207 残った疲れ
アイクたちは疲れ切っていた。
アデレード王国での作戦を終え、王都へ帰還した。
風呂にも入った。
食事も取った。
十分に眠った。
それでも疲れが取れなかった。
身体が重いわけではない。
魔力が減っているわけでもない。
魔力循環を続けているため、魔力そのものは満ちている。
それなのに、何もする気になれなかった。
アイクは執務室の椅子に座ったまま、端末を眺めていた。
アデレード王国。
人口四千万人。
三千万人を保護。
残った一千万人を鑑定。
犯罪者。
処理。
次も犯罪者。
処理。
さらに次も犯罪者。
処理。
最後まで、それが続いた。
「……何だったんだ、あの国は」
呟いても答えは出ない。
しばらくすると、アッシュが入ってきた。
「まだ見てたのか」
「ああ」
「もう終わったぞ」
「分かってる」
アッシュが向かいの椅子へ座った。
いつもの軽さがなかった。
「寝たか?」
「寝た」
「俺もだ」
「疲れは?」
「取れん」
「俺もだ」
二人とも黙った。
やがてロックウェルも入ってきた。
「いたのか」
「お前もか」
「ああ」
三人になった。
誰も仕事を始めない。
端末を開いているだけだった。
アッシュが口を開く。
「なあ」
「何だ」
「あんな国、本当に存在できるのか?」
アイクは答えられなかった。
実際に存在していた。
だから、存在できるのかと聞かれても困る。
「四千万人だぞ」
アッシュが続ける。
「そのうち二千万人が奴隷、娼婦、孤児、子ども奴隷だった」
「ああ」
「一般の民も一千万人保護した」
「ああ」
「残った一千万人を鑑定した」
そこで言葉が止まる。
ロックウェルが続きを言った。
「一人くらいいると思ってた」
「俺もだ」
アイクも同じだった。
百万人を処理した頃には、まだそう思っていた。
三百万人。
五百万人。
それでも、どこかで犯罪歴のない者が出てくると思っていた。
八百万人を超えた。
残り二百万人。
そこからも変わらなかった。
「最後の千人になった時は?」
ロックウェルが聞く。
「さすがにいると思った」
「俺もだ」
「俺も」
三人とも同じだった。
だが、いなかった。
最後の一人まで犯罪歴があった。
アイクは端末を閉じた。
「分からん」
「何が?」
「どうやったら、あんな国になる」
誰も答えなかった。
最初から一千万人の犯罪者が集まって国を作ったわけではないはずだ。
子供として生まれた者もいる。
普通に育った者もいる。
農夫もいた。
職人もいた。
商人もいた。
文官もいた。
兵士もいた。
それが、なぜ最後にはこうなったのか。
「悪い王がいたからか?」
アッシュが言った。
「それだけで一千万人になるか?」
ロックウェルが返す。
「なら貴族か?」
「貴族だけでも無理だ」
「犯罪組織?」
「それも一部だろう」
一つずつ原因らしいものを挙げても、説明にならなかった。
アイクは考える。
「何かが繋がってたんだろうな」
「何かって?」
「分からん」
だから疲れていた。
敵が強かったわけではない。
戦闘で苦戦したわけでもない。
負傷者もいない。
魔力切れもない。
作戦そのものは成功した。
三千万人を保護した。
奴隷も解放した。
子供たちも助けた。
それなのに達成感がなかった。
「もう一回やれと言われたら?」
アッシュが聞いた。
アイクは少し考えた。
「やる」
「俺もだ」
ロックウェルも頷く。
「俺もやる」
そこだけは三人とも迷わなかった。
必要なら、またやる。
見つけてしまった以上、放置するという選択肢はなかった。
だが、理解できるかどうかは別だった。
アイクは窓の外を見る。
「何故あんな国が存在できるんだろうな」
誰も答えなかった。
三人はただ黙っていた。
身体は休んだ。
魔力も満ちている。
それでも、疲れだけが残っていた。
アイクだけではなかった。
作戦に参加した騎士たちにも、同じような疲れが残っていた。
負傷者はいない。
魔力切れを起こした者もいない。
魔力循環を続けているため、身体そのものは問題なく動く。
それでも騎士団の空気は重かった。
食堂では、いつもなら聞こえる笑い声が少ない。
食事は普通に食べている。
酒を飲んでいる者もいる。
だが、会話が続かなかった。
「何人だった?」
一人の騎士が尋ねた。
「俺の担当か?」
「ああ」
「十七人」
「全部?」
「全部だった」
「そうか」
それだけで会話が終わった。
