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戦わずに世界を変えた男――教育と物流で“循環国家”を作ったら、いつの間にか大陸が一つになっていた  作者: 慈架太子


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195/311

195 神官

イプシオ領とアリシア領で、騎士団員のための保養施設の建設が始まった。


その話を聞いて、すぐに動いた者たちがいた。


神聖ラトリア出身の若い神官貴族たちだった。


アリー。


アレクサ。


ゴルディ。


ナターシャ。


マックス。


リッキー。


トレイ。


シュー。


チャド。


九人はアリシアのもとを訪れた。


「アリシア卿、私たちにも協力させてください」


アリーの言葉に、アリシアは頷いた。


「もちろんです。助かります」


「それと、私たちの領にも保養施設を作ろうと思っています」


アリシアが九人を見る。


「皆さんの領にも?」


「はい。イプシオ領とアリシア領だけで受け入れる必要はないでしょう」


九人はすでに話し合っていた。


自分たちにも領地がある。


大聖堂もある。


そして九人の領地はいずれも豊かだった。


保養施設を作っても領民の生活を圧迫することはない。


アレクサが言った。


「費用は私たちで出します」


「陛下から命じられたわけではありませんよ」


「分かっています」


ゴルディが答えた。


「でも、必要でしょう?」


理由はそれだけだった。


国外任務に就いた騎士団員の中には、心が疲弊した者がいる。


自分たちは神官である。


自分たちにもできることがある。


ならばやればいい。


アリシアは微笑んだ。


「分かりました。一緒にやりましょう」


九人はそれぞれ自領へ戻り、領民たちに事情を説明した。


眠れない。


食欲がない。


屠った相手の顔を思い出す。


気分が悪くなる。


国外任務を終えた騎士団員の中には、そうした者たちがいる。


自領にも保養施設を作り、受け入れたい。


話を聞いた領民たちの反応は早かった。


「それなら手伝います」


「何が必要ですか?」


「家具なら作れますよ」


「食材も必要でしょう?」


次々と声が上がった。


建設を手伝う者。


家具を用意する職人。


食材を提供する農家。


料理を引き受ける者。


大聖堂で騎士団員を迎える準備を始める者。


アリーたち九人が命令したわけではない。


領民たちが、自分たちで必要だと考えて動き始めた。


九人もそれを止めなかった。


自分たちが騎士団員を助けたいと思ったように、領民たちも同じように思った。


ならば、それぞれができることをすればいい。


神官たちも準備を始めた。


話したい者がいれば話を聞く。


祈りたい者がいれば大聖堂を使ってもらう。


一人でいたい者には静かな場所を用意する。


何もしたくない者には、何も求めない。


何かを忘れさせるための場所ではない。


疲れた者が休むための場所だった。


やがて九人の動きが王宮にも報告された。


端末に届いた報告を読んだオーキスが、クレインに尋ねた。


「費用はどうなっておる?」


「九名の神官貴族が自費で負担しております」


「自費?」


「はい。自分たちで始めたことですので、自分たちで負担すると」


オーキスは即座に答えた。


「駄目だ」


クレインは黙って続きを待った。


「騎士団員を休ませるための施設であろう?」


「左様です」


「ならば費用は全部国が負担する」


「九名とも裕福です。自費でも問題はないと申しておりますが」


「そういう問題ではない」


オーキスは端末から顔を上げた。


「国のために働いて疲弊した騎士を休ませるのだ。なぜ神官貴族に費用を負担させる」


クレインが頷いた。


「御意」


「すでに使った分も国庫から返せ。これから必要になる費用も国が出す」


「承知いたしました」


九人は自分たちで気付いて動いた。


領民たちも自分たちで気付いて協力した。


そして国は、その善意に甘えなかった。


保養施設は各神官貴族領へ広がっていった。


その様子を見ていたのは、新しく保護された人々も同じだった。


大聖堂で騎士の話を聞く神官。


何も言わず隣に座る神官。


眠れない者に付き添う神官。


それを見て、一人の保護者が尋ねた。


「私も神官になれますか?」


「もちろんです」


別の者も声を上げた。


「私もなりたいです」


同じ声が各地で上がり始めた。


保護者の中で、神官を希望する者が大幅に増えていった。


報告を聞いたバイオレットが微笑んだ。


