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戦わずに世界を変えた男――教育と物流で“循環国家”を作ったら、いつの間にか大陸が一つになっていた  作者: 慈架太子


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136/311

136 卒倒2

アレクサンド領では、新しい農産物の生産が始まっていた。


砂糖の原料となる作物。


胡麻。


大蒜。


生姜。


農業スキルを持つ領民たちが栽培を担当し、鑑定で生育状態を確認する。


特に胡麻は、収穫が始まるとすぐ料理人たちの注目を集めた。


炒った胡麻を搾れば油が取れる。


香りの強い胡麻油だった。


さらに胡麻を炒って細かく擦り、醤油、砂糖、柑橘の搾り汁を加えて混ぜる。


料理人たちは配合を変えながら何度も味見した。


甘味を強くする。


酸味を強くする。


醤油を増やす。


生姜を加える。


大蒜を加える。


鑑定を使いながら調整を続け、やがて濃厚な胡麻の香りを持つたれが完成した。


胡麻だれ。


単純な名前だった。


だが評判は凄まじかった。


蒸したオーク肉につける。


鶏肉につける。


野菜につける。


胡麻油を少量加えれば、さらに香りが強くなる。


大蒜や生姜を加えたものも作られた。


マルセルの店でも当然使われる。


オークの薄切り肉柑橘蒸しには、従来の柑橘醤油と胡麻だれの二種類を用意した。


鶏肉の柑橘蒸しには、生姜と大蒜を少量加えた胡麻だれを合わせる。


客は好きな方を選べる。


両方頼む者も多かった。


食文化の発展は亜人街でも続いていた。


そして今度は、食べることそのものを目的に街を訪れる女性たちが増えていた。


王国騎士団の女性騎士たちは休日になると数人で集まる。


「今日、どうする?」


「亜人街」


「また?」


「新しい店ができたのよ」


「なら行きましょう」


話は早かった。


商業ギルドの旅行商品を利用する必要もない。


彼女たちは飛行魔法を使える。


王都から自分たちで飛び、亜人街へ向かった。


菓子を食べる。


服を見る。


エルフ街で果実を買う。


ドワーフ街で家族への土産を探す。


昼には獣人料理や魔族料理を楽しむ。


夕方になれば、そのまま王都へ飛んで帰る。


完全な日帰り旅行だった。


一方、かつて帝国から亡命してきた女性たちは、商業ギルドのパックツアーを利用していた。


一泊二日。


往復のゴーレム馬車。


宿泊。


食事。


各街の案内まで含まれている。


急ぐ必要などない。


車窓を眺めながら移動し、宿へ泊まり、翌日も遊ぶ。


それ自体が楽しみだった。


「次はエルフ街だって」


「昨日ワイン買ったばかりよ」


「今日は果物を見るの」


「また荷物が増えるわね」


「アイテムボックスがあるじゃない」


笑い声が続く。


かつて帝国から逃れてきた頃とは、まるで違っていた。


働く場所がある。


家がある。


金もある。


学校へ通った。


魔法も覚えた。


今では休暇に旅行まで楽しんでいる。


そんな彼女たちが共有街の食堂で昼食を取っている時だった。


隣の席から聞き慣れない店の名前が聞こえてきた。


「マルセルの店、行った?」


「アレクサンド領の?」


「そう。胡麻だれが増えたらしいよ」


亡命女性たちの会話が止まった。


一人が隣の席を見る。


「すみません。その店って何ですか?」


「知らないの?」


オークの薄切り肉柑橘蒸し。


鶏肉の柑橘蒸し。


シードル。


そして新しく加わった胡麻だれ。


説明を聞くほど、全員の表情が変わっていった。


「アレクサンド領って、ここから遠い?」


「飛べば十分くらいじゃない?」


沈黙。


全員が飛行魔法を使える。


「行く?」


「行く」


迷う理由がなかった。


パックツアーの自由時間を確認する。


まだ十分にある。


亡命女性たちは宿へ戻ることもなく、そのまま浮かび上がった。


十分ほど飛ぶ。


アレクサンド領へ到着した。


マルセルの店を探す。


すぐに見つかった。


扉を開ける。


「いらっしゃいませ」