何の人数なのか説明する必要すらなかった。
別の卓でも似たような話がされている。
「俺は二十一人だった」
「俺は十四人」
「犯罪歴なしは?」
「いなかった」
「こっちもだ」
誰かがため息をついた。
六十万人で一千万人を見る。
一人の騎士が直接処理した人数だけなら、それほど多くはない。
だが、自分が担当した者を鑑定するたびに犯罪歴が表示された。
次も。
その次も。
さらに次も。
途中から、騎士たちは犯罪歴のない者が出ることを期待するようになっていた。
一人くらいいるだろう。
次は違うかもしれない。
そう思って鑑定する。
犯罪歴あり。
また次を見る。
犯罪歴あり。
最後まで、それが続いた。
◇
ガイルたち四十七人も同じだった。
冒険者ギルドへ戻っても、普段の調子には戻らなかった。
ガイルは酒を一口飲んでから、杯を置いた。
「美味くないな」
「酒が?」
「いや」
向かいにいた仲間が意味を察した。
「俺もだ」
しばらく誰も話さなかった。
「三千万人は助かったんだよな」
「ああ」
「だったら成功だろ?」
「成功だ」
それは間違いない。
二千万人の奴隷、娼婦、孤児、子ども奴隷を保護した。
さらに一般の民一千万人が、自分の意思で移住を選んだ。
三千万人。
助けた人数だけを見れば、とてつもない成果だった。
「なのに何でこんな気分になるんだ?」
「知らん」
誰にも分からなかった。
ガイルは杯を見つめる。
「俺さ」
「何だ?」
「途中から、犯罪歴なしって出てくれって思ってた」
「ああ」
「俺もだ」
別の男も頷いた。
「処理したくないっていうより、一人くらい普通の奴が残っていてほしかった」
それだった。
残った一千万人。
その中にも、事情があって国を離れなかっただけの者がいると思っていた。
故郷を捨てたくない。
家を離れたくない。
土地に愛着がある。
そんな理由で残った者がいても不思議ではない。
だが、いなかった。
鑑定結果は最後まで変わらなかった。
◇
翌日。
アイクは再びアッシュ、ロックウェルと顔を合わせた。
「騎士団の様子は?」
ロックウェルが答える。
「良くはない」
「仕事に支障は?」
「ない。普通に動いている」
「なら休ませても意味がないか」
「昨日休ませた」
「そうだったな」
休息で取れる疲れではなかった。
アッシュが端末を操作した。
アデレード王国の記録が表示される。
「もう一度見た」
「何を?」
「犯罪歴だ」
アイクが顔を上げる。
「間違いがなかったか?」
「ああ」
「結果は?」
「変わらん」
鑑定結果。
処理記録。
過去の調査記録。
どれを照合しても同じだった。
「一千万人全員、犯罪歴あり」
ロックウェルが腕を組む。
「鑑定がおかしかった可能性は?」
「ない」
六十万人が使っている。
一人の鑑定結果だけを信用したわけではない。
必要なところでは複数人で再確認もしていた。
「じゃあ事実か」
「そうなる」
また三人が黙った。
アイクが言う。
「犯罪者が一千万人いたことより、俺は別のことが気になる」
「何だ?」
「どうやって一千万人まで増えた?」
アッシュが顔を上げた。
「最初からじゃない」
「ああ」
アデレード王国にも歴史がある。
一日であの状態になったわけではない。
「誰かが最初に何かをしたはずだ」
アイクは続ける。
「それを誰かが見た」
「止めなかった?」
「分からん。真似したかもしれん」
次の誰かも同じことをする。
それをまた別の誰かが見る。
いつしか、それが普通になる。
ロックウェルが呟いた。
「犯罪をしてない方がおかしい国になった?」
「そこまで言えるかは分からん」
アイクは首を振った。
「だから分からないんだ」
何が最初だったのか。
どこで止められたのか。
なぜ止まらなかったのか。
三人には答えが出なかった。
ただ一つだけ、分かることがあった。
あの一千万人は、突然現れたわけではない。
長い時間をかけて、あの国の中で生まれた。
アイクは椅子にもたれた。
「……気分が悪いな」
「ああ」
「同感だ」
戦えば勝てる。
魔物なら倒せる。
飢えている者なら食わせればいい。
教わっていない者なら教導すればいい。
だが。
国そのものが、どうやってあそこまで壊れたのか。
それだけは、まだ誰にも分からなかった。
アデレード王国で保護された三千万人は、すでに各地へ移されていた。
奴隷だった者。
娼婦だった者。
孤児。
子ども奴隷。
