245 オーキス王
謁見の間へ入る。
カイゼルは正面を見た。
アルデバラン王、オーキス・アルデバラン。
この大陸で最も巨大な力を持つ国の王。
三十五億人を教導し、二十一億人を保護したという国の頂点に立つ人物。
どのような男なのか。
カイゼルは、それを自分の目で確かめるためにここまで来た。
オーキスが立ち上がった。
威圧するような仕草はない。
カイゼルたちを見て、ごく普通に迎える。
「遠路よくお越しくださいました。アルデバラン王、オーキス・アルデバランです」
カイゼルも正式に礼を返す。
「シュタインフェルト王国国王、カイゼル・シュタインフェルトです」
「お会いできて嬉しく思います」
「こちらこそ」
形式に沿った挨拶が終わる。
カイゼルはオーキスを見た。
想像していた人物とは少し違う。
大陸の大半に影響を及ぼす国の王だからといって、大物らしく振る舞おうとしている様子がない。
かといって、卑下しているわけでもなかった。
ただ、一国の王として外国の王を迎えている。
それだけだった。
「どうぞ、お掛けください」
「失礼します」
用意された席へ移る。
ローゼンクランツ公爵はカイゼルの後ろへ控えた。
オーキスの側にも宰相クレインをはじめ、数人が控えている。
カイゼルは余計な前置きをしなかった。
「オーキス王」
「はい」
「私はあなた方を知るために参った」
謁見の間が静かになる。
敵意を示したわけではない。
だが、外交辞令でもなかった。
「我が国の近隣で、この数年に大きな変化が起きています。国家が消え、人が動き、これまで存在しなかった規模の物流網が生まれた」
オーキスは黙って聞いている。
「その中心にアルデバラン王国があるという報告を受けました」
「はい」
「報告だけで判断するつもりはありませんでした。ですから、第七十八国を見せていただき、本国にも参りました」
「いかがでしたか?」
「驚きました」
カイゼルは素直に答えた。
「何度も」
オーキスが少し笑う。
「そうでしたか」
「街道も、物流も、教導も見ました。王都も見た。先ほどは王宮の中まで見せていただいた」
「ええ」
「それでも、まだ分からないことがあります」
「何でしょう?」
「あなた方が、何を考えているのかです」
オーキスは少し考えた。
カイゼルは続ける。
「これほどの力を持つ国が隣にある。知らぬままでいる方が危険だと判断しました」
「なるほど」
「ですから、直接聞きに来ました」
オーキスは頷いた。
「それでしたら、何でもご覧ください」
カイゼルが一瞬黙る。
「……何でも?」
「はい」
「聞いても構わないと?」
「もちろんです」
あまりにも簡単な返答だった。
カイゼルは思わずアイゼルを見る。
アイゼルもわずかに眉を動かした。
普通なら、国家には見せられないものがある。
答えられないこともある。
それを承知で尋ねたのだが、目の前の王は最初から隠す様子がない。
「随分と簡単に言われますな」
「見ていただいた方が早いでしょう」
オーキスはそれだけ答えた。
「我が国が何をしているのか知りたいのでしたら、実際に見ていただくのが一番です」
カイゼルはしばらくオーキスを見た。
第七十八国でもそうだった。
本国へ入ってからもそうだった。
止められなかった。
隠されなかった。
見たいものを見せてもらった。
それは、この王の方針でもあるらしい。
「では、遠慮なく聞かせていただきます」
「どうぞ」
カイゼルは姿勢を正した。
ここへ来るまで、何度も頭に浮かんだ数字がある。
「三十五億人を教導したというのは事実ですか?」
「はい」
オーキスは迷わず答えた。
カイゼルの目が細くなる。
「なぜ、そこまで?」
オーキスは少し考えた。
「必要だったからです」
「必要?」
「ええ」
オーキスはカイゼルを見る。
「生きていくために必要な方々がいた。それだけです」
カイゼルは何も言わなかった。
三十五億人。
大陸を揺るがすほどの数字に対して返ってきた理由は、あまりにも簡単だった。
「それだけですか?」
カイゼルは思わず聞き返した。
「はい」
オーキスの返事は変わらない。
「三十五億人ですぞ」
「ええ」
