白い封蝋が私の耳をふさぐ
亀裂から、雪に似た白い光がこぼれた。
温室の硝子を打つ雫も、ノーラが息をのむ音も聞こえている。それなのに鞄の中へ意識を向けると、四つの土地へ続いていた気配だけが、厚い壁の向こうへ消えていた。
「何をしたのですか」
「証言保全です」
灰色の外套の男は穏やかに答えた。
「感応に虚偽の疑いがある場合、査問まで能力と職務印を停止する。正規の手続きですよ」
正規なら、命令書には差出部署の印と、ここまで運んだ者の証言があるはずだ。だが、その二つの欄は白いままだった。
カイの鉛筆が素早く紙を走る。
〈封蝋を割った時刻。身分札三名分。命令書の空欄。ノーラ、記録を〉
「もう書いています」
ノーラは作業日誌を閉じなかった。
白い光が配達窓をすり抜け、リネットの胸元へ伸びる。職務札に押された迷い便係の小印が青から白へ変わった。鞄の中では、最後の返書を包む四つの輪が炭のように沈黙している。
「命令書には触れていません。私の同意も得ていない」
「停止は同意を要しません。あなたが聞いたという宛先は、照合が済むまで公的な証言として扱われない。それだけです」
それだけ、で済むはずがなかった。差出人の意思、受取人の同意、配達人の証言。三つで支えていた守護便から、最後の一本が引き抜かれたのだ。
「では、確かめます」
ノーラは日誌の写しを一枚、封筒へ入れた。表には何も書かず、蝋を落とす。
「私の自由意思で、届けたい相手を決めました。これはまだ、リネットさんが一度も聴いていない便です」
リネットはうなずき、封の端へ指を置いた。
いつもなら、遠い鐘のように一節だけが届く。町の色か、戸口の匂いか、ときには呼び名の半分だけ。それを手掛かりに、足と記録で正しい相手を探してきた。
今は、何もない。
静けささえ聞こえなかった。耳の内側へ白い蝋を流し込まれたようだった。
「……聞こえません」
口にした途端、足元の床が遠くなる。能力がなければ、迷い便係の席にいる理由も、これまで届けた言葉の正しさも、全部なくなるように思えた。
男は命令書へ一行を書き足した。
「能力の再現に失敗。ご自身も認められましたね。職務印を預かります」
差し出された手を、リネットは見つめた。婚約と引き換えに渡せと言われた日にも、手放さなかった印だ。
「お断りします。停止と譲渡は別です」
声は震えたが、職務札を外しはしなかった。
三人が温室へ入ってくる。先頭の男が鞄を示した。
「では、四件の原本を証拠品として提出してください」
カイが鞄の前に立ち、二人の小印が並ぶ確認票を掲げた。
〈原本は共同管理だ。一名の停止で、もう一名の証言は消えない〉
「あなたは同行者でしょう。中立とは言えません」
〈だからノーラの時刻記録がある。写しは別経路で監査官へ送る〉
男の微笑が、初めて消えた。
「この局舎は集配停止中です。外へ出る便はありません」
カイは言い返さず、その言葉まで記録した。言葉を重ねて勝つのではなく、相手が残した事実を一つも逃さない。その横顔を見て、リネットはようやく床を踏み直した。
原本は白い鎖の付いた保全箱へ移された。ただし、二人の共同封印は切らせなかった。開封には双方の立ち会いを要する、とカイが箱の受領票へ明記し、リネットも白くなった職務印の代わりに署名した。
明朝、二人は証拠品とともに王都の査問へ送られる。男たちは扉へ停止札を増やし、温室を出ていった。
「ごめんなさい」
リネットは暗い鞄の跡を見た。
「私の耳が、最後まで確かなままだったら」
カイが差し出した紙には、短い二行があった。
〈君の耳は、一つの証拠だ〉
〈すべてではない〉
「私の日誌も、私の目も残っています」
ノーラは先ほどの封筒を取り上げ、空白の表へ、監査官の名と王都の住所を一字ずつ書いた。そして集配籠ではなく、朝一番に町を出る種苗商の荷箱へ結びつける。
「魔法便が止まっているなら、普通の荷便で運びます。宛先は、聞こえなくても書けますから」
白い封蝋は、リネットの耳と職務上の信用をふさいだ。
けれど、三人が選んだ宛先までは消せなかった。




