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戦わずに世界を変えた男――教育と物流で“循環国家”を作ったら、いつの間にか大陸が一つになっていた  作者: 慈架太子


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127 帰還

第二村に、千八百九十人が帰ってきた。


三週間前、この村から一斉に飛び立った者たちだった。


十人から二十人ほどの班に分かれ、村から村へ、街から街へと教導を広げてきた。


そして今、帝国はもうない。


旧帝国領では、人々が自分たちで生活を始めている。


農民は畑を耕し、元兵士は街道や水路を直す。


元文官は記録や行政を担い、商人たちは物流を動かしている。


教師も各地にいる。


千八百九十人が教えた者が、さらに次の者を教えていた。


アレクサンドは第二村にいる千八百九十人と救援隊二十六人、ゴーレム魔導師隊二百人へ念話を繋いだ。


長い挨拶をするつもりはなかった。


『私たちの仕事は終わったわ。帰還するわ』


それだけで、多くの者がアレクサンドへ顔を向けた。


『困ったことが起きたら、遠慮なく念話して。まあ、そんなことは起きないでしょうけど』


少し間を置く。


『じゃあね』


終わった。


あまりにも簡単だった。


帝国全土へ教導を広げた者たちへの訓示もない。


帝国を滅亡させたことへの総括もない。


別れを惜しむ長い言葉もなかった。


アンドリューが苦笑した。


「それだけか」


レイラも笑っている。


「アレクサンドらしいじゃない」


もう、言葉を重ねる必要もなかった。


困ったことがあれば念話できる。


だが、アレクサンドはおそらく本当に呼ばれることはないと思っている。


自分たちで考える。


自分たちで働く。


自分たちで教える。


そのための力は、すでに人々の中にあった。


アレクサンドは救援隊二十六人と第一村の十人を連れ、第二村を飛び立った。


目指すのは第一村だった。


空を飛びながら、誰も帝都を振り返らなかった。


しばらくして第一村が見えてくる。


三十七人が村へ降りた。


ライラたちが出迎える。


アレクサンドはここでも長話をしなかった。


第一村の人々へ念話を繋ぐ。


『私たちの仕事は終わったわ。帰還するわ』


第二村で言ったものと同じだった。


『困ったことが起きたら、遠慮なく念話して。まあ、そんなことは起きないでしょうけど』


ライラの表情が曇った。


アレクサンドは最後に笑った。


『じゃあね』


それだけだった。


第一村から同行していた十人が仲間たちのもとへ戻っていく。


ライラはアレクサンドたちを見る。


最初に救援隊がやって来た頃とは、何もかも変わっていた。


食べるものにも困っていた。


病人もいた。


自分たちに何ができるのかも分からなかった。


今は違う。


水を作れる。


土を動かせる。


治癒できる。


飛べる。


索敵できる。


自分たちで食料を得られる。


そして誰かが困っていれば、自分たちが教えに行くこともできる。


「もう行っちゃうのね……」


ライラが小さく呟いた。


「ええ」


アレクサンドはあっさり答えた。


「もう私たちがいなくても大丈夫でしょう?」


ライラは寂しそうな顔のまま、それでも頷いた。


「うん」


「なら大丈夫よ」


アレクサンドはそれ以上何も言わなかった。


救援隊二十七人が集まる。


少し離れた場所にはゴーレム魔導師隊二百人もいる。


アレクサンドは最後に第一村を見た。


ライラたちが手を振っている。


アレクサンドも軽く手を上げた。


転移。


二百二十七人の姿が消えた。


次の瞬間。


王宮の訓練場に二百二十七人が現れた。


訓練中だった騎士たちが一斉に振り返る。


その中にいたアイクが、帰還した一団に気づいた。


そしてアレクサンドへ歩いてくる。


「お帰りなさい」


アレクサンドが振り向いた。


アイクは当然のように続けた。


「アレクサンド侯爵」


「……?」


アレクサンドはきょとんとした。


何を言われたのか、本気で分かっていなかった。




「アレクサンド侯爵」


もう一度アイクが呼んだ。


アレクサンドは自分の後ろを振り返った。


誰もいない。


首を傾げて、アイクを見る。


「何ですか? 団長」


