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戦わずに世界を変えた男――教育と物流で“循環国家”を作ったら、いつの間にか大陸が一つになっていた  作者: 慈架太子


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244 謁見前

 謁見まで、まだ少し時間があった。


 カイゼルは長椅子から立ち上がり、窓辺へ向かった。


 眼下には王宮の中庭が見える。


 侍女が歩き、文官が別棟へ向かい、衛兵が持ち場を守っている。


 時折、人が飛ぶ。


 もう、それを目で追うこともなくなっていた。


「アイゼル」


「はい」


「お前はどう見る?」


 ローゼンクランツ公爵は少し考えてから答えた。


「まだ分からないことの方が多いです」


「同感だ」


 カイゼルは窓の外を見たまま言った。


「三十五億人」


「はい」


「数字だけを聞いたときは、何かの間違いだと思った」


 シュタインフェルト王国の人口は二千万。


 比較することさえ馬鹿らしくなる数字だった。


 しかも、その三十五億人が教導を受けている。


 最初に報告を聞いたとき、カイゼルたちは当然のように軍事力へ置き換えて考えた。


 六属性。


 飛行。


 索敵。


 教導。


 それらを持つ人間が三十五億人いるとすれば、どれほど巨大な軍事力になるのか。


 だが、第七十八国を訪れてから見たものは、想像していたものとは違った。


「二十一億人を保護したという話もあったな」


「ええ」


「その二十一億人が、兵士になっていたわけではない」


「農民もいました。職人も、商人も、料理人もいました」


「冒険者もな」


「はい」


 そして、彼らは働いていた。


 保護されたまま食料を与えられ続けているのではない。


 教導を受け、自分で働き、自分で生活している。


 そのための市場があり、工房があり、農地があった。


 大量の商品を集める場所も見た。


 ゴーレム馬車が街道を行き交い、必要な場所へ物資を運んでいた。


「百三十国」


 カイゼルが呟く。


「一つの国へ三十五億人を集めたのではなかった」


「それぞれが国を持っています」


「だが、切れてもいない」


「街道がありますからな」


 アイゼルが答える。


「物も人も動いている。第七十八国で見た仕組みと、本国で見た仕組みも同じでした」


 カイゼルは頷いた。


 同じ国ではない。


 王も違う。


 行政も違う。


 それでも物流はつながっていた。


 不足する場所へ物が動き、余剰があれば別の場所へ送られる。


 そして、雨。


 カイゼルはそこにも引っかかっていた。


 広大な土地へ雨を降らせたという報告。


 それだけ聞けば、とても信じられる話ではない。


 だが今は、最初に聞いたときとは受け止め方が違う。


 水魔法を使う農民を見た。


 土魔法で農地や街道を整える者を見た。


 王都では公衆浴場が当たり前に使われていた。


 水を生み出す力が、戦闘ではなく生活の中に組み込まれている。


「雨も同じなのかもしれんな」


 カイゼルが言った。


「同じ、とは?」


「我々は最初、あれを巨大な魔法として考えた」


 アイゼルがしばらく黙る。


「しかし彼らにとっては、必要な場所へ水を届けただけかもしれない、と?」


「まだ分からん」


 カイゼルはそこで止めた。


 推測を事実にするつもりはない。


 だからこそ、本人に聞く必要がある。


 アイゼルが立ち上がり、同じように窓の外を見た。


 王宮の上空を、一人の文官が横切っていく。


 少し離れた場所では侍女が仕事をしている。


 門には衛兵が立つ。


 誰も、自分の力を見せようとしていない。


「陛下」


「何だ?」


「少なくとも一つは分かりました」


 カイゼルが振り返った。


「何だ?」


 アイゼルは王宮で働く者たちを見た。


「我々が恐れていたものを、彼ら自身は武器だと思っていません」


 カイゼルは答えなかった。


 その言葉の意味を、もう一度考える。


 三十五億人。


 教導。


 六属性。


 飛行。


 巨大な物流網。


 それだけを並べれば、シュタインフェルトが警戒するのは当然だった。


 だが、実際に見た者たちは違う。


 水魔法で畑に水をやる。


 土魔法で道を直す。


 飛行で仕事場を移動する。


 料理人は魔法で料理を作る。