「我が国の人口は二千万です。三十五億という数字がどれほど途方もないものか、分からぬはずはないでしょう」
「もちろん分かっています」
オーキスは困ったように少し笑った。
「ですが、最初から三十五億人を教導しようと考えていたわけではありません」
カイゼルが反応する。
「最初からではない?」
「はい。そうなった経緯があります」
その言葉で、カイゼルはようやく一つ腑に落ちた。
目的があって三十五億人を集めたのではない。
何かが起きた。
それに対応した結果として、現在の数字になった。
「その経緯は、後ほど聞かせていただけますか?」
「もちろんです」
「では、ぜひ」
オーキスが頷く。
そのまま話を続けようとして、ふとカイゼルを見た。
初めて会ったはずなのに、先ほどから妙な感覚があった。
どこか懐かしい。
顔が誰かに似ているわけではない。
声でもない。
オーキスはすでにカイゼルを鑑定している。
それだけではない。
シュタインフェルト王国については、王国騎士団の広域索敵による情報も届いていた。
豊かな国ではない。
土地も厳しい。
周辺国家の清算によって流れ出した武装集団への対応も続いている。
それでも国は崩れていない。
二千万の民を飢えさせず、王家と騎士団への信頼も保たれている。
周辺が不安定になってなお、シュタインフェルト王国から他国へ侵攻した形跡もない。
むしろ国境を守り、大陸の安寧を望んでいる。
オーキスには、一つだけ聞いてみたいことができた。
「シュタインフェルト王」
「はい」
「ひとつ、私からも伺ってよろしいでしょうか」
カイゼルは少し意外そうな顔をした。
「何でしょう」
「なぜ、あれほど厳しい土地で民を飢えさせずにいられるのです?」
今度はカイゼルが黙った。
何か特別な答えを求められているのかと思ったが、オーキスの表情にその様子はない。
「……それが王の務めだからです」
オーキスの目がわずかに見開かれた。
それだけだった。
豊かではない。
できることも限られている。
それでも、民を飢えさせてはいけない。
国を守らなければならない。
そのために王ができることを考える。
毎日、考える。
オーキスはようやく気づいた。
懐かしさの正体に。
アークに出会う前の自分だ。
あの頃のアルデバラン王国も豊かではなかった。
今のような物流もない。
教導もない。
王宮で働く者たちが当たり前のように飛ぶこともなかった。
できることは少なかった。
それでも、民を飢えさせまいと考えていた。
王なのだから当然だと思っていた。
目の前の男も同じなのだ。
「オーキス王?」
「ああ、申し訳ありません」
オーキスは笑った。
「少し、昔を思い出していました」
「昔?」
「ええ」
それ以上は説明しなかった。
だが、先ほどまでとはカイゼルを見る目が少し変わっていた。
「シュタインフェルト王」
「はい」
「今夜、一緒に食事でもいかがですか?」
「……私と?」
カイゼルが目を瞬く。
「ええ。まだ聞きたいことがたくさんあります」
正式な外交の席で、突然夕食に誘われるとは思っていなかった。
カイゼルは一瞬だけ驚き、それから笑った。
「喜んで」
「ありがとうございます」
オーキスも笑う。
ローゼンクランツ公爵は、そのやり取りを黙って見ていた。
第七十八国からアルデバラン本国へ。
王都へ入り、王宮まで来た。
その間ずっと消えなかった緊張が、少しだけ薄れた気がした。
少なくとも、目の前の二人は話ができる。
それは分かった。
そして、まだ肝心な話が残っている。
三十五億人。
なぜ、その数字にまで至ったのか。
カイゼルはオーキスを見る。
「先ほど仰った経緯について、聞かせていただけますか?」
「ええ」
オーキスは頷いた。
「少し長い話になりますが」
「構いません」
オーキスは、どこから話すべきか考えた。
「では、三つの国が同時に我が国へ侵攻してきたところからお話ししましょう」
「ゼノ・バルト帝国。灰塵の荒野ヴォルガ。そして神聖アーリア王国」
オーキスは三国の名を挙げた。
「最初は、この三国でした」
「侵攻してきた国ですか?」
「はい。三国が同時に我が国へ軍を送りました。最初の侵攻は、合わせて十五万です」
カイゼルの表情が引き締まる。
三国同時。
十五万。
