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戦わずに世界を変えた男――教育と物流で“循環国家”を作ったら、いつの間にか大陸が一つになっていた  作者: 慈架太子


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230/311

230 35億人

 シュタインフェルト王との面会を待つ控えの間で、ローゼンクランツ公爵はもう一枚の資料を取り出した。


「陛下にお会いする前に、お前に伝えておくことがある」


「まだあるのですか?」


「ああ。先ほどまでは確認の取れている情報を中心に話した。ここからは推測を含む」


 公爵は大陸地図を広げた。


「現在、我々が確認しているアルデバラン王国は百三十」


「はい」


「五十四か国から保護された者が約十四億人。これは比較的確認が取れている」


 アリッサは頷いた。


 その十四億人の中には、ガルテェニカ王国の二千五百万人も含まれている。


「そして現在清算されている、あるいはすでに清算を終えたと見られる百を超える国家」


 公爵の指が地図上を動く。


「そこからアルデバラン側へ移動した民については、正確な人数を掴めていない」


「どの程度と見ているのですか?」


「約二十一億人」


 アリッサは父を見た。


「二十一億……」


「推測だ。国ごとの旧人口、残留人口、移動が確認された地域などから算出したものにすぎん」


「それでも……」


「ああ」


 公爵は十四億と書かれた資料の横へ、二十一億と記された紙を置いた。


「合わせて約三十五億人」


 アリッサは声を失った。


 二千五百万人を知った時、自分はすぐに帰国しなければならないと思った。


 ところが、それは三十五億人という途方もない数の一部にすぎなかった。


「三十五億人が……百三十のアルデバラン王国に?」


「そう見ている」


「それだけの人口を、どうやって……」


「分からん。だからこそ調べている」


 公爵はさらに一枚の報告書を出した。


「だが、人口以上に問題なのはこちらだ」


 アリッサが紙を見る。


 そこには短い一文が記されていた。


 ――アルデバラン王国に居住する民への教導、完了。


 アリッサの目が止まった。


「……完了?」


「ああ」


「誰が?」


「現在アルデバラン王国に居住している民だ」


「何人ですか?」


 公爵は娘を見る。


「約三十五億人」


 アリッサは動かなかった。


 意味を理解するまで、わずかに時間がかかった。


「三十五億人が……教導済み?」


「そのように報告されている」


「お父様」


「なんだ?」


「その情報を、いつ?」


「少し前だ。だが先ほども言った通り、我々の情報には遅れがある」


「そうではありません」


 アリッサの声が変わった。


 公爵が眉を寄せる。


「何だ?」


「お父様は、教導が何なのかご存じなのですか?」


「教育や訓練に近いものだと理解している」


「具体的には?」


「読み書きや計算、職業訓練、魔法の指導などではないのか?」


 アリッサは父を見つめた。


 ようやく分かった。


 父は三十五億人という数字を知っている。


 教導済みという情報まで掴んでいる。


 だが、その二つを本当の意味では繋げられていない。


「違います」


「何がだ?」


「いえ、教育や職業訓練も行われているのでしょう。ですが、私が受けた教導は、それだけではありません」


 公爵の表情が変わった。


「説明しろ」


「説明するより、見ていただいた方が早いです」


 アリッサは立ち上がった。


「何をする?」


「父上。私を見てください」


 公爵は怪訝そうに娘を見る。


「見ている」


「今の私を、です」


 アリッサは少し後ろへ下がった。


 控えの間には十分な広さがある。


「私が第78アルデバラン王国へ向かった時、空を飛べましたか?」


「いや」


「六属性すべての魔法を扱えましたか?」


「扱えなかったはずだ」


「索敵は?」


「聞いたことがない」


「ピュリフィケーションバレットは?」