「何とは?」


「冗談はやめてください。不敬ですよ」


アイクが黙った。


周囲にいた騎士たちも、何とも言えない表情をしている。


侯爵への叙爵はすでに王宮で決まっている。


知らないのは本人だけだった。


だが、アレクサンドにはそんな事情など分からない。


伯爵である自分を侯爵と呼ぶ。


それも騎士団長が公然と。


冗談にしても質が悪い。


「私は殿下に報告がありますので、これで」


アイクが何か言おうとしたが、アレクサンドはすでにガイルたちへ向き直っていた。


「ガイルたちはギルドに報告してきて」


「承知した」


ガイルが答えた。


救援隊二十七人の役目も、ここで分かれる。


アレクサンドはアンジェラの隣へ移動した。


転移。


二人の姿が訓練場から消える。


残されたアイクは、しばらく二人がいた場所を見つめていた。


「……知らないのか」


ガイルが苦笑する。


「何をです?」


アイクは今度はガイルを見る。


「いや……お前もか」


「?」


アイクはそれ以上言わなかった。


どうせ正式な通知がある。


ここで自分が説明することでもない。


ガイルたち二十五人も転移した。


行き先は冒険者ギルドの訓練場だった。


突然現れた二十五人に、訓練中の冒険者たちが気づく。


帝国へ向かった教師たちが帰ってきた。


その情報はすぐにギルド内へ伝わった。


だが、大騒ぎにはならない。


帝国で何が起きていたのかは、すでに教導記録閲覧端末を通じて伝わっている。


間もなくバルドが姿を見せた。


ガイルたち二十五人が並ぶ。


バルドは一人ずつ顔を見た。


誰も欠けていない。


負傷している者もいない。


「今回の件、誠に見事だった。ご苦労」


短かった。


それだけだった。


ガイルたちは顔を見合わせた。


何人かが照れたように頭を掻く。


長々と報告することもなかった。


どこへ行ったのか。


誰を教えたのか。


何が起きたのか。


帝国兵をどう処理したのか。


教導がどこまで広がったのか。


その記録はすでにバルドの手元にある。


ガイルが頭を下げた。


「ただいま戻りました」


二十四人も続く。


バルドは頷いた。


それで帰還報告は終わった。


一方、アーク邸。


アレクサンドとアンジェラはマーガレットを訪ねていた。


マーガレットは二人を見ると、穏やかに微笑んだ。


「お疲れ様。アレクサンド、アンジェラ」


「ただいま戻りました」


アレクサンドが答える。


アンジェラも頭を下げた。


「ただいま……戻りました」


顔を上げた時だった。


アンジェラの目から涙が落ちた。


自分でも止められなかった。


「殿下……」


マーガレットは黙ってアンジェラを見る。


「今回の件、なんとお礼を申し上げてよいか……」


声が震えた。


アンジェラはかつて帝国から亡命した。


祖国を捨てて王国へ来た。


生きるためだった。


それでも、帝国に残した人々のことまで忘れたわけではない。


その帝国へ戻った。


今度は追われる者としてではない。


人々を助ける側として。


飢えていた者に食事を渡した。


魔法を教えた。


働く術を教えた。


帝国兵だった者まで、自分たちで生きられるようになった。


そして帝国は滅亡した。


だが、帝国民は滅びなかった。


むしろ人々は、帝国という支配が消えた後も自分たちで生活している。


「いいえ」


マーガレットが静かに答えた。


「あなたたちがやり遂げたことなのよ」


アンジェラは首を振ろうとした。


だが、言葉にならない。


「涙を拭いて。顔を上げて」


アンジェラは涙を拭った。


それでも次から次へと溢れてくる。


「よかった……」


ようやく、それだけ言えた。


帝国が滅びたからではない。


そこにいた人々を救うことができた。


そのことが嬉しかった。


アレクサンドは隣で黙っていた。


今は何も言わない方がいいと思った。


マーガレットも急かさなかった。


アンジェラが自分で顔を上げられるまで、静かに待っていた。




しばらくして、アンジェラはようやく落ち着いた。


何度も涙を拭ったせいで目元が赤くなっている。


マーガレットは何も急かさなかった。


アレクサンドも隣で待っていた。


アンジェラが顔を上げる。


「申し訳ありません。取り乱しました」


「謝ることではないわ」


