↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
戦わずに世界を変えた男――教育と物流で“循環国家”を作ったら、いつの間にか大陸が一つになっていた  作者: 慈架太子


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

140/311

140 ブレーキ

王宮の会議室には、ダークライト魔導公国に関する報告書が並べられていた。


亜人の集落を襲う人攫い。


捕らえた者を売り払う奴隷商。


金で雇われた傭兵崩れ。


盗賊。


さらに厄介なのは、それらが単独で動いているわけではないことだった。


体制側にも、反体制側にも繋がりがある。


互いに争えば損をする。


その一点だけで利害が一致し、人攫いと奴隷売買が続いている。


すでにアレクサンドとガイルは広域索敵とリモートビューイングで複数の現場を確認していた。


推測ではない。


事実だった。


国王オーキス・アルデバランは報告書を閉じた。


正面には宰相クレイン。


その左右には王国騎士団長アイク、魔導騎士団長アッシュ、近衛騎士団長ロックウェルが座っている。


「余の考えを先に伝える」


四人の視線が集まった。


「非人道国家は人類の敵だ」


誰も口を挟まない。


「人を攫う。奴隷に落とす。売り買いする。それを止めることすらできぬ」


オーキスは報告書へ手を置いた。


「そのような国は、交渉するべき相手でもない」


クレインが静かに聞いている。


「罪を犯す国と交渉などできるか? クレイン、答えよ」


「できません」


返答は早かった。


オーキスがクレインを見る。


「理由は?」


「約束する以前の問題だからです」


クレインは淡々と答えた。


「国交とは、互いが国として成立していて初めて意味を持ちます。ダークライト魔導公国は、自国内で横行する人攫いと奴隷売買すら抑止できておりません」


クレインは一枚の報告書を取った。


「政府が関与しているなら、交渉に値しません。関与していないのであれば、自国を統治する能力に疑問があります」


「うむ」


「少なくとも現在の公国を、我が国が対等に国交を結ぶ相手として扱う理由はございません」


オーキスが頷いた。


それでよかった。


公国を怒らせるかどうかではない。


まず、相手が国として何をしているか。


そこから判断する。


オーキスは三人の騎士団長へ視線を移した。


「力なき正義は無力だ」


アイクが僅かに姿勢を正した。


「正義なき力は暴力だ」


今度はアッシュが頷く。


「我らは、人を攫ってはならぬと考える。人を売ってはならぬと考える。種族を理由に自由を奪うことも許さぬ」


オーキスは一度言葉を切った。


「我らはそれを正義と信じる」


誰も異論を挟まなかった。


「そして我らには今、力がある」


アイクが押し黙った。


陛下から、これほどはっきりと意思を聞いたことはこれまでなかった。


だが、その意味を考えていた。


力がある。


それは王国騎士団が世界最強だという意味ではない。


むしろアイク自身、王国に存在する規格外の者たちを知っている。


アレクサンド侯爵。


そしてガイルをはじめとする二十六人の冒険者。


彼らの実力は、自分たちの常識をすでに越えている。


だが彼らは王国騎士団ではない。


アレクサンドを除けば騎士ですらない。


その事実と、王国が力を持つということを混同するつもりはなかった。


「陛下」


アイクが口を開く。


「一つ、確認させてください」


「申せ」


「王国として、ダークライト魔導公国で行われている犯罪を見過ごさない。その意思を示されたと受け取ってよろしいでしょうか」


「その通りだ」


アイクは頷いた。


「承知しました」


それ以上は言わなかった。


何をするかは、これから考える。


騎士団に何ができるのか。


何ができないのか。


できないことまで、できると言うつもりはない。


だが国家の武力を預かる者として、考えなければならない。


アッシュも同じだった。


公国の魔導師は詠唱魔法を使う。


魔力操作も魔力循環も確認されていない。


それだけを見れば脅威とは言い難い。


しかし、だから考える必要がないとはならない。


魔導騎士団長として見るべきものがある。


ロックウェルも口を閉ざしたまま考えていた。


国王が明確な意思を示した。


ならば近衛騎士団長として、その決断をどう受け止めるか。


