15 模擬戦
翌朝。
王城の訓練場には、前日を上回る数の騎士たちが集まっていた。
昨日の実演は一晩で騎士団中へ知れ渡り、多くの騎士が自分の目で確かめようと集まってきたのである。
「本当に二十人を一瞬で拘束したらしい。」
「木人相手だろ。」
「実戦では違うんじゃないか。」
「あれだけで戦えるとは思えん。」
期待と疑問が入り混じった声があちこちから聞こえてくる。
アークは騎士団長とともに訓練場の中央へ歩いた。
騎士団長は整列した騎士たちを見渡す。
「静まれ!」
一声で数百人の騎士たちが口を閉じる。
騎士団長はアークの隣へ立った。
「昨日、諸君はアーク殿の捕縛術を見た。」
「本日は、より実戦に近い形でその実力を見てもらう。」
その言葉に騎士たちがざわつく。
「実戦に近い?」
「誰が相手をするんだ。」
「まさか……。」
騎士団長は一歩前へ出た。
「私が相手を務める。」
訓練場がどよめいた。
「団長自ら!」
「本気ですか。」
「相手は教師ですよ。」
騎士団長は堂々と頷いた。
「私が騎士団最強である以上、私が試さねば意味がない。」
その声には迷いがなかった。
部下たちも納得したように頷く。
騎士団長ほどの実力者なら、昨日のような拘束魔法にも対処できる。
そう考えていた。
騎士団長は訓練用の木剣を一本手に取る。
軽く振るうだけで鋭い風切り音が響いた。
「アーク殿。」
「はい。」
「模擬戦をお願いしたい。」
「承知しました。」
アークは静かに答える。
騎士団長は木剣を一本差し出した。
「これを。」
しかし、アークは首を横へ振った。
「私は武器を持ちません。」
その一言に、訓練場は一瞬静まり返る。
次の瞬間、大きなどよめきが起こった。
「何だって!」
「武器なしで団長と戦う気か。」
「無謀だ!」
「さすがに舐めすぎだろう!」
昨日まで反発していた幹部たちでさえ驚きを隠せない。
騎士団長も眉を上げた。
「本当に木剣は不要ですか。」
「はい。」
アークは穏やかに微笑んだ。
「私の戦闘術では必要ありません。」
「後悔されませんか。」
「しません。」
迷いのない返答だった。
騎士団長は数秒間アークを見つめ、やがて頷いた。
「分かりました。」
「それでは私は全力で参ります。」
「お願いします。」
二人は十メートルほど距離を取る。
訓練場を囲むように数百人の騎士が見守っていた。
誰もが固唾をのんでいる。
騎士団長は木剣を正眼に構えた。
長年鍛え上げられた隙のない構えだった。
一方のアークは自然体のまま立っている。
構えすら取らない。
「構えないのか……。」
「団長相手だぞ。」
「勝負になるのか。」
緊張が訓練場を包む。
審判役の副団長が二人の間へ立った。
「これより模擬戦を開始する。」
右手を高く上げる。
「始め!」
その声と同時に、騎士団長が地面を蹴った。
鍛え抜かれた脚力で一気に間合いを詰める。
木剣が鋭く振り上げられた。
だが、その瞬間だった。
「ウォーターウィップ。」
アークが静かに一言だけ告げる。
空気中の水分が瞬時に集まり、水の鞭となって一直線に走った。
「ウォーターウィップ。」
アークが静かに魔法名を告げた。
次の瞬間。
一本の水の鞭が一直線に走る。
騎士団長は振り下ろそうとしていた木剣を止め、咄嗟に身体をひねった。
「速い!」
水の鞭は空を切る。
そのまま通り過ぎると思われた瞬間だった。
アークが右手を軽く動かす。
水の鞭は生き物のように軌道を変え、騎士団長の右腕へ巻き付いた。
「なにっ!」
騎士団長はすぐさま木剣を振るい、水の鞭を断ち切ろうとする。
しかし、水は形を変えながら木剣を避け、腕から肩へと絡み付いていく。
「くっ!」
力任せに引きちぎろうとするが、水は切れない。
逆に締め付けが強くなっていく。
「ウォーターバインド。」
続く一言。
騎士団長の足元から大量の水が噴き上がる。
「まだあるのか!」
両脚へ水流が巻き付き、そのまま腰、胴体へと絡み付く。
一瞬で身体の自由が奪われた。
騎士団長は踏ん張ろうとする。
しかし、水の拘束はその動きを許さない。
右腕。
左腕。
胴体。
