201 焼肉パーティー
第2アルデバラン王国から第15アルデバラン王国までの各地で、ほぼ同時期に異変が確認された。
魔物の大移動。
スタンピードだった。
この世界では珍しい現象ではない。
魔物が異常繁殖し、一定の密度を超えれば生息域から溢れ出す。
問題は規模だった。
各地から移民管理システムへ情報が集まり、集計された数字は一億体を超えていた。
だが、現地の民に大きな混乱はなかった。
彼らはすでに教導を終えている。
六属性魔法だけではない。
索敵。
飛行。
テレキネシス。
テレパシー。
アイテムボックス。
自分たちの生活を守るために必要な力を身につけていた。
そして魔物への対処方法も知っている。
捕縛。
拘束。
窒息。
無理に正面から斬り合う必要はない。
空から索敵し、群れの位置と進行方向を確認する。
土壁で進路を変える。
バインドバレットで拘束する。
ウォーターマスクで窒息させる。
巨大な魔物には複数人で対応する。
各地の住民たちは、自分たちで防衛を始めた。
それでも一億体を超える数となれば、生活を続けながら現地だけで処理するには負担が大きい。
報告を受けた王国騎士団は、三十万人の派遣を決めた。
騎士たちは転移によって各地へ展開していく。
現在の王国騎士団には、十一属性以上を扱う者も珍しくない。
聖騎士。
剣豪。
剣聖。
さまざまな称号を持つ者までいる。
通常なら、それで終わるはずだった。
王宮にもスタンピード発生の報告が届いた。
オーキスは端末を読んだ。
一億体以上。
騎士団三十万人派遣。
現地住民による初期対応開始。
人的被害は現時点で確認されず。
必要な対応はすでに始まっている。
オーキスは端末を置いた。
そして立ち上がった。
壁に掛けてあった一本の大剣へ手を伸ばす。
自ら作ったオリハルコン製の大剣だった。
それを見ていたバイオレットが尋ねる。
「あなた?」
「少し出てくる」
「どちらへ?」
「スタンピードだ」
バイオレットは夫の手にある大剣を見る。
「騎士団はすでに向かっていますよ」
「知っておる」
「現地の方々も対処しています」
「それも知っておる」
バイオレットは少し考えた。
最近の夫を思い返す。
端末を見る。
人口が増える。
困る。
移住が始まる。
困る。
第2、第3アルデバラン王国が生まれる。
さらに増える。
部下たちは王命を待たずに適切な仕事をする。
十三歳の新人騎士まで的確な提案を始めた。
そして三十歳になった侯爵から、小娘ではないと訂正された。
バイオレットは微笑んだ。
「お気をつけて」
止めなかった。
オーキスは大剣を背負い、王宮を出た。
向かった先は王国騎士団本部だった。
そこにはアイク、アッシュ、ロックウェルがいた。
三人とも出撃準備を終えている。
オーキスが尋ねた。
「行くのか?」
「はい」
アイクが答えた。
オーキスは三人を見る。
三人もオーキスを見る。
アイクはオリハルコンの大剣に気付いた。
何も言わなかった。
アッシュも黙っている。
ロックウェルが自分の剣を確認した。
四人の視線が合った。
最近、三騎士団長も忙しかった。
百十万人まで膨れ上がった騎士団。
各国の調査。
新人の育成。
保護者への対応。
部隊編成。
報告。
また報告。
さらに報告。
四人の目が、少しだけ血走っていた。
「陛下」
アイクが口を開いた。
「どちらから参りますか?」
「ドラゴンが多い場所はどこだ」
アッシュが即座に端末を確認する。
「第8アルデバラン方面です。ドラゴン、ベヒーモス、キマイラを含む大群が確認されています」
「そこだ」
「承知しました」
誰も止めなかった。
四人は転移した。
次の瞬間。
巨大な魔物の群れが地平線を埋め尽くす光景が広がった。
ドラゴンが飛ぶ。
ベヒーモスが地面を揺らす。
キマイラの群れが走っている。
すでに騎士団と現地住民が捕縛、拘束、窒息による討伐を始めていた。
オーキスはオリハルコンの大剣を抜いた。
久しぶりに握る感触を確かめる。
アイクも剣を抜く。
アッシュも続いた。
ロックウェルは魔物の群れを見ながら、わずかに笑った。
三人とも剣聖だった。
オーキスが大剣を肩に担ぐ。
「余はドラゴンへ行く」
アイクが答えた。
「では、私はベヒーモスを」
「私はキマイラをいただきます」
アッシュが続く。
ロックウェルが剣を構えた。
「残りを片付けましょう」
四人が飛び出した。
今日は誰も、書類を持って追いかけてこなかった。