四人とも、オーキスから答えを教えられるためにこの場にいるのではない。


王国の中枢を担う者として、自分の答えを持つためにいる。


そんな中、クレインが再び口を開いた。


「陛下」


「なんだ?」


「方針には賛同いたします」


「ならば問題はないか?」


「いいえ」


クレインは首を横に振った。


「だからこそ、ございます」


オーキスの目が細くなる。


「申せ」


「力を使うことには賛成です」


クレインは四人の中で最初に、その先へ踏み込んだ。


「ですが、力は使い始めることより、使い続ける時の方が判断を誤りやすい」


オーキスは黙って聞いた。


「始めるべき時に止めるつもりはございません」


クレインは言った。


「ただし、止めるべき時が来たなら、私は止めます」


オーキスが僅かに笑った。


「ブレーキか」


「宰相でございますので」


クレインは平然と答えた。


ただし、そのブレーキは今、踏むためのものではなかった。




オーキスは椅子へ深く腰を下ろした。


「止めるべき時とは、いつだ?」


クレインは少し考えた。


「目的と手段が入れ替わった時でございます」


「続けよ」


「我々が行おうとしているのは、人攫いと奴隷売買の抑止です」


クレインは報告書を一枚取り上げた。


「犯罪を止めるために必要な力を使う。それには異論はございません。しかし、力を使うことそのものが目的になれば話は変わります」


オーキスが頷く。


「なるほどな」


「それまでは止めません」


クレインは報告書を机へ戻した。


「現実に被害者がいる以上、今ブレーキを踏む理由はございません」


その言葉を聞いて、アイクが口を開いた。


「ならば、次は我々の話ですな」


オーキスが視線を向ける。


「申せ」


「騎士団を動かすかどうか」


アイクは腕を組んだ。


「私は、今すぐ大規模に動かすべきではないと考えます」


「理由は?」


「実力です」


アイクは迷わず答えた。


「我々は公国の騎士や兵士より強いでしょう。魔力操作も魔力循環も習得しております。六属性を扱える者も多い」


だが、それで十分とは言わなかった。


「問題は、相手の兵より強いかではありません」


クレインがアイクを見る。


「今回求められることを、確実に実行できるかです」


アイクは続ける。


「人攫いの拠点だけを見つける。捕らえられている者を傷つけずに保護する。逃げる犯罪者を捕縛する。複数の場所で同時に事件が起きても対応する」


広域索敵。


リモートビューイング。


転移。


テレキネシス。


アイテムボックスの保護空間。


それらを使える者たちを、アイクは知っている。


「アレクサンド侯爵たちならできます」


オーキスは何も言わなかった。


「だが、我々には同じことはできません」


王国騎士団長が、自ら率いる騎士団の不足を認める。


アイクに躊躇はなかった。


「騎士団の誇りを守るために、できない任務へ部下を送るつもりはありません」


「ならば何もしないのか?」


「それも違います」


アイクは即答した。


「できることと、できないことを分けます」


公国で活動する犯罪者の情報。


亜人が逃げてくる経路。


王国内へ入り込もうとする者。


公国の動きによって王国側に何が起きるのか。


「王国騎士団には王国騎士団の仕事があります」


オーキスは頷いた。


「分かった。アッシュは?」


「アイク団長と同じく、実力を正確に見るべきだと考えます」


アッシュは即座に答えた。


「ただし私は、別の意味で公国を軽視すべきではないと考えております」


「魔導師か」


「はい」


公国の魔導師は詠唱魔法しか使えない。


現在確認されている範囲では、アルデバラン王国の魔導騎士に比べて明らかに遅い。


「正面から戦えば、我々が有利でしょう」


アッシュはそこで言葉を切った。


「ですが、魔導師の国を名乗る以上、確認できていないものがある可能性は考えます」


「何がある?」


「分かりません」


アッシュは平然と答えた。


「分からないから調べます」


アイクが僅かに笑った。


「お前らしいな」


「分からないものを、ないと決める方が危険です」


アッシュは報告書を見る。


「魔導師の人数。使われている魔法。魔道具。研究施設。公国が保有する知識。犯罪組織と魔導師との繋がり」


一つずつ挙げていく。


「我々が優位であるという判断と、公国について知る必要がないという判断は別です」


オーキスが頷いた。


「魔導騎士団はどうする?」


