240 本国へ
シュタインフェルト王国からの訪問希望に対する返答は早かった。
王宮の執務室。
クレインから話を聞いたオーキスは、迷わず答えた。
「歓迎しよう」
「承知しました」
「自分の目で本国を見たいと言っているんだ。こちらから余計な条件を付ける必要はないだろう」
「私もそう考えます。通常の国賓として受け入れればよろしいかと」
「ああ。それで頼む」
教導管理システムには、アイクたちが調査したシュタインフェルト王国の情報がすでに登録されている。
オーキスとクレインも確認していた。
人口二千万。
裕福ではないが、貧しくもない。
王都だけでなく地方都市や農村にも食料と生活必需品が流通し、人々の生活は維持されている。
周辺では百を超える国が清算された。
所属を失った旧騎士や旧兵士、剣士、傭兵たちの一部は、数千、数万という武装集団となって各地を移動している。
食べなければ死ぬ。
行き場もなく、生きるために食料のある土地を目指す者たちを、シュタインフェルト騎士団は国境で食い止めていた。
それでも疲弊した周辺国へ侵攻することなく、自国の生産と流通を維持している。
王家と騎士団に対する民の信頼も高い。
その国を治めるカイゼル王が、第七十八国だけで判断せず、アルデバラン本国まで自ら見に来ようとしている。
拒む理由はなかった。
クレインは正式な返答を第七十八国へ送り、そこからシュタインフェルト王国へ伝えた。
歓迎する。
通常の国賓として受け入れる。
過剰な条件も、特別な制限も設けない。
返答を受け取ったカイゼルは、アイゼル・ローゼンクランツ公爵と軍務卿を執務室へ呼んだ。
「歓迎する、か」
「はい。特別な条件はありません」
軍務卿が事実だけを答える。
アイゼルも返答の内容を確認した。
「では、予定通り参りましょう」
「ああ」
カイゼルは返書を机に置いた。
「同行者を決める。ローゼンクランツ公爵」
「同行いたします」
「軍務卿も来てもらう」
「承知しました」
カイゼルはアリッサを見る。
「アリッサ」
「はい」
「お前も来い」
「よろしいのですか?」
「今回の話は、お前が第七十八国から持ち帰った報告から始まった。それに、お前自身が教導を受けている。同行してもらった方がいい」
「承知いたしました」
「もう一つ仕事を頼む」
アリッサが姿勢を正した。
「向こうで会う者は、すべて鑑定しろ」
「すべて、ですか?」
「ああ。王族や貴族だけではない。文官、騎士、冒険者、商人、職人。直接会った者は可能な限りだ」
「分かりました」
「その場で報告する必要はない。帰国してからまとめて報告しろ」
「承知いたしました」
アリッサは答えたあと、少し考えた。
「陛下」
「なんだ?」
「私も鑑定されると思います」
カイゼルがアリッサを見る。
「そうだろうな」
「第七十八国にも鑑定を使える方がいました。本国なら、私が鑑定を持っていることも知られると考えた方がよろしいかと」
自分だけが一方的に相手を見ることはできない。
こちらが相手を知ろうとするなら、相手もこちらを知る。
アリッサはそれを理解していた。
「構わん」
カイゼルは即答した。
「隠れて調べに行くわけではない。我々はアルデバランを知る。向こうも我々を知る。それでいい」
「はい」
「知らぬまま隣国でいる方が危険だ」
護衛も必要な人数だけを選ぶことになった。
戦争へ行くのではない。
カイゼル自身がアルデバラン本国を確かめるための訪問である。
「第七十八国を経由するのですね」
「ああ。そこから本国へ向かう」
アイゼルが口を開いた。
「イメルダ伯爵も、まだ第七十八国に滞在しているはずです」
「本国へ戻る予定なら、一緒に行けばいい」
カイゼルが答える。
「我々の使節に加えるという意味ではない。行き先が同じなら同行して構わん」
