189 アギト様
アルデバラン王国の王宮は、少し慌ただしかった。
各国から大量の亡命者や保護された人々が流入し続けている。
だが、宰相クレイン以下の文官たちは落ち着いて仕事をしていた。
戸籍の登録、住居の確保、食料の供給、教導を受ける場所の調整。
四千万人を超える人口が短期間で増えたのだ。
仕事が増えないはずがない。
それでも混乱はしていなかった。
各部署から集められた最新の数字を確認したクレインは、国王オーキスへ報告した。
「陛下。我が国の人口が一億一千六百万人に至りましたぞ」
「一億一千六百万人か」
オーキスが資料を見る。
クレインは内訳を読み上げた。
「ゼノ・バルト帝国から五百万人。灰塵の荒野ヴォルガから五百万人。神聖アーリア王国から五百万人」
三カ国で千五百万人。
さらに今回の調査で大きく増えた。
「ガルテェニカ王国から二千五百万人。サンマウ王国から二百七十万人。ヴェロン王国から三百十五万人と十人。ヴァレキフ王国から約十万人です」
最後に自然増が約五万人。
増加人口は約四千五百九十五万人。
元の人口は約七千万人。
合計、およそ一億一千六百万人。
オーキスは数字を眺めた。
「一億人を大きく超えているな」
領土を広げたわけではない。
他国を征服したわけでもない。
アルデバラン王国へ来ることを選んだ人々を受け入れていたら、人口が一億人を超えていた。
オーキスはアイクへ視線を向ける。
「今回の手柄は、いつぞやのアギトという騎士が活躍したと聞いておる。叙爵するか?」
アイクは首を横に振った。
「いえ。今回は任務でしたので、叙爵は過分かと存じます。表彰が適当かと」
アギト一人の功績でもない。
最初に派遣された若手騎士二十人。
途中から応援に入った先輩たち一万人。
それぞれが与えられた仕事をした結果だった。
「そうか」
オーキスは再び資料を見る。
「しかし、人口をいきなり四千六百万人も増やした者に表彰だけとは?」
アイクは黙っている。
「報奨金くらい付けてやろうぞ」
「御意」
それで決まった。
後日。
アギトたち二十人は王宮へ召喚された。
本人たちは表彰されるとは聞いていたが、それ以上のことは知らされていなかった。
王宮の広間に二十人が並ぶ。
アギトは少し緊張していた。
国王から直接表彰されるのだ。
さすがにいつもの任務とは違う。
だが、その光景を見ているのは王宮にいる者たちだけではなかった。
王国中の空に巨大な映像が投影されていた。
生中継だった。
もちろん音声も付いている。
王都の住民が空を見上げる。
農村でも人々が仕事の手を止めた。
冒険者たちも空を見る。
商人も、職人も、教師も、子供たちも見ていた。
その中に、ガルテェニカ王国から最初に保護された五百三十人がいた。
まだ先輩たち一万人が到着する前。
アギト、ポール、ボーデン、アーウェン、ジェーンの五人が見つけた人々だ。
彼らも空を見上げていた。
ヴェロン王国から保護された孤児たちもいた。
五万人の子供たち。
自分たちを探し出し、この国へ連れてきてくれた騎士たちが空に映っている。
そして王都の一軒の酒場。
給仕をしていた一人の女性が、客の声に気づいて窓の外を見た。
「騎士たちの表彰だってよ」
空に二十人の姿が映っている。
女性は何気なく眺めた。
そして、一人の顔を見た瞬間に動きを止めた。
知っている。
忘れるはずがない。
かつてアーデン王国から亡命したとき、自分を助けてくれた騎士だった。
今の彼女は奴隷でもなければ、保護されるだけの人間でもない。
王都の酒場で給仕として働き、自分で生活している。
女性の名はバルセロナ。
彼女は手にしていた盆を胸元へ寄せた。
空に映る騎士を見つめる。
あのときと変わらない顔だった。
「アギト様……」
小さな声だった。
だが彼女にとって、空に映っている男はただの表彰される騎士ではなかった。
王宮の広間に二十人の若い騎士たちが並んでいた。
アギトは少し落ち着かなかった。
国王オーキスの前に立つ。
