いが消えたわけではない。
残った国には、それぞれの事情がある。
王がいる。
貴族がいる。
軍がある。
領土があり、利害がある。
「我が国は、その群雄割拠には参加しません」
「…………」
「ですが、貴国は違う」
カイゼルが顔を上げた。
ローゼンクランツ公爵も、オーキスを見る。
「どういう意味でしょう」
オーキスは少し間を置いた。
「カイゼル王。大陸の群雄割拠を終わらせていただきたい」
室内が静かになった。
カイゼルはすぐには答えなかった。
隣にいたローゼンクランツ公爵が、わずかに眉を寄せる。
「失礼ながら、オーキス王」
「はい」
「それだけの力をお持ちなら、アルデバラン王国が行えばよいのではありませんか?」
当然の疑問だった。
三十五億人を教導した国。
百三十か国にまたがる人々。
一億体規模のスタンピードを処理し、アース・ドラゴンやキマイラ、ベヒーモスを食材として保存している。
第七十八国で見た力だけでも、シュタインフェルトの常識から大きく外れていた。
その本国は、さらに上だった。
アルデバランが望めば、大陸の勢力図を力で塗り替えることもできる。
オーキスは否定しなかった。
「できます」
ローゼンクランツ公爵の目が細くなる。
「では、なぜ?」
「できるからこそ、やってはいけないのです」
オーキスは自らの鑑定結果を見せた。
カイゼルの視線が、その一項目で止まる。
《アルデバラン国民》
「これは……」
見覚えがあった。
王都を案内してくれたイメルダ伯爵。
彼女を鑑定した時にも、同じものがあった。
「我が国の国民に発現しているスキルです」
「国民に?」
「はい。百三十か国、すべてです」
「……百三十か国?」
「そこに暮らすアルデバラン国民全員に発現しています」
カイゼルは言葉を失った。
個人の特殊なスキルではない。
三十五億人。
百三十か国。
それだけの人間が、同じ名を持つスキルによって結ばれている。
「さらに、同盟国にも発現している者が多数おります」
ローゼンクランツ公爵が、今度こそ完全に黙った。
オーキスは続ける。
「保護した方々が自立し、新しい国を作ることになった時、我が国から独立するように勧めました」
「アルデバランから?」
「ええ。自分たちで国を運営できるようになったのですから、その方がよいと思ったのです」
そこでオーキスが苦笑した。
「ですが、皆さんが納得してくれませんでした」
「なぜです?」
「自分たちもアルデバラン国民だと」
「…………」
「独立することには同意しても、アルデバランという名まで捨てることには納得できないと。せめて国号だけでも使わせてほしいと言われました」
カイゼルの脳裏に、一人の女性の声が蘇った。
『みんなアルデバラン王国が大好きですの』
あの時は、王都を自主的に清掃する孤児たちについて聞いた言葉だった。
だが、今は違って聞こえる。
「彼らはそれぞれの国で暮らし、それぞれの国を運営しています」
オーキスが言った。
「ですが同時に、自分たちはアルデバラン国民であると思っている」
カイゼルは《アルデバラン国民》の文字を見つめた。
「私は、このスキルが何のために存在するのか考えました」
「……何のためだと?」
「我々が、大陸の覇権争いに参加しないためです」
カイゼルの目がオーキスへ向く。
「三十五億人が一つの陣営として動けば、もはや群雄割拠ではありません」
オーキスは静かに続けた。
「我々には、それができてしまう」
そして、はっきりと言った。
「だからこそ、やらないのです」
「だからこそ、やらないのです」
オーキスの言葉を、カイゼルは黙って受け止めた。
三十五億人。
百三十か国。
その国民すべてに発現している《アルデバラン国民》。
さらに同盟国にも同じスキルを持つ者が多数いる。
軍事力だけの話ではなかった。
第七十八国で見た物流も、生産力も、教導された人々も、本国で見たものも含めて一つの巨大な勢力になる。
それが大陸の覇権争いに加わればどうなるか。
カイゼルにも想像できた。
「このスキルが、あなた方を止めているのですか?」
「いいえ」
オーキスは首を振った。
