126 教導の伝播と帝国の滅亡
教導の伝播は、アレクサンドたちの予想をはるかに超えていた。
第二村から千八百九十人が飛び立って十日。
教導は帝国全土へ広がっていた。
一つの村で十人が教える。
教えられた者が教導を覚醒する。
その者が隣村へ飛ぶ。
そこでまた新しい教師が生まれる。
街でも同じだった。
もはや誰が最初に教えたのか追うことさえ難しい。
ただ、記録だけは残った。
名前。
村。
街。
覚醒した属性。
教導内容。
そして次に誰を教えたのか。
各地の記録は中央へ集約され続けている。
その過程で、教師たちは帝国兵とも遭遇した。
ある街道では、三十人ほどの帝国兵が行く手を塞いだ。
「止まれ!」
教師たちは止まった。
だが、戦うためではない。
ウォーターサーチで周囲を確認する。
鑑定。
そしてテレキネシス。
兵士たちが持っていた剣や槍が一斉に手を離れた。
防具も外されていく。
「な、何をする!」
「武器と防具を預かるだけだ」
抵抗した兵士には水の拘束が巻きついた。
さらに抵抗する者は捕縛し、拘束したままアイテムボックスの保護空間へ移す。
戦闘にはならなかった。
残った兵士たちは呆然としている。
教師の一人が順番に鑑定した。
過去の行為。
民への略奪。
暴行。
殺傷。
命令に従っていただけなのか。
自ら進んで行ったのか。
記録していく。
問題のなかった者たちには食事が渡された。
「食べていいのか?」
「腹が減ってるんだろ」
男は恐る恐るスープを口へ運んだ。
隣では肉の煮込みを食べている者もいる。
一方、重大な加害が確認された者には、まだ食事は渡されなかった。
彼らは拘束されたまま、仲間が食べる姿を見ていた。
温かいスープ。
肉。
野菜。
漂ってくる匂い。
一人の男が俯いた。
やがて声を絞り出す。
「……俺たちにも、飯を食わせてくれ」
教師はすぐには答えなかった。
「もう一度、鑑定する」
男が顔を上げる。
鑑定。
過去は変わらない。
犯した罪も消えていない。
だが、今この瞬間の敵意は消えていた。
もう抵抗する意思もない。
教師は記録を残した。
過去の行為。
最初の鑑定結果。
そして現在の状態。
「罪がなくなったわけじゃない」
「……分かってる」
「後で裁きを受けることになるかもしれない」
男は頷いた。
「それでもいい。もう……疲れた」
拘束を解く。
食事を渡した。
男は何も言わず、温かいスープを飲んだ。
その手が震えていた。
食事が終わると、教師が尋ねる。
「これからどうする?」
男は答えられなかった。
兵士として命令されるまま生きてきた。
武器を失えば、何をして生きればいいのか分からない。
「なら、覚えるか?」
「何を?」
「生きるために使えるものだ」
教導が始まった。
魔力操作。
魔力循環。
最初は水属性。
水を作る。
氷を作る。
身体を強化する。
癒す。
索敵する。
続いて土属性。
土を動かす。
石を扱う。
壁を作る。
建屋を作る。
道路を直す。
兵士だった者たちは、土木作業なら経験していた。
「これなら……俺にもできる」
一人が呟いた。
問題のなかった兵士も。
過去に罪を犯した兵士も。
同じ場所で教導を受け始めた。
最後に、保護空間へ拘留していた者たちを戻す。
拘束は解かない。
まず鑑定する。
教師たちは顔を見合わせた。
誰にも、もう戦意がなかった。
武器もない。
仲間は食事をし、魔法を教わっている。
自分たちだけが抵抗し続ける意味を失っていた。
「出すぞ」
拘束を解いた。
食事を渡す。
一人の兵士は、スープを受け取った瞬間に泣き始めた。
「食っていいのか……」
「食べろ」
男は泣きながら口へ運んだ。
食事が終われば、その者たちにも教導する。
ただし記録は消さない。
改心したことと、過去の罪は別だった。
裁きが必要なら、後で裁かれる。
今することは、再び同じことをしなくても生きていける術を渡すことだった。
同じことが帝国各地で起き始めていた。
武器を奪う。
戦わせない。
鑑定する。
記録する。
そして、生きる術を教える。
帝国兵を支えていた仕組みが、音もなく崩れ始めていた。
