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戦わずに世界を変えた男――教育と物流で“循環国家”を作ったら、いつの間にか大陸が一つになっていた  作者: 慈架太子


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176 第2の魔族街

 商業ギルドが企画した「イプシオ領一日観光パック」は、販売開始と同時に大きな反響を呼んだ。


 問題だったのは移動手段である。


 飛行魔法を使えば移動できる。


 ゴーレム馬車もある。


 だが観光客が増え続ければ、それだけでは不便だった。


 そこで商業ギルドは、もっと単純な方法を選んだ。


 王都の商業ギルド内に転移ゲートを設置し、イプシオ領の商業ギルド内に設置した転移ゲートと接続したのである。


 王都で受付を済ませる。


 ゲートをくぐる。


 それだけでイプシオ領だった。


 飛行する必要もない。


 ゴーレム馬車に乗る必要もない。


 朝に王都を出て、夜には戻れる。


 観光客は急増した。


 ◇


 イプシオ領一日観光パックには、いくつもの楽しみが用意された。


 午前中は果樹園。


 農婦ハンナから仕入れた苗木から育った柑橘、ベリー、リンゴ、桃などを楽しむ。


 昼には市場や製糖工房を巡る。


 午後は公衆浴場。


 そして夕方からは、領都のやきとり酒場へ向かう。


 だが訪れた者たちが驚いたのは、食べ物だけではなかった。


「ここ、魔族街に似てないか?」


 王都から来た商人が呟いた。


 通りを歩いているのは人間だけではない。


 エルフ。


 ダークエルフ。


 獣人。


 ドワーフ。


 魔族。


 店を営む者も、そこで働く者も多種族だった。


 料理にも、その影響が出ている。


 マルセルから料理を学んだ店がある。


 だが、もはや完全なレプリカではない。


 エルフの料理人は香草を使う。


 ダークエルフの料理人は香辛料を加える。


 獣人の料理人は肉の扱いを工夫する。


 魔族の料理人は内臓料理を増やす。


 そこへイプシオ領の砂糖、大豆調味料、果実、ラム酒が加わった。


「第二の魔族街みたいだな」


 誰かがそう呼んだ。


 その呼び名は、いつの間にか観光客の間へ広がっていった。


 ◇


 ある日。


 王都側の転移ゲートを、バイオレットがくぐった。


 その後ろにはマーガレットと侍女たちが続いている。


 今回は大規模な視察団ではない。


「本当に近いわね」


 バイオレットが振り返った。


 つい先ほどまで王都の商業ギルドにいたのである。


「これなら夕食だけ食べに来ることもできますね」


 マーガレットが言う。


「今日はそのつもりよ」


 バイオレットは楽しそうだった。


 果樹園や市場を見て回り、公衆浴場にも立ち寄る。


 そして夕方。


 一行は領都のやきとり酒場へ入った。


 王族向けの高級店ではない。


 領民や冒険者、商人たちが普通に利用している店だった。


「いらっしゃいませ!」


 店員は一瞬固まったものの、すぐに席へ案内した。


 やがて皿が並ぶ。


 もも。


 皮。


 せせり。


 ぼんじり。


 軟骨。


 ハツ。


 レバー。


 バイオレットが一本の串を見る。


「この、ぼんじりというのをいただくわ」


「塩とタレがございます」


「両方ください」


 塩焼きを一口。


 脂の旨味が口いっぱいに広がった。


「これは美味しいわね」


 次にタレ。


 砂糖と大豆調味料を使った甘辛い味が、脂の多い肉によく合う。


「同じ部位なのに、随分変わるのね」


「せせりもお勧めです」


「では、それも」


 視察という雰囲気は、すでになかった。


 ◇


 飲み物も運ばれてきた。


「こちらは?」


「ラム酒を水属性魔法と風属性魔法で作った炭酸水で割り、果汁を加えたものです」


「果汁?」


「柑橘、ベリー、桃がございます」


「では桃を」


 バイオレットが一口飲んだ。


 桃の甘い香り。


 炭酸の刺激。


 その後からラムの風味が追いかけてくる。


「……これ、危険ね」