そして、自ら移住を選んだ一般の民。
受け入れ先では食事が用意され、住居が与えられた。
治療が必要な者には治癒。
汚れた衣服は浄化され、新しい服も渡された。
腹を空かせていた子供たちは食事を取った。
眠る場所もある。
明日になって追い出されることもない。
その光景を確認しても、アイクの疲れは消えなかった。
「三千万人は無事か」
「問題ない」
アッシュが答えた。
「受け入れ先からも報告が来てる。大きな混乱はない」
「そうか」
それならいい。
作戦の目的は達成している。
助けるべき者を助けた。
それでも、あの一千万人が頭から離れなかった。
◇
オーキスは三人を呼び出した。
会議ではなかった。
広い部屋にいたのは、オーキス、クレイン、バイオレットだけだった。
「座れ」
「御意」
アイク、アッシュ、ロックウェルが腰を下ろす。
オーキスは三人の顔を順番に見た。
「酷い顔だな」
「申し訳ありません」
「謝るな。責めているわけではない」
バイオレットも三人を見ていた。
「休めていないの?」
「休んでおります」
アッシュが答えた。
「眠れない?」
「眠れます」
「食事は?」
「食べています」
バイオレットが少し考える。
「それでも疲れているのね」
「はい」
身体の問題ではない。
それは三人にも分かっていた。
オーキスが尋ねる。
「まだ考えているのか?」
「はい」
「一千万人のことを?」
アイクが頷いた。
「理解できません」
「何がだ?」
「何故、あんな国が存在できたのかです」
オーキスは答えなかった。
アイクは続ける。
「悪人がいることは分かります。どこの国にもいるでしょう」
「ああ」
「犯罪組織が存在することも分かります」
「そうだな」
「腐敗した貴族や役人がいることも理解できます」
アイクはそこで言葉を止めた。
「ですが、一千万人です」
部屋が静かになる。
「最後まで鑑定しました」
「報告は読んだ」
「一人くらいはいると思っていました」
犯罪歴のない者。
故郷を離れたくなかっただけの者。
土地に愛着があって残った者。
そういう者が一人くらい残っていると思っていた。
「いませんでした」
オーキスが小さく頷く。
「そうだな」
「何故でしょう?」
「俺に聞くな」
アイクが顔を上げた。
オーキスは真面目な顔をしていた。
「俺にも分からん」
クレインも口を開く。
「私も記録を見直しました」
「何か分かりましたか?」
「いいえ」
即答だった。
「原因らしいものはいくらでも見つかります」
奴隷制度。
貧困。
腐敗。
犯罪組織。
身分制度。
人身売買。
暴力。
搾取。
「しかし、どれか一つを原因とすれば説明できるものではありません」
ロックウェルが尋ねる。
「全部が繋がった?」
「おそらくは」
クレインは断定しなかった。
「悪いことをして利益を得た者がいた。それを見た者が同じことをしたのかもしれない」
「止める者はいなかった?」
「いたでしょう」
クレインが答える。
「だから三千万人を保護できたのではありませんか?」
三人が黙った。
二千万人は自由を奪われていた。
一千万人は移住を選んだ。
彼らまで同じだったわけではない。
バイオレットが静かに言った。
「逆なのかもしれないわね」
「逆?」
「一千万人の犯罪者がいた国ではなくて」
アイクを見る。
「三千万人が、その一千万人のために苦しんでいた国だったのかもしれない」
誰もすぐには答えなかった。
同じ数字だった。
だが見え方が変わった。
四千万人のうち一千万人が犯罪者だった。
そう考えていた。
しかし、その裏には三千万人がいた。
奴隷にされた者。
売られた者。
搾取された者。
そこから離れることを選んだ者。
「……そうですね」
アイクがようやく答えた。
疲れが消えたわけではない。
理解できたわけでもない。
それでも、少しだけ見る場所が変わった。
オーキスが三人を見る。
「お前たちがやったことは変わらん」
三千万人を保護した。
「それだけは忘れるな」
アイクは頷いた。
「御意」
答えはまだ出なかった。
何故あんな国が生まれたのか。
それは分からない。
だが、少なくとも三千万人はもうそこにはいない。
その事実だけは、変わらなかった。
王宮を出ても、アイクたちの疲れが消えたわけではなかった。
ただ、バイオレットの言葉は残っていた。
三千万人が、一千万人のために苦しんでいた国。
そう考えれば、見え方は少し変わる。
