迷い便係、夜路へ出る
四通の黒返り便は、夜明けを待てなかった。
王立郵便院の時計が零時を打つと、封印から黒い細線がするすると伸びた。線は記録布の上を北東へ進み、銀の押さえ金に触れて消える。
「宛先の意思が、少しずつ削られているのね」
エダは砂時計を返し、時刻を記録した。もう一度返すと、同じ現象が起きる間隔はさらに短くなった。
「このままでは更新式より前に、手紙が宛先を忘れる。緊急再配達を承認します」
エダは三通を監査庫へ移し、鍵と封蝋と職務印で三重に封じた。最初の一通だけを、白い防魔布の鞄に入れる。
「指揮はレドナー隊長。宛先の判定はオーラン係官。どちらかが異議を出したら、便を封じて停止する。異論は?」
リネットが口を開くより先に、カイがメモを差し出した。
『異論なし。彼女を補助員ではなく、共同配達人と記録してください』
その文字にためらいはない。
「私も異論ありません」
「では、二人の証言が一致するまで、配達は成立しない。忘れないで」
リネットは緊急任務書に職務印を押した。外した指輪の跡が残る左手で紙を支え、右手で自分の印を持つ。それだけのことが、今は小さな誓いのように思えた。
聞き取った言葉は、もう増えない。
――鐘のない町。石楡の根元で、帰りを待つ人へ。
リネットは現行の王国地図ではなく、迷い便室の棚から古い中継簿を取り出した。街道が直されるたび、使われなくなった印や泥の色まで書き残すのが、迷い便係のやり方だ。
黒い宛名札の端に、針先ほどの白い土があった。封を開けないよう外側だけを刷毛でなぞり、簿に並ぶ色見本と比べる。
「北東の旧七番路。白陶土の産地を通る経路です」
けれど、七番路の行き先があったはずの行だけが、不自然に削り取られていた。紙魚の食い跡ではない。刃物で、文字のある部分だけを薄く剥いてある。
後ろから覗き込んだカイが、うなずいた。
『七番路の入口までなら、夜便車で二時間』
「その先に道が残っている保証はありません」
『だから、確かめに行く』
まるでそれが、いちばん当然の答えであるかのように。
出発口に横付けされた夜便車は、屋根も車輪も墨色だった。二頭の馬の首には、音の出ない青銅の鈴が下がっている。カイは鞄の封を確かめ、リネットに毛布と小さな石盤を渡した。
石盤には、夜光墨で一文が浮いていた。
『夜路では、人や土地の名を声に出さないこと』
理由を尋ねる間もなく、正門が開く。夜便車は寝静まった王都を抜け、星明かりの街道を北東へ駆けた。
二時間後、最後の民家の灯が見えなくなったころ、黒返り便が鞄の中で大きく脈打った。
道は、そこで尽きていた。
草に埋もれた道標に「旧七番路」とある。その先は雑木林で、車輪の跡は一本もない。
それでもリネットが鞄を抱えて降りると、黒い封蝋から一筋の光が漏れた。光は木々の間を縫い、地図から削られた暗闇の奥へ伸びている。
カイが馬車の灯を掲げた。照らし出された苔の下から、古い石畳が現れた。
道はなくなったのではない。
なくされたことに、されていたのだ。