マーガレットは微笑んだ。


「あなたにとっては祖国だったのですもの」


アンジェラは小さく頷いた。


帝国は滅亡した。


その事実だけを聞けば、喜ぶような話ではない。


だが、帝国で暮らしていた人々は生きている。


農民も。


職人も。


商人も。


元兵士も。


元文官も。


自分たちで働き、自分たちで生活を続けている。


アンジェラが望んでいたのは、帝国という国を滅ぼすことではなかった。


そこに暮らしていた人々が救われることだった。


「本当に……ありがとうございました」


もう一度、アンジェラが頭を下げる。


マーガレットは首を横に振った。


「私は許可を出しただけよ」


「でも、殿下が認めてくださらなければ、始まりませんでした」


「始めたのはあなたたち。教えたのもあなたたち。そして最後には、帝国の人々自身が動いたのでしょう?」


アンジェラは頷いた。


その通りだった。


第二村から千八百九十人が飛び立ってからは、救援隊だけで教導していたわけではない。


教えられた者が、次の者を教えた。


その者が、さらに別の村へ飛んだ。


最後には誰が誰から教わったのか、追うことさえ難しくなっていた。


アレクサンドが口を開く。


「私たち、最後の方はほとんど何もしてませんよ」


マーガレットが笑う。


「それなら大成功じゃない」


「そうなんですか?」


「あなたたちがいなくても続いたのでしょう?」


「ええ」


「なら、そういうことよ」


アレクサンドは少し考えてから頷いた。


教える者がいなくなれば止まる仕組みではない。


命令する者がいなければ動かない仕組みでもない。


人々自身が必要なことを考え、次の人へ教える。


だから救援隊は帰ってこられた。


マーガレットは教導記録閲覧端末を手に取った。


「こちらでも毎日確認していたわ」


「やっぱり便利でしょう?」


「ええ。あなたから報告が来る前に、帝国兵が次々と教導を受けていることも分かっていたわ」


「それなら報告しなくてもよかったですね」


「それは違うわ」


マーガレットは即答した。


「確認できることと、現地の責任者から正式な報告を受けることは別よ」


「ああ……」


アレクサンドは納得した。


端末が便利だからといって、組織の手順まで不要になるわけではない。


マーガレットは端末を置いた。


「それに、王宮でもずいぶん役に立っているわ」


「教導の記録に?」


「それだけじゃないわよ」


マーガレットは笑った。


「三騎士団でも使い始めたわ。アルフレッド侯爵も使っているし、冒険者ギルドにもあるでしょう?」


「ええ」


「王国中の教導記録も、これで管理する準備を進めているわ」


アレクサンドは嬉しそうに頷いた。


自分が帝国救援のために作ったものが、すでに別の場所で使われ始めている。


それでいい。


作った本人が使い方を決め続ける必要はなかった。


アンジェラもようやく普段の表情を取り戻していた。


「殿下、旧帝国領についてはどうなるのでしょう?」


マーガレットは少し考える。


「今すぐ王国が何かを決める必要はないでしょうね」


「統治しないのですか?」


「人々はもう生活しているのでしょう?」


「はい」


「なら、まずはそれでいいわ」


王国軍を送り込む必要もない。


役人を大量に送り込む必要もない。


旧帝国民は、自分たちで必要な仕事を始めている。


問題が起きれば、その時に考えればいい。


「それより」


マーガレットがアレクサンドを見る。


「あなた、自分のことは何も知らないみたいね」


「私のこと?」


「ええ」


アレクサンドは首を傾げた。


マーガレットの笑みが少し深くなる。


王宮の訓練場でアイクが何と言ったのか。


アレクサンドはまだ、その意味を正しく理解していなかった。





しばらくして、アンジェラの涙もようやく落ち着いてきた。


マーガレットは二人を見ながら微笑んでいる。


「ところでアレクサンド。王宮の訓練場で、誰かに何か言われなかった?」


「言われましたよ」


「何て?」


「アイク団長が、私を侯爵って呼んだんです」


マーガレットの口元が緩んだ。


「それで?」


「冗談はやめてください。不敬ですよって言いました」


アンジェラがアレクサンドを見る。


「言ったの?」


「だって私は伯爵よ。侯爵じゃないもの」


「アレクサンド……」


