177 侵攻
アルデバラン王国の繁栄は、周辺諸国にも知られるようになっていた。
広大な農地から生産される大量の食料。各地を結ぶ街道。工房では織物や石鹸、薬品、加工食品が作られ、冒険者ギルドを中心とした物流網も広がっている。
その豊かさを、三つの国がそれぞれ異なる目で見ていた。
ゼノ・バルト帝国。
国王グスタフ・アドルフが絶対的な権力を握る独裁国家である。
この国では、国王の意思が法よりも優先される。街には監視の目があり、王に逆らう者は容赦なく捕らえられた。
グスタフ自身も圧倒的な体躯と怪力を持つ男だった。
反抗する者を自ら叩き潰してきた彼にとって、世界の理は単純だった。
強い者が奪う。
弱い者は奪われる。
王宮でアルデバラン王国についての報告を受けたグスタフは、玉座から臣下たちを見下ろした。
「食料が余っているのか?」
「はい。国内で消費する以上の生産力があると見られています。織物や薬品なども大量に流通しています」
グスタフは笑った。
「ならば奪えばいい」
交易を申し込むという考えはなかった。
対価を払う必要もない。
欲しいものを持っている者が自分より弱いなら、奪えばいい。
「五万を出せ」
臣下たちが頭を下げる。
反対する者はいなかった。
ゼノ・バルト帝国軍五万に、アルデバラン王国への侵攻命令が下された。
同じ頃。
灰塵の荒野ヴォルガでは、女帝イルザ・フォン・シュタールが端末に表示された数字を見ていた。
ヴォルガは他国を襲い、食料や物資を奪うことで国家を維持してきた。
イルザにとって略奪は快楽ではない。
生存のための手段だった。
「現在の備蓄で冬を越せるか?」
「不可能です」
側近が答える。
「不足量は?」
「現在の人口を維持するなら、三か月分以上になります」
イルザは端末を操作した。
周辺国の食料生産量。
距離。
投入する兵数。
遠征に必要な補給。
持ち帰ることのできる物資。
数字を一つずつ確認していく。
「アルデバラン王国が最も多いな」
「はい」
「ならば、そこから取る」
善悪を論じる必要はなかった。
ヴォルガが生き残るには物資が必要。
持っていないなら、持っている国から奪う。
「五万を出す」
「承知しました」
灰塵の荒野ヴォルガからも五万の軍勢が出撃した。
さらに別の国でも、アルデバラン王国についての報告が行われていた。
神聖アーリア王国。
王ザルヴァール・フォン・アウレリウスが統治する選民思想国家である。
美しい容姿を持つザルヴァールは、臣下の報告を静かに聞いていた。
「アルデバラン王国では、農民にも教育を与えているのか?」
「はい」
「他国から逃げてきた者にも?」
「食事と住居を与え、教育した後には仕事まで与えているようです」
ザルヴァールの表情から笑みが消えた。
神聖アーリア王国では、自分たちこそ神に選ばれた民だと信じられている。
人間の価値は生まれによって決まる。
支配する者。
仕える者。
その秩序を変えることは許されない。
「下位の者に教育を与え、力を持たせるとは」
ザルヴァールは静かに首を振った。
「愚かな国だ」
臣下たちは何も言わない。
「我々が上に立つことこそ、世界の正しい秩序である」
ザルヴァールは命じた。
「五万を出せ」
神聖アーリア王国軍も動き始めた。
三国は同盟を結んでいなかった。
互いに連絡を取ったわけでもない。
ゼノ・バルト帝国は、力が支配を正当化すると信じている。
灰塵の荒野ヴォルガは、略奪によって国家を維持している。
神聖アーリア王国は、血統と出自による支配を正しい秩序だと考えている。
理由は違った。
しかし、三国が目指した場所は同じだった。
アルデバラン王国。
それぞれ五万。
合計十五万の軍勢が、三方向から国境へ向かって進軍していた。
その動きは、すでにアルデバラン王国でも把握されている。
王宮の会議室。
クレインが端末を操作すると、空中に三つの軍勢の位置と進路が投影された。
「陛下。三国の軍勢が国境へ接近しています。それぞれ約五万」
オーキスが表示を見る。
「三国は共闘しているのか?」
「いいえ。連携している形跡はありません」
「こちらから三国へ攻撃した事実は?」
「ありません」
「領土問題も?」
「ありません」
オーキスはしばらく三つの軍勢を見ていた。
やがて短く命じる。
「警告しろ」
「承知しました」
三国の軍勢の前方上空に巨大な映像が投影された。