「国の中に、心の癒し手が増えますね」


マーガレットも微笑む。


「ええ、お母様」


そして神官を必要としていたのは、騎士団だけではなかった。


冒険者ギルドのバルドも保養施設の話を聞き、すぐに動いた。


冒険者も傷つく。


仲間を失うこともある。


人を屠ることもある。


救えなかった者を忘れられない者もいる。


バルドは神官の派遣を要請した。


神官を必要とする場所が、王国の中で少しずつ増え始めていた。




保養施設を利用する騎士団員は、少しずつ増えていた。


眠れない者。


食欲が落ちた者。


任務中に屠った者の顔を思い出す者。


何もする気になれない者。


症状はそれぞれ違う。


保養施設では、何かをするよう命じられることはなかった。


眠りたければ眠る。


風呂に入りたければ入る。


大聖堂へ行きたければ行く。


散歩をしたければ歩く。


何もしなくてもいい。


その日も数人の騎士が、特に目的もなく外へ出た。


少し歩いたところで、一人が空を見上げた。


「ん?」


子供が飛んでいた。


一人ではない。


何人もの子供たちが大聖堂の周囲を飛び回っている。


騎士たちは足を止めた。


「何をしているんだ?」


近づいてみる。


そこにあるのは、オリハルコンで造られた大聖堂だった。


子供たちはその周囲を飛びながら、魔法を使っている。


「ピュリフィケーションバレット」


浄化の魔法が放たれる。


壁。


柱。


屋根。


高い場所にある装飾。


子供たちは飛行魔法で高さを合わせながら、隅々まで綺麗にしていた。


地上にも子供がいる。


汚れを見つけては浄化する。


終わると別の場所へ移動する。


騎士たちは黙ってその光景を眺めていた。


「元気だな」


一人が呟いた。


久しぶりに聞く、穏やかな声だった。


一人の子供が騎士たちに気付いた。


空中から降りてくる。


「こんにちは」


「こんにちは」


騎士も自然に返した。


「大聖堂の掃除か?」


「はい」


「毎日やってるのか?」


「交代でやってます」


子供はそう答えると、また飛び上がった。


別の子供が高い場所の汚れを見つけたらしい。


「そっち、まだ残ってるよ」


「どこ?」


「もっと上」


「ここ?」


「そこ」


「ピュリフィケーションバレット」


汚れが消えた。


「綺麗になった」


子供たちの声が響く。


騎士の一人が小さく笑った。


隣にいた仲間が、その顔を見る。


「笑ったな」


「うるさい」


それだけの会話だった。


だが、その騎士が笑ったのは保養所へ来てから初めてだった。


しばらくして、神官がやって来た。


騎士の一人が尋ねる。


「あの子たちは?」


「この領で暮らしている孤児たちです」


「孤児?」


「はい。元はヴェロン王国にいた子供たちです」


騎士たちの表情が変わった。


ヴェロン王国。


聞き覚えがある。


「アギトたちが保護した……」


「そうです」


神官が頷いた。


かつてアギトたちがヴェロン王国で保護した孤児たち。


亡命を希望し、アルデバラン王国へやって来た子供たちだった。


今では教導を受けている。


魔法も覚えた。


飛行することもできる。


そして自分たちで仕事を見つけ、大聖堂の清掃を手伝っている。


騎士たちは再び空を見上げた。


子供たちは楽しそうに飛んでいた。


「そっち終わった?」


「まだ」


「手伝う」


二人並んで大聖堂の上部へ飛んでいく。


ピュリフィケーションバレットが放たれる。


オリハルコンの大聖堂が、さらに輝きを増した。


一人の騎士が長く息を吐いた。


「俺たちがやったことも……無駄じゃなかったんだな」


誰も答えなかった。


答える必要もなかった。


目の前にいる。


かつて保護された子供たちが。


飛んでいる。


働いている。


笑っている。


自分で今日の仕事を選んでいる。


それだけで十分だった。


別の騎士が芝生に座った。


そのまま子供たちを眺める。


しばらくすると、隣にも一人座った。


さらに一人。


誰も話さない。


神官も声をかけなかった。


ただ一緒に眺めていた。


やがて掃除を終えた子供たちが地上へ降りてきた。


「終わった!」


「お腹すいた」


「食堂行こう」


騒がしく走っていく。


騎士の一人がまた笑った。


今度は誰も何も言わなかった。


その日の夕食。


今までほとんど食べられなかった騎士が、自分から食堂へ来た。


別の騎士は、その夜久しぶりに眠ることができた。


神官が何か特別なことをしたわけではない。


説教もしていない。


忘れろとも言わなかった。