 教導を受けた者は、それを自分で生きるために使っていた。


「そうだな」


 カイゼルは短く答えた。


 そして再び窓の外へ目を向けた。




「だからこそ、厄介だ」


 カイゼルの言葉に、アイゼルが振り返った。


「はい」


「武器として作られたものなら、まだ分かりやすい」


 軍隊なら規模を見る。


 騎士団なら練度を見る。


 魔法兵なら、何人いて、何ができるのかを調べればいい。


 だが、ここまで見てきたものはそうではなかった。


 飛行できる農民が畑を耕している。


 複数の属性を持つ職人が工房で働いている。


 戦闘魔法を使える料理人が料理を作っている。


 王宮へ入っても同じだった。


「兵を減らせと言うことはできる」


 カイゼルが言った。


「だが、農民に水魔法を使うなとは言えん。職人に火魔法を使うなとも言えん」


「飛行も同じですな」


「ああ。移動に使っている者へ、飛ぶなと言って何になる」


 アイゼルは黙って頷いた。


 シュタインフェルトが警戒していた力は、軍事組織の中だけに存在していない。


 生活の中にある。


 仕事の中にある。


 そして、それを取り上げれば生活そのものを壊すことになる。


「教導もそうか」


 カイゼルが呟いた。


「二十一億人を保護した。その後、食わせ続けたわけではない」


「自立させています」


「そのために教えた」


「少なくとも、第七十八国で見た者たちはそうでした」


 アリッサもその一人だ。


 わずか四日ほどで飛行まで身につけた。


 誰かと戦わせるためではない。


 冒険者として生きるために必要なものを教えられた。


 同じことが、かつて保護された者たちにも行われたのだとすれば。


 三十五億という数字の見え方が変わる。


「力を与えた結果、自立したのか」


「そして、自立した者たちが百三十の国で暮らしている」


 アイゼルが答えた。


「それが現在我々の見ている状態なのでしょう」


「おそらくな」


 カイゼルは断定しなかった。


 まだ聞いていないことがある。


 なぜ二十一億人もの人間を保護することになったのか。


 三十五億人という教導済みの人口は、どのような経緯で生まれたのか。


 なぜ百三十もの国に分かれているのか。


 そして、その中心にいるはずのアルデバラン王は、何を考えているのか。


「結局、そこだな」


「はい」


「仕組みは見た。民も見た。本国も王宮も見た」


 カイゼルはアイゼルを見る。


「だが、王をまだ見ていない」


 アイゼルの表情がわずかに引き締まった。


 これほど巨大な変化が起きた大陸で、その中心にある国の王。


 報告だけを読んでいた頃なら、巨大な野心を持つ人物を想像したかもしれない。


 だが、実際にアルデバランへ来てから、その想像は崩れ続けている。


 王都には巨大な軍事都市らしい緊張感がなかった。


 民は普通に働き、食べ、風呂へ入り、買い物をしている。


 大聖堂について聞けば、王が命じたのは軍事施設ではなく、魂が安寧できる場所だった。


 王宮へ入っても、力を誇示する者はいなかった。


「どんな男だと思う?」


 カイゼルが尋ねた。


 アイゼルは少し考えた。


「分かりません」


「そうか」


「ただ、ここまで見た国と、まるで違う人物が王座に座っているとは考えにくいです」


 カイゼルが僅かに笑う。


「それは私も思う」


 国王一人を見れば国のすべてが分かるわけではない。


 だが、王が何を認め、何を許し、何に国の力を使ってきたのかは、国の姿に残る。


 街道。


 物流。


 市場。


 公衆浴場。


 教導。


 大聖堂。


 そして、保護された者たちの自立。


 カイゼルは長椅子へ戻った。


「アイゼル」


「はい」


「考える材料は十分だ」


「私もそう思います」


「これ以上、ここで推測しても仕方がない」


 分からないことは本人に聞けばいい。


 そのために、数か月かかる距離を越えてここまで来たのだ。


 カイゼルは静かに息を吐いた。


「ならば本人に聞こう」


「はい」


 ほどなくして、扉が叩かれた。


「シュタインフェルト王陛下」


 外から声がする。


「謁見の準備が整いました」


 カイゼルが立ち上がる。


 アイゼルも続いた。


 二人は一度だけ視線を交わした。


 もう確認すべき相手は一人しかいない。


 アルデバラン王。


 オーキス・アルデバラン。


