192 四千五百万人対三万人
シトラルド王国。
キーシル王国。
ウジフラン王国。
三カ国に対する作戦は、ほぼ同時に始まった。
第一班はポリー、スカーレット、レベル。
第二班はアメリア、アドリアーナ、クリスティ。
第三班はフェビー、レキシー、アビー、イザベラ。
それぞれに一万人の先輩騎士が付いている。
合計三万十人。
対する三カ国の人口は四千五百万人。
数だけを見れば比較にもならなかった。
だが、三万人には正面から戦うつもりなどなかった。
第一班。
ポリーたちはステルスを維持したまま、シトラルド王国の上空を飛んでいた。
「始めます」
「了解」
三人から念話が飛ぶ。
一万人の先輩騎士たちが動き出した。
最初に行われたのはアボートだった。
兵士が持つ剣が消える。
槍が消える。
弓が消える。
鎧も盾も消えていく。
兵士たちは何が起きているのか理解できない。
「武器が消えたぞ!」
「敵襲か!」
「どこだ!」
叫んでも敵の姿は見えなかった。
騎兵が乗っていた馬も次々と消えていく。
軍だけではない。
町の武器屋。
武器工房。
軍の武器庫。
貴族の屋敷。
王宮。
索敵と遠隔透視で場所を確認し、武器と判断できるものを片端から回収していく。
同じことがキーシル王国でも始まっていた。
「東側の武器庫を確認しました」
アメリアが念話を送る。
『こちらで回収する』
先輩騎士から返事が来た。
アドリアーナとクリスティは軍の駐屯地を回っていた。
武器が消える。
馬が消える。
工房に置かれていた完成品も消える。
これから武器になるはずだったものまで回収された。
ウジフラン王国でも同じだった。
フェビーたち四人が広域索敵を繰り返す。
「王都の武器庫、まだあります」
「回収しましょう」
「南にも軍の集積地があります」
「そっちへ行きます」
ステルス。
飛行。
転移。
索敵。
遠隔透視。
そしてアボート。
三万人がそれぞれの能力を使い続ける。
軍勢同士がぶつかる戦争ではなかった。
敵から見れば、何もできないまま武器だけが消えていく。
馬も消える。
三カ国で保有されていた馬は膨大だった。
回収された数は、合計二千万頭に達した。
それだけの馬を三カ国が抱えていたこと自体、侵略を繰り返してきた証でもあった。
やがて報告が集まる。
『第一班、主要な武器の回収完了』
『第二班も完了しました』
『第三班、再索敵に入ります』
一度で終わりにはしない。
見落としを探す。
小さな武器庫。
地下倉庫。
隠された兵器。
個人が所有する武器。
索敵と遠隔透視を繰り返し、見つけるたびに回収した。
長い確認作業の末、三班から同じ報告が上がった。
三カ国から、武器と呼べるものがほぼ消えた。
四千五百万人対三万人。
人数の差は歴然としている。
それでも戦闘は起きなかった。
戦うための道具を先に消したからだ。
次に始まったのは鑑定だった。
こちらの方が時間がかかる。
一人ずつ確認する。
奴隷。
奴隷兵。
連れ去られた職人。
弱者。
侵略に反対していた者。
命令に従わざるを得なかった者。
保護資格を持つ者を探していく。
見つければ念話を送る。
『保護を希望しますか?』
本人に選ばせる。
希望すれば保護する。
それを三カ国で繰り返した。
やがて数字がまとまり始める。
シトラルド王国。
保護者、百万人。
キーシル王国。
保護者、千五百万人。
ウジフラン王国。
保護者、五十万人。
大きな差があった。
だが不思議ではない。
三カ国は同じ侵略国家でも、民の扱いも、奴隷の使い方も、国家の方針も違っていた。
ポリーは最後の報告を確認した。
「もう一度、鑑定しましょう」
誰も反対しなかった。
ここから先は間違えられない。
三万人が再び動き出す。
索敵する。
鑑定する。
見落とした保護対象がいないか確認する。
一度。
二度。
さらに確認する。
そして三班から報告が揃った。
保護対象は、もういない。
残った者たちは全員、今回定められた排除対象だった。
ポリーは静かに息を吐いた。
ここまでは、これまでの調査と同じだった。
ここから先が違う。
三班はすぐには動かなかった。
シトラルド王国。
キーシル王国。
ウジフラン王国。
三カ国で最後の鑑定結果が共有される。
保護すべき者は、すでに保護した。
亡命を希望した者も保護した。
奴隷も弱者も確認した。
残留を希望する善人がいないことも確認している。