ただ、そこに子供たちがいた。


かつて保護された子供たちが、今は笑いながら暮らしていた。


騎士たちは、その姿を見ただけだった。


それだけで。


彼らの心に積もっていたものが、少しずつ軽くなっていった。




保養施設にいる騎士たちの変化は、神官たちにも分かるほどだった。


食事を取れなかった者が食堂へ来るようになった。


夜になることを怖がっていた者が眠れるようになった。


一人で部屋に閉じこもっていた者が外へ出るようになった。


大聖堂の前に座り、子供たちが清掃する姿を眺める騎士も増えている。


もちろん、すぐに元通りになったわけではない。


夜中に目を覚ます者もいる。


任務を思い出して気分を悪くする者もいる。


それでも少しずつ変わっていた。


神官たちは急かさなかった。


「今日はどうですか?」


そう尋ねる程度だった。


話したければ話せばいい。


話したくなければ黙っていてもいい。


騎士たちの中には、子供たちと話す者も現れた。


「今日はどこを掃除するんだ?」


「上の方です」


孤児の一人が大聖堂を指差した。


「昨日も上をやってなかったか?」


「昨日は反対側です」


「そんなに汚れるのか?」


「汚れてなくても綺麗にするんです」


「そうか」


騎士が笑う。


子供は飛行魔法で浮かび上がった。


「行ってきます」


「落ちるなよ」


「飛べますよ」


「そうだったな」


子供はそのまま大聖堂の上へ飛んでいった。


ピュリフィケーションバレットが放たれる。


オリハルコンの壁面が浄化されていく。


それを見ていた別の騎士が呟いた。


「俺より飛ぶのが上手いんじゃないか?」


「子供と張り合うな」


久しぶりに仲間同士の軽口が出た。


少し離れた場所にいた神官は、何も言わなかった。


ただ、その様子を見ていた。


騎士たちは知っている。


あの子供たちは、最初からここで暮らしていたわけではない。


ヴェロン王国から亡命してきた孤児たちだ。


アギトたちが保護した。


王国が受け入れた。


教導を受けた。


そして今、自分たちの意思で大聖堂の清掃をしている。


誰かに命令されたわけではない。


自分たちにもできると思った。


だからやっている。


その事実が、騎士たちには何より効いた。


自分たちが国外で行っていること。


保護する。


連れて帰る。


教導へ繋ぐ。


その先を、彼らは任務中に見ることがない。


次の任務があるからだ。


だが、ここにはその先があった。


保護された子供が暮らしている。


笑っている。


働いている。


誰かの役に立っている。


そして今度は、その子供たちが騎士を助けていた。


神官の一人が、その様子を端末に記録した。


騎士団にも共有された。


やがて報告は王宮へ届いた。


オーキスは端末に表示された内容を読んでいた。


大聖堂を清掃する孤児たち。


それを眺める騎士たち。


食欲を取り戻した者。


眠れるようになった者。


笑うようになった者。


そして孤児たちが、かつてヴェロン王国から保護された子供たちであること。


オーキスはしばらく端末を見ていた。


やがて、小さく呟いた。


「保護した孤児たちに助けられたな」


バイオレットが微笑んだ。


「そうですね」


マーガレットも嬉しそうに頷く。


「助けた者が、今度は誰かを助けているのですね」


オーキスは端末を置かなかった。


もう一度、報告を読み返した。


孤児たちは騎士を癒そうとして清掃を始めたわけではない。


大聖堂を綺麗にしたかった。


自分たちにできる仕事だった。


ただ、それだけだった。


だが、その姿を見た騎士たちが救われた。


オーキスが言った。


「余が保養所を作れと命じても、これは作れぬな」


クレインも同席していた。


「左様ですな」


施設は作れる。


予算も出せる。


神官を配置することもできる。


だが、人の心が何によって軽くなるのかまでは命令できない。


「面白いものだ」


オーキスが呟いた。


「人を助けたつもりが、後になって助けられるか」


バイオレットが答えた。


「それでよいのではありませんか」


「そうだな」


王宮で決めたことではなかった。


騎士団が計画したことでもない。


神官たちが考えた治療でもない。


かつて保護された孤児たちが、自分たちの日常を送っていただけだった。


その日常が、疲れた騎士たちの心を癒していた。


そして、その報告は騎士団内にも広がっていった。


保養施設へ行くことを躊躇していた者たちの中から、


「少し休んでみるか」


そう言う者が、少しずつ増え始めていた。




冒険者ギルドでも、神官たちの活動は話題になっていた。