帝国兵に起きた変化は、一つの街道だけでは終わらなかった。
村。
街。
砦。
関所。
教師たちが進む先には、まだ帝国兵が残っていた。
だが、結果はほとんど変わらない。
ウォーターサーチで先に位置を知る。
鑑定で人数と状態を確認する。
兵士が武器を構えるより先に、テレキネシスで剣や槍を取り上げる。
防具も没収する。
抵抗すれば捕縛。
拘束。
それでも暴れる者はアイテムボックスの保護空間へ移す。
戦う必要はなかった。
六属性を覚醒し、飛行、索敵、テレパシー、テレキネシスまで使える教師たちと、従来の帝国兵では力に差がありすぎた。
殺す理由もなかった。
武器を失った兵士たちは、そこで初めて自分たちの置かれた状況を見ることになった。
帝国から補給は来ない。
上官から新しい命令も来ない。
税を取り立てようにも、村人たち自身が魔法を使えるようになっている。
食料を奪おうとすれば、武器を取り上げられる。
それでも抵抗すれば拘束される。
今まで通用していた力が、何一つ通用しなくなっていた。
「俺たちは、どうすればいい?」
そう尋ねる兵士が増えた。
教師たちは答えを決めつけなかった。
「今まで何をしてきた?」
兵士たちは考える。
街道を作った。
陣地を作った。
穴を掘った。
柵を立てた。
荷物を運んだ。
炊事をした。
馬の世話をした。
武器を扱うことだけが、兵士の経験ではなかった。
「だったら、できることはあるだろう」
水属性。
土属性。
身体強化。
筋肉強化。
癒。
索敵。
建屋。
壁。
板。
器。
鍋。
覚えた魔法と、過去の経験が繋がっていく。
やがて元兵士たちは街道の補修に加わった。
崩れた橋を直す。
水路を掘る。
家を建てる。
荷物を運ぶ。
そして教導を覚醒した者は、別の兵士へ自分が覚えたことを教え始めた。
教師たちは、それを記録した。
過去に罪があった者についても同じだった。
改心したからといって記録は消えない。
名前。
所属。
過去の行為。
鑑定結果。
現在の状態。
すべて中央へ送られる。
罪を裁くのは後だ。
だが、再び罪を犯さなければ生きられない状態には戻さない。
その流れは私兵にも及んだ。
貴族の屋敷を守っていた兵士。
領主の命令で税を取り立てていた者。
代官の護衛。
彼らも武器と防具を失えば、一人の人間だった。
鑑定する。
問題がなければ食事を渡す。
過去に罪があれば記録する。
抵抗すれば拘束する。
敵意を失えば、改めて鑑定する。
そして教導する。
文官たちも例外ではなかった。
ただし、彼らには別の経験がある。
文字が読める。
計算ができる。
記録を作れる。
税や人口を管理してきた者もいる。
教師の一人が元文官へ尋ねた。
「行政の仕事はできるか?」
「それしかしてこなかった」
「なら、そのまま使えばいい」
「帝国はもう給金を払ってくれないぞ」
「帝国のためにやる必要があるのか?」
文官は黙った。
目の前には、自分たちで生活を立て直し始めた住民がいる。
食料の量を記録する者が必要だった。
倉庫を管理する者もいる。
人口を把握する者。
街道の修復に必要な人員を整理する者。
仕事はいくらでもあった。
文官はやがて住民たちの中へ入っていった。
帝国という組織が命令しなくても、行政は必要だった。
違うのは、それが皇帝や貴族のためではなく、そこで暮らす人々のために行われ始めたことだった。
十日。
わずか十日で、帝国全土の様子が変わった。
兵士が民から食料を奪う姿が消えていく。
私兵が村を脅す姿も減った。
文官は領主の命令を待たず、住民と一緒に働き始めた。
そして各地には、新しい教師が生まれ続けている。
誰かが命令したわけではない。
教えられた者が、自分の判断で次の者へ教える。
その繰り返しだった。
帝国の支配を支えていた兵士、私兵、文官。
その者たちまで教導の流れへ取り込まれていく。
皇帝が何かを失ったと気づいた時には、すでに遅かった。
帝国という国家を動かしていた手足が、帝都の命令を必要としなくなり始めていた。
帝国兵、私兵、文官が次々と教導の流れへ加わると、残されたのは支配する側だった。
領主。
貴族。
代官。
教師たちは彼らについても同じように扱った。
