119 今後の方針
第二村の中央広場に、王国から来た二十七人と第一村の十人、そして第二村の千八百八十人が集まっていた。
とはいえ、これだけの人数を前にして声を張り上げる必要はない。
全員が念話を使える。
アレクサンドは広場の中央に立ち、一度だけ周囲を見渡した。
『今後の方針について話すわ』
その声が、千九百人を超える者たちの意識へ同時に届いた。
ざわめきは起きない。
誰もがアレクサンドの言葉を待っていた。
『最初に、私の考えを伝えておくわ。帝国の統治システムは、もう壊れている』
いきなりの断言だった。
第二村の者たちの中には驚いた者もいたが、第一村の十人や王国の二十七人は黙っている。
ここまで帝国の実情を見てきた者なら、否定する材料の方が少なかった。
『かつて三千万人いた帝国民が、今では五百万人を下回っている。それ自体が異常なのよ。それなのに、領主も貴族も指揮官も、自分たちが置かれている状況への危機感があまりにも薄い』
アレクサンドはそこで言葉を切った。
『自分たちは正しい。自分たちは統治者である。自分たちには命令する権利がある。そういう自己肯定だけが残っている者が多すぎるわ』
第二村の者たちにも思い当たるものがあった。
救助した民を人質として利用した領主。
その命令に従い、兵器を民へ向けた私兵。
自分たちの行為を当然のものとして受け入れていた者たち。
これまでなら、鑑定し、証拠を残し、犯罪を確認したうえで司法処理へ進めていた。
だがアレクサンドは、そこで方針を変える。
『だから、司法処理は棚上げします』
今度こそ空気が変わった。
アンドリューが眉を上げる。
第二村の者たちも互いの顔を見た。
『罪をなかったことにするという意味ではないわ』
アレクサンドはすぐに続けた。
『鑑定はする。その結果も確認する。記録も残す。何をしたのか、何を命じたのか、誰が被害を受けたのか。そこは今までと変えない』
では、何を変えるのか。
『でも、私たちは帝国中の罪人を裁くためにここへ来たわけではない』
ガイルが小さく頷いた。
帝国の領主を一人処理すれば、その配下がいる。
配下を調べれば指揮官がいる。
指揮官を調べれば、さらに上の命令系統へ繋がっていく。
それを帝国全土で続ければ、終わりなどない。
『これから帝国兵だけでなく、貴族、領主、文官、指揮官まで、この村へ投降してくる可能性があるわ』
第二村の何人かが息を呑んだ。
あり得る話だった。
第二村はすでに千八百八十人を抱え、食料も住居も整いつつある。
それだけではない。
ここへ来れば教導を受けられる。
その事実が広まれば、別の目的を持った者まで集まってくる。
『でも勘違いしないで。私たちは慈善団体ではないわ』
その言葉は冷たかった。
しかし、アレクサンドは迷っていなかった。
『投降してきたから受け入れる。困っているから教導する。そんなことはしない』
『……つまり、どういうことだ?』
念話の中へ一人の声が入った。
第二村の男だった。
アレクサンドはすぐに答えた。
『末端の兵士や、命令されるまま動いていただけの者については、鑑定したうえで受け入れることもあるわ。帝国軍を離れたい。自分で働いて暮らしたい。そう考えている者を拒む理由はないもの』
そこで表情が厳しくなった。
『でも、為政者としての責任を考えようともせず、教導だけを利用しようとする貴族や領主は別よ』
広場が静まり返った。
『第二村で教導を受ける。力をつける。旧臣を集める。そして、もう一度人を支配する』
アレクサンドは一人一人へ確認させるように、ゆっくりと言った。
『そんな目的で近づいてくる者に、私たちの力を渡す必要があると思う?』
誰からも肯定の念話は返ってこなかった。
『これは罪があるか、ないかという話ではないわ』
アレクサンドは断言した。
『第二村に受け入れていい人間なのか。私たちが教導していい人間なのか。それを判断するという話よ』
犯罪歴がないから信用できるとは限らない。
文官だから安全とも限らない。
貴族だから危険とも限らない。
だからこそ鑑定する。
そして、現在の本人を見る。
『文官だろうが、指揮官だろうが、領主だろうが鑑定は必須にします』
アレクサンドは第二村の者たちを見渡した。
『これからアンドリューや、あなたたちには帝国民を守ってもらわなければならない』
一度、息をついた。
『だから先に言っておくわ』
その目がわずかに細くなった。
『この国には、私たちの想像を絶するほどのおバカがいるのよ』
一瞬、誰も反応できなかった。
ガイルだけが額を押さえていた。
アレクサンドの念話を聞き、第二村の者たちはしばらく言葉を返せなかった。