席へ着いた女性たちは献立を見る。


「オークの薄切り肉柑橘蒸し」


「鶏肉の柑橘蒸しも」


「両方ください」


「シードルもお願いします」


一人が献立の新しい文字を見つけた。


「胡麻だれ?」


「最近作ったものですよ」


マルセルが答えた。


「それもください」


料理が運ばれる。


最初は柑橘醤油。


オーク肉を一枚。


食べる。


全員が止まった。


「……何これ」


次は鶏肉。


「美味しい……」


シードルを飲む。


もう一枚。


そして胡麻だれ。


濃厚な胡麻の香りに、醤油の旨味と砂糖の甘味、柑橘の酸味が重なる。


大蒜と生姜の香りが後から広がった。


「…………」


一人が静かに椅子の背へ倒れ込んだ。


隣も続いた。


「これは駄目……」


「何が駄目なの?」


「美味しすぎる……」


誰も本当に意識を失ってはいない。


だが立ち上がる者もいなかった。


マルセルはその光景を見た。


つい先日も、同じものを見た気がした。


王妃たちに続いて、今度は帝国から亡命してきた女性たちまで。


マルセルの店では、二度目の卒倒が始まっていた。




亡命女性たちは、しばらく椅子から動かなかった。


目の前には二種類のたれが置かれている。


柑橘醤油。


胡麻だれ。


最初は柑橘醤油だけでも十分だった。


薄く蒸したオーク肉の脂を柑橘の酸味がさっぱりさせる。


そこへシードルを飲めば、また次の一枚へ手が伸びる。


ところが胡麻だれが加わった。


一人が身体を起こす。


「もう一枚だけ……」


胡麻だれへオーク肉をつける。


食べる。


「やっぱり美味しい……」


「鶏肉も食べてみて」


「どっちのたれ?」


「胡麻だれ」


今度は鶏肉。


濃厚な胡麻の香りに、大蒜と生姜が合わさる。


「こっちも駄目だわ」


「だから何が駄目なのよ」


「止まらない」


全員が笑った。


マルセルが追加のシードルを運んできた。


「随分と気に入っていただけたようですね」


「これ、どうやって作ってるんですか?」


一人が胡麻だれを指す。


「炒った胡麻を擦って、醤油と砂糖、それから柑橘の搾り汁を混ぜています。こっちは大蒜と生姜も少し」


「砂糖?」


「アレクサンド領で生産が始まったんですよ」


女性たちは顔を見合わせた。


砂糖。


帝国にいた頃なら、日常的に口にできるものではなかった。


それが今は料理の調味料として使われている。


「高くないんですか?」


「今はまだ大量に出回っているわけじゃありませんが、栽培面積を増やしていますからね」


マルセルは何でもないことのように答えた。


「そのうち普通の調味料になるんじゃないですか」


一人の女性が小皿の胡麻だれを見る。


「普通の調味料……」


誰かが小さく笑った。


「すごい国に来ちゃったわね、私たち」


誰も否定しなかった。


彼女たちが帝国から逃れてきた時、求めていたものは安全だった。


安心して眠れる場所。


食べ物。


仕事。


それだけで十分だった。


学校へ通えることも。


魔法を覚えることも。


飛べるようになることも。


旅行を楽しむことも。


まして、休日に友人たちと美味しい料理を食べ歩くことなど考えてもいなかった。


一人がシードルの杯を持ち上げた。


「帝国にいた頃の私に見せてあげたいわ」


「信じないでしょうね」


「胡麻だれ食べながら何を言ってるのよ」


また笑い声が起きた。


湿っぽくなる必要はなかった。


今ここにいる。


それで十分だった。


「すみません」


一人がマルセルを呼ぶ。


「はい」


「オーク肉、追加してください」


「私も」


「鶏肉もお願いします」


「胡麻だれも」


マルセルが笑う。


「承知しました」


完全に復活していた。


追加の皿が運ばれてくる。


今度は食べ方まで試し始めた。


オーク肉に胡麻だれ。


鶏肉に柑橘醤油。


胡麻だれへ少し柑橘醤油を混ぜる者までいる。


「これも美味しい」


「本当?」


「やってみて」


好みは少しずつ違った。


それがまた楽しい。


食事を終えた頃には、予定していた自由時間がかなり減っていた。


