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戦わずに世界を変えた男――教育と物流で“循環国家”を作ったら、いつの間にか大陸が一つになっていた  作者: 慈架太子


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171 世話焼き伯爵夫人

 二十七人の貴族冒険者たちが王国で広く知られるようになると、彼らのもとには縁談が相次いで届くようになった。


 特に多いのは既存貴族からだった。


 長年A級冒険者として活動してきた英雄たちである。


 今では爵位を持ち、生活基盤も安定している。年齢は三十代後半が多いものの、婚姻相手として不足はない。


 ところが本人たちは困り果てていた。


「また増えてるぞ」


 ライアンが机に積まれた書状を見た。


 アレックスが一通を手に取る。


「これは子爵家だな」


「こっちは伯爵家だ」


 シェーンも封書を眺めたが、開けようともしない。


「どうやって選ぶんだ?」


「俺に聞くな」


 カイルも似たようなものだった。


 四人とも魔物を相手にするなら迷わない。


 A級冒険者になるまで、数え切れないほどの戦闘を経験している。新人冒険者を教導することもできる。


 だが女性との付き合いとなると、まるで勝手が違った。


 冒険者として依頼を受け、仲間と魔物を狩り、ダンジョンへ潜る。


 そんな生活を長年続けてきた。


「領民から探すか?」


 ライアンの言葉に、アレックスが首を振った。


「領主から声をかけたら断りにくいだろ」


「それもそうか」


 立場が違う。


 本人にそのつもりがなくても、領主から求められれば領民は拒絶しにくい。


 結局、四人の話はそこで止まった。


 ◇


 数日後。


 そんな四人の前に、一人の女性が現れた。


 イメルダ伯爵夫人。


 四十代の美しい女性だった。


 貴族夫人らしい気品があり、それでいて年齢を重ねた女性特有の色気もある。


 柔らかな笑みを浮かべながら、四人の前へ座った。


「王妃陛下からお話は伺っております」


 その前には大量の縁談書が置かれていた。


「まず整理いたしましょう」


 イメルダは一通ずつ確認していく。


 家格だけを見ることはしない。


 令嬢本人の年齢。


 性格。


 生活環境。


 得意なこと。


 結婚後に何を望んでいるのか。


 領地で暮らす意思があるのか。


 さらに鑑定も使った。


「これは外しましょう」


 ライアンが驚いた。


「伯爵令嬢ですよ?」


「それがどうしました?」


「いや……家格が」


「私はあなたのお相手を探しているのです。家格の高い女性を探しているわけではございません」


「……なるほど」


 次の書類を見る。


「こちらの方とは、一度お会いなさい」


「俺と合いますか?」


「それを確かめるために会うのでしょう?」


「はい」


 ライアンが素直に頷いた。


 アレックス、シェーン、カイルについても同じだった。


 四人の性格が違えば、合う女性も違う。


 イメルダは次々と候補を絞っていった。


 ◇


 さらにイメルダは領民にも募集をかけた。


 側室候補だった。


「領主との婚姻を望む方だけ応募してください」


 条件は明確だった。


 領主側から女性を指名しない。


 本人が自分の意思で応募する。


 出自は問わない。


 種族も問わない。


 過去の職業も問わない。


 重要なのは本人の意思と相性だった。


「元奴隷でも構わないのですか?」


 シェーンが尋ねた。


「もちろんです」


「元娼婦でも?」


「それが婚姻できない理由になりますか?」


「いや、ならない」


「でしたら問題ございません」


 正妻は貴族。


 側室は平民。


 身分上の立場は異なる。


 しかし、どちらも妻である。


「家庭内で別け隔てすることは認めません」


 イメルダは穏やかに言った。


「側室を使用人のように扱うおつもりなら、最初からお断りください」


 四人は揃って首を振った。


 イメルダは満足そうに微笑んだ。


「では、始めましょう」


 四人の英雄たちは、完全に彼女の手の内に入っていた。


 ◇


 同じ頃。


 オーキス、バイオレット、マーガレット、クレイン、三騎士団長、アレクサンドたちは、元神官九人が治める領地を視察していた。


 目の前にはオリハルコンで築かれた大聖堂がある。


 だが一行が感心したのは、その豪華さではなかった。


 礼拝堂には様々な人々がいた。


 元アルタリア帝国民。