想像を絶するほどのおバカ。
あまりにも率直な表現だった。
だが、笑う者はいない。
これまで目にしてきた帝国の現実を考えれば、単なる悪口とも言い切れなかった。
『三千万人いた国民が五百万人を下回っているのよ』
アレクサンドは続けた。
『普通なら、為政者は何が起きているのか考えるでしょう。自分たちの統治に問題はなかったのか。なぜ民がここまで減ったのか。どうすれば残された民を守れるのか』
第二村の者たちは黙って聞いている。
『ところが、それでも爵位や領地、自分の権威しか見えていない者がいる。自分が何を失敗したのか考えるより、どうすれば再び人を従わせられるかを考える者までいるわ』
アンドリューが険しい顔をした。
『そんな者まで投降してくると?』
『来るでしょうね』
アレクサンドは即答した。
『帝国中央の力が弱まれば、今まで帝国に寄りかかっていた者たちは次の寄りかかる場所を探すわ。そして第二村には食料がある。住居がある。何より教導がある』
その意味を理解した者たちの顔が変わった。
教導を受ければ、今まで何もできなかった者でも力を得られる。
魔力操作。
魔力循環。
戦闘術。
生活技能。
さらに適性によっては複数のスキルまで発現する。
それを自立のために使う者もいれば、別の目的に使おうとする者がいても不思議ではない。
『だから鑑定するのね』
第一村の一人が念話を送った。
『そうよ。でも犯罪者を探すためだけではないわ』
アレクサンドは頷いた。
『その人物が何を望んでいるのか。ここで何をしようとしているのか。それを見るためでもある』
『犯罪歴がなくても駄目な場合がある?』
『当然よ』
アレクサンドの返答に迷いはなかった。
『罪を犯していないことと、信用できることは同じではないわ』
その言葉に、アンドリューが深く頷いた。
『なるほどな』
『例えば、教導を受けて力をつけ、旧臣を集めて再び領民を支配しようと考えている者が来たとするわ』
『犯罪はまだしていない』
『そういうことよ』
アレクサンドは続ける。
『だから裁かない。でも教導もしない。第二村にも受け入れない』
『追い返すのか?』
『ええ』
あっさりした答えだった。
『ここは牢獄ではない。難民収容所でもない。まして、帝国の失敗した支配者を更生させる施設でもないわ』
念話の中に小さな同意がいくつも流れた。
『では、その者が「行く場所がない」と言ったら?』
第二村の女性が尋ねた。
『自分で決めてもらうわ』
『食事を求めたら?』
アレクサンドは少し考えた。
だが、答えは変わらなかった。
『第二村で養う理由がないわね』
冷たい言葉だった。
それでも誰も反論しなかった。
ここにいる第二村の者たち自身、少し前まで誰かに生活を保証されていたわけではない。
自分たちで働き、自分たちで食料を作り、自分たちで住む場所を整えてきた。
『老人でも?』
『年齢の問題ではないわ』
アレクサンドは即座に否定した。
『助けを必要としている老人なら助ければいい。でも第二村を利用して再び他人を支配しようとしている人間まで、私たちが養う必要はないでしょう』
ガイルが腕を組んだまま口を開いた。
『つまり、困窮者と寄生しようとする者を同じ扱いにはしないということだな』
『そうよ』
アレクサンドは頷いた。
『私たちには使える時間も人手も限りがあるの』
その言葉に、第二村の者たちが改めて周囲を見た。
千八百八十人。
大きな集団になった。
だが帝国全体から見れば、まだ小さい。
そして救援を待つ村は、この周囲だけではない。
『一人の貴族が反省するまで何日も付き合う。その間に何人の帝国民を教導できると思う?』
答える者はいなかった。
必要すらなかった。
『貧困村の救済は続けるわ』
アレクサンドの声が少しだけ柔らかくなった。
『食料がないなら届ける。病人がいれば治療する。働く方法を知らないなら教える。自分たちで村を守れないなら、その方法も教える』
そこで再び声が引き締まる。
『でも、私たちは善人になるためにここにいるんじゃない』
広場の空気が変わった。
『困窮している帝国民を助ける。それで十分よ』
アレクサンドは言い切った。
『救う必要のない者まで抱え込んで、本当に助けを必要としている者へ手が届かなくなる。それでは何をしているのか分からないでしょう』
アンドリューが静かに息を吐いた。
ようやく、この会議の意味が見えてきた。
これは司法を放棄するための会議ではない。
これから第二村が何を引き受け、何を引き受けないのか。
その境界を決めるための会議だった。
境界を決める。
その意味を理解した第二村の者たちから、念話でいくつもの質問が上がり始めた。
