「おかえり」を受け取る場所
「鐘楼で受け取る。それでいい。ただし、あたし一人を受取人にはしない」
アデルの言葉に、リネットはうなずいた。
守護便が探しているのは町長でも、すでに奪われた受領印でもない。ここで暮らし、橋を架け、帰る者を迎えてきた共同体だ。誰か一人の同意を町全体の同意にすり替えれば、宛先を上書きした者と同じことになる。
昼までに、六十二人が鐘楼の前へ集まった。幼子を抱く者も、森の見張りを交代した者もいる。リネットは白い防魔布に包んだ便を台へ置いたまま、まず説明した。
「この手紙の本文を、私は読んでいません。皆さんに有利な内容だとも約束できません。今お願いするのは、トルヴァを受取人として封を解くことへの同意です。内容を受け入れるかどうかは、そのあとで選べます」
「王都の守りに、またただ働きさせられるかもしれんぞ」
腕を組んだ木こりが声を上げた。
「そのときは断ればいい」
アデルが答える。
「断るためにも、まず何を寄越したのか見なくちゃならない」
話し合いはすぐには終わらなかった。町を消した王都の封など焼いてしまえという者もいた。受け取れば、ようやく外へ町の存在を示せるという者もいた。
リネットは急かさず、出た意見を一つずつ受領確認書の余白へ記した。最後に、各家の代表が賛否を示す。反対した二家にも、受領後の拒否権を記録に残すことで、ようやく全員が手続きを進めることに同意した。
受領代表にはアデルが選ばれた。印には、共同窯の器すべてに刻まれる三本線を使うことになった。二本は谷の両岸、一本は人の手で渡した橋だという。
リネットは鐘のない鐘楼の下で、黒返り便を覆う布を解いた。
陽の下でも、封筒は光を吸い込むように黒い。上書きされた宛名は滲み、読めない文字が虫のように這っていた。見守る人々が息を詰める。
「王立郵便院迷い便係、リネット・オーランが証言します。この便に残る差出人の意思は、白い陶土、鐘のない塔、隠された北の旧道を宛先として示しました。旧受取控えの印影と外装に残る痕跡も一致しています。私はここを、差出人が望んだ配達先と判断します」
カイが一歩進み、よく通る声で続けた。
「夜便隊長カイ・レドナー。運送経路と照合手順に不備がないことを証言する」
彼はそれ以上を足さず、半歩下がった。リネットの判断を奪わず、しかし一人にはしない立ち位置だった。
アデルが皆を振り返る。
「あたしたちは、ここをトルヴァと呼んで暮らしてきた。自分たちの意思で、この便を受け取る」
共同窯の印が受領確認書へ押された。
その瞬間、封筒を覆っていた黒が、雨に流される煤のようにほどけた。金の筋が宛名へ集まり、下から古い文字が現れる。
――北橋を守り、帰る者を迎えるトルヴァの共同体へ。
ミナが「あった」と小さく叫んだ。削られた門板にはなくても、手紙の上には町の名があった。
アデルが封を開く。中の守護状には、王国北部の守護経路を更新するにあたり、地図上の登録ではなく、現に道を保つ共同体の同意を求めると記されていた。引き受けるなら、自分たちで選んだ名を返送欄へ記すこと。拒むなら、その意思をそのまま返すこと。
「勝手に決めておいて、ずいぶん遅い尋ね方だね」
アデルは苦く笑った。それでも返送欄には、自分の手で「トルヴァ」と書いた。
皆の前でもう一度、引き受けるかが問われた。今度は反対していた木こりも手を上げた。
「王都のためじゃない。橋を渡って帰ってくる連中のためだ」
三本線の印が守護状へ重なる。淡い金の光が鐘楼の石を巡り、地面を走った。光は森へ伸び、細い北橋の方角で一度、鐘にも似た響きを返す。
リネットの受領簿にも、同じ三本線が金色に刻まれた。
一通目。正式受領。
「手紙も帰ってきたんだね」
ミナが白く戻った封筒へ言い、胸に抱えるように両手を添えた。
「おかえり」
誰かが繰り返し、やがて笑い声が広がった。
出発の支度をする二人に、アデルは焼きたての平パンを持たせた。門まで来たミナが、大きく手を振る。
「また帰ってきてね!」
旅人に向けるには不思議な言葉なのに、リネットの胸へまっすぐ届いた。
隣を歩くカイが、手帳を一枚差し出す。
『一通目、配達完了。迷い便係の判断による』
「さっきは話せたでしょう?」
「残すべきことは、書いておく」
その下には、小さくもう一行あった。
『戻る場所も、一つ増えた』
リネットは消さずに返した。鞄の中には、まだ三通の黒返り便がある。
けれど今は、その重さが昨日までとは少し違っていた。