シュタインフェルトでも無視できない規模だ。
「撃退したのですね?」
「ええ」
「それで終わらなかった?」
「終わりませんでした」
オーキスは淡々と続ける。
「二度目は六十万でした」
「六十万……」
アイゼルが小さく息を吐いた。
一度敗れてなお、四倍の兵力を送り込んだ。
それだけでも、三国がアルデバランをどう見ていたのか分かる。
「それだけの軍を、どうしたのです?」
カイゼルが尋ねる。
「指揮官と司令官には責任を取ってもらいました」
「処刑した?」
「はい」
オーキスは隠さなかった。
「侵攻を決定し、兵を率いて我が国へ攻め込んだ者です。ですが、兵まで処刑する必要はないと判断しました」
「では?」
「捕虜にして保護しました」
カイゼルが少し眉を寄せる。
「保護?」
「まともに食事を与えられていない兵も多かったのです」
命令されて国境を越えた。
だからといって、侵略した事実が消えるわけではない。
だが、責任の所在まで同じではない。
「武器を取り上げ、捕虜として管理しました。食事を与え、必要な者には治療も行いました」
「随分と思い切ったことをしますな」
「そうでしょうか?」
オーキスは本当に分からないようだった。
「捕虜を飢えさせても、何も良くなりませんから」
カイゼルは少し黙った。
やはり、この王は妙なところで話が単純だった。
「問題は、その後でした」
オーキスが続ける。
「三国の民が一斉に亡命を始めたのです」
「三国とも?」
「はい」
「どれほどの人数が?」
「捕虜と合わせて、およそ千五百万人です」
今度こそ、カイゼルは言葉を失った。
千五百万人。
シュタインフェルト王国の総人口に迫る。
「それだけの人間が、一度に?」
「一度に押し寄せたわけではありません。しかし、次々と国境を越えてきました」
「追い返さなかったのですか?」
「帰れば、同じ暮らしに戻ります」
オーキスは静かに答えた。
「受け入れる余地があるのに、追い返す理由もありませんでした」
カイゼルはオーキスを見た。
そこにも大きな理念を語る様子はない。
目の前に来た。
帰せば危険だった。
ならば受け入れた。
その判断の積み重ねらしい。
「しかし、千五百万人を保護するだけでも国家には大きな負担でしょう」
「ですから、教導しました」
カイゼルの目が動く。
「ここで教導が出てくるのですか」
「ええ」
オーキスが頷いた。
「保護し続けるだけでは、その方々は自分で生きていけません」
第七十八国で見た光景が、カイゼルの頭に浮かんだ。
農民。
職人。
商人。
料理人。
冒険者。
かつて保護された者たちが、自分の仕事を持って暮らしていた。
「捕虜も亡命してきた方々も、アルデバラン国民として受け入れました。そして教導を始めました」
「千五百万人を?」
「はい」
「戦わせるためではなく?」
オーキスが不思議そうにカイゼルを見る。
「生きていくためです」
前に聞いた言葉と同じだった。
カイゼルはようやく、その意味を具体的に理解し始めた。
三十五億という数字から始まったのではない。
最初は千五百万人だった。
侵略してきた兵を捕虜として保護した。
その国から民が逃げてきた。
受け入れた。
いつまでも保護されるだけでは生きていけない。
だから教えた。
「なるほど」
カイゼルがゆっくり頷く。
「それが始まりですか」
「三十五億人という話でしたら、そうなります」
オーキスの表情が少し曇った。
「ですが、そこで終わりませんでした」
「まだ続くのですね」
「ええ」
オーキスは頷いた。
「三国の周囲を調べる必要が出てきました」
カイゼルは黙って続きを待つ。
「調べたのは、周囲の五十一か国です」
オーキスは一度言葉を切った。
「そこで、別の問題が分かりました」
「何があったのです?」
「五十一か国、そのすべてが犯罪国家でした」
「五十一か国すべてが?」
カイゼルが聞き返した。
「はい」
オーキスは頷いた。
「程度の差はありました。ですが、国が主体となって略奪や人身売買を行っているところもあれば、民から奪うことを当然としている国もあった。放置できる状態ではありませんでした」
「それで清算したのですか?」
「犯罪者を処理しました」
短い答えだった。
