169 インゴット物納
新たに領地を与えられた二十一人の貴族たちは、それぞれ領内の調査を進めていた。
領民の受け入れはすでに始まっている。
男爵領には十万人、子爵領には三十万人を目安として、元アルタリア帝国民、元ダークライト魔導公国民、元神聖ラトリア民、元アーデン王国民、元ロクス王国民など、さまざまな土地から移住者が集まっていた。
希望者が目安を超えても拒むことはない。
仕事と住居を増やせばいい。
それが二十一人の共通認識になっていた。
そんな領地調査の中で、一つの事実が判明した。
「ダンジョンがあるのか?」
イプシオは代官から渡された報告書を読み直した。
「はい。領内に一つ確認されています」
「使われているのか?」
「冒険者が時折入る程度です」
イプシオは考え込んだ。
ダンジョン。
それは魔物を狩るだけの場所ではない。
壁土にはさまざまな金属が含まれている。
金属属性を使えば、それらを分離、精製してインゴットにすることができる。
しかも領民の多くは、すでに六属性を扱える。
「使えるな」
イプシオはすぐに領内の自警団と農業関係者を集めた。
対象は約二万人。
もちろん一度に農作業を止めるわけではない。
交代制にする。
農作業、自警団の勤務、ダンジョンでの教導。
それぞれを組み合わせればいい。
最初の一団がダンジョンへ入った。
「今日は魔物を倒すことが目的じゃない」
イプシオが壁を指した。
「金属を取り出す」
領民たちが首を傾げる。
「壁からですか?」
「ああ。まず俺がやる」
イプシオが壁へ手を向けた。
魔力を流す。
壁土の中から金属成分が分離され、集まり始めた。
やがて一塊の金属となる。
「これが金属属性だ」
領民たちの目が変わった。
「お前たちは六属性を使える。魔力操作も魔力循環もできる。なら、もう一属性増やすだけだ」
教導が始まった。
一人。
また一人。
領民たちの身体が淡く光る。
「出た!」
「俺もだ!」
「金属属性だ!」
農夫も自警団員も関係なかった。
魔力操作と魔力循環という基礎ができている。
そこへイプシオの教導が加わる。
金属属性を発現する者は急速に増えていった。
覚醒した者が、今度は隣の者へ教える。
教導は連鎖した。
やがてダンジョン内の各所で、壁土から金属を取り出す作業が始まった。
鉄。
銅。
錫。
鉛。
銀。
さまざまな金属が分離されていく。
精製された金属は、その場で規格を揃えたインゴットへ加工された。
それを見ていたイプシオが決めた。
「これを税にしよう」
代官が振り向いた。
「インゴットをですか?」
「ああ」
領民から貨幣だけを徴収する必要はない。
領内で生産できるものなら、それを税として納めてもらえばいい。
「農業を続けたい者は続ければいい。自警団の仕事も必要だ。その合間にダンジョンへ入ってインゴットを作る」
イプシオは出来上がった鉄のインゴットを持ち上げた。
「その一部を物納してもらう。残りは自分たちの収入にすればいい」
「それなら払えます!」
一人の農夫が声を上げた。
「金貨を用意しろと言われるより、ずっと助かります」
周囲からも同意する声が上がった。
仕事そのものが納税手段になる。
しかも金属属性を身につければ、それは領民自身の技能として残る。
イプシオは頷いた。
「決まりだな」
◇
同じ頃、他の新貴族領でもダンジョンの調査結果がまとまり始めていた。
エース領、一つ。
レビン領、一つ。
トレノ領、一つ。
スレット領、一つ。
マックス領、リッキー領、トレイ領、シュー領、チャド領にも、それぞれ一つ。
一方で複数のダンジョンを持つ領地もあった。
ベロニカ領、二つ。
ジリアン領、二つ。
エミリー領、二つ。
ハーレイ領、二つ。
アレッタ領、二つ。
エミリア領、二つ。
アリー領、アレクサ領、ゴルディ領、ナターシャ領にも二つずつ。
そして子爵となったアリシアの領地には三つものダンジョンが確認された。
最低でも一つ。
多いところでは三つ。
新たな二十一領すべてが、領内に資源供給源を持っていた。
イプシオが始めたインゴットによる物納の話は、すぐに他の領主たちへ伝わった。