屋敷を包囲する必要はない。
攻め込む必要もない。
ウォーターサーチで位置を確認する。
テレキネシスで武器を取り上げる。
抵抗する者は捕縛し、拘束する。
そして鑑定した。
問題のなかった者は、ほとんどいなかった。
重税。
食料の収奪。
私兵を使った暴行。
不当な拘束。
労働の強制。
過去の行為が次々と確認される。
それでも教師たちは、その場で裁かなかった。
記録する。
名前。
領地。
役職。
行為。
鑑定結果。
映像。
すべて中央へ送った。
「これからどうする?」
そう問われて、すぐに答えられる貴族は少なかった。
爵位。
領地。
私兵。
財産。
命令すれば従う民。
それらを前提に生きてきた。
だが、もう私兵はいない。
兵士たちは武器を置き、自分たちで働いている。
文官も住民の中へ入った。
農民は六属性を使う。
飛行もできる。
索敵もできる。
捕縛も拘束もできる。
命令を聞かなければ困る者がいなくなっていた。
「私は伯爵だぞ!」
一人の男が叫んだ。
教師は静かに答えた。
「それで?」
男は言葉を失った。
爵位を口にしても、食料は出てこない。
命令しても誰も動かない。
自分で水を得ることもできない。
畑を耕すこともない。
料理もできない。
これまで自分を支えていた人々がいなくなっただけで、何もできなくなった。
中には、自分の生き方を認める者もいた。
「……教えてくれ」
老いた貴族が頭を下げた。
「何を?」
「生きる方法をだ」
鑑定する。
過去の罪は残っている。
だが、もう民を支配しようという意思はなかった。
教師は記録を残した。
「罪は消えない」
「分かっている」
「後で裁きを受ける可能性もある」
「それでも構わん」
爵位を捨てる。
財産への権利も手放す。
一人の人間として暮らす。
それを受け入れた者には食事を渡した。
そして教導する。
水属性。
土属性。
生活に必要な魔法。
調理。
識字。
計算。
それまで持っていた知識があるなら、それも使えばいい。
元貴族は平民として人々の中へ入っていった。
だが、最後まで変わらない者もいた。
「平民と同じ生活などできるか!」
「私の領地だ!」
「食料を持ってこい!」
何度説明しても変わらない。
鑑定しても悪意が残っている。
再び民を支配しようとしている。
教師たちは、その者たちから武器、防具、財産を取り上げた。
下着だけを残した。
そして人の暮らす場所から離れた荒野へ連れていった。
拘束を解く。
「待て」
一人の貴族が教師を呼び止めた。
「どこへ行くつもりだ?」
「次の場所へ」
「私をここへ置いていくのか?」
「そうだ」
「食料は?」
教師は答えなかった。
「水は?」
返事はない。
「待て! 私は何もできないんだぞ!」
教師は振り返った。
「教導を受ける機会はあった」
それだけ告げた。
飛行。
教師たちは空へ上がった。
追いかける術を持たない者たちが荒野に残された。
その後を確認しに戻る者はいなかった。
教師たちは次の村へ向かった。
彼らの仕事は報復ではない。
救援し、教導し、自立できる者を増やすことだった。
自らそれを拒んだ者のために、立ち止まり続けることもしなかった。
領主。
貴族。
代官。
帝国各地で同じことが繰り返された。
改心した者は爵位を失い、平民として教導を受けた。
最後まで支配することに固執した者は、人々の生活から切り離された。
やがて領主の屋敷から命令が出なくなった。
代官所から税の取り立ても来ない。
私兵も来ない。
それでも村は動いていた。
畑には水が流れる。
街道は直される。
食事は作られる。
元文官が記録を取り、元兵士が土木作業をする。
教師が新しい教師を育てる。
支配者が消えても、生活は止まらなかった。
むしろ人々は、自分たちで必要なことを決め始めていた。
帝国の地図から、支配する者たちが一つずつ消えていく。
そして最後に残ったのは、帝都だった。
帝都に残っていた者は、すでに数百人ほどになっていた。
皇帝とその家族。
側近。
宮廷に仕えていた者たち。
わずかに残った兵士と文官。
かつて帝国全土へ命令を出していた場所とは思えないほど、人が減っている。