第8アルデバラン方面では、すでに大規模な討伐が始まっていた。
三十万人の王国騎士団と現地の民が、各地で魔物を処理している。
捕縛。
拘束。
窒息。
基本は変わらない。
バインドバレットで動きを止め、ウォーターマスクで仕留める。
飛行する魔物も逃がさない。
索敵と念話で位置を共有し、群れが広がれば飛行と転移で先回りする。
一億体を超える魔物が相手でも、王国側が崩れる様子はなかった。
その中で、明らかに違う戦い方をしている四人がいた。
オーキスは捕縛しなかった。
オリハルコンの大剣を握り、ドラゴンへ正面から突っ込んでいた。
「はっ!」
振り下ろされた大剣が、ドラゴンを両断する。
次。
飛行魔法で急上昇し、別のドラゴンへ迫る。
大剣を横薙ぎに振るう。
巨大な首が宙を舞った。
さらに次。
重力魔法でドラゴンを地上へ叩き落とし、自らも降下する。
大剣を振り下ろした。
一撃だった。
近くで戦っていた騎士たちが、その姿を見ていた。
誰も止めなかった。
むしろ少し離れた。
今日の国王には、近づかない方がいい。
そんな共通認識が自然にできていた。
オーキス自身は気付いていない。
ただ剣を振るっていた。
一体。
二体。
十体。
百体。
いつしか余計なことを考えなくなっていた。
人口。
移住。
行政。
報告書。
第2アルデバラン。
第3アルデバラン。
いつの間にか第15まで増えた国号。
それらが頭から消えていく。
目の前にはドラゴンがいる。
斬ればいい。
実に分かりやすかった。
オーキスが再び大剣を振り抜いた。
その瞬間、感覚が変わった。
大剣が以前より軽い。
いや、武器が変わったわけではない。
自分の扱い方が変わっている。
振り抜く角度。
踏み込み。
重心。
魔力の流し方。
すべてが自然に繋がった。
オーキスは一度だけ自分を鑑定した。
剣豪。
その表示が変化していた。
大剣豪。
オーキスは数秒見つめた。
そして笑った。
「そうか」
すぐに大剣を構え直した。
「まだ上があったか」
その横を巨大な何かが落下していった。
ドラゴンだった。
オーキスが顔を上げる。
一人の女性が飛行している。
アリシアだった。
その手には剣がある。
剣神。
若手神官貴族でありながら、剣の頂へ到達した者だった。
「陛下」
「アリシア卿か」
「楽しんでおられますね」
「そう見えるか?」
アリシアは微笑んだ。
「とても」
別方向から轟音が響いた。
ベヒーモスの巨体が倒れる。
その向こうにアダムスがいた。
もう一人の剣神。
アダムスは倒れたベヒーモスを確認すると、次の獲物へ向かっていった。
オーキスは呟いた。
「来ていたのか」
アリシアが答える。
「一億体以上おりますので」
理由になっているような、なっていないような答えだった。
さらに別の場所では、アレクサンドが戦っていた。
右手には自前のオリハルコン製片手剣。
左手にはオリハルコン製の円盾。
キマイラが飛び掛かる。
アレクサンドは円盾で受けた。
巨体を正面から受け止める。
次の瞬間、盾を押し返した。
体勢を崩したキマイラの懐へ入り、片手剣を振るう。
一閃。
キマイラが倒れた。
続けて二体。
アレクサンドは飛行し、片手剣と円盾を自在に扱いながら魔物の群れへ突っ込んでいく。
アイク。
アッシュ。
ロックウェル。
三人の剣聖も止まらない。
ドラゴン。
ベヒーモス。
キマイラ。
大型魔物が次々と倒れていった。
周囲では、王国騎士たちがいつもの方法で淡々と討伐している。
そんな中で、剣を握った者たちだけが妙に楽しそうだった。
一人の騎士が念話で呟いた。
『……団長たち、なんだかキラキラしてませんか?』
別の騎士が答えた。
『陛下もです』
『アリシア卿も』
『アダムス卿もですね』
少し間が空いた。
『アレクサンド卿もです』
誰も否定しなかった。
実際、全員の表情が生き生きしていた。
国王。
三騎士団長。
侯爵。
神官貴族。
天才剣士。
普段はそれぞれ異なる立場で仕事をしている者たちが、今日は揃って剣を振っている。
オーキスは大剣を肩に担ぎ、次のドラゴンを見つけた。
その顔には、ここ最近では見られなかったほど晴れやかな笑みが浮かんでいた。
まだスタンピードは終わっていない。
だが少なくとも、オーキスの鬱憤は猛烈な勢いで減り始めていた。
戦場では、同じ剣を使っているとは思えないほど異なる戦いが繰り広げられていた。
大剣豪となったオーキスの剣は、荒々しかった。