「それはいいな」
エースが即座に採用した。
狼獣人で元奴隷だった彼にとって、領民へ重い貨幣税を課すことに抵抗があった。
レビンも同意する。
ドワーフである彼には、金属加工との相性もいい。
「インゴットなら使い道はいくらでもある」
トレノも頷いた。
貧困街で育ったスレットにも異論はない。
元娼婦だったベロニカ、ジリアン、エミリー、ハーレイ、アレッタ、エミリアも同じだった。
税を払えず苦しむ側の生活を、彼らは知っている。
アリシアたち十人もイプシオの方式を採用した。
各領で約二万人の自警団員と農夫を交代でダンジョンへ送り、金属属性を教導する。
インゴットを生産し、その一部を物納する。
それだけではない。
領民自身に新しい技能が残る。
領主が富を取り上げるのではなく、富を生み出せる人間を増やして、その成果の一部を税として受け取る。
二十一の新領地で、同じ仕組みが動き始めようとしていた。
だがイプシオは、その大量のインゴットを眺めながら、さらに先を考えていた。
「これだけ金属があるなら……」
王国では、ゴーレム馬車の需要が急速に増えている。
そして二十一人の領主は、全員がゴーレムスキルを持っていた。
「エミリーに相談するか」
インゴットを納めるだけではない。
加工して製品にすれば、さらに大きな産業になる。
新領地に、次の仕事が生まれようとしていた。
イプシオから相談を受けたエミリーは、すぐに話の価値を理解した。
「ゴーレム馬車の生産を領内で?」
「ああ。インゴットを物納してもらうだけでも税にはなる。だが、それだけでは勿体ない」
イプシオの前には、二十一領から集まった報告書が置かれていた。
すべての領地に最低一つのダンジョンがある。
各領では自警団員と農夫を中心に約二万人を選び、交代でダンジョンへ連れていく教導が始まっていた。
農業や治安維持を止める必要はない。
交代でダンジョンへ入り、金属属性を覚える。
壁土から金属を分離し、精製してインゴットを作る。
その一部を税として物納し、残りは領民自身のものになる。
「材料を作れるなら、その先までやりたい」
「ゴーレム馬車ね」
「領主は全員ゴーレムスキルを持っている。領民にも教導できる」
エミリーは頷いた。
「分かったわ。資料をまとめる」
「クレイン宰相への説明を頼めるか?」
「もちろんよ。筆頭情報官として正式に持っていくわ」
エミリー自身も二つのダンジョンを持つ男爵領の領主だ。
自分にも直接関係する話だった。
だからこそ曖昧にはしない。
ダンジョン数。
金属属性の発現者数。
インゴットの生産量。
農業や自警団勤務への影響。
ゴーレムスキルを教導できる人数。
二十一領から情報を集め、数字として整理していった。
◇
数日後。
王宮の執務室で、クレインが資料を読んでいた。
「二十一領でゴーレム馬車を生産したいと」
「はい」
「すでに金属属性の教導が始まっているのですね」
「各領で約二万人です。全員を同時に動かすのではなく、農業や自警団の仕事と交代で行っています」
クレインは次の資料へ目を移した。
鉄、銅、錫、鉛。
銀、金。
それだけではない。
ミスリル。
オリハルコン。
アダマンタイト。
ヒヒイロカネ。
ダンジョンの壁土から分離、精製できる金属は多岐にわたっていた。
「希少金属まで出ていますか」
「はい。量はダンジョンによって違います」
ダンジョンが一つしかない領地もあれば、二つ持つ領地もある。
アリシア子爵領には三つある。
同じ金属でも含有量には差があり、得意とする資源も違っていた。
「まだ教導途中です。金属属性の発現者が増えれば、生産量も増えると思います」
「これは税収だけの話ではなくなりますね」
クレインは資料を置いた。
二十一領に新しい産業そのものが生まれようとしている。
「物納されたインゴットは?」
「領内で必要な分を確保した後、余剰分は王国の流通へ乗せます」
「それがいいでしょう」
鉄を多く生産する領地。
ミスリルを多く生産する領地。
オリハルコンやアダマンタイトを比較的多く得られる領地。
それぞれが得意なものを生産し、足りないものは別の領地から購入すればいい。
