166 感心
ミストバルカス公国から使節団が王宮を訪れた。
先頭に立つのは、暫定国王ライラ。
その後ろには公国の使節たちが続いている。
今回の目的は、以前から協議されていた領土割譲について、正式な契約を結ぶことだった。
王宮側も使節団を迎える準備を整えていた。
オーキス。
バイオレット。
クレイン。
マーガレット。
そしてアレクサンドを始めとする二十七人の貴族冒険者たちも同席している。
ライラたちが謁見の間へ入った。
オーキスの前まで進む。
そして。
ライラが跪いた。
後ろにいた使節団も、一斉にそれに続いた。
「……待て」
オーキスの表情が変わった。
他国の王が別の国の王へ跪く。
単なる礼儀では済まない。
それは属国であることを示す行為だった。
「やめよ。立ってくれ」
オーキスが慌てて止めた。
「しかし――」
「ミストバルカス公国は我が国の属国ではない。余もそのようなものを求めておらん」
ライラはしばらくオーキスを見つめた。
やがて立ち上がる。
使節たちもそれに続いた。
「失礼致しました」
「いや……」
オーキスは少し困った顔をしている。
ライラは姿勢を正した。
「ですが、陛下。これだけは申し上げさせてください」
そこからが長かった。
ミストバルカス公国が、アルデバラン王国からどれほどの恩義を受けたのか。
ライラは一つずつ語り始めた。
苦しかった時期。
人々が未来を失いかけていたこと。
そこへ手を差し伸べた者たちがいたこと。
ただ食料を与えただけではない。
戦う力を教えた。
生きる術を教えた。
自分たちで立つ方法を教えた。
その結果、公国の人々は再び自分たちの社会を動かせるようになった。
「我々は救われました」
ライラが言う。
「ですが、救われただけではありません。自分たちで歩けるところまで導いていただきました」
オーキスは黙って聞いていた。
アレクサンドたち二十七人も聞いている。
以前なら、この辺りでアレクサンドが居心地悪そうな顔をしていたかもしれない。
だが、今は違った。
静かにライラの言葉を受け止めている。
オーキスはそれに気づいた。
マーガレットからは、余計なことをしないように言われていた。
だが、オーキスには一つ考えがあった。
「ライラ殿」
「はい」
「その感謝は、余が受け取るものではない」
ライラが首を傾げる。
オーキスは横に並ぶ二十七人を見た。
「そこにいる者たちへ言ってやってくれ」
アレクサンドがオーキスを見る。
マーガレットも父を見る。
だが、止めなかった。
「アレクサンド」
「はい、陛下」
「お前たち二十七人がやったことだろう」
「……はい」
以前なら、
自分たちは大したことをしていない。
当然のことをしただけだ。
もっと多くの者が関わっている。
そんな言葉で功績を小さくしようとしたかもしれない。
だが、アレクサンドは否定しなかった。
オーキスが続ける。
「お前たちはミストバルカスの民を助けた。助けて終わらず、自分たちで生きられるようにした」
二十七人が静かに聞く。
「立派な仕事だった」
「ありがとうございます」
アレクサンドが頭を下げた。
ガイルたちも続いた。
「ありがたくお言葉を頂戴致します」
ライラの表情が明るくなった。
使節団の者たちも満足そうだった。
自分たちが恩義を感じている相手。
その者たちの功績を、アルデバラン王自身が認めている。
それが嬉しかった。
オーキスは一人ずつ二十七人を見渡した。
「余はお前たちを誇りに思う」
今度もアレクサンドは逃げなかった。
「ありがとうございます、陛下」
ただ、それだけだった。
マーガレットは少し驚いていた。
隣にいるバイオレットも同じだった。
二人が見ているのはオーキスではない。
アレクサンドだった。
以前とはまるで違う。
褒められることを嫌がっているわけではない。
自分たちの功績を過大評価しているわけでもない。
客観的に見て、成し遂げたことは大きかった。
ならば、その評価を受け取る。
それができるようになっていた。
マーガレットとバイオレットは顔を見合わせた。
そして、二人とも小さく笑った。
アレクサンドは、また一つ成長していた。
謁見の間から場所を移し、領土割譲の正式な協議が始まった。
巨大な机の上には、ミストバルカス公国の地図が広げられている。
以前の調査で作成された詳細な地図だった。
河川。
湖。
平地。
草原。
森林。
山地。
そして今回、アルデバラン王国へ割譲される広大な地域。
境界線も明確に記されていた。
ライラが改めて説明する。
「こちらが、我が国の議会で承認された割譲範囲となります」
クレインが頷く。
「確認しております」