「調査を始めます」


「戦うためか?」


「判断するためです」


アッシュの答えは短かった。


「必要になれば戦います。しかし、その前に何があるのかを知るべきです」


今度はロックウェルが口を開いた。


「では、近衛も動きます」


オーキスが見る。


「何をする?」


「王宮だけを守っていればよい状況ではなくなりました」


ロックウェルは淡々と答えた。


「陛下が王国として犯罪を見過ごさないと決断された。その時点で、これは王国全体に関わる問題です」


クレインが頷く。


「公国から逃げてくる者は増える可能性があります」


「そうだ」


「ならば王都にも影響が出ます」


ロックウェルは続けた。


「王宮、各行政機関、各ギルド。情報と人が集まる場所を把握しておきます」


単なる警備ではない。


王国の中枢が混乱しないために何が必要なのか。


それを考えるのが近衛騎士団長だった。


オーキスは四人を見渡した。


誰も、力を使うことそのものには反対していない。


誰も、すべてを国王に決めてもらおうともしていない。


それぞれが自分の立場から、王国として何が必要なのかを考えていた。


クレインが静かに言った。


「陛下」


「なんだ?」


「ようやく始められます」


「何をだ?」


「犯罪を止めた後まで考えた上で、犯罪を止めることをです」


オーキスは僅かに笑った。


会議はまだ終わっていなかった。


力を使うと決めるだけなら簡単だ。


国家を動かすとは、その先まで考えることだった。




オーキスは四人の意見を聞き終えても、すぐには結論を出さなかった。


一つ、確認しておかなければならないことがある。


「アイク」


「はい」


「先ほどアレクサンド侯爵たちならできると言ったな」


「はい」


「二十七人をどう見る?」


アイクは少し考えた。


「強力な冒険者たちです」


答えは明確だった。


「アレクサンド侯爵だけは騎士ですが、残る二十六人は違います。王国騎士団の所属でもありません」


「うむ」


「我々より強い。それも事実です」


アイクはそこを誤魔化さなかった。


十属性。


広域索敵。


飛行。


転移。


テレキネシス。


他にも多くの能力を持つ。


正面から戦っても、王国騎士団では勝負にならない。


だからといって、彼らを騎士団として扱うことはできない。


「強さと所属は別です」


アイクは言った。


「彼らが何かをしてくれることを前提に、騎士団の動きを決めるべきではありません」


オーキスが頷く。


「アッシュ」


「同意します」


アッシュも即答した。


「魔導戦力として見れば、二十七人は突出しております。しかし魔導騎士団の戦力には数えません」


「なぜだ?」


「私の指揮下にいないからです」


当然のことだった。


強い者が王国に住んでいる。


王国に協力してくれる。


それだけで国家組織の戦力になるわけではない。


「ただし」


アッシュが続けた。


「彼らから学ぶことはできます」


アイクが見る。


「教導か?」


「それもあります」


アレクサンドたちは、王国の騎士や魔導師が知らなかった領域へすでに進んでいる。


「魔力操作、魔力循環、無詠唱。少し前まで、それすら王国では一般的ではありませんでした」


今では違う。


学べば人は変わる。


組織も変わる。


「我々に足りないものが分かっているなら、埋めればいい」


アッシュの声に卑屈さはなかった。


現在の実力差を認めることと、それを永遠に受け入れることは違う。


オーキスはクレインを見る。


「どう思う?」


「当然かと」


クレインは答えた。


「二十七人の存在と、王国の能力を混同してはなりません」


「ならば今回の件はどうする?」


「そこを決める必要があります」


クレインは報告書へ目を落とした。


すでにアレクサンドとガイルは公国の状況を把握している。


亜人狩りを確認し、マーガレット殿下にも報告している。


そして二十七人には、被害者を救出できるだけの能力がある。


しかし、それは王国が彼らを自由に動かせるという意味ではない。


「まずアレクサンド侯爵から、二十七人がどのように考えているのかを確認すべきでしょう」


クレインは言った。


「王国の都合だけで決める話ではございません」


オーキスも異論はなかった。


「マーガレットにはすでに報告が届いている」


「はい」


「ならばアレクサンド侯爵とも話をしよう」


そこでロックウェルが口を開いた。


