208 選択
アデレード王国には、まだ七人が残っていた。
最後まで鑑定を続けた結果、犯罪歴が確認されなかった七人だった。
アルデバラン王国への保護を拒否し、自分たちの土地に残ることを選んでいる。
犯罪歴がない以上、騎士団が処理する理由はない。
本人たちが残ると言うなら、その選択も尊重していた。
だが、状況は作戦前とは完全に変わっている。
アイクは騎士団員を七人のもとへ向かわせた。
「もう一度だけ確認してこい」
「御意」
「今の状況を全部説明しろ。その上で本人たちに決めさせろ」
騎士たちが転移した。
◇
同じ頃。
アルデバラン王国で拘束されていた二十人の捕虜が、牢から出された。
アデレード王国から使節を装って送り込まれた者たち。
目的は諜報活動。
結婚を利用してスパイを国内へ潜り込ませる計画も、イメルダ夫人の尋問ですでに明らかになっている。
二十人全員の鑑定も終わっていた。
全員、犯罪歴あり。
彼らの前にアイクが立った。
「お前たちに知らせることがある」
二十人がアイクを見る。
「アデレード王国は滅亡した」
一瞬、誰も反応しなかった。
やがて一人が笑った。
「何を馬鹿なことを」
「事実だ」
「我が国には四千万人がいる!」
「いた」
「そんな国が数日で滅びるものか!」
「そう思うなら見せてやる」
アイクは騎士たちを見る。
「連れて行け」
◇
二十人が転移した。
次の瞬間、彼らはアデレード王国の王都に立っていた。
誰もいない。
「……何だ?」
男が周囲を見る。
建物は残っている。
道もある。
王城も見える。
だが、人がいなかった。
「今日は何かあるのか?」
返事はない。
騎士たちは二十人を連れて移動する。
市場。
誰もいない。
騎士団施設。
誰もいない。
武器庫は空だった。
厩舎にも馬はいない。
王城へ入る。
そこにも人はいなかった。
「陛下は?」
誰も答えない。
「王妃様は?」
沈黙。
「王子殿下はどこだ!」
アイクが答えた。
「処理した」
二十人が振り返る。
「王族は鑑定した。犯罪歴が確認された者は全員処理した」
「貴族は?」
「同じだ」
「騎士団は?」
「同じ」
「民はどうした!」
「保護が必要な者は保護した」
アイクは淡々と説明した。
「奴隷、娼婦、孤児、子ども奴隷。約二千万人」
二十人の表情が変わる。
「一般の民にも鑑定と念話で意思を確認した。約一千万人が保護を希望した」
「では残りは……」
「一人ずつ鑑定した」
アイクは少し間を置いた。
「犯罪歴が確認された者は処理した」
「全員だと?」
「七人だけ犯罪歴のない者が残った」
二十人が言葉を失った。
アイクは周囲を見渡す。
四千万人が暮らしていた王都。
音がない。
人の声もない。
馬車も走っていない。
店も開かない。
「お前たちもここへ残ることはできる」
二十人がアイクを見る。
「何?」
「選ばせてやると言っている」
アイクは続けた。
「ここに残るか、アルデバラン王国へ戻るか」
「戻ればどうなる?」
「王国法で裁く」
二十人はすでに鑑定されている。
犯罪歴も確認済み。
さらにスパイとしてアルデバラン王国へ侵入しようとした事実も、自白によって確定していた。
「判決は?」
「処刑だろうな」
アイクは隠さなかった。
「なら残るに決まっている!」
一人が叫んだ。
「そうか」
アイクは止めなかった。
「ただし、考えてから決めろ」
男が黙る。
「お前たち二十人で、ここで生きていけるか?」
「畑がある!」
「誰が耕す?」
「俺たちでやる!」
「種は?」
「探せばある!」
「農具が壊れたら誰が直す?」
返事が止まった。
「服は?」
「……」
「塩は?」
「……」
「病気になったら?」
誰も答えない。
「冬を越す準備は? 家畜は? 物流は? 薬は?」
アイクは脅しているわけではなかった。
事実を並べているだけだった。
「馬三千万頭も保護した。もうこの国にはいない」
二十人が周囲を見る。
「お前たちは二十人だ」
四千万人で維持していた国に、二十人。
「俺は残るなとは言わん」
アイクは二十人を見る。
「死ぬために残るのも、お前たちの選択だ」
そして告げた。
「王国へ戻れば法で裁かれる。ここに残れば、二十人で生きていかなければならない」
どちらを選んでも、アイクが決めることではない。
「選べ」
二十人は初めて、誰もいなくなった自分たちの国を見回した。
二十人は、すぐには答えなかった。
目の前には見慣れた王都がある。
建物もある。
井戸もある。
王城も残っている。
倉庫もある。
だが、人がいない。
