202 4億人
王国騎士団本部。
アイクは会議室の大机に広げられた大陸地図を見つめていた。
すでに調査を終えた国は三十。
地図には、まだ二十の王国が残されている。
アルカディア王国。
ヴァルフレア王国。
クリスタリア王国。
セレスティア王国。
ディルムント王国。
ノースヴェイル王国。
フローリア王国。
ルミナス王国。
ガルドラ王国。
ミラージュ王国。
シャドウフェン王国。
アルビオン王国。
ヘリオス王国。
オルタニア王国。
クロノス王国。
アヴァロン王国。
ギルガルド王国。
エルドラド王国。
ネオ・ウルス王国。
ブリザード王国。
アイクは地図から顔を上げた。
「残り二十カ国を一気に調査する」
アッシュとロックウェルは驚かなかった。
これまでの調査で、騎士団は十分すぎるほど経験を積んでいる。
かつてなら、一国を調査するだけでも大事業だった。
今は違う。
索敵魔法がある。
飛行魔法がある。
念話がある。
鑑定がある。
転移がある。
そしてアイテムボックスがある。
何より、現場の騎士たち自身が判断できるようになっていた。
「二十万人を出す」
アイクの言葉に、アッシュが頷いた。
「一国一万人か」
「ああ。必要なら周辺部隊が即座に応援へ入る。だが、おそらく必要ない」
ロックウェルが地図を眺めながら口を開いた。
「問題は戦力じゃない。保護する人数だな」
「その通りだ」
アイクも同じことを考えていた。
敵を倒すことは、もはや難しくない。
問題は、その後だった。
誰を保護するのか。
誰が残ることを望むのか。
犯罪に関与した者をどう扱うのか。
何千万という人間の意思を確認しなければならない。
そこへ会議室の扉が開いた。
ポリー、スカーレット、レベル。
アメリア、アドリアーナ、クリスティ。
フェビー、レキシー、アビー、イザベラ。
保養を終え、すでに何度も調査任務を経験してきた十人だった。
「今回も参加します」
ポリーが告げる。
アイクは頷いた。
「頼む。お前たちには各部隊を回ってもらう。討伐より、判断の補助を優先してくれ」
「了解しました」
その後ろには、さらに人影があった。
三千人。
十三歳を迎えた孤児たちだった。
かつて保護され、学校で学び、大聖堂を清掃していた子供たち。
そして今では、各国からやってきた参謀たちに兵法を学ぶ弟子でもある。
アイクは三千人を見渡した。
「今回も来るのか」
一人の少年が答えた。
「はい。状況を見たいです」
「戦う必要はないぞ」
「分かっています」
別の少女が続ける。
「私たちは戦闘より、状況の整理をします」
アッシュが小さく笑った。
「十三歳に言われると妙な気分になるな」
「私もです」
アビーが苦笑する。
だが、誰も彼らを子供だからと軽く扱わなくなっていた。
前回の十カ国調査でも、三千人の提案は的確だった。
戦況を観察する。
情報を整理する。
優先順位をつける。
そして提案する。
決定するのは指揮官。
だが、その判断材料を作る能力については、すでに並の騎士を大きく上回っている。
アイクが告げた。
「今回も同じだ。見ろ。考えろ。気付いたことがあれば言え。ただし、最終判断は各部隊の指揮官が行う」
「はい!」
三千人の声が重なった。
ロックウェルが立ち上がる。
「では、部隊を分けよう」
二十万人の騎士が二十カ国へ向かう。
一国につき一万人。
ポリーたち十人は固定された一国に留まらず、念話と転移を利用して各部隊を巡回することになった。
三千人の孤児たちも分散する。
準備に長い時間は必要なかった。
騎士たちはすでに装備をアイテムボックスへ収納している。
食料もある。
水も作れる。
野営地すら必要ない。
出発の時刻になると、王都郊外へ二十万人が集まった。
かつてなら大軍だった。
補給だけで国家が傾きかねない人数である。
しかし今、荷馬車は一台もない。
補給部隊もいない。
馬すら必要なかった。
「出発する」
アイクの号令。
二十万人が一斉に浮かび上がった。
そして二十の方向へ分かれていく。
ポリーは飛行しながら眼下の騎士たちを見た。
「最初の頃とは、ずいぶん変わったわね」
隣を飛ぶスカーレットが答える。
「ええ」
レベルは前方を見たまま呟いた。
「でも、やることは変わらない」
その言葉に二人が頷く。
調べる。
見る。
意思を確認する。
助けを求める者を保護する。
悪事を続ける者は止める。
それだけだった。
やがて二十万人の騎士たちは、それぞれの国境へ到達した。
ポリーが念話を開く。
『各部隊、調査開始』
大陸最後の二十カ国。
その全てで、同時に鑑定と索敵が始まった。
二十カ国で、ほぼ同時に調査が始まった。
国境へ到達した騎士たちは地上へ降りることなく、ステルスを発動した。
一万人の姿が消える。
そのまま飛行して国境を越え、都市、農村、鉱山、農園、貴族領、王都へと散っていった。
関所も城門も関係ない。
索敵。