ギルドマスターのバルドは端末に届いた報告を読んでいた。


騎士団員のために作られた保養施設。


そこで神官たちが疲弊した騎士の話を聞いている。


ヴェロン王国から保護された孤児たちが大聖堂を清掃し、その姿を見た騎士たちが少しずつ元気を取り戻している。


バルドは何度か読み返した。


冒険者にも同じような者がいる。


魔物を討伐する。


盗賊を討伐する。


護衛に失敗することもある。


救助が間に合わないこともある。


仲間を失う者もいる。


身体の傷なら治癒魔法で治せる。


だが、それだけでは戻れない者がいることを、バルドは長い間ギルドで働いてきた中で何度も見ていた。


バルドは各支部へ確認を取った。


疲弊している冒険者はいないか。


長期間依頼を受けなくなった者はいないか。


眠れない、食欲がないと訴えている者はいないか。


返ってきた報告には、該当する者が少なからずいた。


「騎士だけの話じゃないな」


バルドは端末を操作した。


神官の派遣要請を出す。


要請を受けた神官たちの反応も早かった。


冒険者ギルドへ神官が派遣されるようになった。


最初から歓迎されたわけではない。


一人の冒険者が、ギルド内にいる神官を見て尋ねた。


「何をするんだ?」


「話を聞きます」


「治療じゃないのか?」


「怪我をしているのですか?」


「してない」


「では、必要ありませんね」


冒険者が首を傾げた。


「話を聞くだけか?」


「はい」


「それで仕事になるのか?」


神官は少し考えた。


「必要としてくださる方がいるなら」


冒険者はそれ以上何も言わず、その場を離れた。


翌日も神官はいた。


数日後もいた。


いつ通っても、無理に声をかけてくることはなかった。


ある日、その冒険者が自分から神官の前に座った。


「昔、仲間を亡くした」


神官は黙って聞いた。


「俺がもう少し早ければ助けられたと思う」


返事はない。


冒険者は話し続けた。


長い間、誰にも言わなかったことだった。


話し終えると立ち上がる。


「……また来てもいいか?」


「もちろんです」


それだけだった。


同じような光景が、少しずつ増えていった。


一方、保護された人々の間では、神官を希望する者が増え続けていた。


教導を受け、様々な仕事を知る。


農業。


料理。


商業。


行政。


冒険者。


そして神官。


その中から、自分で選ぶ。


「どうして神官を?」


そう尋ねられた一人の女性は答えた。


「私も話を聞いてもらったことがあるからです」


別の男は、


「自分にもできるかもしれないと思いました」


と答えた。


それで十分だった。


神官になったからといって、立派な言葉を語る必要はない。


誰かの苦しみを消せるとも限らない。


ただ話を聞く。


一緒にいる。


必要なら大聖堂へ案内する。


できることから覚えていけばいい。


神官を目指す者たちの教導も始まった。


アリー、アレクサ、ゴルディ、ナターシャ、マックス、リッキー、トレイ、シュー、チャドも、その育成に加わった。


端末に表示された希望者の人数を見て、アリーが目を丸くする。


「随分増えましたね」


アレクサが頷いた。


「必要としている人がいることを知ったのでしょう」


ナターシャが言った。


「私たちだけでは足りませんね」


ゴルディが答える。


「なら、育てましょう」


誰も難しく考えなかった。


必要な場所がある。


やりたい者がいる。


ならば教える。


それだけだった。


保養施設では、その日もヴェロン王国から来た孤児たちが大聖堂の周囲を飛んでいた。


「そっち終わった?」


「まだ!」


「手伝うよ」


子供たちが笑いながら清掃を続ける。


その姿を眺めていた一人の騎士が立ち上がった。


「明日、騎士団に戻ろうと思う」


隣にいた騎士が尋ねる。


「もう大丈夫なのか?」


少し考えてから答えた。


「分からない」


以前なら、大丈夫だと言ったかもしれない。


今は違った。


「無理だったら、また休む」


「そうしろ」


「ああ」


二人は再び大聖堂を見上げた。


保護された者が、新しい場所で暮らし始める。


その者が、今度は別の誰かを助ける。


助けられた者が、いつか誰かの話を聞く側になる。


誰かが決めた仕組みではなかった。


必要なことに気付いた者が、自分にできることを始めた。


それが少しずつ繋がっている。


神官という仕事は、王国の中で新しい役割を持ち始めていた。





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