四千万人が暮らしていた国に、自分たち二十人だけが残る。
「食料はある」
一人が言った。
「倉庫を探せば相当な量が残っているはずだ」
「あるだろうな」
アイクは否定しなかった。
「なら生きていける」
「しばらくはな」
その言葉で男が黙った。
「倉庫の食料は減る。腐るものもある。食べ尽くせば終わりだ」
「作ればいい」
「何を?」
「麦でも野菜でもだ」
「二十人で?」
「自分たちが食う分くらいなら作れる!」
「できるかもしれんな」
アイクはまた否定しなかった。
「では――」
「種を選べるのか?」
「……」
「畑を維持できるのか。農具を作れるのか。壊れた道具を直せるのか」
誰も答えない。
アイクは責めているわけではなかった。
「俺たちにはできん」
二十人が顔を上げた。
「俺は騎士だ。農業については農民の方が詳しい。服なら職人だ。薬なら薬師だ。建物なら大工だ」
一人で何でもできる者など、そうはいない。
だから人は役割を分けて暮らしている。
「お前たち二十人の中に、それが全部いるのか?」
沈黙が続いた。
彼らはスパイとして送り込まれた者たちだ。
農民でもなければ、鍛冶職人でもない。
医者でもない。
アイクが王都を見る。
「この町は残っている」
立派な建物も残っている。
「だが、町を町にしていた人間はいない」
二十人は何も言えなかった。
◇
その頃、七人のもとへ向かった騎士たちも、同じ説明をしていた。
七人は小さな農村に残っていた。
「本当に誰もいないのか?」
一人の老人が尋ねた。
「はい」
「隣村は?」
「いません」
「町は?」
「いません」
「王都も?」
「現在、別件で二十人を連れて行っていますが、元々残っていた住民はいません」
老人が黙る。
七人は犯罪歴がなかった。
だから処理されなかった。
そして最初の意思確認では、ここに残ると答えた。
「畑はある」
「あります」
「家もある」
「あります」
「なら暮らせるだろう」
騎士は頷いた。
「今すぐなら」
「今すぐ?」
「塩はどこで手に入れます?」
老人の顔が変わる。
「町で……」
「その町には誰もいません」
「なら取りに行けばいい」
「なくなった後は?」
老人は答えなかった。
別の男が尋ねる。
「馬は?」
「全頭保護しました」
「一頭も?」
「いません」
「牛は?」
「確認します」
騎士は念話で問い合わせる。
必要なら家畜についても保護状況を確認すればいい。
「いずれにしても、今までと同じ生活はできません」
騎士は七人を見る。
「我々は残るなとは言いません」
最初の選択を否定するつもりもなかった。
「ただ、あの時と今では状況が違います」
七人が周囲を見る。
確かに静かだった。
隣家には誰もいない。
道を歩く者もいない。
子供の声もしない。
「もう一度選んでください」
騎士が言った。
「ここに残りますか。それとも保護を希望しますか?」
七人は相談を始めた。
◇
王都では、二十人の捕虜がまだ迷っていた。
一人がアイクに尋ねる。
「七人いると言ったな」
「ああ」
「なら我々と合わせれば二十七人だ」
「そうだな」
「二十七人なら――」
「七人がお前たちと暮らすと言ったのか?」
男が止まった。
「言っていない」
アイクは続ける。
「そもそも、お前たちは犯罪者だ」
二十人の表情が硬くなる。
「犯罪歴のない七人に、お前たちと暮らせとは言えん」
「……」
「七人には七人の選択がある」
それで話は終わった。
しばらくして、アイクへ念話が入った。
『団長』
「どうした?」
『七人の意思確認が終わりました』
「どうするそうだ?」
『全員、保護を希望しています』
「分かった」
アイクは少しだけ安心した。
『保護しろ』
『御意』
これでアデレード王国に残る元住民はいなくなった。
残っているのは、連れてきた二十人の捕虜だけ。
アイクは彼らを見る。
「七人は保護を選んだ」
二十人の顔色が変わった。
「これで本当に、お前たちだけだ」
風が誰もいない通りを抜けていく。
店も開かない。
夕方になっても家々に明かりは灯らない。
二十人はようやく理解し始めていた。
ここに残るということは、自由になることではない。
社会そのものが消えた場所で、自分たちだけで生きるということだった。
アイクは急かさなかった。
「考えろ」
選択肢は示した。
状況も説明した。
あとは彼ら自身が選ぶことだった。
二十人は誰もいない王都に残された。
もちろん拘束は解かれていない。
逃亡を防ぐため、周囲にはステルス状態の騎士たちがいる。
だが、アイクは答えを急がせなかった。
自分たちが置かれた状況を理解する時間が必要だと考えたからだ。