両脚。
全身が完全に拘束される。
騎士団長は立ったまま動けなくなっていた。
「勝負あり。」
副団長が思わず声を上げた。
訓練場は静まり返る。
誰も理解できなかった。
開始の合図から、まだ一秒も経っていない。
「……終わった?」
若い騎士が呆然と呟く。
「今、団長は剣を振ったか?」
「いや、振り下ろす前だ。」
「間合いに入った瞬間に拘束された。」
魔法隊の隊長も驚きを隠せなかった。
「発動が速すぎる。」
「普通の魔法使いなら詠唱だけで数秒はかかる。」
「だが、アーク殿は歩くような自然さで魔法を放った。」
「しかも二種類を連続で。」
騎士たちは拘束された騎士団長を見つめる。
必死に身体へ力を込めている。
筋肉が盛り上がり、水が震える。
しかし拘束は解けない。
「うおおおっ!」
渾身の力で腕を動かそうとする。
それでも水は身体へぴたりと密着し、わずかにも隙を作らない。
「これほどか……。」
騎士団長は苦笑した。
「力では外せん。」
アークは静かに近付く。
「力任せでは外れません。」
「拘束される前に距離を取るか、魔法を発動させないことが重要になります。」
騎士団長は頷いた。
「つまり、捕まった時点で負けということか。」
「はい。」
アークは穏やかに答えた。
「拘束された相手は反撃できません。」
「武器も振れません。」
「逃げることもできません。」
「その状態で戦闘は終わります。」
騎士たちは息を呑んだ。
確かにその通りだった。
今の騎士団長は木剣を握っているにもかかわらず、一太刀も浴びせられていない。
もし相手が盗賊なら。
もし相手が犯罪者なら。
そのまま武器を取り上げれば終わりである。
「これが……。」
一人の中隊長が小さく呟く。
「アーク殿の言っていた、戦わせない戦闘術。」
誰も否定しなかった。
目の前で、その言葉どおりの戦いを見せられたからだった。
訓練場は静まり返っていた。
誰一人として声を発することができない。
王国最強と謳われる騎士団長が、一歩も踏み込めず拘束されている。
しかも、勝負は開始から一秒も経っていない。
「……。」
副団長は目を見開いたまま固まっていた。
判定役である自分が、一番驚いていた。
開始の合図。
騎士団長の踏み込み。
そして拘束。
あまりにも一瞬だったため、勝敗を宣言することさえ遅れてしまったのである。
ようやく我に返り、大きく息を吸う。
「しょ……勝負あり!」
その声が訓練場へ響く。
騎士たちは顔を見合わせる。
「終わった……。」
「今ので終わりなのか。」
「団長が一撃も入れられなかった。」
誰もが信じられない表情だった。
アークは騎士団長へ歩み寄る。
「拘束を解除します。」
軽く手を上げると、水の拘束は音もなく消えていった。
身体の自由を取り戻した騎士団長は、大きく息を吐く。
「見事だった。」
その一言には悔しさよりも感心が込められていた。
「まさか踏み込んだ瞬間に拘束されるとは思わなかった。」
アークは静かに頭を下げる。
「ありがとうございます。」
騎士団長は木剣を見つめながら苦笑した。
「私は剣を振るうことしか考えていなかった。」
「だから間合いへ入った。」
「その時点で負けだったのだな。」
「はい。」
アークは穏やかに答える。
「捕縛術は、相手が攻撃へ移る瞬間が最も効果を発揮します。」
「踏み込めば重心が前へ移ります。」
「その瞬間は回避も防御も遅れます。」
騎士団長は深く頷いた。
「理にかなっている。」
「剣術の間合いを逆に利用しているのか。」
その言葉に幹部たちも表情を引き締める。
今の勝負は魔法が強かっただけではない。
騎士の動きを熟知したうえで、最も効果的な瞬間を狙っていた。
戦術だった。
魔法隊長が前へ出る。
「アーク殿。」
「はい。」
「先ほどの発動速度ですが、あれほど速く魔法を使える理由を教えていただけますか。」
騎士たちも一斉に耳を傾ける。
アークは隠すことなく答えた。
「特別なことではありません。」
その言葉に周囲がざわつく。
「私は普段から魔力循環を続けています。」
「歩いている時も。」
「食事をしている時も。」