「何かを禁じられているわけではありません。これは私の解釈です」
「解釈?」
「はい。我々はすでに大きくなりすぎました」
オーキスは地図へ目を落とした。
「これ以上、土地を取る必要もありません。王を挿げ替える必要もない。政治体制を変えさせる必要もない」
そして再びカイゼルを見る。
「それでも我々が覇権を求めれば、この大陸に我々と対等に争える勢力はほとんど残らないでしょう」
ローゼンクランツ公爵が口を開いた。
「それほどの力を持ちながら、自ら大陸の争いから降りると?」
「はい」
「《アルデバラン国民》があるから?」
「私は、このスキルをそう受け取りました」
オーキスは答えた。
「お前たちは、もう一つの陣営として十分に大きい。だから、これ以上の覇権を求めるな、と」
カイゼルの脳裏に、これまで見てきたものが浮かぶ。
第七十八国。
わずか数日の教導で飛べるようになったアリッサ。
元奴隷でありながら、自分の店を持った料理人のロルフ。
三十五億人。
オリハルコンで造られた大聖堂。
アダマンタイトを使った建造物。
三種の希少金属とドラゴンの素材まで使われた王都の城壁。
そして先ほど聞いた、一億体規模のスタンピード。
その国の王が、自分たちには大陸を統一する力があると認めたうえで、それをしないと言っている。
カイゼルはゆっくり息を吐いた。
「ですが」
オーキスが続けた。
「貴国には、このスキルがありません」
カイゼルの視線が上がった。
「…………」
「この意味を、どうかお考えください」
すぐに返せる言葉ではなかった。
カイゼルは黙った。
アルデバランはやらない。
できないのではない。
できるからこそ、やらない。
そのうえでシュタインフェルトに、大陸の群雄割拠を終わらせてほしいと言っている。
「オーキス王」
「はい」
「なぜ、我が国なのです?」
当然の問いだった。
「我が国は、アルデバランほど豊かではない。軍には自信がありますが、大陸を圧倒できるほどではありません」
「承知しています」
「ならば、なぜ?」
オーキスは少しだけ考えてから答えた。
「貴国を見たからです」
「我が国を?」
「ええ。裕福ではない。それでも民を飢えさせていない。厳しい土地にありながら、他国から奪うことで国を維持しようともしていない」
カイゼルは黙って聞く。
「騎士たちは民から信頼されている。そして、あなたは大陸の安寧を望んでいる」
オーキスはそこで微笑んだ。
「先ほども申し上げましたが、あなたを見ていると、以前の自分を思い出すのです」
「以前の?」
「私にも、できることが少なかった時期がありました」
それ以上、オーキスは昔話を続けなかった。
「だから、貴国なら力を渡せると思いました」
「力を……」
「もちろん、貴国だけで戦えと言っているのではありません」
カイゼルが顔を上げた。
「では?」
「我が国は協力します」
「どのように?」
「教導も行いましょう。必要な知識も技術もお渡しします。食料が必要なら相談してください。物流についても協力できます」
ローゼンクランツ公爵の表情が変わった。
それが何を意味するのか、第七十八国と本国を見た今なら分かる。
カイゼルが確認する。
「そこまでして、領土を求めないと?」
「求めません」
「属国になることも?」
「必要ありません」
「では、何を求めるのです?」
オーキスは少し考えた。
そして答えた。
「大陸で暮らす民が、馬鹿な為政者一人の判断で死ななくて済むこと」
カイゼルを見て続ける。
「それだけです」
「それだけです」
カイゼルは、すぐには答えなかった。
あまりにも要求と対価が釣り合っていない。
領土はいらない。
属国になる必要もない。
政治体制にも口を出さない。
その一方で、教導し、知識と技術を渡し、必要なら食料や物流まで支援するという。
「確認させてください」
「どうぞ」
「我が国が教導を受けたとして、その後の行動について貴国から指示を受けることは?」
「ありません」
オーキスは即答した。
「では、どの国と同盟を結ぶかも?」
「貴国がお決めください」
「戦うかどうかも?」
「同じです」
カイゼルの目が細くなる。