遠隔透視。
鑑定。
二十万人の騎士たちが、それぞれの担当区域で人々を調べていく。
鑑定結果は教導管理システムへ自動で登録される。
アルカディア王国。
担当部隊に同行していた十三歳の少女が、遠隔透視で東部一帯を確認していた。
「東に大きな施設があります」
騎士が確認する。
高い壁に囲まれた施設の中には、大勢の人々がいた。
「奴隷収容施設だな」
「北の鉱山と南の農園にも大勢います。西にも似た施設があります」
「分散して調べよう」
「はい」
騎士たちはさらに散開した。
鑑定するたびに情報が教導管理システムへ登録されていく。
氏名。
年齢。
出身地。
家族関係。
現在地。
犯罪歴。
二十カ国で二十万人が同時に鑑定している。
登録される情報は猛烈な勢いで増えていった。
一人の騎士が、収容施設の人々へ念話を繋いだ。
『突然申し訳ありません。アルデバラン王国の者です』
収容されていた人々が周囲を見回す。
だが、誰の姿も見えない。
『あなた方を保護するために来ました』
しばらく返事はなかった。
やがて、一人の男が恐る恐る応じる。
『……本当にアルデバラン王国なのか?』
『はい』
『俺たちを奴隷から解放してくれるのか?』
『そのために来ました』
男は黙った。
やがて、別のことを尋ねた。
『妻も探してくれないか。三年前に売られてから、どこにいるのか分からない』
『お名前は?』
男が妻の名を告げる。
騎士は教導管理システムで検索した。
数秒もかからなかった。
『見つかりました。南部の農園にいます。ご無事です』
『……え?』
『別部隊がすでに鑑定しています』
『本当に……生きているのか?』
『はい』
男から返事がなくなった。
やがて念話を通じて嗚咽が聞こえてきた。
それを聞いた周囲の人々から、次々と声が上がった。
『息子を探してくれ!』
『娘が王都へ売られた!』
『母は鉱山にいるはずだ!』
『弟とは十年前に離された!』
名前を聞く。
検索する。
すでに鑑定されていれば、すぐに所在が分かる。
別の国で見つかる者もいた。
『娘さんを確認しました』
『どこだ!?』
『クリスタリア王国です』
『そんな遠くに……』
『現地の部隊が確認しています。すぐに保護します』
男はその場に座り込んだ。
二十万人は別々に動いている。
だが、教導管理システムに登録された情報を検索すれば、別部隊が鑑定した人物も確認できた。
同行していた三千人の孤児たちも、状況を観察していた。
一人の少年が提案する。
「東部の六施設を同時に保護した方がいいと思います」
部隊長が少年を見る。
「理由は?」
「教導管理システムで家族関係を確認すると、この六施設の間で分断されている家族が多いです。同時に保護すれば、再会までが早くなります」
部隊長も確認した。
「採用する」
すぐに念話が飛ぶ。
『東部六施設、同時に保護を開始』
『了解』
確認を終えた人々が次々と保護されていった。
誰一人、残ることを望まなかった。
当然だった。
自分で奴隷になることを望んだ者などいない。
売られ、奪われ、家族と引き離され、逃げることすら許されなかった。
収容施設では監視役たちが騒ぎ始めていた。
「人がいない!」
「どこへ消えた!」
「門は開いていないぞ!」
壁も壊れていない。
侵入者の姿もない。
上空では騎士たちがステルスを維持したまま、監視役を鑑定していた。
「犯罪歴を確認」
「こちらもです」
「この五人は?」
「犯罪歴なし」
「なら対象外だ」
兵士だから討つのではない。
貴族だからでもない。
本人が何をしたのか。
それだけだった。
シャドウフェン王国。
スカーレットたちもステルスを維持したまま調査を続けている。
一人の少女が教導管理システムを確認して口を開いた。
「北部を優先した方がいいです」
「理由は?」
「北部から南部への奴隷の移送が増えています。こちらの動きに気付いた可能性があります」
スカーレットは遠隔透視で確認する。
「確かに増えてるわね」
「移送先は登録情報から追えます。でも、先に保護した方が早いです」
「採用します」
念話が各部隊へ飛んだ。
二十カ国。
二十万人の騎士。
三千人の少年少女。
城を攻める必要はなかった。
軍隊と戦う必要もない。
姿すら見せない。
鑑定する。
教導管理システムへ登録する。
検索する。
意思を確認する。
家族を探す。
保護する。
そして、鑑定で確認した悪人だけを処理する。
初日の夕刻。
各国から最初の集計が届いた。
アイクは数字を見て眉を寄せた。
「……多いな」
アッシュも集計を見る。
「まだ初日だぞ」
ロックウェルが大陸地図へ目を向けた。
「億では済まんな」
その予想すら甘かった。
二十カ国で保護された人々は増え続けた。
最終的に、その数は四億人に達することになる。
二十カ国での調査と保護は、その後さらに加速した。
