第65話 最前線、ニューヨーク
飛行機が到着した。
空港は、軍用の輸送機と装甲車で埋め尽くされていた。
民間機なんて、もう、どこにも飛んでいない。
Mercyが手を回してくれた、特別な便だ。
タラップを降りると、焦げた匂いが鼻を突いた。
ここは、まだ被害の少ない街のはずなのに。
遠くの空が、うっすらと、赤い。
「……ひどいな」
俺は、思わず、つぶやいた。
つむぎさんも、剣のケースを背負い直して、唇を引き結んでいた。
『マスター。あちらに、Mercyさんが』
ノアの声に、顔を上げる。
ゲートの先で、ひときわ大きな影が、こちらに手を振っていた。
◆ ◆ ◆
近づいて、その大きさに、あらためて圧倒された。
褐色の肌
鎧みたいに盛り上がった筋肉
見上げるような巨体
VStream世界一位、Mercy
東京で会ったときよりも傷だらけだった。
「あらぁ……RENくん。ほんとに、来てくれたのねぇ」
その声だけは、巨体に似合わない、甘ったるい響きだった。
「Mercyさん。お久しぶりです」
「ふふっ。……まさか、二度目に会うのが、こんな場所に、なるなんてね」
Mercyが力なく笑った。
「東京で約束したでしょ。今度また、一緒に配信しようって。あなたのおすすめのダンジョンに行ってみたいって」
「……はい。コラボの約束」
「ええ。……まさか、その“コラボ”が、こんな地獄になるとはねぇ」
Mercyの視線がつむぎに移る。
「つむぎちゃんも。来てくれてありがとう」
「当たり前です。戦友が困ってるのに、来ないわけないでしょう」
つむぎさんが、ふっと笑った。
ホロダイの世界一位と二位。ゲームの中で、何度も競い合ってきた古い仲だ。
「もぉ……二人とも、泣かせないでよぉ」
Mercyが、ごしごし、と目元をこすった。
それから、俺の肩の上に、目を留める。
「ノアちゃんも、久しぶり。会いたかったわぁ」
『……どうも。相変わらず、暑苦しい再会ですね(笑)』
「その毒舌! やっぱり、生で浴びるのが、最高ねぇ」
……Mercyさんは、相変わらずノアにメロメロだった
こんな状況でも、それだけは変わらないらしい。
◆ ◆ ◆
「状況を説明するわ」
Mercyの声が低くなった。戦士の声だ
「最初は西海岸だった。でも、奴らは止まらない。街から街へ、東へ東へ、ゲートを開きながら進んでる」
「そして今——いちばん、ひどいのが」
Mercyが、赤く染まった東の空を指さした。
「ニューヨーク。あそこに、Nullの幹部、オリオンがいる」
つむぎの表情がこわばった。
「オリオン……Nullの武力の中心」
「ええ。あいつが、素手で街を潰してる。あたしたちじゃ、足止めが精一杯。一人でも多くの人たちを逃がすので限界なの」
Mercyが、ぐっと拳を握った。
それから、ふと、声を落とした。
「……ねえ、RENくん。東京で、あなた言ったでしょ。自分の配信は『本物のダンジョンだ』って」
「……はい」
「あたし、企業秘密の冗談だと思って、笑っちゃった。ごめんなさいね」
「いえ」
「でも、今は。……あれが、本物だったらいいって、本気で祈ってるの。あなたの力が、本物だって」
Mercyの目は、すがるようで、それでいて、どこか、信じるようだった。
「だから、お願い。力を貸して」
俺は、頷いた。
「行きましょう。すぐに」
迷いはなかった。
助けを待っている人がいる。
それだけで、十分だった。
◆ ◆ ◆
ニューヨーク
かつて摩天楼だった街は、瓦礫の山に変わっていた。
倒れたビル
割れたアスファルト
煙の中を人々が必死に逃げていく。
その隙間を縫うように、無数のモンスターが溢れ出していた。