「群雄割拠を終わらせてほしいと言いながら、方法は指定しないと?」
「はい」
「戦争をせず、外交でまとめても構わない?」
「もちろんです」
「国家連合を作っても?」
「それも貴国がお決めになることです」
オーキスの答えは一貫していた。
「我が国が望んでいるのは、シュタインフェルト王国がアルデバランの代わりに戦うことではありません」
「では、何を?」
「選べるようになっていただくことです」
カイゼルが黙る。
「今の貴国には、できることに限りがある。それは私にも分かります」
オーキスは続けた。
「力が足りなければ、選びたくても選べないことがあります。食料がなければ民を守れない。兵が弱ければ国境を守れない。知識がなければ、別の方法があることにすら気づけない」
「……その通りです」
「ですから、我が国ができることは協力します」
オーキスはカイゼルを見る。
「その後、何を選ぶかは貴国のものです」
ローゼンクランツ公爵も口を挟まなかった。
軍務卿も黙っている。
アリッサも同じだった。
だが三人とも、この提案が何を意味するかは理解していた。
第七十八国で見た教導。
飛行する住民。
魔法を日常の仕事に使う者たち。
巨大な卸売市場と倉庫。
途切れることなく走るゴーレム馬車。
本国で見た生産力と、王都を支える仕組み。
そしてアリッサ自身は、その教導を受けてここまで来た。
それをシュタインフェルトにも渡すと言っている。
カイゼルが尋ねた。
「教導を……我が国に?」
「ええ」
「私の国の民にも、あなた方と同じ力を?」
「望まれるのでしたら」
「人数は?」
「貴国が必要だと判断された方に」
カイゼルは息を吐いた。
シュタインフェルトの人口は二千万人。
その民が教導を受ければ何が起きるのか。
想像だけで考える必要はなかった。
すぐ近くに実例がいる。
「アリッサ」
「はい、陛下」
「お前が第七十八国へ行ってから、まだそれほど経っていないな」
「はい」
カイゼルは頷いた。
わずかな期間で飛行を身につけ、それまで持っていなかった力を得て帰ってきた。
それと同じ機会が、二千万人の民に開かれる。
「……恐ろしくはないのですか?」
カイゼルはオーキスを見る。
「何がでしょう?」
「我が国が、その力をあなた方へ向ける可能性です」
オーキスは少し考えた。
「その時は、その時に考えます」
「それだけですか?」
「ええ」
あまりにも普通に答えるので、カイゼルは言葉を失った。
「それに、私は貴国を見たうえで、この話をしています」
オーキスは穏やかに続ける。
「何も知らない国へ同じ提案をするつもりはありません」
その言葉で、カイゼルは理解した。
これは施しではない。
アルデバランの勢力を広げるための誘いでもない。
オーキスはシュタインフェルトを調べ、カイゼル自身と話し、そのうえで力を渡してもよいと判断したのだ。
「ただし、その力をどう使うかは、あなた方がお決めください」
カイゼルは答えなかった。
第七十八国。
アリッサ。
料理人のロルフ。
三十五億人。
百三十か国。
オリハルコンの大聖堂。
三種の希少金属とドラゴンの素材で造られた城壁。
一億体規模のスタンピードを処理した国。
そして《アルデバラン国民》。
それほどの力を持つ国が言っている。
我々はやらない。
あなた方にやってほしい。
だが、命令はしない。
方法も決めない。
必要な力を渡した後でさえ、最後に選ぶ権利はシュタインフェルトに残すという。
「オーキス王」
「はい」
「少し、考える時間をいただけますか」
「もちろんです」
オーキスは、それ以上何も言わなかった。
急かさない。
答えを誘導するために言葉を重ねることもしない。
かつて自分も、選択肢を与えられた。
できることを増やしてもらった。
それでも最後に選んだのは、自分だった。
だから今度は、カイゼルに渡す。
力を。
知識を。
そして、選ぶ権利を。
カイゼルは黙ったまま、大陸地図へ視線を落とした。
「もちろんです」
オーキスはそれ以上何も言わなかった。
カイゼルも大陸地図から目を離す。
答えを出すのは今ではない。
シュタインフェルトへ戻り、自分の目で見たもの、自分の耳で聞いたものを整理する必要がある。