「そもそも私は、その言葉を今日初めて聞いた」


「鑑定も使えませんでした」


 公爵の顔から徐々に表情が消えていく。


「私は第78へ行ってから、これらを身につけました」


「何日かけた?」


「数日です」


「……数日」


「はい」


 アリッサは右手を上げた。


「今からお見せします」


 公爵が椅子から立ち上がる。


「待て。ここで危険な魔法は使うな」


「分かっています」


 アリッサは自分へ向けて指先を動かした。


「ピュリフィケーションバレット」


 魔法が自分の身体へ当たる。


 公爵の目が見開かれた。


「これは浄化です。衣服も身体も、一瞬で清潔にできます」


 続いてアリッサの身体が床から静かに浮かび上がった。


「そして、これが飛行です」


「……本当に飛んでいるのか」


「はい」


 ゆっくり床へ降りる。


「索敵を使えば周囲にいる人間や魔物を探せます。六属性魔法も扱えます」


「それを……」


 公爵が机を見る。


 そこには三十五億という数字がある。


「教導で得たのか?」


「はい」


 アリッサは答えた。


「そしてロルフも教導を受けています」


「レッサードラゴン五十体を、お前と狩った料理人か」


「はい」


 公爵は何も言わなくなった。


 先ほどまで三十五億人は、巨大な人口を意味する数字だった。


 今は違う。


「父上」


「……なんだ」


「三十五億人が教導済みという情報が正しいのであれば」


 アリッサは机の上の資料を見る。


「この数字の意味を、最初から考え直した方がいいと思います」


 公爵は答えなかった。


 三十五億。


 その数字を、今度は軍人の目で見つめていた。




 ローゼンクランツ公爵は、しばらく机の上の数字を見つめていた。


 三十五億人。


 その人口が途方もないことは、最初から理解していた。


 問題は、その三十五億人に付けられていた「教導済み」という言葉だった。


「アリッサ」


「はい」


「確認する。お前が先ほど使った能力は、第78へ向かう以前には持っていなかったのだな?」


「はい」


「飛行も?」


「使えませんでした」


「六属性魔法も?」


「すべてを使うことはできませんでした」


「索敵、鑑定、浄化も?」


「同じです」


 公爵は娘を見つめた。


「それを数日で身につけた」


「はい」


「教導によって」


「そうです」


 短いやり取りを重ねるほど、公爵の表情が険しくなっていく。


「ロルフという料理人も同じなのだな?」


「はい。本国で教導を受けています」


「元奴隷だった」


「そう聞いています」


「武人ではない」


「料理人です」


「それが、お前と共にレッサードラゴン五十体を同時に狩った」


「はい」


「苦戦は?」


「していません」


 公爵は椅子の背へ身体を預けた。


 武家の人間だからこそ、その異常さが分かる。


 優秀な騎士を一人育てるだけでも、長い年月が必要になる。


 剣を学ばせ、身体を鍛え、実戦を経験させる。


 魔法士なら適性まで問われる。


 それをアルデバランは、数日で覆した。


「私は、この報告を読み違えていたらしい」


「教導済み、ですか?」


「ああ」


 公爵は三十五億人と書かれた資料を指で叩いた。


「読み書き、計算、職業訓練。新しい国で生活するための教育を終えたという意味だと思っていた」


「それも行われていると思います」


「だが、それだけではない」


「はい」


「少なくとも、お前とロルフについては、教導によって戦闘能力まで大きく変化した」


「その通りです」


 公爵は立ち上がった。


「三十五億人すべてが、お前たちと同じ能力を持っていると考えるべきか?」


「そこまでは分かりません」


「そうだな」


 公爵はすぐに頷いた。


「分からないことを事実にしてはいかん」


 三十五億人が教導済み。


 アリッサとロルフが教導によって能力を得た。


 確実なのはそこまでだ。


 だが武家の当主として、その先を考えないわけにもいかない。


「一割でも三億五千万人か」


