242 王都
王都へ近づくにつれ、巨大な城壁の全容が見えてきた。
最初に足を止めたのはアイゼルだった。
「陛下」
「ああ。見えている」
高い。
だが、問題は高さではなかった。
アリッサが城壁へ鑑定を使う。
「ミスリル……オリハルコン、それにアダマンタイトです」
「城壁にか?」
「はい」
シュタインフェルト王国なら、武器や防具にわずかに使われるだけでも貴重な金属である。
それが巨大な城壁を構成していた。
軍務卿は何も言わず、壁面へ視線を動かす。
金属とは異なるものが、広い範囲に貼られている。
「イメルダ伯爵」
カイゼルが呼んだ。
「はい、陛下」
「あれは何だ?」
「ドラゴンの鱗ですわ」
イメルダはごく普通に答えた。
「……すべてか?」
「ええ」
カイゼルは城壁を見上げた。
軍事的な評価をするまでもない。
破壊する方法を考えるより、なぜこれほどのものを城壁へ使えるのかを考える方が先だった。
一行は門へ向かう。
これほどの城壁で守られている王都である。
シュタインフェルト側は、その内側に巨大な軍事都市を想像していた。
三十五億人を教導し、二十一億人を保護した国の中心。
大量のゴーレム。
飛行する民。
桁外れの物流。
その本国の王都なら、巨大な兵舎や軍事施設が並んでいても不思議ではない。
門を抜けた。
カイゼルは周囲を見渡した。
「……普通だな」
人々が歩いている。
店が開き、客が商品を選んでいる。
子供たちが行き交い、仕事へ向かう者もいる。
空を飛んで移動する者もいるが、それさえここへ来るまでに何度も見た。
兵士が通りを埋めているわけではない。
武器を持った者が民を監視しているわけでもない。
そこにあったのは、ごく普通の人々の暮らしだった。
ただし、その普通を支えているものが普通ではない。
アイゼルが足元を見る。
「陛下。道を」
カイゼルも気づいた。
汚れていない。
人通りの多い王都である。
店もある。
食べ物も売られている。
それなのに紙屑一つ、野菜屑一つ見当たらない。
泥や埃さえほとんどない。
周囲の建物も同じだった。
「イメルダ伯爵」
「はい」
「この王都は、いつもこれほど清潔なのか?」
「ええ。綺麗でしょう?」
「誰が清掃している?」
イメルダが微笑んだ。
「保護した孤児たちが清掃をしていますの」
カイゼルの表情が変わった。
「孤児を働かせているのか?」
「いいえ」
イメルダはすぐに否定した。
「自主的に、ですわ」
「自主的に?」
「ええ。自分たちにもできることをしたいと、始めたのです」
アイゼルもイメルダを見る。
「それを国が組織しているわけではないのですか?」
「もちろん必要な支援はしておりますけれど、清掃を命じたわけではございませんわ」
イメルダは通りの先へ目を向けた。
数人の子供たちが道の端を掃除している。
仕事を監視する兵士も役人もいない。
「私どものギルドも、あの子たちの養子縁組に関わっておりますの。ですから、この件はよく存じております」
「養子縁組も?」
「ええ。家族を求めている子供と、子供を迎えたいご夫婦をお繋ぎしておりますわ」
カイゼルは清掃している子供たちを見る。
「養子に迎えてもらうために働いているわけではないのだな?」
「もちろん違いますわ」
イメルダの答えには迷いがなかった。
「そんなことで家族を決めたりいたしません」
「なら、なぜそこまでする?」
イメルダは少し不思議そうにカイゼルを見た。
そして、当たり前のことを話すように答えた。
「みんなアルデバラン王国が大好きですの」
「……国が?」
「ええ」
それ以上の説明はなかった。
カイゼルはもう一度、王都を見る。
命令されているようには見えない。
強制されているようにも見えない。
それでも町は清潔に保たれている。
街道で見たものと同じだった。
誰か一人が巨大な力で動かしているようには見えないのに、社会は動いている。
カイゼルはその理由について、一つの仮説を立てかけた。
だが、まだ材料が足りない。
今は覚えておけばいい。
――みんなアルデバラン王国が大好きですの。
「行こう」
カイゼルは王都の奥へ視線を向けた。
城壁だけなら、これまで見たどんな都市より恐ろしい。