ミストバルカス公国側では、すでに議会で割譲が満場一致で決定されている。
割譲予定地に暮らしていた者たちの移住も行われた。
現在、対象となる土地に住民はいない。
アルデバラン王国側も千人規模の調査を実施した。
地形を調べた。
水源を確認した。
農地として利用できる土地。
牧畜に適した草原。
材木を得られる森林。
湖や河川。
調査した範囲では、大きな問題は見つからなかった。
エミリーが教導管理システムに保存された資料と、契約書を照合していく。
「割譲範囲に相違ありません」
クレインが確認する。
「ミストバルカス公国側も、こちらの内容でよろしいですね?」
「はい」
ライラが即答した。
使節団の者たちも頷く。
オーキスは契約書を見た。
アルデバラン王国の国土は、これによって一気に広がる。
元々、国内を普通の馬車で移動すれば一月以上かかるほど広い国だった。
そこへ、現在の王国の国土を大幅に上回る広大な土地が加わる。
「本当に大きな土地だな」
オーキスが地図を見ながら言った。
「はい」
クレインも地図へ視線を落とす。
「ですが、すでに開発は始まりつつあります」
叙爵された者たちへ新しい領地が与えられた。
領民募集も始まっている。
男爵領には十万人を目安に。
子爵領には三十万人を目安に。
しかも、それは定員ではない。
希望者が増えれば、そのまま受け入れる。
新しい土地で暮らそうとする人々は、すでに動き始めていた。
ライラはその話を聞き、嬉しそうに笑った。
「使っていただけるのですね」
「もちろんだ」
オーキスが答える。
「土地だけ貰って放置するつもりはない」
「ありがとうございます」
ライラが深く頭を下げようとして、途中で止まった。
先ほど跪くのを止められたことを思い出したらしい。
普通に一礼する。
オーキスが満足そうに頷いた。
◇
最終確認が終わった。
まずライラが署名する。
続いてオーキス。
双方の担当者が内容を確認する。
エミリーも記録する。
契約書そのものも教導管理システムへ保存された。
「これをもって、領土割譲契約は成立致しました」
クレインが告げる。
部屋の空気が少し緩んだ。
ライラたちミストバルカス公国の使節団は、明らかに安堵していた。
「無事に終わりましたね」
アレクサンドが声をかける。
「はい」
ライラは笑った。
「公国の皆も安心すると思います」
これは敗戦による領土割譲ではない。
アルデバラン王国が軍を送り、奪った土地でもない。
ミストバルカス公国側から提案され、議会で承認され、調査を行い、双方が納得して成立した割譲だった。
使節の一人がアレクサンドへ頭を下げた。
「改めて、お礼を申し上げます」
「はい」
アレクサンドは素直に受けた。
「ありがとうございます」
また一人がガイルへ礼を言う。
「あなた方が来てくださらなければ、今の我々はありませんでした」
「そう言ってもらえるなら、やった甲斐があった」
ガイルも笑った。
二十七人の誰も、自分たちの功績を否定しなかった。
自慢もしない。
過剰に謙遜もしない。
相手が感謝している。
ならば受け取る。
それだけだった。
◇
契約を終えたライラたちは、帰国の準備に入った。
「オーキス陛下。このたびは、本当にありがとうございました」
「こちらこそだ。これだけの土地を譲ってもらったのだからな」
「我々が持て余していた土地です。アルデバラン王国ならば、多くの人々が暮らせる土地へ変えてくださるでしょう」
「そうなるよう努力しよう」
ライラは最後にアレクサンドたちを見る。
「皆様にも、改めて感謝申し上げます」
アレクサンドが代表して答えた。
「そのお気持ちは、ありがたく受け取ります」
マーガレットの眉が僅かに上がった。
バイオレットもアレクサンドを見る。
以前なら、ここでも何か理由をつけて感謝を返そうとしていただろう。
今は違う。
自分たちがしたこと。
その結果。
相手からの評価。
それらを客観的に受け止めている。
ライラたちは満足そうに帰国していった。
使節団を見送った後、バイオレットがマーガレットへ小さな声で言った。
「変わりましたね」
「ええ」
誰のことか確認する必要はなかった。
二人の視線の先では、アレクサンドがガイルたちと普通に話している。
「以前なら、陛下にあれだけ褒められたら大変だったでしょうね」
マーガレットが笑う。
「頭痛を起こしていたかもしれません」
バイオレットも笑った。
強くなったわけではない。
新しい魔法を覚えたわけでもない。
それでも確かに成長している。
マーガレットとバイオレットは、そんなアレクサンドの変化に感心していた。