「休憩している時も。」
「常に魔力を巡らせています。」
魔法隊長は目を見開いた。
「常時……魔力循環。」
「そのため、戦闘になってから魔力を練る必要がありません。」
「必要なのは魔法を発動するという意思だけです。」
訓練場に驚きの声が広がる。
「そんなことが可能なのか。」
「聞いたことがない。」
「だからあれほど速かったのか。」
アークは続けた。
「私は特別だからできるわけではありません。」
「正しい方法で鍛えれば、皆さんもできます。」
騎士たちは息を呑む。
魔法の才能ではない。
血筋でもない。
努力によって身に付く技術だと言われたのである。
騎士団長は静かに笑みを浮かべた。
「ようやく分かった。」
「王陛下が、あなたを教師として招いた理由が。」
アークは首を傾げる。
騎士団長は訓練場中へ聞こえるように言った。
「アーク殿が教えるのは魔法ではない。」
「戦い方、そのものだ。」
その言葉に、数百人の騎士たちは静かに頷いていた。
騎士団長の言葉が訓練場へ響いた。
「アーク殿が教えるのは魔法ではない。」
「戦い方、そのものだ。」
数百人の騎士たちは静かにその言葉を受け止めていた。
昨日まで。
いや、つい先ほどまで。
彼らは「剣こそ騎士の誇り」だと信じて疑わなかった。
しかし、目の前で見たものは違う。
剣を抜く前に勝負を終わらせる戦い。
敵を傷付けずに制圧する技術。
それは騎士たちの常識を大きく揺さぶっていた。
一人の中隊長が前へ進み出る。
「アーク殿。」
「はい。」
「もし先ほどの勝負で、相手が盗賊だったなら。」
アークは迷うことなく答えた。
「拘束した後、武器を取り上げます。」
「抵抗しなければ、そのまま捕縛します。」
「抵抗を続けるなら。」
「必要最小限の攻撃で無力化します。」
中隊長は深く頷いた。
「なるほど。」
「剣で斬り伏せることだけが勝利ではないということですね。」
「はい。」
アークは穏やかに微笑んだ。
「騎士の仕事は、人々を守ることです。」
「敵を倒すことではありません。」
その言葉に、多くの騎士が息を呑む。
彼らはこれまで、勝つことばかり考えてきた。
強くなること。
剣術を磨くこと。
敵を倒すこと。
それが騎士の使命だと教えられてきたのである。
だが、アークが最初に口にしたのは「守る」という言葉だった。
騎士団長が大きく頷く。
「その考え方は、我々に足りなかった。」
「盗賊を討伐しても、味方が負傷すれば住民を守る力は減る。」
「だが、捕縛できれば双方の被害を抑えられる。」
「まさにその通りです。」
アークは答えた。
「戦わずに済むなら、それが最善です。」
「戦うとしても、短時間で終わらせることが重要です。」
「長引けば、それだけ味方も住民も危険になります。」
騎士たちは真剣な表情で聞き入っていた。
誰一人として私語をする者はいない。
副団長が一歩前へ出る。
「アーク殿。」
「明日から教導を始める予定でしたが。」
「できれば、本日からお願いしたい。」
その言葉に幹部たちも頷く。
「私も同意します。」
「一日でも早く学ぶべき技術です。」
「騎士団全員へ教えていただきたい。」
アークは騎士団長へ視線を向けた。
騎士団長も笑みを浮かべる。
「私も同じ考えだ。」
「諸君。」
騎士団長の声が訓練場へ響く。
「本日より、アーク殿の特別教導を開始する。」
「最初の課題は魔力循環だ。」
「階級は関係ない。」
「私も、副団長も、大隊長も、中隊長も、一人の生徒として学ぶ。」
騎士たちは一斉に背筋を伸ばした。
団長自らが「生徒になる」と宣言したのである。
その姿勢に、異論を唱える者はいなかった。
「返事!」
「はっ!」
数百人の声が訓練場を震わせる。
昨日までの反発は完全に消えていた。
あるのは、新しい技術を身に付けたいという強い意欲だけだった。
アークは整列した騎士たちを静かに見渡す。
この日から始まるのは、単なる魔法訓練ではない。
魔力循環を身に付け。
魔法を自在に扱い。
敵を制圧し、味方を守るための戦闘術。
王国騎士団は、新たな時代への第一歩を踏み出したのだった。