カイゼルは、それ以上詳しく聞かなかった。
アルデバランが何を犯罪として扱っているのかは、ここへ来るまでに調べている。
「残った国民は?」
「保護しました。そしてアルデバラン国民として受け入れ、教導しました」
「何人です?」
「およそ十四億人です」
カイゼルもアイゼルも黙った。
千五百万人の次が、十四億人。
ここで一気に数字が跳ね上がった。
「それだけの人数を保護したのなら、国そのものを維持することなどできませんな」
「ええ。ですから、保護したままにはしませんでした」
「教導して自立させた」
「はい」
第七十八国で見たものとつながった。
食わせ続けるのではない。
教える。
働けるようにする。
生産する側へ回る。
自分で暮らせるようになれば、いつまでもアルデバラン王国が抱える必要はない。
「それでも三十五億には届かない」
カイゼルが言った。
「残りが、我が国の周辺ですか?」
「はい」
オーキスの表情が少し変わった。
「その後、貴国の近隣でも国家の清算が始まりました」
カイゼルは黙って頷く。
知っている。
国が消えた。
そこに属していた騎士や兵士、傭兵たちの一部が武装集団となって流れ出した。
シュタインフェルトの国境にも現れた。
「行き場を失った国民を保護しました。その数がおよそ二十一億人です」
「そして、その者たちにも教導を?」
「はい」
「アルデバラン国民として?」
「ええ」
カイゼルは、王都で聞いた言葉を思い出した。
アルデバラン国民。
イメルダが持っていた、あの奇妙な名前のスキル。
あれが何なのかは、まだ分からない。
だが、オーキスが使った言葉と無関係ではないだろう。
「千五百万人。十四億人。そして二十一億人」
カイゼルが確認する。
「それが三十五億人の経緯ですか」
「大きく分ければ、そうなります」
「最初から計画していたわけではない」
「とても無理です」
オーキスが苦笑した。
「三十五億人を教導する計画など、最初に聞かされていたら私も困ります」
カイゼルは思わず笑った。
「それを実際にやった王の言葉とは思えませんな」
「結果として、そうなっただけです」
その答えに、カイゼルはまた笑った。
だが、オーキスはそこで表情を改めた。
「ただ、シュタインフェルト王」
「はい」
「貴国には一つ、お伝えしておかなければならないことがあります」
カイゼルが姿勢を正す。
「何でしょう」
「国家の清算が続いたことで、大陸の均衡が大きく変わりました」
オーキスはカイゼルをまっすぐ見た。
「貴国の国境へ流れた武装集団についても承知しています」
「やはり把握していましたか」
「はい」
「八千、二万三千という規模の集団もありました」
「報告を受けています」
オーキスは一度言葉を切った。
「彼らを生み出したのは我が国ではありません。ですが、国家の清算が続いたことで、貴国がその対応を迫られたのも事実です」
カイゼルは黙って聞く。
「その点については、アルデバラン王としてお詫びします」
オーキスが静かに頭を下げた。
深くへりくだるようなものではない。
自らの判断を否定しているわけでもない。
大陸で起きた変化の一端を担った王として、隣国が受けた負担に礼を尽くしただけだった。
「オーキス王」
カイゼルが声をかける。
「頭を上げてください」
オーキスが顔を上げる。
「彼らを生み出したのは貴国ではない。自国の民を食い物にしていた国々でしょう」
「ええ」
「我が国は我が国の国境を守った。それだけです」
カイゼルは少し笑った。
「そこまで貴国の責任にされては、こちらも困ります」
オーキスも笑う。
「そう言っていただけると助かります」
「それで、保護した三十五億人は現在どうしているのです?」
「多くの方が自立しました」
オーキスは答えた。
「そして現在、百三十の国で暮らしています」
「やはり、あの百三十国ですか」
「はい」
カイゼルはゆっくり頷いた。
侵略から始まった。
捕虜を保護した。
亡命者を受け入れた。
犯罪国家の民を保護した。
崩れた国々の民も受け入れた。
教導し、自立させた。
その先に百三十の国が生まれた。
三十五億人という数字の向こう側に、ようやく一本の道筋が見えた。




