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戦わずに世界を変えた男――教育と物流で“循環国家”を作ったら、いつの間にか大陸が一つになっていた  作者: 慈架太子


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145 移民

ダークライト魔導公国からアルデバラン王国への人口流出は止まらなかった。


移民の数は百五十万人に達していた。


一般住民四百五十万人のうち、三分の一がすでに公国を離れたことになる。


残る一般住民は約三百万人。


それでも公国に残ることを選ぶ者はいた。


冒険者ギルドでは、移民の受付が続いている。


アルデバラン王国へ行けば食料がある。


住居がある。


仕事がある。


子どもは教育を受けられる。


治癒師も薬師もいる。


魔力循環も教えてもらえる。


すでに百五十万人が移住しているため、噂でも憶測でもなかった。


実際に移住した者から情報が戻ってきている。


それでも動かない者はいた。


「俺はここで生まれた」


老人が冒険者ギルドの職員に言った。


「息子さんたちは移住したのでしょう?」


「ああ」


「一緒に来てほしいと言っているそうです」


「知っている」


「では、なぜ?」


老人は窓の外を見る。


遠くに畑がある。


今では半分も耕されていない。


「親父も爺さんも、あの畑を耕した」


それだけだった。


理屈ではない。


ここに残れば生活はさらに苦しくなる。


食料が手に入らなくなる可能性も高い。


それを説明しても老人は首を振った。


「ここを離れるくらいなら、ここで死ぬ」


職員はそれ以上何も言わなかった。


本人が理解した上で選んでいる。


ならば連れていくことはできない。


別の町にも同じような者がいた。


「この店は父から受け継いだんだ」


客のほとんど来なくなった店を守る男。


「国が立ち直るかもしれない」


そう信じる者。


「外国へ行くなんて怖い」


知らない土地へ移ることを恐れる者。


理由は様々だった。


アルデバラン王国へ移れば、今より生活が安定する。


それを理解していても、人は必ず合理的な選択をするとは限らない。


アルデバラン王国も説得はしなかった。


移民という道を用意する。


条件を説明する。


希望すれば審査する。


審査を通れば受け入れる。


そこまでだった。


残ると決めた成人を、本人の意思に反して連れていくことはない。


自己判断。


その結果まで、アルデバラン王国が決めることではなかった。


そして公国の状況は、さらに悪化した。


食料がない。


農地があっても耕す者が減った。


職人が減り、商人が減り、運送を担う者まで減っている。


国外から商品を仕入れる力も失われつつあった。


市場に並ぶ食料は減り、価格だけが上がる。


ついに餓死者は十万人を超えた。


一般住民だけではない。


犯罪者側にも餓死者が出始めていた。


奴隷商。


人攫い。


盗賊。


傭兵崩れ。


これまで他人から奪うことで生きてきた者たちも、奪う相手そのものが減っている。


奴隷商には売る人間がいない。


人攫いは標的を見つけられない。


盗賊が街道へ出ても、商人の馬車そのものが来ない。


金貨を持っていても食料が売られていない。


犯罪者だから腹が減らないわけではない。


公国の経済が崩れれば、犯罪によって利益を得ていた者たちも同じように巻き込まれる。


王国教導管理システムには、公国各地の情報が絶えず集まっていた。


人口。


食料。


物価。


死亡者。


移民希望者。


犯罪者の動向。


マーガレットはそれらを確認していた。


「移民希望者が、また増えていますわ」


クレインが数字を見る。


「当然でしょうな」


百五十万人が先に移った。


そして、その百五十万人がアルデバラン王国で普通に暮らし始めている。


その事実そのものが、何より強い材料になっていた。


行った者が戻ってこない。


助けを求めてもこない。


むしろ冒険者ギルドを通じて、残った家族へ移住を勧める者までいる。


最初はアルデバラン王国を信用しなかった者たちも、考えを変え始めていた。


残れば生きていけない。


それが誰の目にも見える段階まで来ていた。


冒険者ギルドの受付には、再び長い列ができ始めた。


昨日まで残ると言っていた者も並んでいる。


店を捨てられなかった者。


土地を離れられなかった者。


公国が立ち直ると信じていた者。


それぞれが、自分で判断を変えた。


アルデバラン王国は急かさない。


来いとも言わない。


ただ、来ると決めた者を受け入れる。


ダークライト魔導公国に残された三百万人。


その数字は、これからさらに減ろうとしていた。




ダークライト魔導公国からの移民は、さらに加速した。


百五十万人だった移民人口は、やがて二百万人を超えた。


それでも止まらない。


二百二十万人。


二百三十万人。