 公爵が呟いた。


 アリッサは何も答えなかった。


「いや、一割という数字にも根拠はないな」


 公爵は自分で否定する。


「陛下には推測としても余計な数字を出さぬ方がいい」


「私もそう思います」


「事実だけで十分異常だ」


 公爵は資料を置いた。


「父上」


「なんだ?」


「もう一つあります」


 アリッサは少し考えてから続けた。


「私は第78で身分を隠していました」


「ああ」


「ですから、向こうは私がローゼンクランツ公爵家の娘だとは知りません」


「それがどうした?」


「それでも私は教導を受けました」


 公爵の表情が止まった。


「待て」


「はい」


「お前が公爵家の娘だから、特別に教導されたのではない?」


「違います」


「では、向こうから見れば、お前は何者だった?」


「外国から来たCランク冒険者です」


「……それだけか?」


「はい。少なくとも、公爵令嬢として扱われたことはありません」


 公爵は黙った。


 公爵令嬢だと知っていたのなら、まだ理由を考えられる。


 シュタインフェルト王国への外交的な配慮。


 将来を見越した関係作り。


 だが違う。


 外国から来たCランク冒険者。


 その程度の認識しかなかった人間に、飛行や六属性魔法、索敵まで身につけさせた。


「教導を受けるために、特別な許可は必要だったのか?」


「ありません」


「身元を詳しく調べられたか?」


「いいえ」


「アルデバランへ忠誠を誓わされた?」


「そのようなこともありません」


「口外するなと?」


「言われていません」


 公爵は額へ手を当てた。


「理解できん」


 強力な技術なら隠す。


 軍事に利用できる能力なら国外へ出さない。


 少なくともシュタインフェルトならそう考える。


 だが、第78アルデバラン王国では違った。


「冒険者ギルドで普通に行われていたのだな?」


「はい」


「お前以外にも?」


「教導そのものが珍しいものとして扱われているようには見えませんでした」


「そしてロルフは、本国で教導を受けた」


「はい」


 公爵は再び三十五億人という数字を見る。


「ならば、三十五億人という数字だけを見ていても意味がない」


「どういうことでしょう?」


「アルデバラン国民だけに閉じた仕組みではない可能性がある」


 アリッサにも分かった。


 自分自身が、その証拠だった。


 アルデバラン国民ではない。


 公女であることすら明かしていない。


 ただの外国から来たCランク冒険者として教導を受けた。


「我々はアルデバランの兵士が何人いるのかを知ろうとしていた」


 公爵は地図を見る。


「だが、そんな調査にどれほど意味がある?」


 アリッサは答えられない。


「料理人が戦える。外国のCランク冒険者にも教える。そして三十五億人が教導済み」


 公爵の視線が百三十のアルデバラン王国を示す地図を巡った。


「しかも、この力を持ちながら五十四か国を征服していない」


「はい」


「百を超える国が清算へ向かっても、軍を送り込んで領土を奪ったという報告もない」


 公爵は首を振った。


「分からん」


「何がです?」


「なぜ、これほどの力を外へ広げながら、自分たちの支配を広げようとしない?」


 アリッサにも答えはなかった。


 公爵は三十五億人と記された資料を手に取る。


「三十五億という数字も恐ろしい」


 その視線が娘へ移った。


「だが今の私には、外国から来たCランク冒険者にまで教導するという事実の方が不気味に思える」


 そのとき、控えの間の扉が叩かれた。


「ローゼンクランツ公爵閣下。陛下がお待ちです」


 公爵は資料をまとめた。


「行くぞ」


「はい」


 三十五億人。


 教導済み。


 同じ二つの言葉だった。


 だが、その意味はもはや、最初に報告書を読んだ時とはまるで違っていた。




 案内の侍従に続きながら、ローゼンクランツ公爵は頭の中で報告の順序を組み直していた。


 五十四か国から保護された十四億人。


 清算された国家から移ったと推測される約二十一億人。