アンジェラが困ったような顔をする。


マーガレットはとうとう笑った。


「アイクも困ったでしょうね」


「何でですか?」


まだ分かっていない。


マーガレットは表情を整えると、アレクサンドへ告げた。


「あなた、今回の功績で侯爵に叙爵されることが決まったわよ」


アレクサンドの動きが止まった。


「……え?」


「侯爵よ」


「誰が?」


「あなたが」


「私?」


「そう」


アレクサンドの目が点になった。


王宮の訓練場での出来事が、ようやく繋がった。


アイクは冗談を言っていたのではない。


自分だけが知らなかったのだ。


「……本当だったの?」


「本当よ」


アレクサンドは頭を抱えた。


「団長に不敬って言っちゃった……」


先ほどまで泣いていたアンジェラが、今度は小さく笑った。


「後で謝ればいいじゃない」


「そういう問題?」


「そういう問題よ」


マーガレットも楽しそうに二人を見ていた。


「まだあるわよ」


「まだ?」


「ガイルは子爵に叙爵されるわ」


「ガイルが?」


「ええ。それから二十三人の冒険者は男爵」


帝国へ向かった二十五人の冒険者たちは、第一村から第二村まで教導を続けてきた。


人々へ魔法を教えただけではない。


狩り。


解体。


調理。


飛行。


索敵。


生活と仕事。


自分たちがいなくなっても、人々が自立して生きられるところまで教え続けた。


その積み重ねが評価された。


マーガレットはアンジェラを見る。


「そしてアンジェラ。あなたは伯爵へ陞爵されるわ」


アンジェラが目を見開いた。


「私が……伯爵に?」


「ええ」


アンジェラは現在、すでに子爵だった。


王国へ亡命してから積み重ねてきた功績が認められ、爵位を与えられている。


それでも伯爵への陞爵は予想していなかった。


「今回の功績は、私だけのものではありません」


「分かっているわ」


マーガレットは静かに答えた。


「だからガイルたちにも爵位が与えられるのよ」


アンジェラは言葉を失った。


帝国から逃れてきた自分が、今度は王国の教師として帝国へ戻った。


そして多くの帝国民を救うことができた。


その結果を王国が正式に評価した。


先ほど拭ったはずの涙が、また滲んだ。


アレクサンドが横を見る。


「また泣くの?」


「仕方ないでしょう……」


アンジェラは笑いながら涙を拭った。


マーガレットはさらに続ける。


「アダムスは名誉侯爵になるわ」


「アダムスも?」


「ええ。今回だけではなく、これまでの功績も含めて評価されたのよ」


アレクサンドは椅子にもたれた。


帝国へ行っている間に、自分の知らないところで話が進みすぎている。


「王宮って、私がいない間に何をしてたんですか?」


「仕事よ」


マーガレットが即答した。


アンジェラが吹き出した。


アレクサンドは何も言い返せなかった。


その頃、冒険者ギルド。


バルドの前にはガイルたち二十五人がいた。


自分たちに爵位が与えられることを、彼らはまだ知らない。


バルドは知っていた。


だが、それを伝えることはしなかった。


正式に知らせるのは王宮の役目だった。


「今日はもう休め」


「承知しました」


ガイルが頭を下げる。


二十四人もそれに続いた。


第一村で約一か月。


第二村で約一か月。


そして千八百九十人による自立した教導が始まってから三週間。


二か月を超えた帝国救援が終わった。


救援隊が帝国全土を回ったわけではない。


最後は教えられた人々自身が飛び、次の人間を教えた。


その流れが帝国全土へ広がり、帝国という支配の仕組みだけが消えていった。


アーク邸。


マーガレットは二人へ告げる。


「正式な叙爵と陞爵は王宮で行われるわ。それまではゆっくり休みなさい」


アレクサンドはまだ実感がないらしい。


「侯爵……」


アンジェラも自分に言い聞かせるように呟いた。


「伯爵……」


「王宮から呼び出しがあるまで、家でゆっくりしなさい」


「はい」


二人が答えた。


長かった帝国救援は終わった。


帝国という国は消えた。


だが、そこで暮らしていた人々は残った。


そして今も、自分たちの力で生活を続けていた。






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