一人が端末を見る。


「あっ」


「どうしたの?」


「そろそろ戻らないと」


全員が端末を見る。


宿へ戻る時間が近い。


「飛べば十分くらいだったわよね?」


「そうね」


「なら大丈夫」


会計を済ませる。


アイテムボックスがあるため、土産も遠慮なく買った。


胡麻だれ。


胡麻油。


砂糖を使った菓子。


さらにマルセルが用意した持ち帰り用の料理まで入れる。


「また来ます」


「お待ちしています」


女性たちは店を出た。


そして一斉に飛び上がる。


亜人街へ向かって飛んでいった。


十分ほどで到着する。


宿の前では、商業ギルドの案内役が待っていた。


「皆さん、どちらへ?」


「ちょっとアレクサンド領まで」


「ちょっと?」


「飛べば十分でしたよ」


案内役は何とも言えない顔をした。


一泊二日のパックツアーの自由時間に、別の領地まで飛んで食事へ行く。


そんな客を想定してはいなかった。


だが翌朝。


話を聞いた別の参加者たちが案内役を囲んだ。


「アレクサンド領にも行けるんですか?」


「マルセルの店ってどこです?」


「胡麻だれって何ですか?」


案内役は頭を抱えた。


旅行商品を作った時には存在しなかった目的地が、勝手に増えている。


その日の午後。


商業ギルドへ新しい報告が送られた。


――亜人街周遊旅行に、アレクサンド領の飲食店を組み込めないか。


観光は、また勝手に広がり始めていた。




翌朝。


一泊二日の旅行を楽しんでいた亡命女性たちは、宿の食堂に集まっていた。


昨夜は亜人街へ戻ってからも話が尽きなかった。


エルフ街で買った果実。


ドワーフ街で見つけた酒。


獣人街の香辛料。


魔族街で食べた料理。


そして、アレクサンド領のマルセルの店。


話題は結局そこへ戻る。


「昨日の胡麻だれ、持って帰る?」


「もう買ったわよ」


「いつの間に?」


「店を出る前」


「私も買えばよかった」


「今日また行けばいいじゃない」


その言葉に何人かが顔を上げた。


商業ギルドの案内役が嫌な予感を覚える。


「皆さん。本日は午前中にエルフ街とドワーフ街を回る予定です」


「分かってます」


「午後には王都へ戻ります」


「それも分かってます」


「では、なぜ飛行魔法の準備を?」


女性たちは顔を見合わせた。


「昼食だけです」


「アレクサンド領まで」


「飛べば十分ですから」


案内役は額を押さえた。


昨日まで、この旅行商品は亜人街を楽しむためのものだった。


ところが参加者たちは自由時間を使って勝手に行動範囲を広げ始めている。


しかも飛行魔法が使える。


止める理由もなかった。


危険な場所へ行くわけではない。


アレクサンド領は街道も整備され、治安もいい。


「分かりました。ただし集合時間には戻ってきてください」


「もちろんです」


「昨日も間に合ったでしょう?」


楽しそうに笑う女性たちを見て、案内役も諦めて笑った。


午前中、一行は予定通りエルフ街を歩いた。


果実を買い、蜂蜜を買う。


ドワーフ街では酒造所を見学した。


樽から漂う香りに足を止め、試飲用の小さな杯を受け取る。


「これ、美味しい」


「昨日のオーク肉に合いそう」


「またマルセルの店の話?」


「だって合いそうなんだもの」


その会話を聞いていたドワーフの店主が笑った。


「マルセルなら知ってるぞ。最近はうちの酒も買っていく」


「やっぱり」


「ブランデーも持っていくか?」


「ください」


買い物が増えた。


だが誰も困らない。


買った品はアイテムボックスへ入れるだけだった。


昼前になると、女性たちは広場へ集まった。


「行く?」


「行きましょう」


全員が浮かび上がる。


そのままアレクサンド領へ向かった。


十分ほどで到着する。


昨日と同じ店。


扉を開けると、マルセルが目を丸くした。


「いらっしゃいませ……昨日の?」


「また来ました」


「旅行中では?」


「旅行中です」


「亜人街から飛んできました」


マルセルは一瞬黙った。


「なるほど」


納得していいのか迷ったが、客が来たのだから料理人がすることは一つだった。