ミストバルカス公国の使節団が帰国した後も、王宮では割譲に伴う仕事が続いていた。
契約書は教導管理システムへ正式に保存された。
境界線。
調査記録。
地図。
ミストバルカス公国議会の割譲決定書。
双方が署名した契約書。
後から誰が確認しても、どのような経緯で領土が移ったのか分かるようになっている。
クレインは一連の記録を確認してから頷いた。
「これで正式に進められますね」
「ええ」
エミリーも最後の確認を終える。
すでに新しい領地では領民募集が始まっている。
男爵領には十万人。
子爵領には三十万人。
あくまで目安であり、希望者がそれ以上集まるなら受け入れる。
広大な割譲地を開発するには、むしろ人はいくらでも必要だった。
クレインは次の仕事へ移った。
「既存の王国領との隣接面から順番に開発を進めましょう」
「承知致しました」
行政官たちが動き始める。
領土が増えた。
それだけで国家が豊かになるわけではない。
人が暮らせるようにする必要がある。
住宅。
農地。
牧草地。
街道。
学校。
公衆浴場。
商店。
冒険者ギルド。
必要なものはいくらでもある。
だが、六万人の行政官がいる。
行政スキルもある。
飛行も転移も使える。
ゴーレムもいる。
今の王国には、広大な土地を少しずつ育てていくだけの力があった。
◇
仕事が一段落したところで、マーガレットはバイオレットと共に王宮の一室で茶を飲んでいた。
「それにしても、驚きました」
マーガレットが言う。
「領土の広さですか?」
「それもありますけれど……アレクサンドです」
バイオレットが微笑んだ。
「私もです」
二人が思い出していたのは、使節団の前でオーキスが二十七人を褒め称えた時のことだった。
以前のアレクサンドなら、素直に受け取れなかった。
自分たちは当然のことをしただけ。
他にも多くの者が働いた。
自分たちだけの功績ではない。
そう言って、評価そのものから逃げようとしていただろう。
「今回は普通に受け取っていましたね」
「ええ」
「しかも、お父様に『誇りに思う』とまで言われたのに」
バイオレットが笑う。
「頭も痛くならなかったようです」
マーガレットも笑った。
少し前まで、オーキスが何かするたびにアレクサンドが頭を抱えることがあった。
国王が自ら前線へ出る。
国王が自ら剣を振る。
国王が思いつきで大きなことを始める。
そのたびに、自分が止めなければならないのではないかと考えていた。
だが、武闘大会を経て変わった。
オーキスは国際冒険者ギルドから表彰された。
統治者として世界から評価された。
武闘大会でも、自ら参加しながら大会を成功へ導いた。
閉会宣言では、勝者だけではなく敗者まで称えた。
その言葉に亡命者たちまで涙した。
「陛下を信じられるようになったのでしょうね」
バイオレットが言った。
「そうだと思います」
マーガレットも頷く。
以前は、自分が見張らなければ危ない。
自分が止めなければならない。
そんな意識が、どこかにあった。
責任感が強いからこそだった。
だが、相手を信頼することも必要だった。
自分より上の立場にいる者が、自分とは違う判断をした。
だから間違っているとは限らない。
結果を見て評価する。
証拠を見て考えを変える。
それができるようになった。
「アレクサンドは、もう十分に完成された人だと思っていました」
マーガレットが呟いた。
「私もですよ」
バイオレットが答える。
戦える。
教えられる。
人を育てられる。
判断も速い。
必要なら自分で前へ出る。
それでも、まだ成長する余地はあった。
「人は面白いものですね」
バイオレットが笑った。
「ええ。本当に」
◇
一方、そのアレクサンドは二十七人の仲間たちと話していた。
「しかし、陛下にあそこまで言われるとは思わなかったな」
ガイルが笑う。
「私もよ」
アレクサンドが答える。
「でも、嬉しかったわ」
その一言に、何人かがアレクサンドを見た。
「何よ?」
「いや」
ガイルが笑う。
「お前が素直にそう言うとは思わなかった」
アレクサンドは少し考えた。
「褒めていただいたのだから、喜べばいいでしょう?」
「その通りだ」
誰も否定しなかった。
アレクサンド自身も笑った。
自分たちが何をしたのか。
どれほどの人々の人生を変えたのか。
以前より少しだけ、客観的に見ることができるようになっていた。
過大評価する必要はない。
だが、過小評価する必要もない。
やったことは、やった。
評価されたなら、受け取ればいい。
それもまた、アレクサンドが新しく覚えたことだった。
アレクサンドたち二十七人は、そのまましばらく王宮に残っていた。