そして二百五十万人を超えた。


かつて約四百五十万人いた一般住民の半数以上が、自分の意思でダークライト魔導公国を離れたことになる。


アルデバラン王国の人口は、五千三百五十万人に達していた。


それだけの人口が暮らしていても、王国にはまだ余裕がある。


移民してきた者も、いつまでも保護されるだけではなかった。


教導を受ける。


仕事を覚える。


魔力循環を覚える。


そして働き始める。


農地を広げる者がいる。


住宅を建てる者がいる。


食料を作る者がいる。


物を運ぶ者もいる。


人口が増えれば、それを支える側の人数も増えていった。


一方のダークライト魔導公国では、人口減少が別の問題を引き起こしていた。


冒険者が減っている。


移民した者の中には、当然ながら冒険者もいた。


公国に残る理由がないと判断し、家族とともにアルデバラン王国へ移った者も多い。


その影響が突然現れた。


魔物のスタンピード。


公国北部の森から、魔物の群れが現れた。


最初に異変を察知したのは、残っていた冒険者たちだった。


「数が多いぞ!」


「ギルドへ知らせろ!」


ゴブリン。


オーク。


フォレストウルフ。


さらに大型の魔物まで混じっている。


数百ではない。


次々と森から出てくる。


冒険者たちはすぐに迎撃を始めた。


詠唱。


魔法が飛ぶ。


剣士が前へ出る。


槍使いがその後ろから突く。


弓使いが援護する。


だが、以前とは違った。


「人が足りない!」


誰かが叫んだ。


その通りだった。


冒険者の数そのものが減っている。


移民した。


公国を見限った。


別の国へ活動拠点を移した。


冒険者ギルドは国際組織だ。


公国と運命を共にする義務などない。


残った冒険者たちは戦った。


住民を逃がす。


魔物を引きつける。


可能な限り討伐する。


だが、広い地域を少ない人数で守ることはできない。


一つの町を守れば、別の村へ魔物が向かう。


街道を守れば、農地が荒らされる。


ただでさえ落ちていた食料生産へ、さらに打撃が加わった。


王国教導管理システムにも、その状況はすぐに登録された。


千百人の騎士たちによる広域索敵は続いている。


公国の状況は遠く離れたアルデバラン王国からでも把握できていた。


「スタンピードですわね」


マーガレットが確認する。


アッシュも索敵情報を見る。


「間違いありません」


だが、問題は魔物だけではなかった。


公国政府も弱体化している。


役人が減った。


兵士も減った。


政府に関係していた者の中にも、公国を捨てた者がいる。


反政府勢力も同じだった。


彼らだけが人口減少と無関係でいられるはずがない。


人が減る。


金が集まらない。


食料が手に入らない。


協力者も減る。


政府も反政府勢力も、以前の規模を維持できなくなっていた。


国外へ逃げようとする者も現れた。


だが、一般住民とは事情が違う。


「入国を拒否された?」


元政府関係者の男が国境の町で聞き返した。


「そうだ」


「金ならある」


「いらない」


「私は魔導師だぞ」


「それがどうした」


ダークライト魔導公国の政府関係者。


奴隷商と繋がっていた商人。


人攫いへ仕事を流していた役人。


反政府勢力の幹部。


国外でも、その悪評はすでに広がっている。


商売でも同じだった。


信用を失った者とは取引しない。


金を持っているから信用されるわけではない。


一度失った信用は、国境を越えただけでは戻らなかった。


一般住民は移民という道を選べる。


だが、他人を売り、攫い、利用してきた者には、その道がない。


アルデバラン王国の移民審査も通らない。


別の国へ向かっても相手にされない。


公国内へ戻れば食料すら不足している。


その間にもスタンピードは続いていた。


残った冒険者たちは必死に魔物を食い止める。


彼らには守りたい住民がいる。


だが、その住民も減り続けている。


翌日。


冒険者ギルドの移民受付には、さらに長い列ができていた。


スタンピードの発生を聞いて、決断を変えた者たちだった。


昨日まで土地を離れたくないと言っていた者もいる。


公国が立ち直ると信じていた者もいる。


それでも現実を見て判断を変えた。


ダークライト魔導公国から人が消えていく。


政府が倒されたわけではない。


反政府勢力が勝ったわけでもない。


アルデバラン王国が侵攻したわけでもない。


ただ、人々が暮らす国を自分で選び始めた。


そして国は、人がいなければ成り立たなかった。




ダークライト魔導公国からアルデバラン王国への移民は、三百五十万人を超えた。


保護された亜人や奴隷。


娼館から救出された女性たち。


先に公国を離れた亡命者。


餓死者。


スタンピードによる死者。


国外へ活動拠点を移した冒険者。


それらを含めると、ダークライト魔導公国に残っている者は約九十万人まで減っていた。