四千万人が暮らしていた王都。
通りには誰もいない。
店も閉まっている。
馬車も通らない。
兵士もいない。
市場へ行けば商品は残っている。
家々にも家具や生活用品が残されている。
倉庫を探せば食料も見つかる。
今夜を生きるだけなら、何の問題もなかった。
だが、明日は。
一カ月後は。
一年後は。
二十人はそれを考え始めていた。
「井戸は使える」
一人が言った。
「ああ」
「食料もある」
「ある」
「家も好きなだけ使える」
「そうだ」
別の男が周囲を見る。
「なら、しばらくは暮らせる」
「しばらくはな」
誰も、その先を言わなかった。
一人の女が口を開く。
「病気になったら?」
返事がない。
「薬を探せばいい」
「どの薬を使うの?」
「……」
「薬師はいないのよ」
別の男が言う。
「本を探せば分かる」
「読んだだけで薬師になれるなら、誰も苦労しないでしょう」
また沈黙した。
少し離れた場所で、アイクはその会話を聞いていた。
口は挟まない。
自分たちで考えさせた。
◇
しばらくすると、二十人は王都を歩き始めた。
騎士たちも同行する。
市場へ入る。
肉が残っている。
魚もある。
だが、すでに傷み始めているものもあった。
「これは食えないな」
「捨てるしかない」
「誰が捨てる?」
全員が黙った。
今までなら誰かがやっていた。
市場を掃除する者。
ごみを運ぶ者。
水路を管理する者。
井戸を修理する者。
建物を直す者。
道を補修する者。
その誰もいない。
王城へ行けば、豪華な部屋はいくらでもある。
金貨も宝石も残っている。
一人の男が金貨を拾った。
「これだけあれば……」
そこで言葉が止まった。
金貨を見つめる。
「誰に払うんだ?」
誰かが言った。
男は金貨を置いた。
金があっても、売る者がいない。
宝石があっても交換する相手がいない。
王城にある財宝の多くが、二十人にとって何の役にも立たなくなっていた。
「国がなくなるって、こういうことなのか」
女が呟いた。
アイクは答えなかった。
◇
夕方になった。
王都は暗かった。
家々に明かりが灯らない。
二十人がいる場所だけに、小さな明かりがある。
静かだった。
静かすぎた。
「七人は行ったんだな?」
一人がアイクへ尋ねた。
「ああ」
「どこへ?」
「保護先だ」
「アルデバラン王国か?」
「受け入れ先はいくつもある。本人たちの希望も聞く」
男が俯いた。
「我々も行けば?」
「裁判を受けてもらう」
「助からないのか?」
「俺に聞くな。俺は裁判官ではない」
「だが、処刑だと言った」
「おそらくな」
アイクは誤魔化さなかった。
二十人はスパイとしてアルデバラン王国へ入り、工作を行おうとしていた。
鑑定でも犯罪歴が確認されている。
イメルダ夫人による尋問で証言も得ていた。
「ここに残れば裁かれない?」
「アルデバラン王国ではな」
男が顔を上げる。
「なら――」
「生きられると思うなら残ればいい」
アイクは止めなかった。
「俺たちは食料を置いていかない。教師も置かない。医者も置かない。騎士も残さない」
「……」
「お前たちが選んで残るなら、お前たちだけで生きろ」
男は何も言えなくなった。
アイクは空を見る。
日が沈もうとしていた。
「今夜中に決めろとは言わん」
「いつまでだ?」
「自分たちで答えが出るまで考えろ」
アイクは二十人を見る。
「ただし、時間が経てば何かが良くなると思うな」
誰かが助けに来ることはない。
アデレード王国の軍もない。
王族もいない。
周辺の領主もいない。
他国へ救援を求める使者を出す馬すらいない。
それでも残ることはできる。
アイクはその選択を奪わなかった。
◇
夜。
二十人は誰も眠れなかった。
風の音だけが聞こえる。
遠くから人の声が聞こえることもない。
一人の女が小さく言った。
「私、帰る」
「帰るってどこへだ?」
「アルデバラン王国」
「処刑されるぞ」
「分かってる」
女は膝を抱えた。
「でも、ここで少しずつ死ぬのは嫌」
誰も笑わなかった。
しばらくして別の男が言った。
「俺もだ」
また一人。
「……俺も」
それを聞いても、アイクは何も言わなかった。
まだ二十人全員の答えではない。
最後まで、自分たちで選ばせる。
それが彼らに残された、最後の選択だった。
朝になった。
二十人はほとんど眠っていなかった。
夜が明けても、王都に人の気配は戻らない。
市場へ商品を運ぶ荷車も来ない。
店を開ける商人もいない。
通りを掃除する者もいない。
朝食を作る使用人もいない。