領地単位ですべてを揃える必要はない。
「それでゴーレム馬車ですか」
「はい。インゴットのまま出荷するだけでなく、加工できれば領民の仕事も増えます」
クレインは頷いた。
「現在、ゴーレム馬車の需要は増え続けています。既存の生産拠点だけで抱える必要はありません」
「では?」
「生産委託を進めましょう」
返答は早かった。
「二十一領も王国の領地です。生産能力があるのなら、それを使わない理由はありません」
エミリーも頷いた。
そこに新旧の区別はない。
領主が元奴隷なのか、貧困街出身なのか、元娼婦なのかも関係ない。
今は王国から領地を預かる貴族である。
「ただし品質規格は統一します」
「当然です」
「車体強度、積載量、制動性能、ゴーレム部分の耐久性。すでに運用されている規格を共有しましょう」
「生産量は?」
「各領に任せます」
エミリーが僅かに目を見開いた。
「割り当てないのですか?」
「領地ごとに事情が違います」
クレインは地図を広げた。
「ダンジョンが一つの領地と三つの領地では条件が違う。人口構成も農地面積も違います。一律に割り当てる方が不自然でしょう」
中央が決めるのは品質基準だけ。
どれだけ作るか。
誰を生産に回すか。
何を主力産業にするか。
それは領主と領民が決めればいい。
「領地を任せた以上、領主には領主の仕事をしてもらいます」
「分かりました」
「それから希少金属についても、必要以上に王宮へ集める必要はありません」
エミリーがクレインを見る。
「物納分以外は領民のものですからね」
「ええ。売るのも加工するのも自由です」
税を納めた後まで国家が取り上げる理由はない。
領民が豊かになれば、商業が動く。
商業が動けば、領地も豊かになる。
◇
エミリーから連絡を受けたイプシオは、その日のうちに領民を集めた。
「ゴーレム馬車の生産委託が認められた」
歓声が上がった。
「ただし、まずは作れる人間を増やす」
イプシオが地面へ魔力を流した。
土が盛り上がり、人型を形作る。
一体の土ゴーレムが立ち上がった。
「今度はゴーレムスキルだ」
「俺たちにもできますか?」
「できるようにする。そのために俺たち領主がいる」
教導が始まった。
一人が覚える。
その一人が次の者へ教える。
身体が次々と淡く光った。
「出た!」
「ゴーレムスキルだ!」
同じ頃、残る二十領でも領主たちによる教導が始まっていた。
農夫が金属を精製する。
自警団員がゴーレムを作る。
職人が部品を加工する。
昨日まで持っていなかった技能が、新しい仕事へ変わっていく。
税を納められる人間を増やす。
そして税を納めても豊かに暮らせる人間を増やす。
二十一の領地で、新しい産業が動き始めていた。
二十一領でゴーレム馬車の生産が始まった。
需要を心配する必要はなかった。
アルデバラン王国の人口は、すでに六千六百万人に達している。
王都だけではない。
各地の都市、農村、商会、各種ギルド、工房、農場、鉱山、冒険者。
人が増えれば、それだけ物が動く。
食料を運ぶ。
衣服を運ぶ。
建築資材を運ぶ。
魔物素材を運ぶ。
農作物を市場へ運ぶ。
王国内で動く物資の量そのものが、以前とは比較にならないほど増えていた。
クレインは各領から提出された生産計画を確認した。
「一領につき、月産十万台ですか」
「はい」
エミリーが答える。
二十一領なら、月産二百十万台。
それでも六千六百万人という人口を考えれば、過剰とは言えなかった。
各領で生産したゴーレム馬車は王都へ納める。
そこから必要とする地域や組織へ振り分ける。
「これなら物流をさらに増強できますね」
クレインは各地から届いている需要報告へ目を通した。
商業ギルド。
食品ギルド。
薬師ギルド。
冒険者ギルド。
農村や工房からも導入希望が出ている。
ゴーレム馬車には馬が必要ない。
飼料も厩舎も不要。
魔力を扱える王国民なら運用も難しくない。
大量輸送には都合が良かった。
◇
イプシオ領では、広大な生産区画が整備されていた。
「次、車体を組み上げるぞ!」
「了解!」
職人たちの声が飛び交う。
すべてを一人で作るわけではない。