『帝国兵が攻めてきた場合はどうする?』
アレクサンドはすぐに答えた。
『武装解除よ。武器も防具も没収するわ』
『捕虜にはしないのか?』
『鑑定はする。でも、問題がなければ拘束する必要はないでしょう』
その答えに、ガイルが頷いた。
帝国兵というだけで罪人になるわけではない。
徴兵された者もいる。
命令に逆らえず戦場へ送られた者もいる。
家族を養うため、他に仕事がなく兵士になった者もいるだろう。
『では、犯罪が確認された兵士は?』
別の者から質問が入った。
『記録するわ』
『それだけ?』
『今はね』
アレクサンドは淡々と答えた。
『処罰しないことと無罪は同じではない。犯罪の事実が消えるわけでもない。でも、帝国中の罪人を一人ずつ裁いていたら、それだけで私たちの時間がなくなる』
誰も否定できなかった。
領主一人を裁くにも、多くの記録が必要だった。
犯罪を確認し、証拠を残し、本人にも確認させる。
さらに被害者がいるなら、その証言も必要になる。
帝国全土で同じことを始めれば、終わりなど見えない。
『それより、武器を取り上げた兵士がもう戦う気を失っているなら、それでいいでしょう』
『帝国へ帰すのか?』
『帰りたいなら』
アレクサンドは肩をすくめた。
『帝国軍を辞めたいなら、それも本人の自由よ。第二村で暮らしたいというなら鑑定する。その上で問題がなければ受け入れる』
『教導も?』
『本人が自立するためならね』
第二村の者たちの間に納得が広がっていった。
攻めてきた兵士を殺す必要はない。
武器と防具を失えば、少なくともその場では脅威ではなくなる。
そして帝国軍へ戻るかどうかまで、第二村が決める必要もなかった。
『飯くらいは食わせてやってもいいんじゃないか?』
誰かの念話が入った。
今度は何人かが笑った。
アレクサンドも否定しなかった。
『普通の兵士なら構わないわよ。お腹を空かせている人に食事を出すくらいはね』
そこで少し間を置いた。
『でも、それを当然の権利だと思われても困るわ』
笑いが少し大きくなった。
ガイルが口元を緩める。
『随分とはっきり線を引くようになったな』
『必要でしょう?』
『否定はせん』
ガイルは腕を組み直した。
『俺たちが帰った後、ここを守るのはこいつらだ。何でも引き受けろと言って帰る方が無責任だ』
その言葉で、第二村の空気が少し変わった。
王国の二十七人はいずれ帰る。
第一村の十人も、永遠に第二村へ残るわけではない。
第二村は自分たちで判断しなければならなくなる。
アンドリューが念話を送った。
『俺たちは、帝国と戦うことになるのか?』
アレクサンドは首を横に振った。
『戦う必要はないと思っているわ』
『だが、向こうは兵を送ってくる』
『送らせればいいじゃない』
あまりにも簡単な返答だった。
アンドリューが目を瞬く。
『来たら武装解除する。鑑定する。帰りたい者は帰す。残りたい者は本人の意思を確認する。それだけよ』
『また兵を送ってきたら?』
『また同じことをするわ』
第二村のあちこちから笑いが漏れた。
『それでは帝国軍の武器がなくなるぞ』
『それは帝国が考えることでしょう?』
今度はガイルまで吹き出した。
だが、笑いが収まると、アレクサンドは再び真剣な表情へ戻った。
『大事なのは、こちらから帝国を攻めないことよ』
その言葉は全員へ明確に届いた。
『帝都を攻めない。領地を奪わない。皇帝を捕らえに行かない。貴族を探し回って裁くこともしない』
『放っておくのか?』
『ええ』
アレクサンドは即答した。
『私たちは帝国を滅ぼさない。帝国を救わない。帝国を裁かない。そして、帝国を維持してあげることもしない』
念話の中から音が消えた。
千九百人を超える者たちが、その言葉を受け止めていた。
『帝国民が自分たちで食料を作り、自分たちで身を守り、自分たちで次の者を教えられるようになれば、帝国中央が何を命令しようと関係なくなるでしょう』
アレクサンドは静かに続けた。
『それでも帝国が維持できるというなら、維持すればいい』
そして、わずかに目を細めた。
『維持できないなら、それまでよ』
誰かが小さく呟いた。
『……待つだけか』
アレクサンドは、その言葉に頷いた。
『そう。私たちは帝国を倒す必要なんてないのよ』
『そう。私たちは帝国を倒す必要なんてないのよ』
アレクサンドの言葉が、念話を通して全員に届いた。
第二村の者たちは黙っていた。
帝国を倒さない。
それは帝国を許すという意味でも、従うという意味でもない。
ただ、相手にしない。
アレクサンドは続けた。
『王国にとって重要なのは、帝国が倒壊した後に大混乱が起きないことよ』