 元ダークライト魔導公国民。


 元神聖ラトリア民。


 元アーデン王国民。


 元ロクス王国民。


 昔からアルデバラン王国で暮らしてきた者もいる。


 人間だけではない。


 獣人、エルフ、ダークエルフ、ドワーフ、魔族。


 様々な亜人たちも同じ礼拝堂で過ごしていた。


 祈る者。


 神官へ過去を語る者。


 家族と静かに座る者。


 何も話さず目を閉じている者。


「何もしなくてもいいのか?」


 オーキスが尋ねた。


 アリーが頷いた。


「はい。休んで帰るだけでも構いません」


 王国には、過酷で苛烈な過去を持つ者が大勢いる。


 生活が豊かになったからといって、心まで即座に安らぐわけではない。


 そのため、大聖堂には九領の領民だけではなく、王国中から人が訪れるようになっていた。


 オーキスは長い間、礼拝堂を眺めていた。


「クレイン」


「はい」


「王都にも作れ」


「承知しました」


「ただ建物を作るだけでは駄目だ。神官たちをここへ送れ。九人から教導を受けさせるのだ」


 クレインが深く頷いた。


「身体が健康で、腹が満たされているだけでは足りない」


 オーキスは静かに休んでいる人々を見渡した。


「魂から安寧できる場所を作るのだ」


 王国が次に必要としているものを、オーキスは見つけていた。




 オーキスの言葉は、その場にいた者たちだけに届いたわけではなかった。


 大聖堂には王国各地から多くの人々が訪れている。


 王が視察に来たという話は、瞬く間に広がった。


 しかも、オーキスが見ていたのはオリハルコンで築かれた壮麗な建物ではない。


 そこで休んでいる人々だった。


「魂から安寧できる場所を作るのだ」


 その言葉も伝わった。


 元アルタリア帝国民の男が、礼拝堂で静かに目を閉じていた。


「王様は……私たちの気持ちが分かっていらっしゃる」


 隣に座っていた妻が小さく頷く。


 二人は王国へ来てから、住む家を得た。


 仕事もある。


 食事に困ることもなくなった。


 公衆浴場へ行けば温かい湯に入れる。


 子供は学校へ通っている。


 以前とは比べものにならない生活だった。


 それでも、夜になると昔のことを思い出すことがある。


 失った者。


 逃げてきた道。


 明日を迎えられるのかさえ分からなかった日々。


 豊かになったからといって、それが消えるわけではない。


「ここへ来ると、少し楽になるんだ」


「ああ」


 何かを命じられるわけではない。


 過去を話せとも言われない。


 信仰を求められることもない。


 座っているだけでもいい。


 その場所を王自身が見て、王都にも作れと言った。


 それが嬉しかった。


 ◇


 別の場所では、ダークエルフの女性が仲間に話していた。


「陛下は大聖堂を褒めたんじゃないのよ」


「違うの?」


「ここにいる人たちを見ていたの」


 彼女自身も王国へ来るまで、亜人であることを常に意識して生きてきた。


 誰が自分をどう見るのか。


 どこなら安全なのか。


 いつ警戒すればいいのか。


 それが当たり前だった。


 だが大聖堂では違う。


 隣に人間が座っている。


 反対側には獣人がいる。


 少し離れたところでは魔族が神官と話している。


 誰も気にしていない。


「王様が、これを王都にも作るって」


「本当に?」


「神官をここへ勉強に寄越すそうよ」


 仲間の表情が緩んだ。


「だったら王都でも行けるわね」


「ええ」


 ◇


 オーキスたちは公衆浴場も視察した。


 数百か所に建設された浴場には、多くの領民が訪れている。


 水魔法で浴槽を満たす。


 魔力循環で湯を温める。


 鑑定で温度を確認する。


 ピュリフィケーションで清潔に保つ。


 併設された衛生教室では、衛生教師が子供たちへ手洗いを教えていた。


 バイオレットは、その様子を満足そうに眺める。


「心だけではないのね」


 アリーが頷いた。


「はい。身体が不潔なままでは、落ち着いて暮らすことも難しいと考えました」


 アレクサンドも感心していた。


「神官だった経験を、捨てなかったのね」


 九人が彼女を見る。


「神聖ラトリアで間違っていたことまで受け継ぐ必要はないわ。でも、人を支えたいと思った気持ちまで捨てる必要もない」


 アリーが静かに頭を下げた。


「ありがとうございます」


「私も同じようなものよ」


 アレクサンドは僅かに笑った。


「昔の自分を消して、今の私になったわけではないもの」


 ◇


 クレインは大聖堂の運営資料も確認した。


 寄付金。


 支出。