「では、確認しておきます」
こうして同行者が決まった。
目的地はアルデバラン本国。
その前に一行は、もう一度第七十八国へ向かうことになった。
予定の日。
カイゼルたちはシュタインフェルト王国を出発し、第七十八国へ向かった。
カイゼル、アイゼル、軍務卿、アリッサ。
そして護衛の騎士たち。
国境を越えると、以前にも見た街道が眼下に伸びていた。
荷馬車が行き交い、その横を大量の荷物を積んだゴーレムが進んでいる。
畑では人々が働き、町の上空では住民が当たり前のように飛んでいた。
一度視察している。
今回は立ち止まらない。
第七十八国は目的地ではなく、アルデバラン本国へ向かうための経由地だった。
一行が町へ入ると、アリッサはイメルダを探した。
まだ滞在していることは、すぐに分かった。
「イメルダ伯爵」
「あら、アリッサさん。お戻りになったのですね」
「はい。これからカイゼル陛下とアルデバラン本国へ向かいます」
「まあ」
「イメルダ伯爵は、そろそろ本国へ戻られるご予定でしょうか?」
「ええ。そのつもりでした」
アリッサがカイゼルを見る。
「それなら同行されるといい」
「よろしいのですか?」
「行き先が同じなら、別々に向かう必要もないだろう」
「ありがとうございます。では、ご一緒させていただきます」
イメルダが頭を下げる。
シュタインフェルトの使節としてではない。
本国へ帰るところを、たまたま同行するだけである。
出発までには少し時間があった。
アリッサには、その間に行っておきたい場所がある。
「陛下。少しだけお時間をいただいてもよろしいでしょうか?」
「ああ。出発に間に合えば構わん」
「ありがとうございます」
アリッサは一人で通りへ出た。
向かった先はロルフの店だった。
扉を開けると、料理の香りが漂ってくる。
昼の営業中で、店内には何組もの客がいた。
ロルフも忙しく働いている。
アリッサに気づいたロルフが顔を上げた。
「戻ったのか」
「はい」
「早かったな」
「今度は本国へ行くことになりました」
「本国?」
「カイゼル陛下がアルデバラン本国を視察されます。父と軍務卿も同行します」
「そうか」
「イメルダ伯爵も本国へ戻られるそうなので、一緒です」
「ああ」
ロルフは料理を客の席へ運んだ。
アリッサも邪魔をするつもりはない。
仕事中なのは分かっている。
「ロルフさんは?」
「俺?」
「本国へ行ったことはありますか?」
「ないな」
「一緒には……」
そこまで言って、アリッサは店内を見る。
客がいる。
料理を待っている人もいる。
そして、ここはロルフの店だ。
アリッサ自身が答えに気づいた。
「行けないですよね」
「ああ。店があるからな」
「そうですよね」
残念ではある。
だが、それでいい。
ロルフは誰かに養われているわけではない。
自分で仕事を選び、自分の店を持ち、ここで暮らしている。
それを放り出して同行してほしいとは思わなかった。
ロルフが手を空けたところで、アリッサは姿勢を正した。
「そろそろ行きます」
「ああ」
「行ってきます」
「ああ」
アリッサはその場に立ったまま、ロルフを見る。
ロルフも見る。
「……それだけですか?」
「帰ってくるんだろ?」
「はい」
「じゃあ待ってる」
アリッサは目を瞬いた。
もっと何か言ってほしかった気もする。
寂しいとか。
早く帰ってこいとか。
だが、ロルフはアリッサが帰ってくることを疑っていなかった。
だから待つ。
ただそれだけだった。
「……はい」
アリッサの表情が緩んだ。
「帰ってきます」
「ああ。気をつけてな」
「はい」
そのとき、新しい客が店へ入ってきた。
ロルフがそちらを見る。
「お仕事に戻ってください」
「ああ」
ロルフは客を迎えるために戻っていった。
アリッサも店を出る。
ロルフには店がある。
自分には公務がある。