ゲートは、いくつも口を開けたまま。
コルヴスが、どこか別の場所で、開き続けているのだろう。
モンスターたちは、逃げ遅れた人々に、襲いかかろうとしていた。
「……っ、あそこ。子供がいる」
つむぎさんが、瓦礫の影を指さした。
小さな子供を抱えた女性が、崩れた壁際で動けなくなっている。
その正面に、トカゲのような魔物がゆっくりと近づいていく。
考えるより、先に体が動きかけた。
——だが
ずん、と。
地面そのものが揺れた。
◆ ◆ ◆
瓦礫の向こう
立ち込める煙を、押しのけるように
巨大な影が、ぬっと、姿を現した。
丸太のような腕
4メートルはある巨大な岩のような体
映像で見たあの男
オリオンだった。
手にしたビルの残骸を無造作に放り投げる。
それだけで、近くの建物が、丸ごと吹き飛んだ。
「ぐははっ。逃げろ逃げろ。そのほうが、踏み潰しがいが、あるってもんだ」
単純で、無邪気で。
だからこそ、ぞっとするような、声だった。
その視線が、ふと、俺たちを捉えた。
「……あぁ?」
まず、その目が、Mercyで止まった。
「黒いお前は知ってるぞ。しつこい、ハエ野郎だ。何度、潰しても湧いてきやがるな」
「あらやだ。ハエだなんて、失礼しちゃう」
だが、オリオンの視線は、すぐに、俺へと滑った。
そして——その、にやけた顔が、ぴたりと、止まった。
「……おい。その、黒髪のガキ」
オリオンが、ぐっと、身を乗り出す。
「お前、RENか?」
……知られていた。
まあ、当然か。Nullが、海を越えてまで暴れているのは、日本を——俺を、避けたからだ。
「ぐ、ははっ……ぐはははは!」
オリオンが、突然、腹を抱えて笑い出した。
「マジかよ! あのヴェガを叩きのめした、お前が……自分から、のこのこ来やがった!」
その目が、ぎらぎらと、輝いていた。
「コルヴスのやつは、『RENとは正面から戦うな』って、しつこく言ってたがなぁ。……知ったことか。俺は、ずっと、てめえと殴り合いたくて、うずうずしてたんだよ!」
戦いたくて、たまらない。
全身から、そんな圧が溢れ出していた。
——だが、その前に。
Mercyが、一歩前に出た。
その背中が、俺とつむぎさんを、かばうように。
「——RENくん。つむぎちゃん」
「はい」
「あいつは、あたしがやる。あなたたちは、街の人を頼むわ」
「Mercyさん、一人で……!」
「いいの」
Mercyが、振り返らずに、言った。
「あいつとは、もう何度もやり合ってる。手の内は、わかってるつもり。……それに」
その声が、ぐっと、低く沈んだ。
甘ったるさが、消えていく。
「ずっと、こいつに、煮え湯を飲まされてきたの。一発お返ししないと、気が、すまないのよぉ」
「……っ、わかりました」
つむぎさんが、剣を抜いた。
白い刃が、煙の中で、鋭く光る。
「RENさん。私たちは人を逃がしながら、モンスターを倒します」
「はい」
俺は、虚空断ちの柄に手をかけた。
ポケットの奥で、ペンギンのストラップが、かすかに、揺れた気がした。
守るために来た。
なら、やることは、ひとつだ。
◆ ◆ ◆
「ぐははっ。いいぜ、ハエ。先に、お前で、肩慣らしだ」
オリオンが、にぃ、と、口の端を、吊り上げた。
「REN。逃げんなよ。すぐに、お前の——」
その言葉の途中で。
Mercyの体から、ぶわり、と、熱が立ちのぼった。
拳に、力が溜まっていく。地面が、低く唸る。
甘い笑顔は、もう、どこにもなかった。
残っていたのは、ただ一人の、戦士の顔。
「黙りなさい、デカブツ」
低い声が、英語に切り替わる。
『——Alright. Playtime's over.』
その瞬間、地獄の戦端が切って落とされる