 侍女が固まった。


「毒が?」


「違うわ。飲みやすすぎるの」


 マーガレットが笑った。


 そのときだった。


「あら?」


 バイオレットが店の奥を見る。


 見覚えのある女性がいた。


「イメルダ?」


「まあ、王妃陛下」


 イメルダ・シュトラウス伯爵夫人だった。


 周囲には結婚斡旋ギルドの職員たちがいる。


「あなた、ここでも仕事をしているの?」


「本日は職員との親睦会でございます」


「本当に?」


「……半分ほどは」


「残り半分は?」


「婚姻希望者の交流会です」


「やっぱり」


 バイオレットが笑った。


 もはやイメルダがどこで何を始めても、不思議ではなかった。


 食事を終え、一行は転移ゲートへ向かった。


「また来ましょう」


 同行していた侍女が尋ねる。


「次回も視察でしょうか?」


「いいえ」


 バイオレットは即答した。


「食事よ」


 王都とイプシオ領を隔てていた距離は、転移ゲートによって消えた。


 第二の魔族街と呼ばれ始めた領都は、王国中の人々が気軽に訪れる街へ変わりつつあった。




 バイオレットたちがイプシオ領を訪れたという話は、王都でもすぐに広まった。


 だが、人々の関心を集めたのは、王妃が視察したという事実だけではなかった。


「王妃陛下が普通のやきとり酒場で食事をされたそうだ」


「ぼんじりを気に入られたらしいぞ」


「桃のラム炭酸割りも飲まれたそうだ」


「それなら今度の休みに行ってみよう」


 王都の商業ギルドに設置された転移ゲートには、朝から利用者が集まるようになった。


 受付を済ませてゲートをくぐれば、そこはもうイプシオ領の商業ギルドである。


 飛行魔法もゴーレム馬車も必要ない。


 休日に訪れる家族。


 食事を楽しみに来る夫婦。


 砂糖や酒を買い付ける商人。


 ダンジョンへ向かう冒険者。


 様々な目的を持った人々が、一つのゲートから流れ込んでいた。


 ◇


 人が増えれば、領民はすぐに動いた。


「果実を持ち帰りたいって客が多いぞ」


「なら籠に詰めて売ろう」


「砂糖も小分けにした方が買いやすい」


「やきとりのタレも売れないか?」


「瓶に入れれば王都まで持って帰れるな」


 誰かに命じられたわけではない。


 果樹農家は柑橘、ベリー、リンゴ、桃の詰め合わせを作った。


 製糖工房は家庭向けの砂糖を小袋に詰める。


 調味料工房では、やきとりに使われている甘辛いタレの瓶詰めが始まった。


 酒房ではラムを小瓶で販売する。


 紡織工房まで観光客向けの鞄や帽子を作り始めた。


 客が来る。


 需要が生まれる。


 需要を見つけた者が商品を作る。


 売れれば、新たな雇用が生まれる。


 還流は止まらなかった。


 ◇


 第二の魔族街という呼び名も、次第に王国各地へ広がっていった。


 ただし、そこにあるのは魔族街の複製ではない。


 エルフの料理人は香草や果実を使う。


 ダークエルフは香辛料を巧みに組み合わせる。


 獣人は肉の部位ごとの特徴を活かした料理を作る。


 魔族はレバーやハツなどの内臓を使った料理を得意としていた。


 人間の料理人も、砂糖、大豆調味料、果実、ラムを組み合わせて新しい味を生み出している。


 店を利用する側も同じだった。


 人間と獣人が同じ卓で酒を飲む。


 エルフの夫婦がやきとりを食べる。


 魔族の親子が果実炭酸水を楽しむ。


 ダークエルフの商人とドワーフの職人が、食事をしながら商談を進めている。


 種族ごとに通りを分ける必要などなかった。


 誰もが好きな店へ入り、好きな料理を食べていた。


 ◇


 マルセルも、再びイプシオ領を訪れていた。


 今度は料理を確認するためでも、教えるためでもない。


 純粋に食事を楽しむためだった。


「また来たんですか?」


 料理人が笑う。


「悪いか?」


「いえ。今日は何にします?」


「せせりを塩で。ぼんじりも頼む」


「ラムは?」


「炭酸割りで」


「今日は何味にします?」


 マルセルが少し考えた。


「柑橘にしよう」


 注文にもすっかり慣れていた。


 やがて、せせりとぼんじりが運ばれてくる。