 カイゼルは扉へ向かった。




 控室を出ると、先ほどの侍女が一礼した。


「ご案内いたします」


 カイゼルとアイゼルは、その後に続いた。


 廊下を進む。


 謁見の間へ向かう途中でも、王宮の様子は変わらない。


 文官が行き交い、侍女が仕事をしている。


 窓の外では別棟へ向かう者が飛んでいた。


 ここまで来ても、特別な警戒態勢が敷かれる様子はなかった。


 他国の王が王宮の奥へ入っている。


 シュタインフェルトなら、近衛の配置を増やす。


 相手を疑っているからではない。


 王を守る以上、当然の措置だった。


 だが、アルデバランではその必要が薄い。


 カイゼルは門兵を思い出す。


 衛兵を思い出す。


 侍女も文官も料理人も、必要なら自分で戦える。


 誰か一人を守るために、戦える者を特定の場所へ集める必要がない。


「アイゼル」


「はい」


「近衛という考え方そのものが、我々とは違うのかもしれんな」


「可能性はあります」


 アイゼルは周囲を見た。


「ただ、近衛が不要というわけではないでしょう」


「ああ。役目は役目だ」


 能力があることと、職務は別だ。


 それも王宮で確認したばかりだった。


 戦える料理人が料理人であるように、強い侍女が侍女であるように、近衛には近衛の仕事がある。


 ただし、その外側にいる者が無力ではない。


 それだけの違いが、王宮全体の守り方を大きく変えている。


 侍女が大きな扉の前で止まった。


「少々お待ちくださいませ」


 扉の両側には衛兵が立っている。


 カイゼルは彼らを見た。


 もうアリッサに鑑定させる必要もない。


 ここまで見れば十分だった。


 侍女が中へ入り、しばらくして戻ってくる。


「間もなくご案内いたします」


「分かった」


 カイゼルは短く答えた。


 アイゼルが小さな声で言う。


「陛下」


「何だ?」


「先ほどの話ですが」


「三十五億か?」


「それもありますが、百三十国です」


 カイゼルが視線を向ける。


「我々は最初、アルデバラン王国が巨大化したものと考えていました」


「ああ」


「実際は違った」


 保護された人々が、一つの王国へ集められているわけではない。


 百三十の国が存在する。


 それぞれに暮らす者がいて、産業があり、物流がある。


 それでも街道でつながり、人が行き来し、物資も動く。


「なぜ分けたのか」


 アイゼルが言った。


「それも聞く必要があります」


「そうだな」


「三十五億人を支配するつもりなら、一つにまとめた方が分かりやすい」


「少なくとも、我々ならそう考える」


 カイゼルは扉を見た。


「だが、そうしなかった」


 理由はまだ分からない。


 最初から百三十国を作るつもりだったのか。


 必要に応じてそうなったのか。


 それとも、別の事情があったのか。


 本人に聞かなければ分からない。


「二十一億人の保護も同じだ」


 カイゼルが続ける。


「なぜ、それほどの人数を保護する必要があったのか」


「はい」


「我々の近隣で国家が次々と消えたことと、無関係ではあるまい」


 シュタインフェルトは、その影響を受けている。


 国境へ流れてきた武装集団。


 かつて別の国で騎士や兵士だった者たち。


 国を失い、食料を失い、武器だけを持って流れてきた者もいた。


 八千。


 二万三千。


 騎士団が国境で対処してきた。


 アルデバランが彼らを送り込んだわけではない。


 それは分かっている。


 だが、大陸で起きた巨大な変化と無関係とも思えない。


「聞きたいことが増えましたな」


「いや」


 カイゼルは首を振った。


「減った」


 アイゼルが少し驚く。


「減りましたか?」


「ああ」


 第七十八国へ来る前は、何が事実なのかさえ分からなかった。


 今は違う。


 教導も見た。


 物流も見た。


 民の暮らしも見た。


 本国も王都も王宮も見た。


 疑うべき事実は、ずいぶん減った。


 残っているのは、その理由だ。


「何をしたのかではない」


 カイゼルは言った。


「なぜ、そうしたのか。それを聞けばいい」


 アイゼルが頷いた。


「確かに」


 そのとき、謁見の間の扉が開いた。


 衛兵が一礼する。


「シュタインフェルト王国国王、カイゼル・シュタインフェルト陛下。どうぞお入りください」


 カイゼルは一歩を踏み出した。


 ここから先は、報告でも推測でもない。