「陛下。一つよろしいでしょうか」


「申せ」


「公国から逃れてくる亜人についてです」


ロックウェルは報告書の別の部分を開いた。


「すでに流入が始まっています。犯罪抑止が進めば、さらに動く者が出る可能性があります」


クレインが頷く。


「あり得るな」


「王都だけの問題ではありません」


ロックウェルは地図を見る。


亜人街。


ダークエルフ街。


王都周辺。


さらに各地の町や村。


アルデバラン王国では、すでに種族の違う者たちが暮らし始めている。


「受け入れるのであれば、生活が始まります」


食事がいる。


住居がいる。


仕事がいる。


子どもがいれば学ぶ場所も必要になる。


「保護した。それで終わりにはできません」


オーキスがロックウェルを見る。


「近衛がそれをするのか?」


「いいえ」


ロックウェルは首を横に振った。


「私がするのではありません」


クレインが僅かに笑った。


「各部署を動かす必要がある、ということだな」


「はい」


近衛騎士団が住宅を建てるわけではない。


食料を売るわけでもない。


仕事を紹介するわけでもない。


だが国家中枢にいる以上、何が起きるかを見ていなければならない。


「商業ギルド、冒険者ギルド、各地の行政にも早めに情報を出すべきでしょう」


「分かった。手配しよう」


クレインが引き取った。


アイクが腕を組んだ。


「妙な話だな」


「何がだ?」


オーキスが尋ねる。


「戦う話をしていたはずなのに、戦う話がほとんど出てこない」


アッシュが首を振る。


「最初から戦争の話ではない」


アイクは一瞬黙り、それから笑った。


「そうだったな」


人攫いを止める。


奴隷売買を止める。


被害者を救う。


必要なら力を使う。


最初から、それだけの話だった。


オーキスは改めて四人を見る。


「では、もう一度問う」


空気が引き締まった。


「ダークライト魔導公国で犯罪が続いている。公国自身には止められていない」


誰も目を逸らさない。


「我々には力がある」


オーキスは続けた。


「その力を、何のために使う?」


最初に答えたのはクレインだった。


「人を守るために」


アイクが続く。


「犯罪を止めるために」


アッシュも答える。


「必要な力を、必要なだけ使うために」


最後にロックウェルが言った。


「その結果まで、王国が見届けるために」


オーキスは頷いた。


ようやく答えが揃った。


力を持つことと、力を使うことは違う。


そして力を使うことと、戦争をすることも違う。


王国が決めようとしているのは、もっと単純なことだった。


目の前で行われている犯罪を、見過ごさない。


ただ、それだけだった。




オーキスは報告書を閉じた。


「では、次だ」


四人が国王を見る。


「ダークライト魔導公国が何もしなかった場合はどうする?」


クレインが最初に答えた。


「現状と変わりません」


「そうなるな」


「公国が犯罪を抑止できないのであれば、犯罪は続きます。人攫いも奴隷売買もなくならないでしょう」


それはすでに確認されている現実だった。


「では、公国が犯罪を取り締まり始めたら?」


「確認します」


クレインの返答は早い。


「言葉ではなく、実際に何をしたかを見ます」


オーキスが僅かに笑った。


「信用せぬか」


「信用するだけのものを、まだ見ておりません」


クレインは淡々としていた。


公国が人攫いを捕らえる。


奴隷商を取り締まる。


捕らえられている亜人を解放する。


それが実際に行われるのであれば、評価すればいい。


何もしないうちから信用する理由はなかった。


「では公国が人攫いを守った場合は?」


今度はアイクが答えた。


「その時点で話が変わります」


「どう変わる?」


「犯罪者だけの問題ではなくなります」


アイクは即答した。


「公国の組織が人攫いを守るのであれば、その組織も犯罪に加担していると判断します」


「騎士団を出すか?」


アイクは少し考えた。


「状況を見ます」


逃げではない。


何が起きているのかを確認してから決める。


「騎士団で対応できるのであれば動かします。できないのであれば、できないと申し上げます」


オーキスは頷いた。


「それでよい」


アイクは自分たちの実力を知っている。


だからこそ、虚勢で部下を動かすつもりはなかった。


アッシュが続ける。


「魔導師が関与した場合は、こちらで確認します」