インゴットを生産する者。
部品へ加工する者。
車輪を作る者。
車体を組み上げる者。
ゴーレム部分を作る者。
完成品を検査する者。
工程ごとに担当を分けていた。
教導によってゴーレムスキルを発現した領民も増え続けている。
最初は土ゴーレム一体を作るだけで歓声を上げていた者たちが、今では当たり前のように馬車用ゴーレムを組み上げていた。
「完成!」
一台のゴーレム馬車が動き出した。
続いて二台目。
三台目。
生産区画の向こうでは、さらに大量の車体が並んでいる。
イプシオはその光景を見ながら頷いた。
「これなら十万台に届くな」
生産はイプシオ領だけではない。
エース領。
レビン領。
トレノ領。
スレット領。
ベロニカ領。
ジリアン領。
エミリー領。
ハーレイ領。
アレッタ領。
エミリア領。
さらにアリシア、アリー、アレクサ、ゴルディ、ナターシャ、マックス、リッキー、トレイ、シュー、チャドの領地でも同時に生産が進んでいた。
そして作られる馬車も一種類ではない。
鉄製。
もっとも生産量が多く、農業や一般商業を中心に広く使える。
ミスリル製。
鉄より軽量でありながら強度に優れ、長距離輸送にも向いている。
オリハルコン製。
大量の荷物を運ぶ商会や大型輸送向けとして生産された。
アダマンタイト製。
極めて頑丈で、重量物の輸送や過酷な環境での運用に適している。
そしてヒヒイロカネ製。
希少金属を惜しみなく使った高性能なゴーレム馬車まで作られ始めた。
「ヒヒイロカネで馬車を作るのか……」
完成品を見た領民が呆然としていた。
以前なら、希少金属そのものを見る機会さえなかった。
それを今では自分たちが壁土から取り出し、精製し、加工している。
「作れるんだから作ればいいだろ」
イプシオの答えは単純だった。
希少だから使わないのではない。
使える場所に使う。
それだけだった。
◇
一か月後。
王都へ続く街道に、異様な光景が現れた。
ゴーレム馬車。
その後ろにもゴーレム馬車。
さらにその後ろにも続いている。
二十一領から完成した馬車が次々と王都へ運び込まれていた。
一領につき十万台。
合計二百十万台。
王都の受け入れ担当者たちは、広大な集積場を用意して待っていた。
「イプシオ男爵領、十万台。確認!」
「エース男爵領、十万台到着!」
「アリシア子爵領、十万台!」
報告が途切れない。
鉄製だけではない。
ミスリル製、オリハルコン製、アダマンタイト製、ヒヒイロカネ製。
用途の異なるゴーレム馬車が整然と並んでいく。
クレインは集積場を視察し、その光景を静かに眺めていた。
「二百十万台……」
数字としては事前に知っていた。
だが実物が並ぶ光景は違った。
これだけの輸送手段が、一か月で王国へ追加された。
しかも生産者は、つい最近まで農夫や自警団員だった領民たちである。
教導された者が生産し、その者が次の者を教える。
生産力そのものが増殖していた。
クレインの隣にいた行政官が尋ねた。
「来月も同じ数が納入される予定です」
「問題ありません」
六千六百万人が暮らす国である。
物流はいくらあっても困らない。
「必要とするところへ回してください」
「はい!」
新しい馬車が王国各地へ向かう。
その馬車が、さらに多くの商品を運ぶ。
人を運び、資材を運び、農作物を運ぶ。
二十一領で始まった新しい産業が、今度は王国全体の物流を押し上げようとしていた。
二十一領の景色は急速に変わり始めていた。
インゴットの生産。
ゴーレム馬車の製造。
王都への納入。
そこから生まれた収入は、領主だけに集まっているわけではない。
採掘に携わる者。
金属を精製する者。
部品を作る職人。
ゴーレムを組み上げる者。
完成品を検査する者。
運搬する者。
仕事が増え、それぞれの収入が増えていった。
税を物納した後にも、自分たちの手元へ十分な富が残る。
二十一領は急速に裕福になっていた。
イプシオは領内を歩きながら、ある変化に気づいていた。
金を持つ者は増えた。
だが、使う場所がまだ少ない。
「次はこれだな」
イプシオが向かったのは魔族街だった。