その隣には王妃バイオレット。
宰相クレイン、騎士団長アイクをはじめ、王国の重臣たちも揃っている。
表彰されることは聞いていた。
だが、王国中の空へ投影され、生中継されるとは聞いていない。
しかも音声まで流れている。
アギトは隣のポールへ小声で聞いた。
「これ、聞いてた?」
「聞いてない」
「俺も」
反対側ではボーデンも困った顔をしている。
アーウェンとジェーンも似たようなものだった。
やがてアイクが前へ出た。
「これより、国外調査任務において功績を挙げた二十名を表彰する」
その声が王国中へ響いた。
ガルテェニカ王国。
サンマウ王国。
ヴェロン王国。
ヴァレキフ王国。
四カ国へ五人ずつ派遣された二十人。
途中から先輩たち一万人が応援に加わった。
それでも最初に現地へ入り、調査し、判断し、保護を始めたのは二十人だった。
アイクが名前を読み上げる。
「アギト、ポール、ボーデン、アーウェン、ジェーン」
五人が姿勢を正す。
続いて、
スペンサー、パトリック、ローラ、ビィナ、キラ。
チェース、ブレンドン、リア、アンナ、シンディ。
ジェームソン、シェーン、コルネリズ、ケイトリン、ギーナ。
二十人全員の名が王国中へ流れた。
アギトは前を向いていた。
大したことをしたという実感は、まだあまりない。
命令されてガルテェニカ王国へ行った。
索敵した。
奴隷を見つけた。
鑑定した。
念話で本人の意思を聞いた。
亡命したいと言われたから保護した。
人数が多すぎたから応援を頼んだ。
先輩たちが一万人来てくれた。
その後も同じだ。
見つける。
調べる。
聞く。
本人が望めば保護する。
それを繰り返しただけだった。
オーキスが立ち上がった。
「皆、よくやってくれた」
二十人が揃って頭を下げる。
「そなたたちが現地で任務を遂行した結果、多くの者が我が国への亡命を選んだ。今回調査した四カ国だけでも、その数は三千万人を超える」
三千万人。
アギトは改めて数字の大きさを感じた。
一人ずつ保護していたときには、そんな実感はなかった。
「その功績を称え、二十名を表彰する。また、相応の報奨金を与える」
「ありがとうございます!」
二十人の声が広間に響いた。
その様子を王国中の人々が見ていた。
ガルテェニカ王国で最初に保護された五百三十人も空を見上げていた。
「あの人だ」
一人の男がアギトを指さした。
「最初に来てくれた騎士だ」
五百三十人にとって、アギトたち五人は忘れられない。
一万人の先輩たちが来るより前に、自分たちを見つけてくれた者たちだった。
別の場所では、ヴェロン王国から保護された孤児たちが集まって空を見ていた。
年長の女の子が、小さな子供たちへ教える。
「あの人たちが連れてきてくれたのよ」
小さな子が空を見上げる。
「あの人たち?」
「そうよ」
空には二十人の騎士が映っていた。
そして王都の酒場。
給仕をしていたバルセロナも、仕事の手を止めて空を見ていた。
客たちが騒いでいる。
「三千万人以上だってよ」
「すごい人数だな」
「若い騎士だろ?」
そんな声が聞こえていた。
だがバルセロナにとって、三千万人という数字はどうでもよかった。
空にアギトが映っている。
かつてアーデン王国から亡命した自分を助けてくれた騎士。
あのとき、自分の意思を聞いてくれた。
そして今、自分は王都の酒場で働いている。
給金を受け取り、自分で暮らしている。
あの日とは何もかも違う。
バルセロナは空に映るアギトを見つめた。
少し誇らしかった。
自分を助けてくれた人が、国王から表彰されている。
彼女は小さく笑った。
「アギト様……」
その声は酒場の喧騒に紛れた。
それでもバルセロナは、いつまでも空を見上げていた。
表彰式が終わった。
俺たち二十人は国王陛下にもう一度頭を下げ、広間を出た。
扉が閉まったところで、ポールが大きく息を吐いた。
「緊張した」
「生中継なんて聞いてなかったぞ」
ボーデンも苦笑している。
俺も同感だった。