 第2から第130アルデバラン王国。


 総人口、約三十五億人。


 そして、その三十五億人は教導済み。


 数字そのものは、すでにシュタインフェルト王も把握している。


 今日伝えなければならないのは、その数字が何を意味するのかだった。


 二人は謁見の間ではなく、国王の執務室へ通された。


 室内には宰相と軍務を預かる重臣もいる。


「急な申し出だったな、ローゼンクランツ」


「申し訳ございません、陛下」


「構わん。アリッサが戻ったそうだな」


 王の視線がアリッサへ向いた。


「ご無沙汰しております、陛下」


「第78アルデバラン王国へ行っていたと聞いている」


「はい。本日戻りました」


「それで?」


 ローゼンクランツ公爵は持参した資料を机へ置いた。


「陛下。現在確認されているアルデバラン王国は第130まで。総人口は約三十五億人。この認識で間違いございませんでしょうか」


「ああ」


 王はすぐに答えた。


「五十四か国から保護された十四億人については確認が取れている。清算された国家から移った者については推計二十一億。合わせて三十五億ほどだろう」


「教導については?」


「報告を受けている」


 王は机の書類へ目を向けた。


「アルデバラン国民三十五億人への教導は完了している」


「陛下は、教導をどのようなものだとお考えでしたか?」


 王が公爵を見る。


「読み書き、計算、職業訓練。それに魔法の教育も含まれているのだろう?」


「私も同じように考えておりました」


「違うのか?」


「本日、その認識を改めました」


 公爵が娘を見る。


「アリッサ」


「はい」


 アリッサが一歩前へ出た。


「陛下。私は第78アルデバラン王国で教導を受けました」


「お前が?」


「はい」


「何を教わった?」


「ご覧いただくのが早いかと存じます」


 アリッサは自分へ指先を向けた。


「ピュリフィケーションバレット」


 放たれた魔法が自分の身体へ当たる。


「今のは?」


「浄化魔法です」


 続いてアリッサの身体が床から浮いた。


 王だけでなく、宰相と軍務を預かる重臣も目を見開く。


 アリッサはその場で静止した後、ゆっくり床へ降りた。


「飛行も使えます。他には六属性魔法、鑑定、索敵を習得しました」


「待て」


 王が手を上げた。


「第78へ向かう前から使えたのか?」


「いいえ」


「どれほど訓練した?」


「数日です」


 室内が静まり返った。


「数日……」


「はい」


 王は公爵を見る。


「ローゼンクランツ」


「私も先ほど、この目で確認いたしました」


 王は机の上にあった報告書を引き寄せた。


 そこには簡潔に記されている。


 三十五億人、教導済み。


「まさか」


 王の視線がアリッサへ戻った。


「三十五億人が、お前と同じだと言うつもりではないだろうな?」


「そこまでは確認できておりません」


 公爵が答えた。


「分かっている事実は、アルデバラン国民約三十五億人が教導済みであること。そして外国人であるアリッサも、第78で教導を受け、短期間で今の能力を身につけたことです」


「三十五億人の教導内容が同じだという確認は?」


「ございません」


「ならば、そこは分けて考えるべきだな」


「はい」


 公爵も頷いた。


「ただし陛下」


 アリッサが口を開いた。


「三十五億人の中に、私が実際に能力を確認した方がいます」


「誰だ?」


「ロルフという料理人です」


「料理人?」


「はい。ガルテェニカ王国で奴隷だった方です。アルデバランに保護された後、本国で教導を受け、現在は料理人をしています」


 王の指が報告書の上で止まった。


「その男も、この三十五億人の一人なのだな?」


「はい」


「教導を受ける以前から戦士だったのか?」


「いいえ。少なくとも、そのような経歴は聞いておりません」


「では、どの程度戦える?」


「私と二人で、レッサードラゴン五十体ほどを同時に狩りました」


 沈黙が落ちた。


 軍務を預かる重臣が最初に反応した。


「五十体?」


「はい」


「一体ずつではなく?」