「公国の魔導師すべてを敵と見るか?」


「いいえ」


アッシュは首を横に振った。


「犯罪に関与した者だけです」


魔導師だから敵。


公国の者だから敵。


そんな判断をする必要はない。


「犯罪者を守るために魔法を使う者がいれば止めます。何もしない者まで相手にする理由はありません」


「止められるか?」


「現在確認されている範囲なら」


アッシュはそこで言葉を切った。


「ただし、先ほど申し上げた通り、確認は続けます」


勝てると思っていることと、油断することは違う。


オーキスはロックウェルを見る。


「公国からさらに人が逃げてきたら?」


「受け入れられるだけの準備を進めます」


「近衛でか?」


「まさか」


ロックウェルは僅かに笑った。


「近衛が畑を耕しても仕方がありません」


アイクが吹き出しかけた。


「必要な部署へ情報を回します。王都だけで抱え込む必要もないでしょう」


クレインが引き取る。


「その調整は私が行います」


王国には仕事がある。


農地も増えている。


紡織産業も拡大している。


公衆浴場も増えた。


各ギルドも人を求めている。


教導によって、新しく来た者が自立する道も作れる。


ただ保護して食わせ続ける必要はない。


働きたい者には仕事を。


学びたい者には学ぶ場所を。


自分で生きたい者には、そのための手段を。


それが今のアルデバラン王国だった。


「もう一つございます」


クレインが言った。


「なんだ?」


「ダークライト魔導公国だけを見ていてはなりません」


オーキスが眉を上げる。


「他にも同じような国があるということか?」


「あるでしょう」


クレインは断言した。


「今回、我々が知ったのが公国だっただけです」


会議室が静かになった。


帝国もそうだった。


自国民を苦しめ、周囲へ問題を撒き散らし、それでも国として存在し続けていた。


ダークライト魔導公国だけが特別だと考える理由はない。


「ならば、そのたびに我々が動くのか?」


オーキスが尋ねた。


クレインはすぐには答えなかった。


ここでこそ、宰相として考える必要がある。


「同じことが起きているなら、同じように考えます」


「すべて救うと?」


「できるかどうかは、その時に判断します」


クレインは現実から離れなかった。


「ですが、できない理由を探すところから始めるつもりはございません」


オーキスが笑った。


「随分変わったな」


「変わっておりません」


クレインは首を横に振った。


「私は最初からブレーキを踏むつもりです」


「ほう」


「ただし」


クレインは机に置かれた報告書へ目を落とした。


「今ではありません」


そこには人攫いの記録がある。


奴隷として連れ去られた亜人たちがいる。


現実に苦しんでいる者がいる。


「今、止めるべきなのは我々ではない」


クレインは顔を上げた。


「犯罪です」


オーキスは大きく頷いた。


「その通りだ」


ブレーキとは、恐れて動かないためのものではない。


動きながら状況を見て、間違った方向へ進みそうになった時に使うものだ。


少なくとも今、アルデバラン王国の前にある道を塞いでいるものはなかった。




会議室には、先ほどまでとは違う静けさがあった。


方針は決まった。


だが、誰も席を立たない。


国王が意思を示しただけで、国が動くわけではない。


クレインが新しい紙を手元へ引き寄せた。


「では、整理いたします」


オーキスが頷く。


「頼む」


「第一に、人攫い及び奴隷売買を犯罪として扱います」


「当然だ」


「種族は問いません。亜人だからではなく、人を攫い、拘束し、売買しているからです」


アイクが頷いた。


相手が人間であろうと、獣人であろうと、ダークエルフであろうと関係ない。


犯罪は犯罪だった。


「第二に、現在ダークライト魔導公国を正常な国交の相手とは認めません」


オーキスがクレインを見る。


「断交か?」


「そもそも、まともな国交がございません」


クレインは平然と答えた。


「こちらから新たに交渉を求める理由もありません」


約束を交わしたところで、それを守れるのか。


自国内の犯罪すら統制できない国を相手に、まず言葉を交わす必要はなかった。


「第三に、公国が自ら犯罪を抑止するのであれば、その事実を確認します」


「評価はその後か」


「はい」


クレインは続けた。


「第四に、王国内へ逃れてきた者については、これまでと同様に扱います」