 職員への給与。


 施設維持費。


 相談件数。


 教導に使った費用。


「ここまで公開しているのですか?」


「はい」


 アレクサが答えた。


「領民も確認できます」


「寄付した者だけではなく?」


「誰でもです」


 クレインは頷いた。


 信仰を守るために、組織を閉じる必要はない。


 むしろ透明にすることで信頼を守っている。


「王都へ導入する際も、この仕組みを維持しましょう」


「お願いします」


 ◇


 視察の話は、教導管理システムを通じても王国各地へ伝わっていった。


 オーキスが大聖堂の何を評価したのか。


 なぜ王都にも同じ役割を持つ施設を作らせるのか。


 神官たちを九領へ送り、教導を受けさせること。


 情報は広がっていった。


 亡命者たちは喜んだ。


 保護されて王国へ来た者たちも喜んだ。


 元奴隷も。


 元娼婦も。


 亜人たちも。


 そして、昔から王国で暮らしてきた者たちも同じだった。


「陛下は、食わせておけばいいとは考えてないんだな」


「ああ」


「仕事を与えて終わりでもない」


「心まで考えてくださっている」


 王都の酒場でも、その話が交わされていた。


 オーキス本人は人気を得るために視察したわけではない。


 必要だと思ったから、王都にも作れと命じただけだった。


 だが、その姿勢そのものが国民へ伝わった。


「王様は私たちの気持ちが分かっていらっしゃる」


 その言葉が、王国のあちこちで聞かれるようになった。


 アギトを表彰し、新しく王国へ来た者も同じ王国民だと示した王。


 今度は、その人々が抱えている過去まで見ようとした。


 六千六百万人まで膨らんだ王国で、オーキスへの信頼はさらに強くなっていった。


 王の評価は、本人が意識しないところで、また一段上がっていた。




 ライアン、アレックス、シェーン、カイル。


 四人の婚姻話は、イメルダ伯爵夫人が動き始めてから驚くほど順調に進んだ。


 最初に行ったのは、本人同士を会わせることだった。


 イメルダは候補を選んでも、婚姻を決めることまではしない。


「私ができるのは、相性が良さそうな方を紹介するところまでです」


 四人にも、令嬢たちにも同じことを言った。


「結婚するかどうかを決めるのは、あなた方です」


 何度か食事をする。


 領地を一緒に歩く。


 互いの仕事について話す。


 家族について話す。


 これからどのような暮らしをしたいのかも話す。


 冒険者時代の話しかできなかった男たちも、次第に緊張しなくなっていった。


 正妻となる貴族令嬢たちも、英雄という評判だけで相手を見なくなる。


「思っていたより普通の方なのですね」


 そう言われたライアンは困った顔をした。


「どういう男だと思っていたんだ?」


「もっと恐ろしい方かと」


「俺は魔物じゃないぞ」


 その場にいた者たちが笑った。


 そんな時間を重ね、四人とも婚姻を決めた。


 ◇


 領民から募った側室候補についても、イメルダは慎重だった。


 応募した女性と面談する。


 本人の意思を確認する。


 領主という身分に憧れているだけなのか。


 本当にその男に興味があるのか。


 正妻との関係をどう考えているのか。


 さらに正妻候補にも確認した。


「側室を迎えることについて、どうお考えですか?」


 ここで嫌がる女性へ無理に受け入れさせることはない。


 正妻も側室も、本人が納得して初めて話を進める。


 四人の領主にも繰り返し言った。


「どちらも妻です」


「分かっています」


「本当に?」


「何度目だ、それ」


 ライアンが苦笑する。


「何度でも申し上げます」


 イメルダは平然としていた。


「妻を不幸にするための縁談をまとめるつもりはございませんので」


 ライアンは両手を上げた。


「分かった。肝に銘じる」


「結構です」


 やがて側室についても、それぞれ相性の良い女性との話がまとまった。


 四人の領地では婚姻を祝う準備が始まった。


 ◇


 これで一段落。


 四人はそう思った。


 だがイメルダにとっては違った。


 王妃バイオレットから預かった資料には、まだ名前が大量に残っている。


 イメルダは四人の婚姻予定を記録すると、次の資料を机へ置いた。


「さて」


 その声を聞いた夫である伯爵が顔を上げた。


「まだやるのか?」


「当然でしょう」


「少し休んではどうだ?」


「婚姻適齢期の殿方がこれだけ残っているのですよ?」


「逃げるわけでもあるまい」


「時間は逃げます」


 伯爵は何も言えなくなった。