 王本人の言葉を聞くことになる。




 謁見の間へ続く扉をくぐる。


 その先には短い前室があった。


 正面には、さらに大きな扉がある。


 ここを越えれば、オーキス王との謁見になる。


 案内役の侍女が告げた。


「こちらで少々お待ちくださいませ」


「分かった」


 カイゼルが答える。


 侍女は一礼し、奥の扉へ向かった。


 アイゼルが室内を見る。


 衛兵が二人。


 それだけだった。


 外国の王を迎える直前だというのに、物々しい雰囲気はない。


 カイゼルはそれを確認すると、アイゼルを見る。


「最後に整理しておこう」


「はい」


「三十五億人が教導を受けた。これは事実と見ていい」


「はい」


「二十一億人を保護したという情報もある」


「そして現在は百三十国」


「ああ」


 数字だけなら、理解し難い。


 だが、その一端は自分たちの目で見た。


 第七十八国。


 そこで暮らしていた者たち。


 農地。


 市場。


 工房。


 冒険者ギルド。


 街道を走るゴーレム馬車。


 アルデバラン本国へ来れば、さらに大きな規模で同じものが動いていた。


 王都もそうだった。


 王宮へ入ってさえ変わらない。


「雨については、まだ聞く必要がある」


「はい」


「三十五億人をどう教導したのかもな」


「それに、二十一億人をなぜ保護することになったのか」


 カイゼルが頷く。


「百三十国がどう生まれたのかもだ」


 アイゼルは少し考えた。


「ずいぶん大きな話になりますな」


「そうだな」


「ですが、ここまで来れば順番は一つでしょう」


「ああ」


 まず、オーキスという王が何を考えているのか。


 そこから聞けばいい。


 カイゼルは腕を組んだ。


「アイゼル」


「はい」


「もし、アルデバランが我が国を取り込むつもりなら、どうする?」


 アイゼルはすぐには答えなかった。


 少し考えてから口を開く。


「拒みます」


「勝てなくてもか?」


「それとこれは別です」


 カイゼルが笑った。


「そうだな」


 シュタインフェルトにはシュタインフェルトの民がいる。


 王家を信頼する者がいる。


 騎士団を信頼する者がいる。


 アルデバランがどれほど豊かであろうと、それだけで国を明け渡す理由にはならない。


「ただ」


 アイゼルが続けた。


「ここまで見た限り、そのために我々を呼んだようには見えません」


「私もそう思う」


「むしろ、我々が勝手に見て回っています」


「何でも見せているからな」


 国力を隠そうともしていない。


 かといって、誇示もしない。


 第七十八国でも、本国でも、王宮でも同じだった。


 見たいと言えば見せる。


 聞けば答える。


 それだけだ。


「だから本人に聞く」


 カイゼルが言った。


「はい」


「我々をどうするつもりなのかではない」


 アイゼルが視線を向ける。


「では?」


「何を考えて、ここまでやったのかだ」


 三十五億人。


 二十一億人。


 百三十国。


 それほどの規模になれば、普通は目的が先にあると考える。


 領土。


 富。


 支配。


 大陸統一。


 だが、ここまで見てきたアルデバランからは、それが見えてこない。


 だからこそ、王本人の言葉が必要だった。


「それが分かれば、我が国との付き合い方も決められる」


「はい」


「知らぬまま隣国でいる方が危険だ」


 アイゼルが笑う。


「ここへ来る前と同じですな」


「ああ」


 結局、そこは変わっていない。


 報告だけで判断しない。


 自分の目で見る。


 分からなければ聞く。


 それだけだ。


 奥の扉が開いた。


 先ほどの侍女が戻ってくる。


「お待たせいたしました」


 カイゼルとアイゼルが立つ。


「アルデバラン王陛下がお待ちでございます」


「分かった」


 カイゼルは服を整えた。


 アイゼルもその後ろへ立つ。


 巨大な国力を持つ王に会う。


 だが、もう得体の知れない怪物に会う気分ではなかった。


 確かめたいことがある。


 聞きたいことがある。


 それなら、王同士で話せばいい。


 カイゼルが前を向く。


「行こう」


「はい」


 謁見の間へ続く扉が、ゆっくりと開いた。





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