第66話 世界一位が守ったもの
地獄の戦端が、切って落とされた。
最初に動いたのは、Mercyだった。
地を蹴り、瓦礫を砕きながら、まっすぐ、オリオンの懐へ飛び込む。
その拳に、すでに熱が渦巻いていた。
「"DIE."」
短い英語と同時に、Mercyの右拳が、オリオンの脇腹にめり込んだ。
ドゴン、と、空気が爆ぜる。
山のような巨体が、半歩、後ろにずれた。
あのオリオンが、一撃でよろめいた。
「ぐ、ははっ……いいパンチだ。痺れるねぇ!」
だが、オリオンは、倒れなかった。
むしろ、嬉しそうに、笑っていた。
反撃の拳が、唸りを上げて、振り下ろされる。
Mercyは、半身でそれを受け流し、間合いを取り直した。
俺は、その横で別の戦いをしていた。
◆ ◆ ◆
「RENさん、右です!」
つむぎさんの声。
ゲートから溢れたモンスターが、逃げる人々に、群がろうとしていた。
俺は、虚空断ちを、一閃した。
先頭の魔物が、音もなく、両断される。
返す刃で、二体、三体。
つむぎさんも、白い剣を閃かせて、群れを切り崩していく。
「こっちです! 急いで!」
つむぎさんが、市民を、安全な方へ誘導する。
俺は、魔物を斬りながら、ちらりと、Mercyの方を見た。
巨人同士が、殴り合っていた。
拳と、拳。
技も、魔法もない。
ただ、純粋な、力と力のぶつかり合い。
Mercyの拳が入るたび、オリオンの体が軋み。
オリオンの拳が掠めるたび、Mercyの体から血が飛ぶ。
互角だった。
世界一位の配信者の実力は本物だった。
◆ ◆ ◆
「あらやだ、頑丈ねぇ。ふつう、今ので、死ぬのよぉ?」
「ぐははっ! 俺の体は、岩より硬えんだよ!」
Mercyが、ぐっと腰を落とし、右の拳を、限界まで後ろに引き絞った。
全身の筋肉が、ぎちぎちと鳴る。
……渾身の一撃。
搦め手も、技もない。持てる力のすべてを、たった一発に乗せる気だ。
あの岩みたいな体を、ぶち抜くにはそれしかない。
でも、振り抜くまでの、ほんの一瞬。
その間だけ、Mercyは、がら空きになる。
それを承知で、賭けに出ていた。
この一発で決める。
そう、決めた顔だった。
「"This is the end."」
全身が、弓のように、しなった、そのとき
◆ ◆ ◆
Mercyの、視界の端に
小さな影が映った。
逃げ遅れた女の子だった。
崩れた瓦礫の陰から、泣きながら、よろよろと、歩き出してしまっていた。
ちょうど、オリオンと、Mercyの間に来てしまっていた。
オリオンの振り上げた拳の真下に
「——っ」
Mercyの判断は、速かった。
振り抜くはずだった、渾身の一撃を。
放つのをやめた。
その拳を捨てて。
その巨体を女の子に覆いかぶせた。
「大丈夫。……こわくないわよ」
甘い、優しい声だった。
戦士の声じゃ、ない。
いつもの、オネエの声で。
次の瞬間
オリオンの拳が、Mercyの背中に落ちた。
ごう、と、爆発のような音
Mercyの巨体が大きく揺れて、血を吐いた。
それでも、その腕の中の女の子だけは
傷ひとつ、なかった。
◆ ◆ ◆
「Mercyさん!」
つむぎは叫んだ。
でも、間に魔物の群れがいた。
届かない。
オリオンが、倒れたMercyを、見下ろした。
心底、不思議そうな顔で。
「……なんで、そんなガキを、庇う?」
オリオンが、首をかしげる。
「意味が、わからねえな」
Mercyは、女の子の背中を押し、瓦礫の陰に押しやった。
血だらけの顔で、それでも笑って。
「あんたには……一生、わかんないわよ」
「あぁ?」
「強いだけの……かわいそうな、デカブツ」
「——黙れ!」
オリオンの拳が、もう一度、振り下ろされた。
二発、三発。
Mercyは、もう、避けなかった。
いや、避けられなかった。
最後の力を、女の子を守ることに、使い果たしていた。
やがて、Mercyは、倒れてぴくりとも動かなくなった。
気を失っていた。
世界一位の配信者が
戦場に倒れ伏した。
───────── LIVE カメラ ─────────
>【海外視聴者】Mercy... no... NO
>【海外視聴者】世界一位が、子供を庇って、倒れた。あいつは、最後まで、ヒーローだった
>【攻略ガチ勢】Mercyがやられた……あれを止められる奴なんて、もう……
>【ノア推し】待って。Mercyの隣に、誰かいる。黒髪の……あれ、まさかな
>【陰謀論者】……来た。日本の“あれ”が、来たぞ
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◆ ◆ ◆
俺は、目の前の魔物を、すべて、斬り捨てた。
道を、こじ開けて。
倒れたMercyの、傍らに立つ。
女の子は、無事だった。Mercyの、最後の盾に守られて。
「つむぎさん。Mercyさんと、その子を」
「……っ、はい」
つむぎさんが、すぐに、二人を抱え起こす。
俺は、ゆっくりと、前を向いた。
オリオンが、こちらを見ていた。
いや——待ちかねていた、という顔だった。
「ぐははっ。待たせたな、REN。やっと、お前の番だ」
オリオンが、ごきりと、拳を鳴らす。
「ヴェガは、お前に負けた。コルヴスは、『正面から行くな』と、逃げ腰だ。……だが、俺は、別だ。力でなら、誰にも負けたことがねえ」
俺は、何も答えなかった。
ただ、Mercyの流した血を。
守られて、泣いている女の子を。
そして、それを「意味がわからない」と、言い放った男を見た。
……ああ。
また、だ。
体の、奥の方が。
静かに、熱く、なっていく。
足元の影が、ぐにゃりと、濃くなった気がした。
空気が、ひやりと、重くなる。
『……マスター』
ノアが心配して、声をかけてくれた。
「ノア。Mercyさんを、頼む」
『……はい。お気をつけて』
俺は、虚空断ちを、握り直した。
その瞬間。
オリオンの、好戦的な笑みが、初めてひきつった。
「……あ? なんだ、これは。さっきまでの、気配と……まるで、別もんじゃねえか」
戦いを、心の底から、待ち望んでいた、あの脳筋の男が。
初めて、半歩、後ろに、引きかけた。
「コルヴスが……『正面から行くな』と、言ったのは……まさか、これを……」
俺は、一歩、前に出た。
その一歩で、足元の瓦礫が、みしりと、軋んだ




