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婚約指輪を返した迷い便係は、無口な夜便隊長と王国を巡る黒返り便を届けなおす  作者: 銀細工ナギ


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16/20

能力がなくても、宛先は選べる

 夜明け前、種苗商の荷車が温室の裏門を出た。


 ノーラの日誌の写しは、種芋の箱に結ばれている。宛先は王都ではなく、隣領の集配局だ。そこから別の荷便へ渡し、さらに二つの局を経て、エダのいる監査室へ届けるという。


「ずいぶん遠回りですね」


 灰色の外套の男が、護送馬車の窓からそれを見送った。


「集配停止を避けるためです」


 リネットが答えると、男は肩をすくめた。


「能力を失った迷い便係が選んだ道に、何の保証があるのです」


 胸元の職務印は白いままだった。封筒へ触れても、もう何も聞こえない。その沈黙に足を取られそうになって、リネットは膝の上の運送表を見た。


「保証するのは私ではありません。荷を受けた人が時刻を書き、次の人が署名する。それを最後までつなぎます」


 向かいのカイが手帳を開く。


〈一つの耳ではなく、いくつもの目で運ぶ〉


 馬車は昼前、街道の継立所へ着いた。護送役が馬を替える間、リネットは窓口の老局員に、一枚の私信を差し出した。職務命令ではない。四つの受取地へ、控えの有無を問い合わせる手紙だった。


 老局員は白い職務印を見て、手を止めた。


「停止中の職員から、業務便は受けられんよ」


「はい。ですから私の印を信用しないでください」


 リネットは運送記録と、カイの確認票と、ノーラが記した命令書の空欄の写しを順に置いた。


「これは私個人からの問い合わせです。読んだ上で、引き受けるかはあなたが決めてください。受取人にも、自分の記録をどこへ届けたいか選んでもらいたいのです」


「証拠提出を誘導している」


 灰色の男が口を挟む。


 老局員は手紙を最初から読み直した。やがて、新しい運送票を取り出す。


「差出人の自由意思を確かめた。わしは王立郵便院の監査官と、公開守護更新式の記録席へ届けたい。二通に分けよう」


 彼自身の職務印が、二枚の票へ赤く押された。


 能力で正解を言い当てたのではない。事情を示し、問い、相手の答えを記録した。それは迷い便係として、リネットがずっとしてきたことだった。


 馬車が一つ先の宿場へ着くころ、返事が追いついた。


 地図から消されていた町の局員は、復帰した町名簿と最初の受領簿の写しを送った。塩の荒野を巡る人々は、隊商長だけでなく、あの日その場にいた七人の署名を一枚ずつ別の商隊へ託した。岬からは灯台守の受領印と、守護灯が戻った時刻を記した当直帳が、漁師の荷に交じって北の港を発っていた。


 そして温室からは、ノーラの日誌が種苗商、荷役人、隣領の局員へ渡ったことを示す三つの署名が届いた。


 どれも魔法便ではない。封印へ尋ねても答えない、ただ宛名の書かれた紙だ。けれど、誰が誰から受け取ったか、一つとして空欄がなかった。


「能力がなければ、真の宛先は分からないはずだ」


 灰色の男の声には、朝の余裕がなかった。


「分からないものは、分からないままです」


 リネットは答えた。


「私は心を読めません。能力があった時も、聞こえた断片だけで宛先を決めたことはありませんでした。差出人に尋ね、土地を歩き、記録を照らし、受取人の同意を確かめた。今は最初の手掛かりがないだけです」


 カイの紙が、窓辺へ差し出された。


〈君の仕事は、消えていない〉


 その一行を見ても、白い印は青く戻らなかった。それでも今度は、胸の奥まで白く凍りはしなかった。


 日暮れ、王都手前の大集配局で、エダからの封書が二人を待っていた。表に並ぶ中継署名は九つ。封を開くと、短い監査通知が現れた。


『四地方の控えを受領。相互照合を開始した。原本と護送記録を、公開更新式の証言台へ。なお経路局は今夜零時をもって、王都へ入る全郵便路の閉鎖を命じた』


 更新式まで、あと二日。通常便では門の外までしか届かない。


 カイは通知を読み終えると、局舎の屋上へ上がった。夜便隊長の銀笛を三度吹く。遠い街道で一つ、二つ、青い配達灯が応えた。


 彼は新しい運送票をリネットへ差し出した。


〈宛先を〉


 リネットは白い職務印には触れず、ペンを取った。


『王都中央広場、公開守護更新式、証言台』


 聞こえなくても、書ける。命じられなくても、選べる。


 青い灯は街道の向こうで、次々と増えていった。

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