ダイナミック。
その言葉がよく似合う。
オリハルコンの大剣を大きく振りかぶる。
ドラゴンが爪を振り下ろすより早く、一歩踏み込む。
大剣が下から跳ね上がった。
巨大なドラゴンの身体が浮く。
そのまま身体を回転させ、もう一撃。
巨体が地面へ叩きつけられた。
オーキスは止まらない。
正面からベヒーモスが突進してくる。
避けようと思えば避けられる。
飛行も転移もある。
重力魔法で動きを止めることもできる。
だが、今のオーキスにその選択はなかった。
「来い!」
自分から踏み込んだ。
オリハルコンの大剣を横薙ぎに振るう。
激突。
ベヒーモスの巨体が横へ吹き飛んだ。
周囲の騎士たちが一斉に距離を取る。
『陛下、楽しそうですね』
誰かが念話で呟いた。
『近づかない方がいい』
別の誰かが即答した。
オーキスの耳にも届いていたが、気にしなかった。
次の魔物を探している。
一方、三人の剣聖はまるで違った。
アイクの前へ三体のキマイラが飛び込む。
剣が走った。
一閃。
二閃。
三閃。
ほとんど同時だった。
余計な動きがない。
大きく振りかぶることもない。
必要な場所へ、必要なだけ刃を通す。
三体のキマイラが倒れたとき、アイクはすでに次の敵へ向かっていた。
アッシュも同じだった。
ドラゴンの攻撃を半歩でかわす。
懐へ入る。
斬る。
離れる。
それだけだった。
ロックウェルはさらに静かだった。
剣を構える。
相手を見る。
動いた瞬間に斬る。
一体。
次。
また一体。
剣聖たちの剣はシャープだった。
速いだけではない。
無駄が削ぎ落とされている。
オーキスの大剣が力強く戦場を切り開くのなら、三人の剣聖は細い線を引くように魔物を倒していった。
そして、その二つとも違う者たちがいた。
アリシアとアダムス。
二人の剣神だった。
アリシアの前に、巨大なドラゴンがいた。
咆哮する。
翼を広げる。
魔力が膨れ上がった。
アリシアは剣を持ったまま、その姿を見ている。
構えらしい構えすらない。
ドラゴンが動いた。
次の瞬間。
アリシアはすでにその横にいた。
剣を鞘へ戻す。
ドラゴンが倒れた。
近くで見ていた騎士が瞬きをした。
何をしたのか分からなかった。
別の場所ではアダムスがベヒーモスと向き合っていた。
突進してくる。
アダムスは避けない。
剣を僅かに動かした。
それだけだった。
ベヒーモスの巨体がアダムスの横を通過する。
数歩進んだところで崩れ落ちた。
アダムスはもう見ていなかった。
次の魔物へ向かって歩いている。
剣神の剣はスマートだった。
力を見せつけない。
速さを見せつけない。
技を見せつけることすらない。
必要な瞬間に、必要な場所へ剣がある。
結果だけが残る。
オーキスもその違いに気付いていた。
少し離れた場所でアリシアがドラゴンを斬る。
さらに向こうでは、アダムスがキマイラを倒した。
「……なるほどな」
自分とは違う。
大剣豪になったからこそ、それが以前よりはっきり分かった。
真似をしようとは思わなかった。
オーキスは自分の大剣を見る。
そして笑った。
「余は、これでよい」
大剣を振りかぶった。
目の前にはベヒーモス。
その後ろには数体のドラゴン。
オーキスは真正面から突っ込んだ。
大剣が唸る。
ベヒーモスが吹き飛ぶ。
続けて跳躍。
飛行魔法で一気に高度を上げる。
ドラゴンへ肉薄し、全身を使って大剣を振り抜いた。
豪快。
荒々しい。
そして何より、本人が楽しそうだった。
少し離れた場所ではアレクサンドがオリハルコンの円盾でドラゴンの尾を受け流し、そのまま片手剣を差し込んでいる。
彼女もまた、誰かの戦い方を真似してはいない。
盾と剣。
防御と攻撃。
自分に合った戦い方を選んでいた。
戦場のあちこちで剣が煌めく。
ダイナミックな大剣豪。
シャープな三人の剣聖。
スマートな二人の剣神。
優劣ではなかった。
同じ剣を学んでも、辿り着いた形が違う。
それぞれが、自分の剣を振るっていた。
そして一億体を超えていた魔物の数は、恐ろしい勢いで減り続けていた。
一億体を超えていたスタンピードは終息した。
討伐された魔物は、そのまま放置されることはなかった。
ドラゴン。
ベヒーモス。
キマイラ。
その他、膨大な種類の魔物。
騎士たちと現地の民が解体を始める。
解体スキル。
テレキネシス。
アイテムボックス。
一億体という途方もない数だったが、こちらも人手には困らなかった。