「同時です」


「……料理人が?」


「はい」


 王は何も言わなかった。


 視線だけが、三十五億人と記された報告書へ戻る。


 ロルフは特別に選ばれた騎士ではない。


 英雄でもない。


 アルデバランが保護した元奴隷であり、今は料理人として暮らしている。


 その男が教導を受けた結果を、アリッサは自分の目で見ている。


「もう一つございます」


 公爵が続けた。


「アリッサはアルデバラン国民ではありません」


「分かっている」


「公爵令嬢として教導を受けたわけでもございません」


 王が顔を上げた。


「どういう意味だ?」


「私は第78で身分を隠しておりました」


 アリッサが答える。


「向こうから見れば、私は外国から来たCランク冒険者です」


「それでも教導を?」


「はい」


「身元の確認は?」


「公爵令嬢であることは知られていません」


「特別な許可は?」


「ありませんでした」


「アルデバランへの忠誠を求められたか?」


「いいえ」


 王は椅子へ深く腰を下ろした。


 三十五億人が教導済み。


 その中に、教導によって高い戦闘能力を得た料理人が実在する。


 さらに、その教導はアルデバラン国民だけに閉じられていない。


 外国から来たCランク冒険者にも行われている。


「ローゼンクランツ」


「はい」


「三十五億という数字だけを見ていた我々の方が、間違っていたのかもしれんな」


「私もそう考えます」


「兵士が何人いるかを調べても意味がない」


 軍務を預かる重臣も否定しなかった。


 王は報告書を置いた。


「まず知る必要がある」


「何をでしょう?」


「アルデバラン国民とは、何なのだ」


 その問いに答えられる者は、まだシュタインフェルト王国にはいなかった。




「アルデバラン国民とは、何なのだ」


 シュタインフェルト王の問いに、すぐ答えられる者はいなかった。


 ローゼンクランツ公爵にも分からない。


 分からないからこそ、娘が持ち帰った情報を急いで王へ伝えた。


「陛下。もう一つ見ていただきたいのは、三十五億人をどうやって生活させているのかという点です」


「食料か?」


「食料だけではございません。住居、衣服、水、衛生、仕事、物流。三十五億人を受け入れ、教導したとしても、生活が成り立たなければ国家として維持できません」


 王の視線がアリッサへ向いた。


「第78はどうだった?」


「豊かでした」


 アリッサは迷わず答えた。


「食料は?」


「豊富です」


「価格は?」


「むしろ安価だと感じました。どの店も品数が豊富で、食料が不足しているようには見えませんでした」


 王の眉が動いた。


「品数まで豊富なのか?」


「はい。市場だけではありません。私が見た店では、商品が不足しているという印象そのものがありませんでした」


「治安は?」


「良好です」


「街は?」


「清潔でした」


「大量の民を急いで受け入れた混乱は?」


「少なくとも、私が見た第78にはありませんでした」


 王は公爵を見る。


「第78だけが特別という可能性はあるな」


「ございます」


 公爵も即座に認めた。


「アリッサが見たのは一国だけです。他のアルデバラン王国も同様だと断定することはできません」


「だが、三十五億人への教導は完了している」


「はい」


 王は腕を組んだ。


「教導だけ終わらせて、民を飢えさせているとも考えにくいか」


「少なくとも、それを示す情報は入っておりません」


「それどころか第78では、安価で品数まで豊富だった」


「はい」


 軍務を預かる重臣が口を開いた。


「陛下。問題は軍事力だけではないのでは?」


「私もそう思い始めている」


 王は三十五億人と書かれた資料を見る。


「三十五億人を教導できる。それだけの人口へ食料を供給し、仕事を与え、生活を成立させている」


 公爵が続ける。


「さらにゴーレムも使われております」


「軍用か?」


 王がアリッサへ尋ねた。


「私が見たものは違います。荷物を運ぶなど、普通の仕事に使われていました」


「普通の仕事……」


「はい」