だが、その内側にあったものは軍事都市ではなかった。
民が普通に暮らす町だった。
そしてカイゼルには、その普通の方が少しずつ気になり始めていた。
一行が最初に足を向けたのは市場だった。
カイゼルが望んだ。
王宮へ行く前に、もう少し民の暮らしを見ておきたかった。
市場には多くの人が集まっている。
野菜、果物、穀物、肉、魚、調味料。
衣類や日用品を扱う店もある。
品物の種類も多い。
カイゼルは店先を眺めながら歩いた。
「イメルダ伯爵」
「はい」
「これほど品物が並ぶのは、王都だからか?」
「王都ですから種類は多いですわ。でも、地方でも必要な物には困りませんの」
「第七十八国でも似た市場を見た」
「ええ。足りない物は別の場所から運べばよろしいでしょう?」
街道で見たゴーレム馬車の列が、カイゼルの頭に浮かぶ。
農地。
集積。
輸送。
市場。
ここまで来て、すべてがつながった。
「やはり、あの物流は王都へ集めるためだけではないのだな」
「もちろんですわ」
イメルダは笑った。
「必要な物を、必要なところへ運んでおります」
軍務卿は店頭の商品を見ていた。
食料の量だけではない。
産地の異なる品物が同じ市場に並んでいる。
第七十八国と本国で見たものから立てた仮説を補強する材料だった。
一つの土地だけで完結させる必要がない。
不足すれば、別の場所から動かせる。
平時の暮らしを支える仕組みが、そのまま国家の強さになっている。
市場を抜ける途中、香ばしい匂いが漂ってきた。
肉を焼く店だった。
別の店では大鍋から湯気が立ち上っている。
「食べ物を売る店も多いのですね」
アリッサが言う。
「多いですわよ。美味しいものがお好きな方が多いですもの」
イメルダが答えた。
カイゼルは苦笑した。
「そこは我が国と変わらんか」
「美味しいものを嫌う方は少ないと思いますわ」
料理を買った者が、その場で食べている。
仕事の途中らしい者もいれば、家族連れもいる。
特別な宴ではない。
日常の食事だった。
カイゼルが見ているのは料理そのものではない。
誰が食べているかだった。
一部の富裕層だけではない。
普通の民が金を払い、好きなものを選んでいる。
「食べられる、だけではないのだな」
カイゼルが呟いた。
アイゼルが意味を理解する。
「選べる、ですか」
「ああ」
飢えないことと、食べたいものを選べることは違う。
シュタインフェルトも民を飢えさせてはいない。
だが、ここではその先まで生活が広がっている。
一行がさらに進むと、大きな建物が見えてきた。
人の出入りが多い。
「イメルダ伯爵。あれは?」
「公衆浴場ですわ」
「浴場?」
「ええ。皆様がお風呂に入る場所です」
カイゼルは建物を見る。
「これだけ大きなものを?」
「利用する方が多いですから」
中へ入る必要はなかった。
出てくる人々を見れば、日常的に利用されていることは分かる。
子供を連れた親。
仕事を終えたらしい職人。
老人。
冒険者らしい者もいる。
特定の身分のための施設ではない。
「これも王都だけか?」
「いいえ」
イメルダは首を振った。
「必要なところにはございますわ」
アリッサが小さく頷いた。
第七十八国でもそうだった。
形や規模は違っても、生活を整えるという考え方は変わらない。
カイゼルも同じことに気づいていた。
市場だけなら商業が盛んな都市と言える。
料理店だけなら食文化が発達していると言える。
浴場だけなら衛生を重視していると言える。
だが、それぞれを別々に見るから分かりにくい。
街道も、物流も、清掃も、市場も、料理も、浴場も。
すべて民が暮らすためのものだった。
「軍事都市ではないな」
カイゼルが言った。
軍務卿が答える。
「はい」
それだけだった。
だが、軍務卿の評価はすでに変わっていた。
軍事施設を探して国力を測る必要はない。
食料が流れ、物が動き、人が健康に暮らし、日常の中で魔法を使っている。
その状態を維持できる社会そのものが、国力だった。
アイゼルが前方を見る。
市場と浴場の先にも、王都は続いている。
「まだ民の暮らしを見ただけですな」
「ああ」
カイゼルも歩き出す。
「だからこそ、見る価値がある」