ガイルが頷く。
『難民が国境へ押し寄せたり、食えなくなった帝国兵が盗賊になったりすれば、王国にも影響が出るからな』
『そういうことよ』
帝国の人口は、すでに五百万人を下回っている。
それでも五百万人近い人間がいるのだ。
中央の統治が消えたからといって、その人々まで消えるわけではない。
食べる必要がある。
働く必要がある。
家族を守る必要がある。
だからこそ、先に民を自立させる。
『貧困村への教導は止めないわ。むしろ、これから本格的に広げる』
アレクサンドは第二村の千八百八十人へ視線を向けた。
『まず、まだ教導を終えていない八百八十人を、千人と同じところまで引き上げる』
八百八十人の表情が引き締まった。
『その後、千人には近隣の貧困村へ行ってもらうわ』
『俺たちが?』
『ええ』
アレクサンドは頷いた。
『ここまで王国の人間や第一村の人たちに助けてもらった。でも、いつまでもそれを続けるわけにはいかないでしょう?』
誰からも異論は出なかった。
『あなたたちは帝国民よ。なら、次はあなたたちが帝国民を助ければいい』
命令ではなかった。
それでも千人の中から、次々と肯定の念話が返ってきた。
自分たちが受け取ったものを、次へ渡す。
それだけだった。
アンドリューが口を開いた。
『近隣の村でも、俺たちと同じように教導するのか?』
『基本はね。でも、その村に必要なものを見て自分たちで考えて』
『同じようにやらなくてもいい?』
『当たり前でしょう』
アレクサンドは少し笑った。
『第二村と同じ村を増やすことが目的じゃないわ。その村の人たちが、自分たちで暮らせるようになればいいのよ』
第一村の十人が顔を見合わせた。
自分たちが第二村へ来た時も、同じだった。
第一村をそのまま作ることなど求められていない。
必要なものを教え、あとは第二村の者たち自身が変えてきた。
『冒険者ギルドについては?』
質問に、ガイルが答えた。
『依頼を達成すれば終わりだ』
短かった。
『ギルドは帝国を統治する組織じゃない。民の救援と依頼された仕事が終われば、居座る理由はない』
アレクサンドも頷いた。
『近隣諸国も同じよ。帝国が倒壊しても、暴徒や盗賊が大量に流れ込まなければ、わざわざ介入する理由は薄いでしょう』
武装した兵士を放置しない。
食べられない民を大量に作らない。
村が自力で生産できるようにする。
街道を維持し、物流を止めない。
それができれば、帝国という統治機構が崩れても、人々の暮らしまで一緒に崩れるとは限らない。
『本国には、今日決めた方針を上申するわ』
アレクサンドは王国の二十七人へ目を向けた。
『帝国への司法介入は拡大しない。犯罪の記録は残す。でも、処理は棚上げする。王国は帝国の統治には関与しない』
ガイルが笑った。
『王国からすれば、それが一番面倒がないな』
『でしょうね』
『陛下も宰相も喜びそうだ』
何人かが笑った。
だが、アレクサンドは最後にもう一つだけ念を押した。
『勘違いしないで』
再び全員の意識が彼女へ向いた。
『私たちは善人にはならないわ』
静かな言葉だった。
『困っている人は助ける。自分で生きようとする人には教える。でも、私たちの力を利用して誰かを支配しようとする人間まで助ける必要はない』
『貴族でも?』
『関係ないわ』
『文官でも?』
『関係ない』
『帝国軍の指揮官でも?』
『同じよ』
アレクサンドは迷わなかった。
『鑑定して、この村にとって害になると判断したら受け入れない。教導もしない。本人の罪を裁くために時間を使うこともしない』
アンドリューが腕を組んだ。
『追い返すだけか』
『ええ』
『行くところがないと言われたら?』
『自分で決めてもらうわ』
あまりにも簡単な答えだった。
しかし、それでいい。
第二村は牢獄ではない。
難民収容所でもない。
まして、帝国の支配者たちを更生させるための施設ではなかった。
『私たちにも、やることがあるの』
アレクサンドは千八百八十人を見渡した。
『八百八十人の教導。近隣の貧困村の救済。教師の育成。食料生産。街道と橋の整備。そして、この土地で暮らす人たちを守ること』
一人の罪人に何日も使う時間があるなら、一つでも多くの村を自立させる。
それが、ここで出した答えだった。
『以上よ』
アレクサンドは念話を切った。
誰も反対しなかった。
帝国を倒すための会議ではなかった。
帝国をどう救うかを考える会議でもなかった。
**自分たちが何を引き受け、何を引き受けないのか。**
それだけを決めた会議だった。
そして翌日から、第二村は帝国ではなく、帝国に暮らす人々へ向けて動き始めることになった。