 そこへ柑橘の果汁を加えたラムの炭酸割り。


 マルセルはせせりを食べ、酒を一口飲んだ。


「やっぱり合うな」


 そのとき、店へ入ってきたイプシオがマルセルに気づいた。


「マルセルさん。また来てたんですか?」


「イプシオ卿まで、そうおっしゃるんですか」


「いや、嬉しいですけど」


 イプシオは向かいの席へ座った。


「第二の魔族街なんて呼ばれるようになりました」


「聞いています」


「マルセルさんから見て、似てます?」


 マルセルはすぐには答えなかった。


 通りへ目を向ける。


 エルフがいる。


 ダークエルフもいる。


 獣人も魔族も、人間もいる。


 確かに雰囲気は魔族街に似ていた。


「俺は少し違うと思います」


「違います?」


「ええ。魔族街には魔族街の料理があります。ここには、ここの料理があります」


 マルセルはぼんじりを一本取った。


「最初は俺の料理を真似していた連中も、今では好き勝手に作っているでしょう?」


「好き勝手は言いすぎじゃないですか?」


「褒めてるんですよ」


 マルセルが笑った。


「俺が教えていない照り焼きを作って、やきとりを作って、ラムまで作った。炭酸水なんて俺は思いつきもしませんでした」


「確かに」


「だったら、もうレプリカじゃありません」


 マルセルはラムの炭酸割りを飲んだ。


「ここはイプシオ領です」


 イプシオも笑った。


「本家にそう言ってもらえると嬉しいですね」


「本家って呼ぶのは勘弁してください」


「どうしてです?」


「今度は俺が、ここの料理を教わって持ち帰るんですから」


「持って帰るんですか?」


「当然でしょう」


 教えられた者が工夫し、新しいものを作る。


 そして、それを教えた者が学び直す。


 一方向だった流れは、いつしか往復するようになっていた。


 第二の魔族街。


 そう呼ばれるイプシオ領は、すでに魔族街の模倣ではない。


 様々な種族と技術と料理が混ざり合う、独自の街へ育っていた。




 イプシオ領一日観光パックの人気は、その後も伸び続けた。


 王都の商業ギルドとイプシオ領の商業ギルドを結ぶ転移ゲートがあるため、移動に時間を取られない。


 朝に王都を出て果樹園を巡る。


 市場で砂糖や調味料を買い、昼には多種族の料理を楽しむ。


 公衆浴場で身体を休め、夕方からはやきとり酒場へ向かう。


 夜には再び転移ゲートを使って王都へ戻る。


 商業ギルドは利用者の声を集め、観光パックの種類を増やしていった。


 家族向け。


 夫婦向け。


 冒険者向け。


 食べ歩きを中心にした料理好き向け。


 結婚斡旋ギルドと協力した婚姻希望者向けの交流企画もある。


 観光客が増えれば店が増える。


 店が増えれば雇用が増える。


 さらに新しい商品が生まれ、それを目当てに別の客が訪れる。


 観光もまた、領内の還流へ組み込まれていた。


 ◇


 ある日。


 王都側の転移ゲートから、バイオレット、マーガレット、サーシャ、ミーナが姿を現した。


 侍女たちも一緒だった。


 前回の食事を気に入ったバイオレットが、今度はサーシャとミーナも誘ったのである。


「お母様、本当にお気に召したのですね」


 マーガレットが笑った。


「ええ。言ったでしょう。また食事に来ると」


「本日は、どちらのお店へ行かれるのですか?」


 サーシャが尋ねた。


「まだ決めていないの。それを探すのも楽しみでしょう?」


 その言葉を聞き、ミーナが通りから漂ってくる香ばしい匂いへ目を向けた。


「せせりという料理も、いただいてみたいです」


「では、それを出す店を探しましょう」


 バイオレットが微笑む。


「ありがとうございます」


 今日は視察ではない。


 報告を受ける予定もない。


 純粋に街を歩き、食事を楽しむために訪れていた。


 ◇


 領都の通りは以前にも増して賑わっている。


 果実を山積みにした露店。


 砂糖菓子を売る店。


 瓶詰めされた甘辛いタレ。


 小瓶に入ったラム。


 果実炭酸水を売る店もある。


 そして何より、至るところから肉を焼く香ばしい匂いが漂っていた。