ロックウェルが確認する。


「保護を求める者を追い返さない?」


「その通りです」


アルデバラン王国では、すでに多くの者が新しい生活を始めている。


ダークエルフもいる。


他の亜人もいる。


人間もいる。


種族によって扱いを変える理由はない。


「住居、仕事、食料については各部署とギルドへ連絡します」


「教導も必要になるな」


オーキスが言った。


「はい。ただし本人が望む道を選べるようにします」


助けた者を王国へ依存させるためではない。


自分で生きられるようにするためだった。


クレインはそこで筆を止めた。


「問題は、現地です」


アイクが腕を組む。


「アレクサンド侯爵たちか」


「はい」


二十七人は、すでに公国で亜人狩りが行われていることを把握している。


そして救出する能力もある。


だが、王国騎士団ではない。


アレクサンドだけが騎士であり、ガイルたち二十六人は冒険者だ。


「彼らに命令することはできません」


クレインが言う。


オーキスも頷いた。


「分かっている」


「ですが、彼らがすでに亜人の保護を考えていることも事実です」


アレクサンドからマーガレットへ届いた報告には、方法まで記されていた。


亜人たちが集められている場所へ転移する。


アイテムボックスの保護空間へ収容する。


そのまま転移で帰還する。


証拠を残さず、見つからずに保護することも可能。


すでに考えられている。


オーキスは少し考えた。


「ならば、まず本人たちの意思を聞く」


クレインが頷く。


「それがよろしいでしょう」


アイクも異論を挟まなかった。


強いから使う。


できるから命じる。


それでは違う。


彼らには彼らの意思がある。


「もし彼らが動くと言った場合は?」


アイクが尋ねた。


オーキスではなく、クレインが答えた。


「王国は邪魔をしません」


アイクが眉を上げる。


「それだけか?」


「それだけではありません」


クレインは続けた。


「必要なものがあるなら用意します。保護された者を受け入れる。食料が必要なら準備する。住居が必要なら手配する」


現地で救う者。


救われた者を受け入れる者。


同じ仕事をする必要はない。


「できる者が、できることをする」


ロックウェルが言った。


「そういうことです」


クレインが頷いた。


アッシュは別の紙へ視線を落としていた。


「私は公国の魔導師について調べます」


「まだ気になるか?」


アイクが尋ねる。


「当然です」


アッシュは即答した。


「弱いと判断したから、調べなくていいとはなりません」


「何を見る?」


「魔法体系だけではありません」


研究施設。


魔道具。


魔導師の集団。


誰が誰に従っているのか。


人攫いや奴隷商と繋がっている者がいるのか。


「魔導公国を名乗っている以上、魔導騎士団長として確認しておきます」


オーキスが頷いた。


「任せる」


「はい」


アイクも続く。


「王国騎士団は、公国から王国側へ犯罪者が流れてこないか警戒します」


「それでよい」


「必要なら捕らえます」


「当然だ」


ロックウェルも口を開く。


「近衛は王都の状況を見ます。人が増えれば行政もギルドも忙しくなるでしょう。王国中枢に支障が出る兆候があれば、すぐクレイン宰相へ報告します」


「頼む」


四人が、それぞれ自分の仕事を決めていく。


オーキスはそれを聞いていた。


国王がすべてを決める必要はない。


進む方向を示せばいい。


そのために宰相がいる。


騎士団長がいる。


魔導騎士団長がいる。


近衛騎士団長がいる。


オーキスは最後にクレインを見る。


「それで、お前のブレーキはどうする?」


クレインは僅かに笑った。


「いつでも踏めるようにしておきます」


「今は?」


「踏みません」


「なぜだ?」


答えは簡単だった。


「まだ進んでもいないからです」


アイクが笑った。


アッシュも僅かに口元を緩める。


ロックウェルは静かに頷いた。


オーキスが立ち上がる。


「では始めよう」


四人も立った。


「仰せのままに」


力があるから、何をしてもいいわけではない。


だが、力があるのに何もしないことが正しいわけでもない。


必要な時に使う。


行き過ぎそうなら止める。


そのためのブレーキだった。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。