帰ってくる。
待っている。
今は、それだけで十分だった。
アリッサはカイゼルたちの待つ場所へ戻っていった。
アリッサが戻ると、カイゼルたちはすでに出発の準備を終えていた。
「お待たせいたしました」
「いや、問題ない」
カイゼルが答える。
アイゼル、軍務卿、護衛の騎士たちも揃っている。
イメルダも本国へ戻ることになり、一行に加わっていた。
「では、参りましょうか」
イメルダが言った。
「ああ」
カイゼルが頷く。
「本国まではどのくらいかかる?」
「すぐですわ」
イメルダはそう答えると、一行へ近くに集まるよう促した。
カイゼルたちが集まる。
アリッサも父の隣へ移動した。
「それでは参ります」
イメルダが時空間魔法を発動した。
次の瞬間。
周囲の景色が変わった。
先ほどまで第七十八国の町にいたはずが、目の前にはまったく違う街並みが広がっている。
護衛の騎士たちがすぐに周囲を確認する。
軍務卿も静かに辺りを見渡していた。
「到着いたしました」
イメルダが告げる。
「ここがアルデバラン本国ですわ」
カイゼルが振り返った。
そこに第七十八国の町はない。
街道を飛んだわけでもない。
途中の国を通過したわけでもない。
一瞬で本国まで移動していた。
アリッサはイメルダを鑑定する。
時空間属性。
いつの間にか、イメルダは新たな属性を覚醒させていた。
アリッサはその結果を覚えておく。
カイゼルから命じられた仕事は、すでに始まっている。
イメルダが歩き出した。
「こちらですわ」
一行も後に続く。
カイゼルは歩きながら周囲を見る。
街道には人が行き交っていた。
荷物を積んだ馬車が走り、その横を大きな荷物を運ぶゴーレムが進んでいる。
空を飛んで移動する者も珍しくない。
子供まで飛んでいる。
第七十八国でも見た光景だった。
だが、ここは本国である。
通りには商店が並び、食料品や衣服、日用品が売られている。
荷物を運ぶ者。
店先で商品を並べる者。
買い物をする者。
立ち話をする者。
誰もシュタインフェルト王の一行を見て騒がない。
外国から国王が来たことを知らない者が大半なのだろう。
人々は普段通りに生活していた。
軍務卿の視線が街道を走る荷馬車へ向く。
その先には倉庫らしい建物が並んでいる。
別の道からも荷物が運び込まれていた。
第七十八国で見たものと同じように、生産された物資が集められ、必要な場所へ送られている。
軍務卿は何も言わない。
ただ見ている。
アイゼルも周囲を観察していた。
アリッサは歩きながら、すれ違う人々を見る。
カイゼルから命じられたことを思い出す。
会う者は可能な限り鑑定する。
アリッサは近くを歩いていた男を鑑定した。
次に店先で働いている女性。
荷物を運んでいる男。
通りを歩く若い女性。
一人だけではない。
何人か続けて確認する。
アリッサの歩みが少し遅くなった。
「どうした?」
隣を歩いていたアイゼルが尋ねる。
「いえ」
アリッサはすぐに歩調を戻した。
「後ほどまとめます」
今は報告する必要はない。
そう命じられている。
何人か見ただけで判断するべきでもなかった。
もっと見る。
王宮へ行けば、王族や文官、騎士にも会う。
町には商人も職人も冒険者もいる。
それらを確認した上で、帰国後に報告すればいい。
カイゼルも足を止めなかった。
第七十八国を訪れたときと同じだった。
まず見る。
目の前にあるものを、自分の国の常識だけで決めつけない。
通りを抜ける。
人々の生活は続いている。
市場では商売が行われ、街道では物資が動き、上空では人が飛んでいる。
そして、その中をシュタインフェルト王の一行が進んでいく。
アルデバラン本国の視察が始まった。
転移を終えた一行は、その場に立っていた。
つい先ほどまで、第七十八国にいた。
それが今はアルデバラン本国にいる。