 王は小さく息を吐いた。


「軍事力を調べていたのが馬鹿らしくなってくるな」


「無意味ではございません」


 公爵が答えた。


「ですが、それだけではアルデバランを測れません」


「そうだな」


 王は大陸地図へ目を向けた。


 百三十のアルデバラン王国。


 総人口約三十五億人。


 教導済み。


 その一人である元奴隷の料理人が、レッサードラゴンを狩る。


 外国から来たCランク冒険者にも教導する。


 そのうえ、街には商品が溢れ、価格は安く、治安も良い。


「これだけの国が隣にある」


 王が呟いた。


「はい」


「潜在的な脅威として見ない方がおかしい」


 公爵も否定しなかった。


 アルデバランが敵だからではない。


 敵になった場合を想定できないほど、力の規模が違うからだ。


「だが妙だ」


 王は地図を見たまま続けた。


「これほどの力を持ちながら、五十四か国を征服していない」


「はい」


「百を超える国が清算しても、その領土を奪ったという報告もない」


「ございません」


「民は保護する」


「はい」


「教導する」


「はい」


「犯罪者には対処する」


「その情報も入っております」


「だが王座は奪わない。国策にも口を出さない」


 王は首を傾げた。


「何がしたいのだ?」


 アリッサにも答えられない。


 第78で見た人々は、ごく普通に暮らしていた。


 商人は商売をする。


 料理人は料理をする。


 冒険者は魔物を狩る。


 そこに大陸を征服しようという熱気など感じなかった。


「アリッサ」


「はい」


「第78で、他国を敵視するような話を聞いたか?」


「いいえ」


「シュタインフェルトについては?」


「特に聞いておりません」


「大陸統一を目指しているという話は?」


「ありませんでした」


 王はしばらく黙った。


「ならば、なおさら分からん」


 公爵が静かに口を開く。


「陛下。分からないまま判断することだけは避けるべきかと」


「ああ」


 王は即答した。


「我々が掴んでいる情報は古い。しかもアルデバランについては、従来の国家を見る物差しそのものが役に立たん」


「はい」


「使節を出して調べさせるか」


 宰相の言葉に、王は少し考えた。


 だが、やがて首を振る。


「いや」


「では?」


「私が行く」


 アリッサが顔を上げた。


「陛下自らですか?」


「ああ」


「危険ではございませんか?」


「だから行く」


 王は三十五億人と書かれた資料を持ち上げた。


「三十五億人を教導できる国家が隣にある。その国が敵意を持てば、使節一人を送ったところで何の備えにもならん」


 資料を机へ戻す。


「逆に敵意がないのなら、こちらが勝手に怯え、軍を増やし、国境を固める方が危険だ」


 公爵が深く頷いた。


「同意いたします」


「それに使節を送り、帰国を待ち、報告書を作らせる間にも状況は変わる」


 229話で突きつけられた問題だった。


 情報が届いた時には、もう古い。


「ならば、自分で見る」


 王は立ち上がった。


「街を見る。民を見る。市場を見る。教導を見る。そして、アルデバランを治める王と話す」


「同行いたします」


 公爵が即座に答えた。


「頼む」


 王はアリッサを見る。


「お前にも来てもらう」


「承知いたしました」


「第78を知る者がいた方がいい。それに――」


 王はわずかに笑った。


「外国から来たCランク冒険者にまで教導する国なら、我々が訪ねても門前払いにはされんだろう」


 アリッサも小さく笑った。


「おそらくは」


 シュタインフェルト王は大陸地図の前に立った。


 百三十のアルデバラン王国。


 三十五億人。


 その数字を恐れているだけでは、何も分からない。


 隣国が何者なのか。


 何を考え、何を望んでいるのか。


 それを自分の目で確かめる。


 シュタインフェルト王は、アルデバランへ向かうことを決めた。






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