最初の一日で騎士たちは各国の主要都市、鉱山、農園、奴隷収容施設をほぼ把握していた。
翌日からは地方へ広がる。
小さな村。
山間部の鉱山。
貴族の私有地。
地下施設。
人目につかない場所に隠されていた者たちまで索敵にかかった。
ステルスを使っている騎士たちを止められる者はいない。
姿を見せる必要もなかった。
鑑定。
教導管理システムへ自動登録。
検索。
念話による意思確認。
保護。
作業は二十カ国で同時に進んでいく。
アルビオン王国。
山中に造られた鉱山には、数十万人が集められていた。
騎士たちが鑑定を始めると、教導管理システムへ次々と情報が登録される。
一人の少年が検索結果を見て口を開いた。
「この人たちを先に保護した方がいいと思います」
部隊長が振り返る。
「理由は?」
「食事をほとんど与えられていません。衰弱している人が多いです」
部隊長も確認した。
「分かった。優先しよう」
念話を繋ぐ。
『アルデバラン王国の者です。これから皆さんを保護します』
鉱山の中で人々が動きを止めた。
『……アルデバラン?』
『はい』
『本当に来たのか』
その言葉に騎士が少し驚く。
『知っているのですか?』
『噂を聞いた。奴隷を連れていかず、解放する国があるって』
別の声が続いた。
『三十カ国から人が消えたって聞いたぞ』
『消えたのではありません。保護されています』
『同じことだ。ここから出られるなら何でもいい』
乾いた笑いが聞こえた。
騎士はそれ以上説明しなかった。
『家族を探してほしい方は、名前を教えてください』
声が一斉に返ってくる。
教導管理システムで検索する。
別の鉱山。
別の都市。
別の王国。
すでに登録されている者はすぐに見つかった。
『妻を確認しました』
『息子さんは保護済みです』
『お母様はルミナス王国で確認されています』
そのたびに泣き声が上がった。
少年が周囲を見回す。
「衰弱している人から先にお願いします」
「分かった」
保護が始まった。
人々が次々と安全な場所へ移される。
監督していた兵士たちは、目の前から奴隷が消えていく光景に混乱した。
「何が起きている!」
「出口を塞げ!」
「誰も通っていません!」
出口を塞いでも意味はなかった。
騎士たちはそこを通っていない。
その頃、ヘリオス王国ではアメリアたちが王都を調査していた。
アドリアーナが遠隔透視を使う。
「王都だけで相当いるわね」
クリスティが教導管理システムを確認する。
「周辺を含めればもっと多いわ」
同行していた少女が口を開いた。
「王都より西部を先にした方がいいと思います」
アメリアが尋ねる。
「どうして?」
「西部で人の移動が始まっています。王都の異変が伝わったのかもしれません」
アドリアーナが確認する。
「本当ね。馬車が増えてる」
「保護対象を移される前に押さえましょう」
アメリアは頷いた。
「採用するわ」
三人が転移する。
少女も同行した。
こうした提案は、二十カ国の至るところで出ていた。
三千人の孤児たちは命令しない。
自分たちで作戦を決めることもしない。
見る。
考える。
気付いたことを伝える。
採用するかどうかは指揮官が決める。
だが、その提案が外れることはほとんどなかった。
ポリーは何度目かの転移を終え、ガルドラ王国上空へ出た。
そこで待っていたレベルが報告する。
「こっちはほぼ終わった」
「人数は?」
「今の時点で二千万人を超えてる」
ポリーが目を丸くした。
「一国で?」
「ええ。それでもまだ地方が残ってる」
スカーレットからも念話が入る。
『シャドウフェンも二千万人を超えたわ』
続いてアビー。
『アヴァロンも同じくらい』
イザベラからも届く。
『エルドラド、保護継続中。こちらも二千万人前後になりそう』
ポリーはしばらく黙った。
二十カ国。
一国だけではない。
ほぼ全ての国で、同じ規模の人々が保護を求めていた。
「これ……」
レベルも気付いていた。
「四億くらいになるかもね」
その数字の大きさに、二人とも言葉が続かなかった。
だが、作業は止まらない。
助けを求めている人がいる。
ならば保護する。
ただそれだけだった。
数日後。
最後の集計がアイクのもとへ届いた。
アイクは数字を確認した。
もう驚かなかった。
「四億人か」
アッシュが大きく息を吐く。
「先の保護と合わせて、とんでもない数になったな」
ロックウェルが数字を計算する。
「現在のアルデバラン王国は一億人だった」
「ああ」
「そこへ先の十カ国から一億六千万人。そして今回が四億」
アイクが答えた。
「六億六千万人だ」
三人はしばらく黙った。
かつてなら、一国どころか大陸全体でも想像できなかった人口だった。
だが、アイクが気にしていたのは数字ではない。
「四億人の保護状況を最後まで確認する。家族の検索も継続だ」
「了解」
四億という数字の一人一人に、名前があった。
そして、その一人一人に人生があった。