カイゼルは一度だけ後ろを振り返った。
当然ながら、第七十八国の町並みはどこにもない。
アイゼルも周囲を見渡している。
軍務卿と護衛の騎士たちは、知らない土地へ移動した直後ということもあり、それぞれ周囲を確認していた。
「到着いたしました」
イメルダが告げる。
「ここがアルデバラン本国ですわ」
「……本当に一瞬なのだな」
カイゼルが言った。
「ええ」
第七十八国からアルデバラン本国までは遠い。
その間には七十七もの国がある。
従来の馬車で移動すれば、三、四か月。
ゴーレム馬車を使ったとしても、一月ほどかかる。
飛行できる者なら数時間まで短縮できるが、それでも国をいくつも越えなければならない距離である。
イメルダの転移は、そのすべてを一瞬で消した。
アイゼルがイメルダを見る。
「時空間属性か」
「ええ」
イメルダが答える。
アリッサもすでに鑑定で確認している。
いつの間にか、イメルダは時空間属性を覚醒させていた。
それ以上の話にはならなかった。
今はイメルダの能力を調べに来たわけではない。
カイゼルが見ようとしているのは、アルデバラン本国そのものだった。
「ここから王都へ向かうのだな?」
「はい」
イメルダが答えた。
「王都へ参りましょう」
カイゼルが頷く。
その隣では、軍務卿がすでに気持ちを切り替えていた。
転移は確かに驚くべきものだった。
だが、それだけを見てアルデバランを判断することはできない。
第七十八国を訪れたときもそうだった。
見るべきものは一つではなかった。
軍だけを見ても国は分からない。
兵の数だけでもない。
騎士の強さだけでもない。
食料を作る者がいる。
物資を集める場所がある。
それを運ぶ仕組みがある。
市場へ流し、人々の手に届ける仕組みがある。
それらがつながって初めて、国は維持される。
第七十八国では、それを自分の目で見た。
では、その仕組みを生み出した本国はどうなのか。
軍務卿は何も口にしなかった。
これから見ればいい。
アイゼルもまた、別の意味で本国を見ようとしていた。
三十五億人。
数字だけなら、すでに何度も聞いている。
百三十の国。
二十一億人の保護。
教導による自立。
それらについても調べてきた。
だが、数字と実物は違う。
第七十八国を訪れたことで、それは十分に理解している。
報告書の中では一行で済むことでも、現地へ来れば意味が変わる。
カイゼルがアリッサを見る。
「命じたことは覚えているな?」
「はい」
アリッサが答える。
「直接お会いした方々は、可能な限り鑑定いたします」
「頼む」
「承知いたしました」
王族も。
貴族も。
文官も騎士も。
冒険者も商人も職人も。
その場で一つ一つ報告する必要はない。
見たものを覚え、シュタインフェルトへ帰ってからまとめればいい。
アリッサ自身も、この国を見たいと思っていた。
第七十八国で過ごしたのは、わずか四日ほどである。
それでも自分の常識は大きく変わった。
だが、第七十八国は百三十国の一つにすぎない。
その源流が、これから見るアルデバラン本国だった。
アリッサは一度だけ後ろを振り返った。
そこにロルフはいない。
彼は第七十八国に残った。
自分の店があるからだ。
帰ってくるんだろ。
そう言われた。
はいと答えた。
じゃあ待ってる。
それでいい。
ロルフにはロルフの仕事がある。
自分には自分の役目がある。
今は、それぞれがやるべきことをすればいい。
「では、行こう」
カイゼルが言った。
「ご案内いたします」
イメルダが先に立つ。
カイゼル、アイゼル、軍務卿、アリッサ、護衛の騎士たちも続いた。
七十七の国を越える距離を一瞬で渡り、シュタインフェルト王はアルデバラン本国へ足を踏み入れた。
ここから先は、報告ではない。
自分の目で見る番だった。