巨大な城壁より、その内側の日常。
アルデバランという国を理解する材料は、王宮へ着く前から増え続けていた。
公衆浴場を離れた一行は、工房が集まる一角へ向かった。
金属を打つ音が響いている。
炉では職人が火魔法を使い、加工した金属を水魔法で冷却していた。別の工房では念動で材料を固定しながら、細かな加工を続けている。
魔法を使うことに誰も注目しない。
仕事に必要だから使う。
それだけだった。
「ここでも同じか」
アイゼルが呟く。
「はい。第七十八国でも同じでした」
アリッサが答えた。
軍務卿は工房の中を見ている。
特定の属性を持つ者だけを集めた施設ではない。一人の職人が複数の魔法を使い、自分の仕事をしている。
農地で農民がしていたことを、ここでは職人がしているだけだった。
一行は工房街を抜け、冒険者ギルドへ向かった。
建物の前には多くの冒険者がいる。
依頼を確認する者。
装備を整える者。
仲間と話す者。
その一角には、何人もの若い冒険者が集まっていた。
「教導ですね」
アリッサが気づいた。
経験のある冒険者が、新人に魔力循環を教えている。
別の場所では索敵。
さらに離れたところでは魔法の扱いを教えていた。
教わった者が試し、うまくいかなければもう一度教える。
できるようになった者が、今度は別の者へ説明する。
「第七十八国と同じだな」
カイゼルが言った。
「はい」
場所も人間も違う。
それでも同じことが行われている。
ここまで立ててきた仮説を否定する材料は、まだ一つもなかった。
そのとき、アリッサが隣にいるイメルダへ目を向けた。
カイゼルからは、本国で直接会う者を可能な限り鑑定するよう命じられている。
「イメルダ伯爵」
「はい?」
「鑑定してもよろしいでしょうか?」
「ええ。どうぞ」
イメルダは気にする様子もない。
アリッサが鑑定を使った。
属性。
魔法。
能力。
表示される内容を確認していく。
時空間属性もある。
ここまで一瞬で移動してきたのだから、それは驚くことではない。
だが、一つだけ見慣れないものがあった。
「……アルデバラン国民?」
カイゼルが振り返った。
「何だ?」
「スキルです」
「スキル?」
「はい。アルデバラン国民、と表示されています」
アイゼルもイメルダを見る。
「そのようなスキルがあるのか?」
「ありますわよ」
イメルダはあっさり答えた。
軍務卿が尋ねる。
「どのような効果が?」
イメルダは少し考え、首を傾げた。
「詳しくは存じませんの」
「自分のスキルなのに?」
「ええ」
それ以上、説明する様子はなかった。
隠しているようにも見えない。
本当に詳しく知らないらしい。
カイゼルはアリッサを見る。
「鑑定では分からないのか?」
「名称だけです」
「そうか」
ならば今はそれでいい。
アルデバラン国民。
妙な名前のスキルが存在する。
それだけを記憶しておけばいい。
一行は冒険者ギルドを離れ、王宮へ向かって歩き始めた。
しばらく進むと、前方に巨大な建造物が現れた。
陽光を受け、独特の輝きを放っている。
アリッサが鑑定する。
「……オリハルコンです」
アイゼルが娘を見る。
「どこに使われている?」
「建物そのものです」
「また建物か」
アイゼルが思わず呟いた。
「イメルダ伯爵。あれは?」
カイゼルが尋ねる。
「大聖堂ですわ」
「オリハルコン製の?」
「ええ」
シュタインフェルトなら、オリハルコン製の武器一本でも国家の宝になり得る。
それが巨大な大聖堂になっている。
「なぜ、あれを造った?」
「オーキス陛下がお命じになったのですわ」
カイゼルがイメルダを見る。
「国王が?」
「ええ。アリシア領や、神官の方々が治める領地をご覧になったことがきっかけだったと伺っております」
「何を見た?」
「人々が祈り、心を休められる場所ですわ」
イメルダは大聖堂へ目を向けた。
「それをご覧になった陛下が、王都にも魂が安寧できる場所を作れ、と」
「魂の安寧……」
「ええ。それに神官の皆様がお応えになって、この大聖堂をお造りになりましたの」
カイゼルは大聖堂を見上げた。
「それで、オリハルコンか」
「ええ」
それ以上は聞かなかった。
大聖堂が建てられた経緯は分かった。