進軍していた兵士たちが空を見上げる。
『アルデバラン王国より警告する』
声が戦場予定地一帯へ響いた。
『ただちに進軍を停止し、撤退せよ』
同時に共同管理システムへ記録が残される。
警告時刻。
三国軍の位置。
兵数。
そして警告内容。
一度目の警告だった。
一度目の警告から時間が経過しても、三国の軍勢は進軍を止めなかった。
ゼノ・バルト帝国軍では、上空に投影された警告を見た司令官が鼻で笑った。
「撤退しろだと?」
周囲の指揮官たちも笑っている。
「我々は五万です。恐れているのでしょう」
「当然だ。我らは奪う側だ。奪われる側の言葉を聞く必要などない」
司令官が前方を指した。
「進軍!」
帝国軍は歩みを再開した。
灰塵の荒野ヴォルガ軍も止まらなかった。
こちらでは警告を笑う者はいない。
すでに遠征のために食料を消費している。何も奪わず撤退すれば、出兵に使った物資がそのまま損失になる。
司令官は端末で進路を確認した。
「変更なし。予定通り進む」
兵士たちは黙って前進した。
神聖アーリア王国軍では、警告そのものが侮辱と受け取られていた。
「我々に退けと言うのか」
司令官が空を見上げる。
「立場を理解していないようだな」
進軍命令は撤回されなかった。
三国軍の動きはアルデバラン王国でも確認されている。
王宮の会議室では、三つの軍勢の位置が空中に表示され続けていた。
クレインが端末を操作する。
「陛下。一度目の警告を無視。三軍とも進軍を継続しています」
オーキスは表示された軍勢を見た。
「二度目を」
「承知しました」
三国の軍勢の上空に再び映像が投影された。
『アルデバラン王国より二度目の警告を行う』
兵士たちが空を見上げる。
『ただちに進軍を停止し、撤退せよ。我が国に貴国を侵略する意思はない』
警告は共同管理システムへ記録された。
それでも三国は止まらない。
一定時間を置いて、三度目の投影が始まった。
『これを最後の警告とする』
それまでより強い声が響く。
『ただちに進軍を停止し、撤退せよ。これ以上進軍した場合、我が国への侵略行為と認定し、防衛行動を開始する』
三度目の警告も無視された。
ゼノ・バルト帝国軍。
灰塵の荒野ヴォルガ軍。
神聖アーリア王国軍。
三つの軍勢は、それぞれの方向からアルデバラン王国の国境を越えた。
王宮の投影表示でも、三軍の位置が国境線の内側へ移る。
クレインが確認した。
「三軍とも国境を越えました」
オーキスは迷わなかった。
「防衛行動を開始せよ」
王命が共同管理システムを通じて送信された。
国境付近で待機していたアルフレッド侯爵の端末にも、即座に命令が表示される。
アルフレッド侯爵は王命を確認した。
顔を上げる。
目の前には破壊不能ゴーレムが整然と並んでいた。
二メートル級、三十体。
五メートル級、三十体。
計六十体。
街道整備、農地造成、土砂運搬、災害救助。
これまで人々の生活を支えるために使われてきたゴーレムだった。
今日は役割が違う。
国境を越えてきた十五万の侵略軍を止める。
「兵士は可能な限り殺すな」
アルフレッド侯爵が命じた。
「武器を奪え。抵抗する者は拘束。武器を捨てた者には手を出すな」
「はい!」
「指揮官と司令官は鑑定で識別しろ」
三度の警告を無視した記録は残っている。
誰が進軍を命じたのか。
誰が撤退を拒否したのか。
誰が兵士たちへ戦闘継続を命じたのか。
一般兵と、その命令を下した者を同じ扱いにはしない。
アルフレッド侯爵が前方を見据えた。
「出撃!」
六十体の破壊不能ゴーレムが一斉に動いた。
巨大な足が大地を踏み締める。
重い地響きが国境一帯へ広がった。
やがて三国の軍勢からも、その姿が見え始めた。
ゼノ・バルト帝国軍の最前列で兵士が声を上げる。
「ゴーレムだ!」
司令官が前方を見る。
迫ってくる数は、五万の軍勢に比べればあまりにも少ない。
「たったこれだけか」
弓兵が前へ出る。
魔法使いたちが攻撃態勢に入った。
「攻撃!」
矢が空を埋めた。
火球、風刃、土槍が続く。
無数の攻撃が五メートル級ゴーレムへ直撃した。
爆炎が広がり、土煙が巻き上がる。
帝国兵たちから歓声が上がった。
しかし、その声はすぐに消えた。
煙の中から巨大な影が現れる。
傷一つない。
ゴーレムは歩き続けていた。
「もう一度だ!」
二度目の攻撃が集中する。
結果は変わらない。
五メートル級ゴーレムが最前列へ到達した。