その様子を、バイオレットは微笑んで見ていた。
そしてカイゼルへ視線を向ける。
「カイゼル王」
「はい」
「難しいお話は終わったのでしょう?」
柔らかな声だった。
カイゼルは一瞬だけオーキスを見る。
「ええ。少なくとも今夜は」
「でしたら、ここからはお食事を楽しみませんか?」
バイオレットが微笑む。
その後ろに控えていた侍女たちも、カイゼルたちへ穏やかな笑みを向けた。
先ほどまで大陸の行く末について話していた空気が、そこでふっと緩んだ。
「そうだな」
オーキスも頷いた。
「考えていただくと言った直後に、私が話を続けては意味がありません」
「それは助かります」
カイゼルが笑う。
ローゼンクランツ公爵もようやく肩の力を抜いた。
すぐに侍女たちが動いた。
料理とともに、新しいグラスが並べられる。
最初に注がれたのは、淡い黄金色の酒だった。
きめ細かな泡がグラスの上に盛り上がっている。
「これは?」
「ラガービールです」
オーキスが答えた。
「冷たいままどうぞ」
カイゼルがグラスを手に取る。
一口飲んだ。
「……旨い」
冷たさとともに苦味が走り、その後から麦の香りが広がった。
シュタインフェルトにも酒はある。
だが、これはまるで違う。
ローゼンクランツ公爵も飲み、素直に頷いた。
「これは食事に合いますな」
「でしょう?」
なぜかオーキスが嬉しそうだった。
次に出てきた酒は琥珀色だった。
「こちらはウイスキーです」
香りを確かめてから、カイゼルが少量を口にする。
「強いな」
「少しずつ飲む酒です」
「なるほど」
さらにワインが並ぶ。
赤と白。
料理に合わせて侍女たちが選び、希望する者のグラスへ注いでいく。
そこまではカイゼルにも理解できた。
次に出てきた酒で、また手が止まった。
「これは?」
「ブランデーです」
ワインとは違う濃厚な香りがする。
一口含めば、強い酒精とともに果実由来の香りが残った。
「酒だけでも、これほど種類があるのですか」
「他にもありますよ」
オーキスが答える。
「……まだあるのですか」
「あります」
カイゼルは笑うしかなかった。
一億体のスタンピード。
アース・ドラゴン。
キマイラ。
ベヒーモス。
そして今度は次々と出てくる酒。
アルデバランという国は、どこまで行っても一つ見れば次が出てくる。
そこへ侍女が別のグラスを置いた。
透明な液体だった。
「これは酒ではありません」
バイオレットが説明する。
「炭酸水です」
「炭酸水?」
「ええ。どうぞ」
カイゼルが口に含む。
直後、目を見開いた。
「なんだ、これは」
水なのに舌を刺激する。
ローゼンクランツ公爵も試し、珍しく表情を崩した。
「水……なのですな?」
「水です」
バイオレットが楽しそうに答えた。
アリッサも小さく笑っている。
国王も公爵も軍務卿も、ここへ来てから何度驚かされたか分からない。
だが、今の驚きはそれまでとは違った。
警戒する必要がない。
ただ知らない料理を食べ、知らない酒を飲み、知らないものを面白がればいい。
「カイゼル王、どれがお好みです?」
オーキスが尋ねた。
「今のところはラガービールですな」
「私も好きです」
「王も飲まれるのですか?」
「もちろん」
オーキスが自分のグラスを持ち上げる。
カイゼルも応じた。
グラスが軽く触れた。
バイオレットはその二人を見て微笑んでいる。
侍女たちも料理を運びながら、穏やかな表情を浮かべていた。
大陸の群雄割拠を終わらせる。
三十五億人を教導した国から力を借りる。
答えを出せば、シュタインフェルトの未来は大きく変わる。
だが、それは明日以降に考えればいい。
今夜の答えを求める者は、ここにはいなかった。
カイゼルはもう一度ラガービールを口にした。
「旨いですな」
「でしょう?」
今度は二人とも、王としてではなく笑った。
酒宴は、そのまま夜まで続いた。
酒宴が始まってしばらくすると、カイゼルたちの前にはいくつものグラスが並んでいた。
ラガービール。
赤と白のワイン。
ウイスキー。
ブランデー。
シュタインフェルトにも酒はあるが、これほど多様な酒を一度に飲み比べる機会はない。