表彰されることは聞いていた。
だが王国中の空に自分たちの姿が投影されるなんて、まったく聞いていなかった。
しかも音声付きだ。
「アギト、これで王国中の有名人だな」
「やめてくれ」
俺が答えると、皆が笑った。
報奨金までいただいた。
任務として四カ国を調査しただけなのに、ここまでしてもらっていいのだろうか。
俺一人でやった仕事でもない。
最初に派遣された若手は二十人。
途中からは先輩たち一万人が応援に来てくれた。
ガルテェニカ王国で二千五百万人もの奴隷を保護できたのも、先輩たちが来てくれたからだ。
二十人は王宮を出たところで解散した。
「じゃあ、またな」
「お疲れ」
「次の任務で」
皆がそれぞれ帰っていく。
俺も帰ろうとしたが、腹が減っていた。
「飯を食って帰るか」
向かったのは、以前にも入ったことのある酒場だった。
忘れるはずがない。
アーデン王国から亡命してきた女性が、プロパーの男に絡まれていた店だ。
あのとき俺は間に入った。
ただそれだけだった。
だが、あの一件がきっかけで、俺は後日国王陛下から表彰された。
そして今日も表彰されたばかりだ。
妙な縁のある店だと思う。
酒場の扉を開ける。
「いらっしゃいませ」
店内は賑わっていた。
空いている席を探そうとして、一人の給仕と目が合った。
女性の動きが止まる。
俺もすぐに思い出した。
あのときの女性だ。
「アギト様……」
「久しぶり」
声をかけると、女性の表情が明るくなった。
「はい。お久しぶりです」
名前は確か――。
「バルセロナです」
「ああ、そうだった。バルセロナさん」
「覚えていてくださったんですね」
「もちろん。この店も覚えてるよ」
俺は空いている席へ座った。
バルセロナが注文を取りに来る。
肉料理とスープ、酵母パンを頼んだ。
「かしこまりました」
しばらくして、料理を持ったバルセロナが戻ってきた。
「お待たせしました」
「ありがとう」
料理が並べられる。
バルセロナはすぐには離れなかった。
「今日の表彰、見ていました」
「ああ……やっぱり?」
「はい。王国中の空に映っていましたから」
俺は少し恥ずかしくなった。
「生中継するなんて知らなかったんだ」
「そうだったんですか?」
「表彰するから来いとは言われてたけどね」
バルセロナが笑った。
「アギト様らしいですね」
「どういう意味?」
「そのままの意味です」
よく分からない。
俺は酵母パンをちぎった。
店の中では、まだ今日の表彰式について話している客がいる。
「三千万人以上だってよ」
「二十人の騎士が最初に派遣されたらしいぞ」
「途中から一万人も応援に行ったそうだ」
俺は聞こえないふりをしてスープを飲んだ。
何人かは俺に気づいたようで、こちらを見ている。
落ち着かない。
「すごいことをされたんですね」
バルセロナが言った。
「俺一人じゃないよ」
「でも、アギト様が一万人の方を指揮されたのでしょう?」
「指揮っていうほどじゃないよ」
俺は首を横に振った。
「マイク先輩に、お前がリーダーだって言われただけだ」
最初は断ろうとした。
一万人もいる先輩たちに命令なんてできないと思った。
でも先輩たちは応援で、現地へ派遣されたのは俺たちだと言われた。
だから引き受けた。
それだけだ。
バルセロナは俺を見ていた。
「あのときも、そうでした」
「何が?」
「私があの男に絡まれていたときです」
俺は以前のことを思い出した。
「目の前で困ってたからね」
「はい」
バルセロナは笑った。
「だから、アギト様なんです」
「?」
意味が分からない。
「どういうこと?」
「そのままです」
また同じ答えだった。
バルセロナは料理を指した。
「冷めてしまいますよ」
「ああ、そうだね」
俺はスープを口に運んだ。
美味い。
何千万人を保護したと言われても、まだ実感はなかった。
目の前にいるバルセロナを助けたときだって、表彰されるようなことをしたとは思っていなかった。
困っている人がいた。
だから動いた。