帝国兵が槍を突き出す。
巨大な手が槍を掴んだ。
そのままへし折る。
別の兵士が剣を振り下ろした。
剣を持つ腕を掴み、武器だけを取り上げる。
兵士を地面へ押さえ込む。
後続の二メートル級が拘束した。
誰も殺さない。
ただ武器を奪い、戦う力を失わせていく。
帝国兵の顔から、先ほどまでの笑みが消えていた。
ゼノ・バルト帝国軍の前列では、破壊不能ゴーレムによる制圧が続いていた。
剣を振り下ろしても傷一つつかない。
槍を突き出せば掴まれ、そのまま折られる。
火球も風刃も土槍も、ゴーレムの歩みを止めることができない。
五メートル級が前へ進み、兵士たちから武器を奪う。
その後ろから二メートル級が続き、武器を失ってなお抵抗する兵士を拘束していった。
「武器を捨てろ!」
アルデバラン側から声が響く。
「投降した者には攻撃しない!」
それでも帝国軍の指揮官たちは戦闘を続けさせようとした。
「退くな!」
「戦え!」
兵士たちが再び剣を構える。
だが、目の前にいるゴーレムには何をしても通用しない。
同じ光景は、灰塵の荒野ヴォルガ軍でも起きていた。
ヴォルガの戦士たちは他国への侵攻に慣れている。
敵を倒し、物資を奪い、持ち帰る。
これまで何度も繰り返してきた。
だが今回は、相手を倒せない。
「火魔法!」
複数の火球が五メートル級ゴーレムへ直撃した。
炎が広がる。
その中から巨大な影が出てきた。
何事もなかったかのように歩いている。
一人の兵士が足を止めた。
「無理だ……」
手にしていた剣を地面へ落とす。
「何をしている! 拾え!」
指揮官が怒鳴った。
兵士は拾わなかった。
神聖アーリア王国軍でも、兵士たちの間に動揺が広がっていた。
「我々は神に選ばれた民だ! 怯むな!」
指揮官が叫ぶ。
その前を五メートル級ゴーレムが進む。
魔法を受ける。
剣を受ける。
槍を受ける。
それでも止まらない。
盾を奪い、剣を取り上げ、抵抗する兵士を押さえ込む。
戦闘が前方へ移るにつれ、その後ろには大量の装備が残された。
剣。
槍。
斧。
弓。
盾。
兜や鎧。
破壊された武器や外れた防具も地面に散乱している。
戦闘が完全に終わった区域へ、小さなゴーレムたちが入ってきた。
高さ一メートル。
アリーが運用する魔石回収ゴーレムだった。
その数、三千体。
普段は討伐された魔物から魔石を回収するために働いている。
今回は別の仕事を与えられていた。
アリーは端末に表示された戦況を確認する。
「ここは?」
「戦闘終了を確認しています」
「なら入っていいわ」
アリーが指示を出した。
「回収開始」
三千体の小型ゴーレムが動き出した。
戦闘が続いている場所には近づかない。
安全が確認された区域だけに入り、地面へ落ちている武器や防具を拾っていく。
一体が剣を拾った。
腰に固定されたマジックバッグへ入れる。
剣が消える。
すぐに次の武器へ向かった。
別のゴーレムは盾を拾う。
マジックバッグへ収納。
次は槍。
その隣では兜と鎧が回収されている。
一メートル級の小さな体で大量の装備を運ぶ必要はなかった。
拾う。
マジックバッグへ入れる。
次へ向かう。
三千体が同時にそれを繰り返していく。
折れた剣も回収する。
壊れた盾も回収する。
槍の穂先だけでも残さない。
使えない装備であっても、金属として再利用できる。
何より、戦場に武器を残しておく理由がなかった。
戦闘区域がさらに前へ移動した。
安全が確認される。
そこへ新たな小型ゴーレムの一団が入っていく。
少し前まで武器や防具で埋まっていた地面から、次々と装備が消えていった。
拘束されていたゼノ・バルト帝国兵の一人が、その様子を見ていた。
「俺たちの武器……」
隣の兵士も顔を上げる。
自分が使っていたものと同じ帝国式の剣を、小型ゴーレムが拾った。
マジックバッグへ入れる。
次の瞬間には消えていた。
「全部回収してるぞ」
戻って拾うこともできない。
誰かが隠して再び使うこともできない。
前方には攻撃の通じない巨大なゴーレム。
後方では武器も防具も消えていく。
再び投降勧告が響いた。
「武器を捨てろ! 投降した者には食事と水を与える!」
一人の帝国兵が剣を地面へ置いた。
両手を上げる。
その隣でも槍が落ちた。
ヴォルガ軍でも。
神聖アーリア王国軍でも。
同じように武器を捨てる兵士が現れ始める。
地面へ落とされた武器は、後方からやってきた小型ゴーレムによってマジックバッグへ収納されていった。