ミストバルカス公国との割譲契約は成立した。
使節団も満足して帰国した。
大きな仕事が一つ終わったことで、皆の表情にも余裕がある。
「しかし、あれほど感謝されるとはな」
ガイルが言った。
「そうね」
アレクサンドは素直に頷いた。
「私たちが思っていた以上だったのかもしれないわ」
その言葉に、アンジェラがアレクサンドを見る。
「珍しいですね」
「何が?」
「以前なら、私たちだけの功績ではありません、と言っていたでしょう?」
アレクサンドは否定できなかった。
「……言っていたでしょうね」
実際、二十七人だけで何もかも成し遂げたわけではない。
現地の人々が動いた。
冒険者ギルドも協力した。
アルデバラン王国からも多くの支援が入った。
何より、ミストバルカス公国の人々自身が学び、自分たちで立ち上がった。
それは今でも分かっている。
だが、それと自分たちの功績を否定することは別だった。
「陛下が評価してくださった。ライラたちも感謝してくれた。それなら受け取っていいと思うようになったの」
「それでいいだろう」
ガイルが笑った。
「ええ。今はそう思うわ」
◇
少し離れた場所では、マーガレットとバイオレットがその会話を聞いていた。
マーガレットは思わず笑った。
「本当に変わったわ」
「ええ」
バイオレットも嬉しそうだった。
アレクサンドは以前から優秀だった。
戦闘能力だけではない。
教導する力。
人を見る力。
判断力。
行動力。
どれを取っても高い。
だからこそ、マーガレットはもう大きく変わることはないと思っていた。
だが、違った。
責任感の強さは、ときに自分が何でも背負わなければならないという考えにつながる。
国王が危険なことをすれば止める。
誰かが間違えそうなら先に口を出す。
自分が評価されれば、周囲の功績を先に考える。
どれも悪いことではない。
むしろ長所だった。
ただ、その長所が強すぎた。
「人に任せられるようになったのね」
マーガレットが言った。
「そして、人からの評価も受け取れるようになった」
バイオレットが続ける。
「はい」
自分がやらなくても、できる人間がいる。
自分が止めなくても、正しい判断のできる人間がいる。
そして自分が成し遂げたことまで、小さく見せる必要はない。
アレクサンドはそれを覚えた。
◇
そこへオーキスがやって来た。
「何を話しておる?」
「アレクサンドの話です」
マーガレットが答えた。
「小娘がどうした?」
マーガレットが笑う。
バイオレットも慣れた様子だった。
本人がいないところでは、オーキスは時折アレクサンドを小娘と呼ぶ。
「お父様にあれだけ褒められても、素直に受け取っていたでしょう?」
「ああ」
オーキスも気づいていた。
「前なら面倒だったな」
「面倒って……」
「余が一つ褒めれば、あれは誰々のおかげです、こちらは誰々が働きました、と始まる」
マーガレットは否定できなかった。
「間違ったことを言っているわけではないのですけれどね」
バイオレットが苦笑する。
「分かっておる。だから余も強くは言えんかった」
オーキスが椅子に座る。
「だが、今日くらいでいい」
マーガレットが父を見る。
「何がです?」
「自分がやったことまで否定する必要はないということだ」
珍しく真面目な声だった。
「他人の功績を奪うのはいかん。だが、自分の功績まで他人へ押しつける必要もない」
バイオレットが微笑んだ。
「良いことを仰いますね」
「余はいつも良いことを言っておるぞ」
「そういうことにしておきましょう」
「おい」
マーガレットが吹き出した。
◇
その頃、アレクサンドは王宮を出るところだった。
ガイルたちと別れ、それぞれが自分の仕事へ戻っていく。
アレクサンドは一度だけ王宮を振り返った。
オーキスから褒められた。
ライラたちから感謝された。
嬉しかった。
今は、その感情を否定する理由がない。
「立派な仕事だった」
オーキスの言葉を思い出す。
確かに、自分たちはよくやった。
だからといって、自分たちだけで成し遂げたわけではない。
その二つは同時に成立する。
アレクサンドはようやく、それを自然に受け入れられるようになっていた。
王宮では、窓からその姿を見ていたマーガレットが静かに笑った。
「まだ成長するのね」
「人はそういうものなのでしょう」
隣に立つバイオレットが答える。
強さだけなら、とうに人の域を超えている。
教導する者としても、多くの人間を育ててきた。
それでも完成ではない。
人を育ててきたアレクサンド自身も、今なお人から学び、変わり続けている。
マーガレットとバイオレットは、そのことを何より嬉しく思っていた。