だが、この国の人口減少は今に始まったことではない。


かつてダークライト魔導公国には、一千万人もの人々が暮らしていた。


それがアルデバラン王国による広域索敵が始まった時点で、すでに五百万人まで減っていた。


原因の一つは明白だった。


人を売っていた。


亜人を攫う。


人間を攫う。


奴隷として売る。


女性を娼館へ売る。


国内だけではない。


国外にも商品として流してきた。


人を一人売れば金になる。


だが、その一人は同時に、働く者でもあった。


畑を耕す者。


物を作る者。


商品を運ぶ者。


子どもを育てる者。


税を納める者。


国を構成する人間そのものを、ダークライト魔導公国は長年にわたって商品として消費してきた。


そして五百万人まで減ったところへ、今回の人口流出が重なった。


公国全土では、人が消えた影響が目に見える形で現れている。


放棄された村。


誰も耕さなくなった農地。


閉鎖された工房。


商品が並ばない市場。


荷馬車の通らない街道。


スタンピードも続いていた。


残った冒険者たちは戦っている。


だが、人数が足りない。


「東の村は?」


「住民の避難を優先した。魔物の討伐までは無理だ」


「街道は?」


「守れない」


一つの町を守れば別の場所が空く。


森で魔物を間引く余裕もない。


その結果、さらに魔物が増える。


農地が荒らされる。


街道が使えなくなる。


食料事情が悪化する。


そして、それを見た住民が移民を申請する。


人口減少が次の人口減少を生んでいた。


政府も急速に機能を失っている。


役人がいない。


兵士がいない。


税を納める民がいない。


商人がいない。


税収が減れば、残った役人や兵士を維持できない。


反政府勢力も同じだった。


支持する者が減る。


資金を提供する者が減る。


食料を提供する者も減る。


政府を倒したところで、その後に統治する国そのものが残らない。


王宮では、王国教導管理システムを通じて公国の状況が共有されていた。


オーキスが残存人口を確認する。


「九十万人か」


「はい」


クレインが答えた。


「国家として維持できるか?」


「現在の国土を維持することは不可能です」


クレインの返答は早かった。


「そもそもダークライト魔導公国は、かつて一千万人が暮らしていた国です」


オーキスもその数字を知っている。


クレインは続けた。


「その人口を自ら減らしてきた」


「奴隷売買か」


「それも大きな原因です」


人を攫う。


売る。


国外へ流す。


短期的には金になる。


だが、人間そのものが国力だ。


「我々が調査を始めた時点で、すでに五百万人しかいませんでした。今回の移民だけで突然こうなったわけではありません」


クレインは公国全域の人口分布を確認する。


「一千万人が暮らしていた国土を五百万人で維持し、それが今では九十万人です」


農地。


町。


村。


街道。


鉱山。


国境。


行政。


治安。


それらを九十万人で支えなければならない。


しかも九十万人の中には、老人も子どももいる。


犯罪者もいる。


行政官だけを九十万人集めたわけではない。


「国土を縮小すれば?」


アイクが尋ねた。


「理屈の上では可能です」


クレインは否定しなかった。


「九十万人に見合った地域へ人口を集め、農地と街道を限定し、行政機構も縮小する。それなら小国として存続できる可能性はあります」


「できるのか?」


「現在の政府には難しいでしょう」


即答だった。


人口を集める。


住民を移転させる。


食料生産を立て直す。


治安を維持する。


スタンピードにも対応する。


それだけの行政能力が、すでに残っていない。


反政府勢力なら、なおさらだった。


マーガレットが最新の情報を確認する。


「移民希望者は、まだ増えていますわ」


昨日まで残ると言っていた者が申請している。


土地を離れたくないと言っていた者。


公国が立ち直ると信じていた者。


知らない国へ行くことを恐れていた者。


現実を見て、自分で判断を変えている。


オーキスが言った。


「受付は続けろ」


「はい」


「昨日の判断に縛りつける必要はない」


移民する自由がある。


残る自由もある。


考え直す自由もある。


アルデバラン王国は公国へ一兵も侵攻させていない。


領土も奪っていない。


政府も倒していない。


ただ、移住を望む者を受け入れた。


それだけだった。


かつて一千万人が暮らしていたダークライト魔導公国。


その人口は、約九十万人。


人を商品として扱い続けた国は、最後には国を支える人そのものを失おうとしていた。




ダークライト魔導公国には、まだ約九十万人が残っていた。


だが、人口が残っていることと、国家が維持できることは同じではない。


ついに食料が尽きた。


市場から小麦が消えた。


肉もない。


野菜もない。


保存食も底をついた。


金貨を持っていても意味がなかった。