「どうぞ。空いている席へ」


女性たちは席に着く。


ところが献立を見て、一人が首を傾げた。


昨日にはなかった文字が増えている。


「新作?」


マルセルが笑った。


「今朝、試してみたんですよ」


大皿が運ばれてきた。


薄く切ったオーク肉。


昨日と同じように魔力で火を通しているが、今日は十分に冷ましてある。


横には葉野菜と薄切りの野菜。


そして胡麻だれ。


「冷やしたんですか?」


「ええ。昨日、胡麻だれを食べている皆さんを見て思いましてね。温かい肉だけじゃなく、冷ました肉でも旨いんじゃないかと」


一人が肉を取る。


野菜と一緒に胡麻だれへつけた。


口へ運ぶ。


止まった。


隣の女性が警戒する。


「どう?」


返事がない。


もう一枚取った。


今度は胡麻だれを多めにつける。


食べる。


「……これ」


「これ?」


「昨日より危険かもしれない」


全員の箸が伸びた。


柔らかなオーク肉。


野菜の歯応え。


濃厚な胡麻。


醤油の旨味。


砂糖の甘味。


柑橘の酸味。


そこへ生姜と大蒜の香りが重なる。


「美味しい!」


「冷たいのも合う!」


「野菜まで美味しい!」


「シードルください!」


マルセルが笑いながら杯を用意する。


昨日卒倒した女性たちは、二日目も懲りていなかった。


むしろ悪化していた。


「これ、名前は?」


そう聞かれたマルセルが困った。


「まだ決めてないんですよ」


「じゃあ今日から店に出すんですか?」


「評判が良ければ」


女性たちは一斉にマルセルを見る。


「出してください」


「絶対に」


「王都でも売ってほしい」


「それは店を増やせという話ですか?」


「お願いします」


マルセルは苦笑した。


一人の料理人が胡麻だれを試した。


ただ、それだけだった。


そこから新しい料理が生まれ、旅行客が別の領地まで飛んでくるようになった。


食事を終えた女性たちは満足そうに店を出た。


「帰りたくない」


「明日は仕事よ」


「次の休みは?」


「来月」


「また来る?」


「聞く必要ある?」


全員が笑った。


そして空へ浮かぶ。


帝国から逃げてきた頃、彼女たちは明日の食事さえ分からなかった。


今は違う。


次の休日に何を食べるかを相談している。


それだけの違いだった。


だが彼女たちにとっては、とても大きな違いだった。


一行は亜人街へ向かって飛んでいった。


集合時間には、まだ十分な余裕があった。




亡命女性たちが亜人街へ戻ると、商業ギルドの案内役が広場で待っていた。


まだ集合時間には早い。


それでも全員が戻ってきたことを確認すると、案内役は安堵した。


「お帰りなさい。間に合いましたね」


「余裕でした」


「飛べば十分ですから」


「それは昨日も聞きました」


女性たちが笑う。


そのうち一人がアイテムボックスから小さな容器を取り出した。


「これ、よかったらどうぞ」


「何ですか?」


「胡麻だれ」


案内役の表情が変わった。


昨日から何度も聞かされている名前だった。


「これが例の……」


「そう。危険なやつ」


「危険?」


「食べれば分かります」


意味が分からない。


だが宿の料理人に頼み、蒸した鶏肉を少し用意してもらった。


胡麻だれにつける。


一口。


案内役の動きが止まった。


「どう?」


「……これは」


女性たちが笑いを堪える。


もう一口。


今度は胡麻だれを多めにつけた。


「アレクサンド領まで十分でしたね?」


「十分です」


「なるほど」


「行く気になった?」


「仕事中です」


即答した。


だが視線は胡麻だれから離れなかった。


午後。


一泊二日の旅行を終えた一行は、ゴーレム馬車に乗り込んだ。


帰りも飛行魔法は使わない。


急ぐ必要がないからだ。


座席へ身体を預け、窓の外を眺める。


整備された街道をゴーレム馬車が滑らかに進んでいく。


途中で何台もの馬車とすれ違った。


亜人街へ向かう家族。


商人。


若い男女。


休日らしい女性の一団もいる。


「また人が増えてるわね」