教師たちは帝都でも、それまでと同じ手順を取った。
ウォーターサーチ。
鑑定。
武器と防具の没収。
抵抗する者は捕縛し、拘束する。
最初の鑑定で問題がなかった者は、わずかにいた。
「こちらへ」
彼らを皇居から出す。
食事を渡した。
温かいスープを前にして、元宮廷使用人の女性が震える手で器を持った。
「食べても……よろしいのですか?」
「もちろん」
女性はゆっくりとスープを飲んだ。
他の者についても鑑定を続ける。
中には、自分たちが置かれた状況を理解した者がいた。
皇帝から命令は出る。
だが、それを実行する兵士はいない。
地方から税も届かない。
食料も届かない。
帝都を維持する者さえ、ほとんど残っていなかった。
「もう……終わったんですね」
一人の文官が呟いた。
再度鑑定する。
抵抗する意思はない。
帝国の支配を維持しようという悪意も消えていた。
過去の記録は残す。
罪まで消えたわけではない。
それでも、今は食事を渡した。
食事を終えた者から教導する。
水属性。
土属性。
生活に必要な魔法。
アイテムボックス。
鑑定。
教導。
それぞれが持っていた経験を、これから生きるために使えるようにする。
そして帝都から送り出した。
数百人いた人間は、少しずつ減っていった。
最後まで皇居に残ったのは、皇帝とその家族を含めて、わずか数人だった。
教師の一人が皇帝へ尋ねた。
「最後にもう一度聞く。教導を受けるか?」
皇帝は椅子に座ったまま答えた。
「余は皇帝だ」
「もう帝国兵はいない」
「余は皇帝だ」
「地方の領主もいない。税も食料も届かない」
皇帝の表情が歪む。
「余は帝国そのものだ!」
鑑定する。
変化はなかった。
教師たちはそれ以上、何も言わなかった。
皇居から出る。
食料を残すこともしなかった。
奪うために来たわけではない。
殺すために来たわけでもない。
ただ、救援と教導を拒み続けた者のために、そこへ留まり続けることもしなかった。
教師たちは帝都を離れた。
数日後。
確認のために戻った者たちは、皇居の中で皇帝たちが死んでいるのを発見した。
記録を残す。
皇帝死亡。
皇族死亡。
帝国を統治する者は、もう存在しない。
遺体はピュリフィケーションバレットで浄化した後、分解した。
残されたものは回収され、農地で使う肥料へ回された。
かつて大陸の一角を支配した皇帝も、最後には土へ還るものになった。
こうして帝国は滅亡した。
だが、旧帝国領に混乱は起きなかった。
村では農民が水路を整備している。
元兵士が街道を直す。
元文官が人口や食料を記録する。
元商人は物流を再開させる。
教導を受けた者が、まだ教導を受けていない者を探して飛んでいく。
皇帝がいなくても。
領主がいなくても。
代官がいなくても。
人々の生活は続いていた。
第二村で、アレクサンドは教導記録閲覧端末を確認していた。
帝都。
地方都市。
村。
街道。
次々と記録を開く。
帝国の統治機構は消滅している。
一方、各地の生活は自立して回っていた。
アレクサンドはマーガレットへ念話を繋いだ。
『殿下』
『どうしたの?』
『帝国が滅亡しました。教導記録閲覧端末で確認してください』
王都にいたマーガレットは、すぐに端末を開いた。
帝都の記録。
各地の記録。
教導状況。
物流。
農業。
街道補修。
確かに帝国は存在しない。
だが、そこに暮らしていた人々は生活している。
マーガレットはバルドへ念話した。
『帝国が滅亡したわ。端末を確認して』
『承知しました』
そのまま王宮へ向かった。
オーキスも報告を受け、教導記録閲覧端末を確認した。
しばらく無言で記録を追う。
やがて端末を置いた。
「帝国は滅亡した」
大臣たちが国王を見る。
「だが、混乱はない」
オーキスは立ち上がった。
「アレクサンドたちが帰還したら式典を開くぞ」
第二村から千八百九十人が飛び立ち、自立した教導を始めてから、わずか三週間。
王国軍が帝都を攻めることはなかった。
領土を奪った者もいない。
皇帝を討った英雄もいない。
それでも帝国は消えた。
残ったのは、自分たちで生き始めた人々だった。