今回も、俺にとってはそれだけだった。
表彰から数日後。
俺たち二十人は集まっていた。
国王陛下からいただいた報奨金は、一人金貨百枚。
かなりの金額だ。
最初はそれぞれ好きに使えばいいという話だった。
だが、誰からともなく先輩たちの話になった。
「俺たちだけで貰うのも違うよな」
ポールが言った。
俺もそう思っていた。
四カ国へ最初に派遣されたのは俺たち二十人だ。
でも、途中から一万人の先輩たちが応援に来てくれた。
特にガルテェニカ王国。
五人だけで二千五百万人を保護するなんて無理だった。
先輩たちは俺の指示にも従ってくれた。
文句一つ言わず、索敵して、鑑定して、意思を確認して、保護してくれた。
「一万人全員を食事に招待するのは無理だよな」
「さすがにな」
そこで一人五十人ずつ招待することにした。
二十人で千人。
店も一軒では入りきらない。
俺たちはそれぞれ別の店を予約した。
俺が選んだのは、もちろんバルセロナが働いている酒場だった。
当日。
招待した先輩たち五十人が集まった。
「今日は俺たちが払いますから、好きなだけ食べてください」
「お前、報奨金もらったからって調子に乗るなよ」
マイク先輩が笑う。
「いいじゃないですか。こういう時くらい」
料理が次々と運ばれてきた。
肉料理。
魚料理。
スープ。
焼いた魔物肉。
酵母パン。
酒も出る。
バルセロナたち給仕が忙しそうに料理を運んでいた。
同じ頃、他の十九人も別の店で先輩たちを接待している。
合計千人。
一万人全員を呼ぶことはできなかった。
だから班長を中心に集まってもらった。
食事が一段落したところで、俺はマイク先輩へ小さな袋を渡した。
「これ、お願いします」
「なんだ?」
「今回いただいた報奨金です」
マイク先輩の顔が変わった。
「おい」
「一人金貨百枚いただきました。そのうち九十枚です」
「受け取れるか」
即答だった。
「俺たちは応援に行っただけだぞ」
「でも二千五百万人を保護できたのは、先輩たちがいたからです」
「それは任務だ」
「俺たちも任務です」
マイク先輩が黙った。
「一万人に一人ずつ渡すことはできません。だから班長の皆さんにお願いします。皆さんで分けてください」
「アギト」
「俺たち二十人で決めました」
他の店でも同じ話をしているはずだ。
二十人全員が金貨九十枚を出す。
自分たちに残すのは十枚。
それで十分だった。
マイク先輩はしばらく袋を見ていた。
「本当にいいのか?」
「はい」
「後で返せって言っても返さないぞ」
「言いませんよ」
マイク先輩が笑った。
そして袋を受け取った。
「ありがたく」
「お願いします」
これでいい。
食事が終わる頃には、いつもの先輩と後輩に戻っていた。
四カ国で何千万人を保護したとか、王国の人口が一億人を超えたとか、そんな大きな話はほとんど出なかった。
食べて、飲んで、笑った。
それで十分だった。
それから少し経った頃。
俺は以前より頻繁に、あの酒場へ行くようになっていた。
理由は分かっている。
「また来たんですか?」
バルセロナが笑う。
「飯を食べに来ただけだよ」
「昨日も?」
「昨日も腹は減るだろ」
「今日も?」
「今日も減る」
バルセロナが笑った。
最初はそれだけだった。
仕事が終われば酒場へ行く。
彼女の仕事が終わるまで待つこともあった。
一緒に食事をするようになった。
王都を歩くことも増えた。
いつの間にか、俺とバルセロナは付き合うようになっていた。
特別なきっかけがあったわけではない。
どちらかが大げさな言葉を口にしたわけでもない。
ただ会う回数が増えた。
話す時間が増えた。
一緒にいることが普通になった。
ある日、バルセロナが俺に言った。
「アギト様」
「その様って、そろそろやめない?」
「嫌です」
「なんで?」
バルセロナは笑った。
「アギト様だからです」
やっぱり意味が分からない。
でも、もう聞き返すことはしなかった。
俺にとっては、いつものバルセロナだった。