「昨日より多くない?」


「噂が広がってるんでしょう」


一人がアイテムボックスを開く。


買った物を確認した。


蜂蜜。


林檎。


葡萄。


シードル。


ワイン。


ブランデー。


香辛料。


胡麻油。


胡麻だれ。


菓子。


「買いすぎたかしら」


「誰が?」


「私たち」


沈黙。


やがて誰かが言った。


「次に来る時は、もっと買うでしょうね」


「そうね」


笑い声が馬車の中に広がった。


王都へ到着すると、一行はそれぞれの家へ帰っていった。


翌日。


彼女たちはいつも通り仕事へ向かった。


旅行が終わったからといって、特別なことはない。


だが昼休みになると、早くも土産が広げられた。


「これ、エルフ街の蜂蜜」


「私はドワーフ街の焼き菓子」


「胡麻だれ持ってきたわよ」


最後の一言に周囲の女性たちが集まった。


「それが噂の?」


「そう」


「何につけるの?」


「肉でも野菜でもいいみたい」


食堂から蒸したオーク肉を少し分けてもらう。


胡麻だれをつける。


一人が食べた。


「……美味しい」


もう一人。


「何これ」


さらに一人。


「どこで売ってるの?」


「アレクサンド領」


「遠い?」


「亜人街からなら飛んで十分くらい」


「王都からは?」


「飛んで行けるわよ」


会話を聞いていた別の女性が端末を取り出した。


「次の休み、いつ?」


話が早かった。


旅行へ行った本人たちは顔を見合わせる。


昨日、自分たちも同じことをした。


噂を聞いた。


場所を聞いた。


飛べる。


だから行った。


それだけだった。


数日後。


商業ギルドでは新しい旅行商品の会議が開かれていた。


担当者が資料を見る。


「亜人街一泊二日の利用者から、アレクサンド領への立ち寄り希望が増えています」


「どれくらいだ?」


「かなり多いです」


「理由は?」


担当者は少し困った顔をした。


「料理です」


「料理?」


「マルセルという料理人の店が評判になっています。オークの薄切り肉柑橘蒸し、鶏肉の柑橘蒸し、それと最近は胡麻だれを使った料理が人気だそうです」


別の職員が資料を追加する。


「アレクサンド領では砂糖、胡麻、大蒜、生姜の生産も始まっています。買い物を希望する客も増えると思われます」


「宿泊は?」


「亜人街で構わないでしょう。飛行魔法を使える客なら移動に十分程度です」


会議室が静かになった。


これまで旅行商品を作る時には、馬車の移動時間が重要だった。


今は違う。


客自身が飛べる。


アイテムボックスがあるから、買い物の量もほとんど問題にならない。


担当者が言った。


「では、自由時間の選択先として追加しましょう」


誰も反対しなかった。


その日のうちに新しい案内が作られた。


亜人街周遊。


エルフ街。


ドワーフ街。


獣人街。


ダークエルフ街。


魔族街。


共有街。


そして希望者には、アレクサンド領の飲食店巡り。


旅行先が一つ増えた。


ただ、それだけだった。


だがアレクサンド領では、その案内が出た翌週から見慣れない客が増え始めた。


マルセルの店にも女性客が列を作る。


「胡麻だれの料理をお願いします」


「シードルも」


「冷たいオーク肉の料理はありますか?」


マルセルは厨房から店内を見た。


「……どうしてこうなった?」


隣にいた料理人が笑った。


「美味しいからじゃないですか?」


マルセルは少し考えた。


それなら仕方がない。


「オーク肉を追加で用意してくれ。野菜もだ」


「はい」


厨房に再び湯気が上がった。


帝国から逃れてきた女性たちが、休日に美味しいものを食べた。


友人に土産を渡した。


その友人も食べた。


そして次の客がやってきた。


誰も命令していない。


誰も計画していない。


美味しい。


また食べたい。


誰かにも食べさせたい。


それだけで、人は動いた。


アレクサンド領と亜人街を結ぶ空には、今日も楽しそうな旅行客の姿が増えていた。





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