カイゼルはウイスキーを一口飲み、グラスを置いた。
「旨いですが、かなり強いですな」
「でしたら、別の飲み方もありますよ」
オーキスの言葉に、バイオレットが微笑む。
侍女が新しいグラスを用意した。
氷を入れ、ウイスキーを注ぐ。
そこへ炭酸水が加えられると、細かな泡が勢いよく立ち上った。
「これは?」
「ハイボールです」
カイゼルがグラスを受け取る。
まず香りを確かめ、それから一口飲んだ。
「おお……」
先ほどのウイスキーとは印象がまるで違う。
強い酒精が和らぎ、それでいて香りは残っている。冷たさと炭酸の刺激も心地よい。
アース・ドラゴンやキマイラ、ベヒーモスといった濃い肉料理の後にもよく合った。
「これはいい」
もう一口飲む。
「私は、そのまま飲むよりこちらの方が好みかもしれません」
「陛下、私にも」
ローゼンクランツ公爵が言った。
侍女がすぐにもう一杯作る。
公爵も飲み、感心したようにグラスを見る。
「単に酒を薄めたものとは違いますな」
「炭酸がいいのでしょうね」
アリッサも勧められたグラスを受け取った。
一口飲んで、目を細める。
「美味しい……」
「アリッサ」
「はい?」
「飲み過ぎるなよ」
「分かっています、お父様」
ローゼンクランツ公爵の言葉に、カイゼルが笑った。
「軍務卿もどうだ?」
「いただきます」
軍務卿にもグラスが渡される。
一口飲む。
もう一口。
「どうだ?」
「旨いです」
「それだけか?」
「では、もう一杯いただきます」
カイゼルが声を上げて笑った。
「十分気に入っているではないか」
「否定はいたしません」
軍務卿もわずかに笑った。
国境の情勢も、大陸の勢力図も、今は考える必要がない。
難しい話は終わった。
今ここにいるのは、酒宴へ招かれた一人の客だった。
「もう一つありますよ」
オーキスが言った。
カイゼルが笑いながら振り向く。
「まだあるのですか?」
「ええ」
今度も氷の入ったグラスが用意された。
だが注がれた酒が違う。
「ブランデーですな」
「はい」
そこへ炭酸水が注がれる。
泡とともに果実を思わせる香りが立ち上った。
「ブランデーまで炭酸水で?」
「これも合いますよ」
オーキスに勧められ、カイゼルが飲む。
「……なるほど」
先ほどとは違う。
ブランデーの香りが炭酸とともに広がり、強い酒でありながら口当たりは軽い。
「これは困りましたな」
「何がです?」
「どれが一番旨いのか分からなくなってきました」
バイオレットが楽しそうに笑った。
ローゼンクランツ公爵もブランデーのハイボールを受け取る。
「私は、こちらも好きですな」
「軍務卿はいかがです?」
バイオレットが尋ねる。
「いただきましょう」
軍務卿は今度は迷わなかった。
一口飲み、先ほどのハイボールと交互に見比べる。
「どうだ?」
またカイゼルが聞く。
「難しいですな」
「何が?」
「どちらを選ぶかです」
「先ほどまでの話より悩んでいないか?」
「種類の違う問題です」
ローゼンクランツ公爵が吹き出した。
アリッサも笑う。
軍務卿自身も、今度ははっきり笑っていた。
侍女たちは空いた皿を下げ、新しい料理を運ぶ。
ラガービールへ戻る者。
ワインを選ぶ者。
ウイスキーをそのまま楽しむ者。
ハイボールをもう一杯頼む者。
ブランデーのハイボールを気に入った者。
バイオレットと侍女たちは、そんな客人たちへ微笑みを向けていた。
「不思議な国ですな」
カイゼルがハイボールを手に言った。
「そうですか?」
「一億体のスタンピードを処理した話を聞き、大陸の行く末について話した直後に、今度は酒で悩まされている」
「酒は大事ですよ」
オーキスが真面目な顔で答えた。
一瞬の沈黙。
そしてカイゼルが笑った。
「それには同意しましょう」
オーキスも笑う。
もう大陸地図を見る者はいなかった。
答えは今夜出さなくていい。
カイゼルはハイボールのグラスを持ち上げた。
「では今夜は、アルデバランの酒を楽しませていただきます」
「ええ。ぜひ」
グラスが重なった。
難しい話を終えた後の酒宴は、そのまま賑やかに続いていった。