 行き交う者も人間だけではない。


 エルフ。


 ダークエルフ。


 獣人。


 ドワーフ。


 魔族。


 様々な種族が同じ通りを歩いている。


「魔族街とも少し違いますね」


 サーシャが周囲を見渡した。


「ええ。似ているけれど、もう別の街ね」


 バイオレットも頷く。


 マルセル料理を再現するところから始まった店も残っている。


 だが、その料理はすでに独自の変化を遂げていた。


 エルフは香草を加える。


 ダークエルフは香辛料を使う。


 獣人は肉料理を工夫する。


 魔族は内臓料理を発展させる。


 そこへイプシオ領の砂糖、大豆調味料、果実、ラムが組み合わされていた。


 第二の魔族街。


 そう呼ばれてはいるが、すでに独自の食文化が育っている。


 ◇


 一行は通りにある普通のやきとり酒場へ入った。


 領民も商人も冒険者も利用する店である。


 席へ案内されると、品書きを眺めた。


 もも。


 皮。


 せせり。


 ぼんじり。


 軟骨。


 ハツ。


 レバー。


「せせりをお願いできますか?」


 ミーナが店員へ注文する。


「はい。塩とタレがございます」


「では、両方をお願いします」


 他の串も塩とタレを織り交ぜて注文した。


 飲み物も運ばれてくる。


 バイオレットは前回気に入った桃のラム炭酸割り。


 マーガレットは柑橘。


 サーシャはベリー。


 ミーナには同じベリーを使った果実炭酸水が用意された。


「美味しいです」


 ミーナが嬉しそうにグラスを置いた。


「お酒が入っていなくても十分楽しめますね」


 サーシャも頷いた。


 ◇


 しばらく食事を楽しんでいたバイオレットが、店の奥へ目を向けた。


「あら、イメルダがいるわ」


 結婚斡旋ギルドの職員たちと一緒に、イメルダ伯爵夫人が食事をしている。


 さらに奥にも見覚えのある三人がいた。


 ガイル。


 アレクサンド。


 アンジェラ。


 三人も仕事ではなく、家族で食事を楽しんでいた。


「ガイル、それ一つちょうだい」


「せせりか?」


「ええ」


 ガイルが串を渡す。


「ありがとう」


 アレクサンドは受け取ると、自然にガイルへ身体を寄せた。


 反対側のアンジェラが微笑む。


「気に入りました?」


「ええ。アンジェラも食べてみなさい」


 アレクサンドが串を差し出す。


 アンジェラが一切れ食べた。


「美味しいですね」


「でしょう?」


 その光景にイメルダも気づいた。


「……まあ」


 隣の職員が尋ねる。


「どうされました?」


 イメルダは満足そうに微笑んだ。


「教導の成果ですわ」


「教導ですか?」


「新婚夫婦の正しい甘え方です」


 職員たちの視線がアレクサンドへ集まる。


 その気配に気づき、アレクサンドが顔を上げた。


 イメルダと目が合う。


「……」


「……」


 イメルダが満面の笑みを浮かべた。


 アレクサンドは即座に察した。


「まさか……」


 イメルダが席を立つ。


 アレクサンドは小さく息を吐いた。


 どうやら今日は、静かに食事だけをして帰ることはできそうになかった。




 イメルダはグラスを置き、ガイルたちの席へ向かった。


「ごきげんよう」


 その声を聞いたアレクサンドが、わずかに肩を揺らした。


「……イメルダ伯爵夫人」


「素敵ですわ」


「何がでしょう?」


「もちろん、教導の成果です」


 アレクサンドは隣に座るガイルを見る。


 自分がガイルに身体を寄せたままだったことに気づいた。


 だが、離れなかった。


「以前なら、すぐに姿勢を正しておられましたのに」


「余計なことまで覚えていらっしゃるのですね」


「教導した者として当然ですわ」


 ガイルが笑う。


「俺は感謝してるぞ。前より素直になった」


「ガイル」


「私も感謝しています」


 アンジェラまで続いた。


「アンジェラまで……」


 イメルダは満足そうに頷いた。


「家庭でくらい、侯爵である必要はありませんもの」


「分かっています」


「それなら結構です」


 アレクサンドは少しだけ頬を赤くした。