同行しているのは、領民から選んだ料理人二十人と畜産農家だった。
目的は二つある。
料理を覚えること。
そして家畜を仕入れることだった。
魔族街へ到着すると、料理人たちは早くも落ち着きをなくしていた。
「いい匂いだな……」
「あの店、何を焼いてるんだ?」
「こっちはスープか?」
通りには多くの飲食店が並んでいる。
肉を焼く香り。
煮込み料理の湯気。
焼きたてのパン。
料理人たちにとって、見るものすべてが教材だった。
「食べろ」
イプシオが言った。
「え?」
「そのために来たんだ。気になる店へ入って、食べて、作り方を教えてもらえ」
「教えてもらえるんですか?」
「頼んでみればいい」
二十人は顔を見合わせ、すぐに散っていった。
肉料理の店へ入る者。
煮込み料理を選ぶ者。
焼き料理に興味を示す者。
菓子やパンを扱う店へ向かう者もいた。
料理を食べる。
味を覚える。
調理を見せてもらう。
自分でも作ってみる。
分からないところは聞く。
料理人たちの表情は次第に真剣なものへ変わっていった。
イプシオはその間に、畜産農家たちと家畜を見に行った。
「これが鶏もどきか」
囲いの中を大量の鶏もどきが歩いている。
卵も取れる。
肉にもなる。
繁殖させれば継続して生産できる。
「育てられるか?」
イプシオが尋ねる。
畜産農家の一人が飼育環境を確認した。
「問題ありません。餌も領内で用意できます」
「なら仕入れよう」
次は牛だった。
乳を取れる。
肉にもなる。
糞は農地の肥料として利用できる。
「こっちも欲しいです」
「分かった」
必要な頭数を買い付ける。
ただ食料を買って帰るのではない。
自領で増やすための家畜だった。
◇
魔族街を出た一行は、そのまま帰領しなかった。
「もう一軒行くぞ」
イプシオが向かったのは、アレクサンド領だった。
目的地はマルセルの店である。
店へ入った料理人たちは、再び目を輝かせた。
「いらっしゃい」
マルセルが一行を迎えた。
イプシオは事情を説明する。
「領内に飲食店を増やしたい。こいつらに料理を覚えさせたいんだ」
「なるほど」
マルセルは二十人を見る。
「何を覚えたい?」
その一言で十分だった。
再び教導が始まった。
食材の下処理。
肉の焼き方。
スープの取り方。
火加減。
味付け。
大量に作る場合の手順。
そして客へ料理を出すまでの流れ。
二十人は貪欲に吸収していった。
領主から店を与えられるのではない。
自分で店を開くために学んでいる。
「帰ったら店をやってみたいです」
一人が言った。
イプシオは頷いた。
「やればいい」
「本当に?」
「そのために連れてきたんだ」
◇
帰領後、変化は早かった。
鶏もどきの飼育場が作られた。
牛の牧場も整備された。
畜産農家たちは魔力を使いながら飼育環境を整え、繁殖を始める。
卵。
牛乳。
肉。
新しい食材が領内へ流れ始めた。
そして料理人たちも動いた。
一軒。
二軒。
五軒。
十軒。
新しい飲食店が次々と開店した。
二十人から料理を教わった者が、さらに自分の店を開く。
料理の種類も増えていく。
肉料理。
煮込み料理。
スープ。
パン。
卵料理。
乳製品を使った料理。
通りには食欲を誘う香りが漂うようになった。
仕事を終えた男たちが店へ入る。
農作業を終えた家族が食事に出かける。
若い男女が二人で店を選ぶ。
「今日は何を食べる?」
「この前できた店に行ってみたい」
「じゃあ、そこにしよう」
そんな会話が当たり前に聞こえるようになった。
以前なら、生きていくために食べるだけだった者もいる。
今は違う。
何を食べるかを選べる。
家族と外食する。
恋人と料理を楽しむ。
稼いだ金を、自分が楽しいと思うことに使う。
その金が飲食店へ渡り、料理人の収入になる。
料理人が食材を買えば、畜産農家や農夫の収入になる。
農家が豊かになれば、また別の商品を買う。
富が領内を回り始めていた。
イプシオは賑わう通りを眺めた。
領民が笑いながら店へ入っていく。
子供が親の手を引いている。
若い男女が並んで歩いている。
インゴットから始まった変化は、いつの間にか人々の暮らしそのものを変え始めていた。