そして大量に得られた肉を前にして、誰が言い出したのかは分からない。
焼いて食べよう。
その一言だけで十分だった。
アルデバラン王国本国。
第2アルデバラン王国から第15アルデバラン王国。
さらにミストバルカス公国。
総人口、約六億五千万人。
各地で一斉に焼肉パーティーが始まった。
その中心にいたのはマルセルだった。
かつて王宮料理人を務め、今では民間料理人として多くの弟子を育てている。
その弟子は、すでに一千万人に達していた。
「肉はいくらでもある! 焦がすなよ!」
「はい!」
巨大な鉄板が各地に作られた。
土魔法で竈を作る。
火魔法で加熱する。
風魔法で火力を調整する。
テレキネシスで大量の肉を並べる。
ドラゴン肉が焼ける音が響いた。
香ばしい匂いが広がる。
塩。
香辛料。
柑橘。
各地で作られるようになった調味料も惜しみなく使われた。
マルセルの弟子たちは、それぞれの土地で腕を振るった。
ステーキ。
串焼き。
薄切り肉。
内臓焼き。
骨からは大量のスープも作られる。
誰か一人の料理人が六億五千万人へ料理を作っているわけではない。
マルセルから学んだ者がいる。
その者から学んだ者がいる。
各地に料理を作れる者がいる。
だから同じ日に、同じ肉を囲むことができた。
焼き上がったドラゴン肉が、次々と配られていった。
今回保護された者たちにも渡される。
一人の男が、皿の上に置かれた肉を見つめていた。
「食べていいのか?」
料理人が笑う。
「そのために焼いてるんだ」
男は恐る恐る肉を口へ運んだ。
噛む。
しばらく動かなかった。
そして涙が落ちた。
隣にいた女性も泣いていた。
子供たちは夢中で食べている。
奴隷だった者。
食事を減らされてきた者。
働いても満足に食べられなかった者。
今日保護されたばかりの者たちが、ドラゴン肉を腹いっぱい食べている。
泣きながら食べる者は、一人や二人ではなかった。
料理を配っていた者たちは何も言わなかった。
ただ、次の肉を焼いた。
遠征に出ていた十万人の騎士たちも戻ってきた。
十カ国の調査と保護を終えた者たちだった。
ポリー。
スカーレット。
レベル。
アメリア。
アドリアーナ。
クリスティ。
フェビー。
レキシー。
アビー。
イザベラ。
彼女たちも宴へ加わった。
十三歳の新人騎士たちも一緒だった。
「食べるわよ」
ポリーが言った。
少年が目の前の巨大な肉を見る。
「これ、一人分ですか?」
「食べられるだけ食べなさい」
今日だけは優先順位を考える必要もなかった。
一方、少し離れた場所にはオーキスたちがいた。
オーキス。
アイク。
アッシュ。
ロックウェル。
アリシア。
アダムス。
アレクサンド。
目の前に置かれているのは、一人一キログラムのドラゴンステーキだった。
オーキスが肉を切る。
一口食べた。
「うまい」
それだけだった。
顔は晴れ晴れしている。
アイクも肉を頬張った。
「陛下」
「なんだ」
「随分と顔色がよくなられましたね」
オーキスの手が止まった。
アッシュが肉を食べながら頷く。
「確かに」
ロックウェルまで続いた。
「大剣を振るわれているときから、かなり」
オーキスは三人を見た。
「お前たちも人のことは言えんだろう」
三人は黙った。
否定できなかった。
アレクサンドが静かにステーキを切っている。
オーキスは彼女を見る。
「卿も随分楽しそうだったな」
「何のことでございましょう」
「その返し方はクレインだけで十分だ」
アリシアが笑った。
アダムスも黙々と肉を食べている。
そこへ大きな樽が運ばれてきた。
保護されたドワーフたちだった。
「陛下! これも飲んでくだされ!」
樽の中身はラガービールだった。
冷却魔法でよく冷えている。
大きな杯へ黄金色の酒が注がれ、白い泡が盛り上がった。
オーキスが杯を受け取る。
一口。
喉を鳴らして飲む。
そして大きく息を吐いた。
「うまい」
今度は周囲から笑い声が上がった。
六億五千万人が肉を焼く。
騎士も。
貴族も。
元奴隷も。
孤児も。
ドワーフも。
国王も。
あちこちから煙が上がり、肉の焼ける匂いと笑い声が広がっていた。
一億体を超えるスタンピードが終わった日。
歴史書に残るのは、大規模な魔物討伐だったかもしれない。
だが、その日を生きた人々が覚えていたのは、もっと単純なことだった。
ドラゴンの肉を腹いっぱい食べた。
冷たいラガービールがうまかった。
そして、みんなで笑った。
それだけで十分だった。