 イメルダは次の資料を開いた。


 フェリクス。


 クリス。


 キーガン。


 アルバート。


 コリン。


 ロイド。


 ブランドン。


 アンソニー。


 キャム。


 ヤラミル。


 十人。


 いずれも長年、冒険者として生きてきた者たちだった。


 実力もある。


 功績もある。


 爵位もある。


 収入にも領地にも困らない。


 そして――独身だった。


「まあ」


 イメルダが小さく呟いた。


 夫が嫌な予感を覚える。


「何だ?」


「こちらも随分と放置されておりますね」


「放置と言うな」


「では、婚姻について積極的ではなかった、と申し上げましょうか」


「同じ意味ではないか?」


 イメルダは気にしなかった。


 ◇


 調査が始まった。


 まず既存貴族から届いている縁談を集める。


 十人分となれば相当な数だった。


 だがイメルダは、家格の高い順に並べたりしない。


 本人を見る。


 家族を見る。


 生活を見る。


 結婚後に領地へ移る意思があるのかも確認する。


 さらに重要なのは十人自身だった。


「フェリクス様は、どのような女性がお好みですか?」


「……分からん」


「では、苦手な女性は?」


「それも特には」


「これまで結婚を考えた女性は?」


「いない」


 イメルダは黙ってフェリクスを見る。


「本当に?」


「ああ」


「三十年以上生きてきて?」


「冒険者だったからな」


 イメルダは額へ手を当てた。


 次はクリス。


「どのような家庭を作りたいですか?」


「普通でいい」


「その普通を説明してください」


「……普通は普通だろ?」


 イメルダは目を閉じた。


 キーガンも似たようなものだった。


 アルバートも。


 コリンも。


 一人ずつ話を聞くほど、イメルダには分かってきた。


 女性を嫌っているわけではない。


 結婚を拒絶しているわけでもない。


 単純に、考える機会がなかったのだ。


 魔物を狩り、依頼をこなし、仲間を守る。


 それを何年も続けているうちに三十代後半になっていた。


「なるほど」


 イメルダは十人分の資料へ新しい情報を書き加えていく。


 性格。


 生活習慣。


 好み。


 苦手なもの。


 家庭に求めるもの。


 本人すら自覚していなかった部分まで、会話と鑑定で整理していった。


「これなら探せます」


 ロイドが不安そうに尋ねた。


「本当に見つかるのか?」


 イメルダが微笑む。


「何を仰っているのです?」


 十人を順番に見渡した。


「あなた方には、すでに大量の縁談が届いております」


「それは知っているが……」


「相手がいないのではありません」


 イメルダは書類の山を軽く叩いた。


「あなた方が選び方を知らないだけです」


 十人が黙った。


「ですから、そのために私が参りました」


 また十人の英雄が、世話焼き伯爵夫人の標的になった。


 イメルダの婚姻調査は、まだ始まったばかりだった。




 フェリクス、クリス、キーガン、アルバート、コリン、ロイド、ブランドン、アンソニー、キャム、ヤラミル。


 十人の婚姻調査にも目処が立った。


 イメルダ伯爵夫人は、本人の希望を聞き、届いている縁談を整理し、相性の良さそうな令嬢を選んで引き合わせた。


 一度会っただけでは決めさせない。


 食事をする。


 領地を歩く。


 互いの仕事について話す。


 どのような家庭を望んでいるのかも聞く。


 側室を望む者については領民から希望者を募り、本人の意思を確認してから紹介した。


 冒険者としてなら一流でも、女性との付き合いには不慣れな男たちである。


 時間はかかった。


 それでも縁談は一つずつまとまっていった。


 イメルダは十人分の資料を整理すると、次の名前へ進んだ。


 ブラッド。


 キャメロン。


 ザック。


 トレバー。


 ケード。


「この五名も同じですね」


 長年、冒険者として生きてきた。


 実力もある。


 功績もある。


 爵位も得た。


 そして独身。


 既存貴族からの縁談も、すでに多数届いていた。


「では、お会いしましょう」


 イメルダに迷いはなかった。


 ◇


 五人との面談が終わると、次は少し年齢層が下がった。


 レオン。


 ミリア。


 エリック。


 三人ともアラサーである。


 婚姻を急ぐほどではない。


 だが、この王国では十分に婚姻適齢期だった。


「私までですか?」


 ミリアが目を丸くした。


「もちろんです」