それでも、もう一度確認した。
ポリーが念話を送る。
『第一班、再鑑定を完了しました。保護対象は残っていません』
少し遅れてアメリアから届く。
『第二班も同じです』
フェビーからも届いた。
『第三班、確認完了。こちらも該当者はいません』
三班の結果が揃った。
ここからは、先日の四カ国調査にはなかった仕事になる。
ポリーは周囲にいる先輩騎士たちへ念話を送った。
『これから排除に移ります』
返事はすぐには来なかった。
誰も命令を聞き逃したわけではない。
意味を理解しているからこその沈黙だった。
やがて一人の先輩騎士が答えた。
『了解した』
それをきっかけに返事が続く。
『了解』
『こちらも準備できている』
『いつでも始められる』
ポリーは息を吐いた。
自分も人を屠った経験はなかった。
スカーレットもレベルも同じだった。
昨日前に立っていたアイクの言葉を思い出す。
人を屠れば必ず疲弊する。
無理はするな。
慣れろとも言わん。
ただ忘れるな。
ポリーは二人を見る。
「大丈夫?」
スカーレットが答えた。
「分からない」
正直な答えだった。
レベルも頷く。
「私も。でも、無理だと思ったら代わってもらう」
「うん」
それでよかった。
三人が無理をしてやる必要はない。
一万人の仲間がいる。
同じ頃、第二班でもアメリアが確認していた。
「できない人は?」
何人かが手を上げた。
アメリアはそれを見ても何も言わない。
「分かりました。下がってください」
責める者はいなかった。
第三班でも同じだった。
フェビーが一万人へ念話を送る。
『無理はしないでください。途中で駄目だと思った人も、その場で止めてください』
『了解』
準備が進む。
剣を抜く者はいなかった。
槍も使わない。
弓も必要ない。
三万人は無手だった。
だが、武器を持っていないだけである。
全員がテレキネシスを使える。
相手から姿は見えない。
三カ国から武器は消えている。
馬もいない。
何が起きているのか理解している者すらほとんどいなかった。
ポリーは眼下のシトラルド王国を見る。
兵士たちが走り回っている。
貴族たちが怒鳴っている。
武器を探している者もいる。
昨日まで他国へ侵攻していた者たちだった。
捕らえた民を奴隷商へ売った者もいる。
村を襲った者もいる。
命を奪った者もいる。
それでも、今から自分がやることとは別の話だった。
ポリーは鑑定結果をもう一度見た。
間違いない。
それでも指が僅かに震えた。
隣にいたスカーレットが気づいた。
「代わる?」
「ううん」
ポリーは首を振った。
「まだ大丈夫」
無理なら止める。
その約束だけは守る。
三班の班長が念話をつないだ。
ポリー。
アメリア。
フェビー。
三人が最終確認をする。
『第一班、準備完了』
『第二班、準備完了』
『第三班も完了』
短い沈黙があった。
誰も急かさない。
ポリーが言った。
『始めましょう』
三万人がテレキネシスを発動した。
姿の見えない力が、三カ国で同時に動く。
一人の騎士が一人を選ぶ。
鑑定済みの対象だけを見る。
首へ力をかける。
一瞬だった。
ポリーの目の前で、一人の男が倒れた。
動かなくなった。
ポリーはしばらくその男を見ていた。
何も感じないわけではなかった。
胸の奥が重い。
気分も悪い。
だが、アイクの言葉を思い出した。
それでいい。
平気になる必要はない。
ポリーは念話を送った。
『少し休みます』
『了解。こちらで続ける』
すぐに返事が来た。
誰も理由を聞かなかった。
誰も励まさなかった。
ただ交代した。
別の場所では、何人もの騎士が同じように手を止めていた。
一人で止めた者。
数人で止めた者。
まだ続けられる者。
最初から参加しなかった者。
それぞれだった。
三万人全員が同じである必要はない。
できる者が続けた。
無理になった者は下がった。
そして三カ国で、人類の敵と判断された者たちの排除が進み始めた。
四千五百万人対三万人。
だが、これは戦争ではなかった。
戦う相手は、すでに武器すら持っていなかった。
三カ国で排除は続いた。
シトラルド王国。
キーシル王国。
ウジフラン王国。
三万人の騎士たちは、最後まで姿を現さなかった。
ステルスを維持する。
索敵で位置を確認する。
鑑定結果と照合する。
対象を間違えない。
そしてテレキネシスを使う。
剣を振るう者はいない。
魔法を撃ち込む者もいない。