三つの戦場で、抵抗する兵士の数が急速に減り始めていた。
一人が武器を捨てると、それを見ていた兵士も剣を置いた。
さらに一人。
また一人。
三つの戦場で投降の流れが広がっていく。
それを止めようとしたのは指揮官たちだった。
ゼノ・バルト帝国軍では、部隊長が剣を抜いて兵士たちを怒鳴りつけていた。
「武器を拾え! 陛下の命令に逆らうつもりか!」
兵士たちの動きが止まる。
グスタフ・アドルフへの恐怖は根深い。
命令に背けば処刑される。
家族まで罪を問われるかもしれない。
長く帝国で暮らしてきた兵士ほど、その恐怖を知っていた。
「前へ出ろ!」
部隊長が剣を振り上げる。
武器を捨てた兵士へ刃を向けた。
だが、振り下ろされることはなかった。
身体が地面へ叩きつけられる。
「ぐっ!」
五メートル級ゴーレムが部隊長を押さえ込んでいた。
剣が奪われる。
すぐに二メートル級が拘束した。
「投降した者への攻撃は許さない!」
アルデバラン側から声が響く。
それを聞いた兵士が、ゆっくりと剣を置いた。
今度は誰も止めない。
次々と武器が地面へ落ちていった。
灰塵の荒野ヴォルガでも同じだった。
「戦え! 何も持たずに帰れると思うな!」
司令官が叫ぶ。
だが、兵士たちは動かなかった。
奪うために来た。
食料を持ち帰るために来た。
ところが何一つ奪えていない。
敵は倒せない。
自分たちの武器と防具まで回収されている。
一人の戦士が斧を捨てた。
「俺は降りる」
隣の男も槍を置いた。
「俺もだ」
その動きは止まらなかった。
神聖アーリア王国軍では、指揮官が声を張り上げていた。
「我々は神に選ばれた民だ! 下等な者に屈するな!」
誰も答えない。
兵士たちは目の前の現実を見ていた。
自分たちの剣は通じなかった。
魔法も通じなかった。
相手は傷一つ負っていない。
それでも、武器を捨てた仲間は殺されていない。
「……本当に殺されないのか?」
一人の兵士が呟いた。
剣を置く。
両手を上げた。
ゴーレムはその兵士を攻撃しなかった。
それを見ていた周囲の兵士たちが、一斉に武器を捨て始めた。
やがて三つの戦場から、組織的な抵抗が消えた。
ゼノ・バルト帝国、五万。
灰塵の荒野ヴォルガ、五万。
神聖アーリア王国、五万。
合計十五万。
侵攻軍は投降した。
アルフレッド侯爵は端末に表示された戦況を確認した。
「鑑定を開始しろ」
「はい!」
投降した兵士たちへの鑑定が始まった。
表面上だけ武器を捨てた者。
隙を見て逃げようとしている者。
再び武器を手に取ろうとしている者。
アルデバラン王国へ害を与える意思を残している者。
一人ずつ確認していく。
同時に、指揮官と司令官も一般兵から分離された。
三度の警告を無視した。
撤退する機会はあった。
それでも進軍を続け、兵士たちへ戦闘を命じた。
共同管理システムに残された記録と鑑定結果を照合する。
三国合わせて三千人。
アルフレッド侯爵は結果を確認した。
「一般兵とは分けろ」
命令されて戦場へ連れてこられた兵士と、侵攻を指揮した者の責任を同じにはしない。
三千人の指揮官と司令官には処刑が言い渡された。
刑はその場で執行された。
戦場に静寂が訪れる。
アルフレッド侯爵は三国への投影放送を命じた。
ゼノ・バルト帝国。
灰塵の荒野ヴォルガ。
神聖アーリア王国。
主要都市の上空に巨大な映像が現れた。
街を歩いていた人々が足を止める。
農作業をしていた者も顔を上げた。
兵士たちも空を見る。
映し出されたのは、処刑された三千人の指揮官と司令官の首だった。
その映像とともに声が響く。
『アルデバラン王国は三度にわたり撤退を警告した』
映像が切り替わる。
三度の警告。
それを無視して進軍を続ける軍勢。
記録された映像が順番に流された。
『警告を無視し、侵攻を継続させた指揮官と司令官には責任を取らせた』
さらに映像が変わる。
そこには投降した十五万の兵士たちがいた。
巨大な鍋から温かいスープが配られている。
パン。
焼いた肉。
水。
兵士たちは戸惑いながら食事を受け取っていた。
『武器を捨て、投降した兵士を処刑する意思はない』
空を見上げる三国の人々へ、最後の言葉が届けられた。
『戦いたくない者まで、支配者の命令で死ぬ必要はない』
その言葉を聞きながら、十五万の兵士たちは温かい食事を口にしていた。