 それでもガイルの隣から動こうとはしなかった。


 イメルダが微笑む。


「よくできました」


「子供扱いしないでください」


 ◇


 そのやり取りを見ていたバイオレットも笑っていた。


「イメルダ」


 呼ばれて、イメルダが振り返る。


「王妃陛下」


「あなたの教導は婚姻を成立させるだけでは終わらないのね」


「成立させて終わりでは無責任でございましょう」


 イメルダは当然のように答えた。


「夫婦になった後も、幸せに暮らしていただかなければ」


「だから甘え方まで教えたの?」


「必要だと判断いたしました」


 バイオレットはアレクサンドを見る。


「成果は出ているようね」


「王妃陛下まで……」


 アレクサンドが困ったような顔をする。


 店内に笑いが起きた。


 ◇


 しばらくしてイメルダは自分の席へ戻った。


 そこでは結婚斡旋ギルドの職員たちが、別の意味で忙しくなっていた。


「先ほどの三人、とても自然でしたね」


「食事中なら会話も途切れにくいです」


「串を分け合うのもいいですね」


「果実炭酸水がありますから、お酒を飲めない方も参加できます」


「店によっては横並びの席もあります」


 職員の一人が端末へ記録していく。


 イメルダも頷いた。


「婚姻希望者の交流場所として使えますわね」


 ちょうど近くの卓には、結婚斡旋ギルドの紹介で訪れた若い男女が座っていた。


「この串、美味しいですよ」


「では、同じものを頼んでみます」


 まだ少し緊張している。


 それでも食事という共通の話題があるため、会話は続いていた。


 イメルダが満足そうに眺める。


 そこへイプシオが現れた。


「伯爵夫人、うちの酒場まで結婚斡旋に使うつもりですか?」


「何か問題でも?」


「……ありません」


「でしたら結構です」


 即答され、イプシオは苦笑した。


 ◇


 店の反対側では、マルセルが柑橘のラム炭酸割りを飲んでいた。


 イプシオが気づく。


「マルセルさんもいたんですか?」


「イプシオ卿。俺は料理を見に来ただけなんですが……」


 店員が空になったグラスを見る。


「もう一杯いかがです?」


「もらう」


 返事だけは早かった。


 イプシオが笑う。


「完全に飲みに来てるじゃないですか」


「料理の確認です」


 新しいグラスが置かれる。


 細かな泡が立ち上っていた。


 マルセルはぼんじりを食べ、ラムの炭酸割りを口へ運ぶ。


「……これは確認が必要ですね」


「何杯確認するんです?」


「まだ決めてません」


 ◇


 店内には様々な客がいた。


 王族。


 貴族。


 結婚斡旋ギルドの職員。


 冒険者。


 商人。


 領民。


 家族連れ。


 若い男女。


 人間だけではない。


 エルフもいる。


 ダークエルフもいる。


 獣人も魔族もいる。


 誰も種族を理由に席を分けられてはいなかった。


 同じ料理を食べ、同じ酒を飲み、同じ場所で笑っている。


 やがてバイオレットたちも席を立った。


「美味しかったわ」


 店員たちが頭を下げる。


「ありがとうございます」


「また来ましょう」


 侍女の一人が尋ねた。


「次回も視察でございましょうか?」


「いいえ」


 バイオレットは即答した。


「食事よ」


 ◇


 王都へ戻る転移ゲートには、その夜も多くの人が並んでいた。


 手には砂糖や果実。


 瓶詰めのタレ。


 土産用の菓子。


 満足そうな顔で帰る者の横を、これから夜の街へ向かう者たちが通り過ぎる。


 魔族街の料理を真似るところから始まった。


 そこへ砂糖が加わった。


 酒が生まれた。


 多種族の料理が混ざった。


 人が集まり、観光が生まれた。


 そして今では、王都から夕食を食べるためだけに訪れる者までいる。


 第二の魔族街。


 そう呼ばれるようになったイプシオ領は、すでに誰かが作った街ではなかった。


 領民自身が仕事を作り、文化を作り、人を呼ぶ。


 新しい街は、自らの力で歩き始めていた。





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