爆発も起きない。
建物も壊れない。
ただ、人が倒れていく。
一人。
また一人。
そして次。
相手が何万人いようと関係なかった。
武器はない。
馬もない。
攻撃してくる相手の姿すら見えない。
四千五百万人対三万人。
数の差は歴然としていた。
だが、その数の差が戦力差になることはなかった。
三万人全員が働き続けたわけでもない。
最初の一人で手を止めた騎士もいた。
数人で限界になった者もいる。
何十人と続けられる者もいた。
最初から参加しないことを選んだ者もいた。
誰も責めなかった。
『交代してください』
『了解』
それだけで交代する。
『少し休みます』
『分かった』
理由を説明する必要もない。
ポリーも一人を屠った後、しばらく休んでいた。
水を飲む。
それでも口の中が乾いている。
スカーレットが隣に座った。
「大丈夫?」
「分からない」
「私も」
二人とも、それ以上は話さなかった。
少し離れたところでは、レベルが座り込んでいた。
顔色が悪い。
ポリーが声をかける。
「休んでて」
「うん」
それだけだった。
アイクは言っていた。
無理はするな。
慣れろとも言わん。
その意味が、今なら分かる。
一方で、淡々と仕事を続けられる騎士もいた。
人を屠った経験のある約二千人は、自然と負担の大きな場所へ回っていった。
だが彼らも平気なわけではない。
『交代する』
そう言って下がる者がいる。
『了解』
別の騎士が入る。
三万人という人数は、敵を圧倒するためだけに必要なのではなかった。
仲間を休ませるためにも必要だった。
やがてシトラルド王国の王宮でも人が倒れ始めた。
国王。
王族。
重臣。
貴族。
鑑定はすでに終わっている。
身分による例外はなかった。
王だから屠るのではない。
王族だから屠るのでもない。
何をしてきたのか。
何を命じてきたのか。
それだけで判断されていた。
キーシル王国でも同じだった。
軍を動かしてきた者。
他国の民を奴隷兵にした者。
侵略を命じた者。
それを利用して利益を得てきた者。
一人ずつ倒れていく。
ウジフラン王国でも選民思想を掲げて他国の民を売り飛ばしてきた者たちが、次々と命を落とした。
抵抗は起きなかった。
抵抗する方法がなかった。
時間が経つにつれ、町から人の声が消えていく。
軍の駐屯地が静かになる。
王宮も静かになる。
街道からも人影が消える。
それでも三班は急がなかった。
最後まで索敵する。
最後まで鑑定結果を確認する。
一人でも対象を間違えれば、この作戦そのものの意味が変わってしまう。
そして、最初の国から報告が届いた。
『ウジフラン王国、排除完了』
フェビーからだった。
ポリーが答える。
『了解。再確認をお願いします』
『もちろん』
終わったから終わりではない。
フェビーたちが再び国中を索敵する。
生存者を探す。
ほどなくして報告が来た。
『保護対象以外の生存者はいません』
次にアメリアから念話が届く。
『キーシル王国も完了しました』
最後にシトラルド王国。
ポリーは索敵結果を確認した。
「終わったね」
スカーレットが頷く。
レベルも端末を見る。
もう対象は残っていない。
ポリーが全員へ念話を送った。
『シトラルド王国、排除完了です』
三カ国。
すべて終わった。
王も王族も例外ではなかった。
保護された者を除き、三カ国に残っていた者たちはすべて命を落とした。
だが、まだ仕事は残っている。
大量の遺体をそのままにはできない。
放置すれば腐敗する。
疫病の原因にもなる。
そして何より、アンデッド化する可能性があった。
『遺体の回収を始めます』
三班から指示が出た。
騎士たちは再び動き始める。
遺体を回収する。
町から。
軍の駐屯地から。
街道から。
王宮から。
一体も残さないよう、索敵を繰り返す。
回収された遺体は森へ運ばれた。
そこで浄化し、分解する。
誰だったのかは関係ない。
王も。
貴族も。
兵士も。
民も。
すべて同じように分解された。
やがて土へ還る。
森の養分になる。
三つの国から、人の気配が消えた。
建物は残っている。
街道も残っている。
畑もある。
城もある。
だが、国家はもう存在しなかった。
僅かな時間だった。
三万人の騎士によって、三つの人類の敵国家が滅亡した。
三カ国の処理が終わった。
だが、三万人の騎士たちはすぐには帰還しなかった。
最後の確認が残っている。