カイゼルは再び王宮の方向を見る。
「行こう」
一行は歩き出した。
アルデバラン国民。
その奇妙な名前だけが、カイゼルの記憶に残った。
大聖堂を離れた一行は、王宮へ続く大通りを進んだ。
この辺りまで来ると、建物も大きくなる。
官庁と思われる施設や、広い敷地を持つ屋敷が並んでいた。
その一つを見たアリッサが足を止める。
「アダマンタイトです」
アイゼルが建物を見る。
「どこに使われている?」
「建物そのものです」
「全部か?」
「はい」
アリッサは鑑定結果をさらに確認した。
素材だけではない。
その性質も表示されている。
「なるほど……落雷対策ですね」
「落雷?」
「はい。アダマンタイトは電気を通しません」
雷魔法を使う魔物はシュタインフェルトにも存在する。
軍務卿がすぐに意味を理解した。
「建物そのものを雷から守っているのか」
「そうだと思います。落雷だけでなく、雷魔法にも有効です」
カイゼルは周囲を見渡した。
一棟だけではない。
同じような建物が何棟もある。
「イメルダ伯爵。これも意図して使っているのか?」
「ええ。重要な施設には使われておりますわ」
イメルダが答える。
アイゼルが大通りの反対側を見る。
「あの屋敷もか?」
「貴族のお屋敷ですわね。あちらもアダマンタイトですわ」
「貴族の屋敷まで?」
「雷は身分を選んで落ちてくださいませんもの」
カイゼルが小さく笑った。
「それはそうだ」
軍務卿は建物を見上げたまま黙っている。
希少な金属を、ただ富を示すために使っているわけではない。
素材の性質を理解し、必要な場所へ使っている。
城壁もそうだった。
市場も、道路も、工房も同じだ。
何を持っているかではない。
どう使っているか。
それがこの国を見るうえで重要なのだろう。
一行は再び歩き始めた。
王宮が近づいてくる。
遠くからでも巨大だと分かっていたが、近づけばその規模はさらに際立った。
だが、アイゼルの視線は王宮そのものではなく、そこへ向かう人々へ移った。
一人の男が書類らしいものを抱えて歩いている。
服装からすれば文官だろう。
途中で足を止めると、その身体が浮かび上がった。
そのまま王宮の上階へ向かって飛んでいく。
「アリッサ」
「はい」
アリッサはすでに鑑定を使っていた。
「文官だと思います。複数の属性を持っています。飛行もあります」
今度は別の者が王宮へ向かっていた。
使用人らしい女性だった。
いくつもの荷物が、その周囲に浮いている。
念動で運んでいるらしい。
「彼女は?」
「この方も複数属性です。念動、飛行もあります」
さらに別の者。
今度は料理人らしい服装をしている。
その男も飛んできた。
王宮前で地面へ降り、そのまま中へ入っていく。
カイゼルが言った。
「王宮で働く者なのか?」
「おそらく」
アリッサが答える。
アイゼルは驚かなかった。
農民が魔法を使っていた。
職人も使っていた。
市場で働く者も、冒険者も、普通の住民も使っていた。
空を飛ぶ子供までいた。
ならば王宮で働く者だけが違うと考える方がおかしい。
「特別な者を集めているわけではなさそうだな」
アイゼルが言う。
カイゼルも頷いた。
「ああ。ここまで見たものの延長だ」
軍務卿が王宮へ出入りする人々を見ながら言った。
「兵士の能力だけを調べても意味がないという話が、さらに厄介になりましたな」
「そうだな」
アイゼルは短く答えた。
戦う者だけではない。
生産する者がいる。
運ぶ者がいる。
教える者がいる。
作る者がいる。
治める者がいる。
それぞれが同じ基盤の上で、自分の仕事をしている。
王宮が近づいた。
巨大な建物が、一行の視界を埋める。
ローゼンクランツ公爵は、巨大な王宮を見上げた。
恐ろしいのは王宮ではない。
王宮だけが強いのではなかった。
城壁が特別なのでもない。
騎士団だけが異常なのでもない。
農地から市場へ。
市場から工房へ。
冒険者ギルドから大聖堂へ。
そして王宮まで。
ここまで見てきたものは、別々に存在しているのではなかった。
この国では、社会そのものが同じ基盤の上に成り立っている。
アイゼルにとっては、その事実の方が巨大な王宮よりもはるかに恐ろしかった。