昨日まで当たり前だと思っていたものが、何一つ始まらなかった。
一人の男が井戸から水を汲んだ。
「水はある」
誰も答えない。
水があるから何なのか。
それだけでは暮らせないことを、一晩で嫌というほど考えた。
昨夜、アルデバラン王国へ戻ると言った女がアイクを見る。
「私は決めました」
「そうか」
「戻ります」
アイクは理由を聞かなかった。
本人が選んだ。
それで十分だった。
「他は?」
一人の男が手を挙げる。
「俺も戻る」
「私も」
「……俺もだ」
次々と答えが出る。
だが、全員ではなかった。
五人が黙っていた。
アイクは急かさない。
「残るのも自由だ」
五人のうち一人が尋ねた。
「本当に置いていくのか?」
「ああ」
「食料も?」
「ここに残っているものは好きに使えばいい」
「武器は?」
「没収した」
「馬は?」
「保護した」
「……」
男が俯いた。
「他国へ行くことは?」
「自分の足で行くなら止めん」
「どれくらいかかる?」
「どの国へ行くかによる」
「途中に村は?」
「この国の中には誰もいない」
それが大きかった。
途中で食料を買うこともできない。
宿に泊まることもできない。
道を聞く相手もいない。
怪我をしても助けを呼べない。
「他国に着けば?」
「それはその国が決めることだ」
「アルデバラン王国から話を通してくれないのか?」
「何のために?」
男が言葉に詰まる。
「お前たちはアルデバラン王国へスパイとして入った。その俺たちに、逃亡先を紹介してほしいのか?」
「……」
「それは無理だ」
アイクは淡々と答えた。
◇
さらに時間が過ぎた。
残っていた五人のうち、二人が戻ることを選んだ。
残り三人。
「俺は残る」
一人の男が言った。
アイクは頷く。
「分かった」
止めない。
「本当にいいのか?」
「お前が決めたんだろう?」
「ああ」
「なら残ればいい」
男の方が戸惑った。
引き止められると思っていたのかもしれない。
アイクは他の二人を見る。
「お前たちは?」
「……まだ決められない」
「そうか」
また待った。
アイク自身にも、なぜ彼らがここまで迷うのか完全には理解できなかった。
処刑される可能性が高い場所へ戻る。
誰もいない国に残る。
どちらも選びたくないのだろう。
だが、第三の選択肢をアイクが作ってやる理由はなかった。
◇
昼になった。
残ると言った男が、一人で王都を歩いていた。
好きな家を使える。
王城に住んでもいい。
金貨も宝石も好きなだけ持てる。
食料も残っている。
だが、すれ違う者が一人もいない。
何を手に入れても、見せる相手すらいなかった。
男は市場で足を止めた。
腐り始めた食材の臭いが強くなっている。
誰も片付けない。
明日はもっと酷くなる。
数日後には、自分で片付けなければならない。
水路が詰まれば自分で直す。
屋根が壊れれば自分で直す。
井戸に問題が起きれば自分で直す。
病気になれば自分で治す。
何もかも自分でやる。
「……無理だ」
男はようやく呟いた。
アイクのもとへ戻った。
「戻る」
「そうか」
それだけだった。
残ると言った選択を責めない。
選び直したことも責めない。
状況を見て考えた結果だった。
残り二人も、その日のうちに答えを出した。
「戻ります」
「俺もだ」
「分かった」
これで二十人全員だった。
◇
転移でアルデバラン王国へ戻る。
二十人は再び捕虜となった。
アイクは部下へ命じる。
「拘束しておけ。裁判の準備を」
「御意」
一人がアイクを見た。
「本当に裁判をするのか?」
「ああ」
「結果は分かっているんだろう?」
「だからといって、裁判を省く理由にはならん」
犯罪歴。
スパイ行為。
尋問記録。
証拠は揃っている。
それでも王国法に従って裁く。
「お前たちは選んだ」
アイクは言った。
「残ることもできた」
二十人は否定しなかった。
「考えて、見て、それでも戻ると決めた」
その選択と、犯した犯罪の責任は別だった。
◇
アイクは教導管理システムを確認した。
最後まで残留を希望していた七人。
全員、保護済み。
アデレード王国から送り込まれた捕虜二十人。
全員、帰還を選択。
裁判待ち。
そして広域索敵の結果。
アデレード王国領内。
残存人口、ゼロ。
アイクは端末を閉じた。
誰かに残れと命じたわけではない。
誰かに出ていけと命じたわけでもない。
選ぶために必要な情報を示した。
七人は生きるために保護を選んだ。
二十人は裁かれると知った上で、それでも戻ることを選んだ。
選択した結果が望んだものになるとは限らない。
それでも最後に決めるのは、自分自身だった。