ポリーたち第一班はシトラルド王国をもう一度索敵した。
町。
村。
王都。
軍の駐屯地。
街道。
農地。
山間部。
人の反応を一つずつ確認する。
第二班、第三班も同じだった。
生存者を探しているのではない。
見落とした者がいないかを確認している。
保護対象を見落としていなかったか。
遺体が残っていないか。
何度も索敵を繰り返した。
やがて三班の報告が揃った。
『第一班、確認終了です』
『第二班も終了しました』
『第三班、終了しました』
三カ国の処理は完了した。
ポリーは息を吐いた。
終わった。
その瞬間、身体から力が抜けた。
座り込む。
周囲を見ると、同じような騎士が何人もいた。
「疲れた……」
誰かが呟いた。
戦闘らしい戦闘はしていない。
走り回ったわけでもない。
魔力が尽きたわけでもない。
それでも疲れていた。
ポリーはアイクの言葉を思い出した。
人を屠れば必ず疲弊する。
その通りだった。
「帰りましょう」
スカーレットが言った。
「うん」
三万人が順次、王国へ帰還した。
王都へ戻った騎士たちを、アイク、アッシュ、ロックウェルが待っていた。
誰も笑っていない。
だが、暗い顔で迎えることもしなかった。
アイクが尋ねる。
「終わったか?」
ポリーが代表して答えた。
「はい」
「保護対象の見落としは?」
「何度も再確認しました。ありません」
「そうか」
それだけだった。
何人屠った。
どれほど早く終わった。
そんなことは聞かなかった。
アッシュが尋ねる。
「気分が悪い者は?」
かなりの数の手が上がった。
「眠れそうにないと思う者は?」
また手が上がる。
「食欲がない者は?」
さらに手が上がった。
三団長は何も驚かなかった。
昨日、自分たちが話した通りだった。
ロックウェルが言う。
「申告した者は今日は休め」
誰も異論を挟まない。
「今は平気でも、後から来ることがある。明日でも明後日でも構わん。何かあれば報告しろ」
「はい」
騎士たちが返事をする。
アイクは三万人を見渡した。
「よくやった、とは言わん」
何人かが顔を上げた。
「必要な仕事だった。お前たちはそれを終えた。それだけだ」
静かな言葉だった。
「屠ったことを誇る必要はない。忘れようとする必要もない」
ポリーは黙って聞いていた。
自分が最初に屠った男の姿を覚えている。
おそらく、しばらく忘れない。
「今日は休め」
アイクはそれ以上言わなかった。
三万人が解散していく。
ポリーたち十人も一緒だった。
誰も作戦の成功を祝おうとは言わなかった。
それでいい。
その日のうちに、三カ国の結果が王宮へ報告された。
オーキスはクレインから数字を聞いた。
シトラルド王国。
保護者、百万人。
キーシル王国。
保護者、千五百万人。
ウジフラン王国。
保護者、五十万人。
三カ国合計で千六百五十万人。
馬、二千万頭。
武器類は回収済み。
残存する排除対象はゼロ。
三カ国は消滅した。
オーキスは報告書をしばらく見ていた。
「終わったか」
「はい」
クレインが答える。
オーキスは喜ばなかった。
人類の敵国家を三つ滅ぼした。
自分も賛成した。
必要だとも思っている。
判断が間違っていたとも思わない。
それでも、数千万人が命を落とした報告を聞いて喜ぶ気にはなれなかった。
「騎士たちは?」
「三団長が対応しております。疲弊を訴えた者は休ませています」
「そうか」
オーキスはそこで初めて少し安心した。
「必要なら何日でも休ませよ」
「御意」
「次の調査を急がせる必要もない」
四十六カ国を調査する計画だからといって、連続して送り出す必要はない。
騎士は道具ではない。
オーキスは報告書を閉じた。
「余が決めたことだ」
クレインは何も言わない。
「皆に賛否を問うた。全員が賛成した。だからといって、実際に手を下した者だけに背負わせるわけにはいかぬ」
「はい」
王も背負う。
三団長も背負う。
会議で手を上げた者たちも背負う。
アルデバラン王国が決めたことなのだから。
三カ国は滅亡した。
領土は奪わない。
財宝も奪わない。
アルデバラン王国の旗を立てることもない。
残ったのは、誰も住んでいない町と村、城、街道、農地。
そして千六百五十万人の保護された人々だった。
四千五百万人対三万人。
戦争と呼べる戦いは、一度も起きなかった。
だが、その三万人の誰一人として。
自分たちが戦わなかったとは思っていなかった。