だが、それでも疑問は残る。
なぜ一千万人もの人間が犯罪に関わるようになったのか。
なぜ途中で止まらなかったのか。
アイクには分からなかった。
◇
その日の午後。
アイクは騎士団本部へ戻った。
大広間には、作戦に参加した騎士たちが集まっていた。
六十万人全員が一つの場所に入れるわけではない。
各地の騎士とは念話を繋いでいる。
アイクは前へ出た。
「作戦は終了した」
返事はない。
「三千万人を保護した。受け入れも順調だ」
それでも空気は重かった。
アイクには理由が分かる。
「お前たちも疲れていると思う」
何人かが顔を上げた。
「俺もだ」
アッシュとロックウェルも隣に立っている。
「休んでも取れない」
騎士たちの間から、小さな笑いが漏れた。
笑うような話ではない。
だが、団長も同じなのだと分かっただけで、少し空気が緩んだ。
「陛下にも聞いた。宰相にも聞いた」
アイクは続ける。
「何故あんな国が存在できたのか」
騎士たちが静かに聞いている。
「分からなかった」
アイクは隠さなかった。
「俺にも分からない。陛下にも分からない。クレイン宰相にも分からなかった」
一人の騎士が手を挙げた。
「団長」
「何だ?」
「私も、最後には分からなくなりました」
「何がだ?」
「何を期待して鑑定しているのかです」
騎士は少し迷ってから続けた。
「最初は犯罪者を見つけるために鑑定していました」
「ああ」
「途中から違いました」
アイクには分かった。
「犯罪者ではない者を探していた?」
「はい」
何人もの騎士が頷いた。
「私もです」
「俺も」
「最後の方はずっとそうでした」
犯罪者を探していたはずだった。
いつの間にか、犯罪者ではない者が出てくることを願っていた。
だが出なかった。
「最後の一人まで犯罪者だった」
アイクが言う。
「それが事実だ」
誰も否定しない。
「だが、陛下たちと話して一つだけ見方が変わった」
三千万人。
「俺たちは一千万人を見過ぎた」
騎士たちが顔を上げる。
「三千万人を保護したんだ」
奴隷。
娼婦。
孤児。
子ども奴隷。
普通に暮らしていた民。
「その三千万人は今、飯を食っている」
アッシュが続けた。
「子供もな」
ロックウェルも言う。
「馬三千万頭も無事だ。治療も進んでいる」
今度は少しだけ、はっきりした笑いが起きた。
アイクも僅かに笑った。
「だからといって、一千万人を忘れろとは言わん」
忘れられるものでもない。
「分からないなら、分からないままでいい」
今の自分たちには答えがない。
無理に理由を作る必要もない。
「ただ、次に同じような国を見つけたらどうする?」
少し間があった。
一人の騎士が答えた。
「調べます」
「その後は?」
「保護します」
「犯罪者は?」
「鑑定します」
「結果が同じだったら?」
騎士は少し嫌そうな顔をした。
「……処理します」
今度は何人も苦笑した。
「嫌か?」
「嫌です」
「俺も嫌だ」
アイクは即答した。
大広間に笑いが広がった。
ほんの少しだけ、いつもの騎士団の空気が戻った。
「でも、やるんだろ?」
アッシュが聞く。
「やりますよ」
別の騎士が答える。
「見つけてしまったら仕方ないでしょう」
「そうだな」
アイクも頷いた。
見なければ楽だった。
知らなければ疲れることもなかった。
だが、知ってしまった。
助けを求める者がいると気付いた。
ならば、なかったことにはできない。
◇
解散後、アイクは騎士団本部を出た。
アッシュとロックウェルも一緒だった。
「少しは楽になったか?」
アッシュが尋ねる。
「少しな」
「俺もだ」
ロックウェルが空を見る。
「結局、答えは出なかったな」
「ああ」
「何故あんな国になったのか」
「分からん」
三人は歩き続ける。
だが、それでよかった。
分からないものを、分かったことにしない。
答えがないなら、次も見る。
何かがおかしいと気付いたなら、調べる。
そして助けられる者がいれば助ける。
アイクは足を止めなかった。
「帰るか」
「ああ」
「今日は飲むぞ」
「昨日も飲んだだろ」
「昨日は美味くなかった」
アッシュが笑う。
「今日は?」
アイクは少し考えた。
「昨日よりは美味いだろ」
三人はそのまま歩いていった。
答えは出なかった。
疲れも完全には消えていない。
それでも、明日になればまた見る。
気付いたことを、なかったことにしないために。