売る物そのものがない。


国外から食料を買うこともできない。


国家としての信用は失われている。


商人は来ない。


荷馬車も来ない。


護衛する冒険者も減っている。


街道には魔物が出る。


公国内で生産しようにも、農地は放棄され、農民も大幅に減っていた。


残った農民だけで立て直せる状況ではない。


そして冒険者ギルドも、ついに判断した。


撤収。


各地の支部で撤収準備が始まった。


冒険者ギルドは国際組織である。


ダークライト魔導公国とともに滅びる理由はない。


移民希望者の受付は最後まで続けられた。


「明日、支部を閉鎖する」


ギルド職員が集まった住民へ告げる。


「アルデバラン王国への移民を希望する者は、今日中に申請してくれ」


ざわめきが広がった。


ここまで残っていた者の中にも、ようやく決断する者がいた。


土地を捨てる。


家を捨てる。


店を捨てる。


それでも生きる方を選ぶ。


申請者は再び増えた。


だが、それでも残る者はいた。


公国政府の関係者。


反政府勢力。


移民審査を通らない犯罪者。


そして最後まで土地を離れようとしない一般住民。


アルデバラン王国は強制しなかった。


何度でも選ぶ機会はあった。


移民受付は閉ざされていなかった。


それでも残ると決めた者を、本人の意思に反して連れていくことはしなかった。


食料が尽きれば、結果は早かった。


餓死者が急増した。


一日に数百人ではない。


数千人でもない。


数万人単位で命が失われていく。


王国教導管理システムには、その変化が記録され続けた。


千百人の騎士たちによる広域索敵も続いている。


遠く離れた国で何が起きているのか。


アルデバラン王国には分かっていた。


王宮。


オーキスは最新の情報を確認していた。


誰も声を上げなかった。


クレインも。


アイクも。


アッシュも。


ロックウェルも。


マーガレットも。


できることがなかったわけではない。


アルデバラン王国には食料がある。


転移もある。


人を運ぶ力もある。


だが、移民という道はずっと開かれていた。


来たい者は受け入れた。


一度残ると決めても、後から考えを変えた者を拒まなかった。


犯罪被害者は保護した。


奴隷も救った。


自分で選べない子どもたちも保護してきた。


その上で、自ら残ることを選んだ成人もいた。


オーキスが小さく呟いた。


「自己責任だ」


誰に聞かせるための言葉でもなかった。


マーガレットは何も言わなかった。


肯定もしない。


否定もしない。


ただ、公国の情報を見ていた。


さらに人が減った。


役所が閉じる。


兵士がいなくなる。


公都の市場も機能しなくなる。


残っていた政府関係者の中からも餓死者が出た。


反政府勢力も同じだった。


敵対していたはずの二つの勢力は、最後には戦うことすらできなくなっていた。


戦えば腹が減る。


武器があっても食料にはならない。


魔導師も同じだった。


詠唱魔法で敵を倒すことはできる。


だが、パンを生み出すことはできない。


金貨を積んでも、小麦は現れない。


さらに冒険者ギルドが撤収した。


最後の職員と冒険者たちが公国を離れた。


それ以降、外部との繋がりは急速に失われていった。


一日。


三日。


五日。


王国の広域索敵だけが、その後を確認していた。


人の姿が消えた村。


煙の上がらなくなった家。


放棄された公都。


魔物が歩く街道。


誰も管理しない国境。


それでも公国政府は、滅亡を宣言しなかった。


宣言する必要もなかった。


国家は宣言によって存在するものではない。


行政が動かない。


治安を維持できない。


税を集められない。


民を養えない。


国土を管理できない。


そして政府そのものが機能しなくなった。


二週間後。


千百人による広域索敵と王国教導管理システムに蓄積された情報を確認したクレインが、オーキスへ報告した。


「陛下」


「どうした」


「ダークライト魔導公国の国家機能が完全に停止しました」


オーキスはしばらく黙っていた。


「政府は?」


「機能しておりません」


「反政府勢力は?」


「同様です」


「統治している者は?」


「確認できません」


オーキスは目を閉じた。


そして短く答えた。


「そうか」


ダークライト魔導公国は滅亡した。


アルデバラン王国の軍隊が攻め滅ぼしたのではない。


王都を焼いた者もいない。


国王を討った者もいない。


領土を奪った国もない。


人を攫い、人を売り、人を商品として扱い続けた国。


最後には、その国で生きることを選ぶ人そのものがいなくなった。


ダークライト魔導公国は、誰かに滅ぼされたのではなかった。


自ら積み上げてきたものの結果として、静かに国家としての役目を終えた。





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