封蝋だけは嘘をつけない
塩の薄板が示した二つの岩は、夜明け前に見つかった。
欠けた月を挟むように立つ岩の間には、十九個の石で囲まれた焚き火跡がある。灰はまだ風にさらわれきっていない。けれど天幕も、人の姿もなかった。
「昨夜までは、ここにいたんですね」
リネットが灰のそばに膝をつくと、カイは岩陰を調べ、一本の標柱を指した。
青い布は途中で断ち切られ、その上に赤い札が打ちつけられていた。
〈当共同体は王立便の受領を拒否する。以後、すべて王都第七中継庫へ返送されたし〉
日付は三年前。末尾には、輪の中に十九の点を並べた印がある。西井戸の水樽に押されていたものと同じ、風渡りの共同体印だった。
カイが手帳へ書く。
『受取人が拒んだなら、追う根拠を失う』
「本当に拒んだのなら、です」
差出人の望んだ宛先を聞けても、受取人の同意までは聞けない。都合のよい答えを能力のせいにすることだけは、してはならなかった。
リネットは札を外さず、携帯灯を近づけた。印影は鮮明で、十九の点にも欠けはない。その下で赤い封蝋が、朝の冷気にも硬く艶めいている。
「……きれいすぎます」
西井戸の発送簿にあった古い記載を思い出す。風渡りの者たちは、羊脂に焚き火の灰と細かな塩を混ぜ、自分たちの封蝋を作る。運ぶ間に塩の花が浮き、表面は白く曇るため、取扱所では〈灰銀蝋〉と呼ばれていた。
赤い札の蝋は、王立郵便院で使う蜜蝋だった。赤い色も、滑らかな艶も、三年たって残る硬さも見慣れている。
「これは共同体の印を、王立の蝋へ押したものです。印形は借りられても、彼らの火で作る蝋までは用意できなかった」
カイは札へ触れず、印影と釘の位置を手帳に写し取った。次いで尺度紐を添え、携帯記録板へ焼きつける。リネットも発見時刻と場所を記し、二人で証言欄に職務印を押した。
ただの偽札なら、誰が何のために置いたのかはまだわからない。だが、受取人が自ら拒否したという記録には使えない。
風が鳴り、赤い札の裏で何かがかすかに震えた。
覗き込むと、釘の下に細い青糸が挟まっている。赤い札は、元からあった布を切った上へ重ねられていたのだ。
カイが標柱の西側へ灯りを当てた。岩肌に守られた布の切れ端が、低く北を指している。その結び目には、小豆ほどの灰銀色の蝋が残っていた。輪の中に、十九の点。表面には白い塩の花が咲いている。
『こちらが本物か』
「少なくとも、同じ火を囲む人たちが残した可能性は高いです」
そのとき、塩を巻き上げる突風が二人の間へ吹き込んだ。記録紙がめくれ、リネットはとっさに押さえる。カイの外套がその上から広がり、紙とリネットをまとめて風から覆った。
『証拠を先に守るとは思った』
外套の内側で差し出された手帳を見て、リネットは息をつく。
「隊長も、私より先に記録板を抱えていましたよね」
カイは否定せず、目元だけをわずかに緩めた。
二人は偽札をその場に保全し、北を指す布に従った。白い地面には何も残っていないようで、岩陰ごとに青糸が一本ずつ結ばれている。止まらない道は、見ようとする者にだけ続いていた。
太陽が塩の縁から昇るころ、遠くで銀の鈴が三度鳴った。
低い丘の向こうに、十九の天幕が現れる。中央には青い布を巻いた杖。その手前には弓を持つ三人が立ち、夜便馬車へ近づくなと手で示した。
「王立便は受け取らない」
先頭の女性が言った。
「受け取らないと、三年前に王都が決めた」
拒んだ、ではなく、決められた。
リネットは馬車を降りず、黒返り便を封じた防魔布だけを掲げた。
「開封を求めに来たのではありません。まず、あなた方が望んで拒否したという札が本物か、確かめていただきたいのです」
カイが記録板を女性の足元へ滑らせる。写された赤い封蝋を見た瞬間、女性の目が鋭く細まった。
「私たちの火は、そんな色の蝋を作らない」
やがて彼女は弓を下ろし、天幕の輪へ続く道を半歩だけ空けた。
「手紙は火の外に置いて。受け取るかどうかは、今度こそ私たちが決める」
鞄の中で、黒返り便の封蝋に走る銀の筋が、朝日に似た淡い光を返した。