 イメルダは平然と答えた。


「でも、私は別に結婚を急いでいませんよ」


「急ぎなさいとは申し上げておりません」


「では?」


「良いご縁があれば、考えてみてはいかがですかと申し上げております」


 ミリアは少し考えた。


「それなら……まあ」


 隣ではレオンが警戒している。


「俺も同じか?」


「同じです」


「まだ冒険者としてやりたいこともあるんだが」


「結婚したら冒険者を辞めなければならないのでございますか?」


「いや」


「でしたら問題ございませんね」


「…………」


 レオンが黙った。


 エリックが小さく笑う。


「レオン、完全に負けてるわよ」


「お前も対象だからな」


「分かってるわ」


 三人の場合、無理に話を進める必要はない。


 イメルダもそこは理解していた。


 縁談を整理する。


 本人が興味を持った相手がいれば会わせる。


 自然な出会いがあれば、それを優先する。


 決めるのは本人だった。


 ◇


 そして資料には、もう一人の名前があった。


 アダムス・キンバリー。


 イメルダは、その資料だけは別に置いた。


 夫である伯爵が気づく。


「アダムス名誉侯爵閣下か」


「ええ」


 学生。


 しかし、それだけで扱える人物ではない。


 名誉侯爵。


 そして剣神。


 王国でも特別な存在だった。


「閣下はまだ学業の途中でいらっしゃる。婚姻そのものを急いでいただく必要はないだろう」


「私もそう考えております」


 イメルダは頷いた。


 だが、何もしなくていいという意味ではない。


「すでに縁談の問い合わせがございます」


「やはりか」


「今後はさらに増えるでしょう」


 名誉侯爵という爵位だけでも、多くの貴族家が関心を持つ。


 剣神ともなれば、なおさらだった。


 アダムス本人が望むかどうかとは別に、婚姻の話が持ち込まれること自体は避けられない。


「まずは整理いたします」


「それがよろしいだろう」


「閣下の学業を妨げるつもりもございません」


 夫も頷いた。


 ◇


 後日、イメルダはアダムスと面会した。


「アダムス名誉侯爵閣下。お時間をいただき、ありがとうございます」


「いえ。イメルダ伯爵夫人、どうぞお掛けください」


 二人が席につく。


「本日は、閣下の婚姻についてお話がございます」


「私の婚姻ですか?」


 アダムスもさすがに意外だったらしい。


「私はまだ学生ですが」


「承知しております。今すぐ婚姻をお勧めするつもりはございません」


「では、なぜ?」


 イメルダは持参した資料を机へ置いた。


「すでに複数の貴族家から、閣下との縁談について問い合わせが届いております」


「もうですか?」


「はい」


 アダムスが資料を見る。


 戦闘では滅多に動揺しない少年が、少し困った表情になった。


「どうすればよろしいのでしょう?」


「今は学業を優先なさってください」


 イメルダは即答した。


「ただ、ご自身の将来について考えておかれることをお勧めいたします」


「将来……」


「どのような女性と暮らしたいのか。どのような家庭を築きたいのか。それを私が決めることはできません」


 名誉侯爵だから結婚する。


 剣神だから妻を迎える。


 それだけではない。


 しかしアダムスほどの立場になれば、いずれ婚姻の話と向き合うことになる。


 結婚は必然に近かった。


「閣下が選ぶ時に困らないよう、候補となる方々の情報は私が整理しておきます」


「そこまでしていただけるのですか?」


「そのために王妃陛下からお役目をいただきましたので」


 イメルダが微笑む。


 アダムスはしばらく考えた後、頭を下げた。


「よろしくお願いいたします」


「お任せください」


 ◇


 ライアンたちから始まった婚姻の世話は、いつの間にか大仕事になっていた。


 三十代後半のA級冒険者だけではない。


 レオン、ミリア、エリック。


 そして名誉侯爵にして剣神、アダムス・キンバリーまで加わった。


 英雄たちは魔物には強い。


 領地も治められる。


 人を教えることもできる。


 だが人生の伴侶を探すとなれば、別の力が必要だった。


 そこを埋めたのがイメルダだった。


 世話焼き。


 それでいて本人の意思を無視しない。


 身分だけで相手を決めない。


 誰か一人を結婚させれば終わりでもない。


 相性を見て、縁を繋ぐ。


 気品ある伯爵夫人の仕事は、王国に新しい流れを作り始めていた。





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