第62話 ルカたんは、すぐ隣にいた
「返さないなら。全部、壊す」
俺は地を蹴った。
猛毒の蛇デスサーペントが、紫の瘴気を吐きながら、俺に、巨大な顎を向けてくる。
遅い
俺は、その牙の間をくぐった。
拳を握る。
顎の下から、突き上げる。
ただ、それだけ。
蛇の頭が、内側から、弾けた。
巨体が、痙攣して、光の粒子になった。
「弱いな。俺に毒は効かない。」
残った大猿ギガントバーバリアンが、咆哮して、丸太のような腕を、振り下ろしてきた。
しかし、俺は、敢えて避けなかった。
その拳を、左手で受け止めた。
地面が抉れる。
でも、俺の足は、一歩も下がらなかった。
空いた右手を、引いて。
大猿の分厚い胸へ叩き込んだ。
ずどん、と。
山のような巨躯が、後ろへ、勢いよく吹っ飛んだ。
壁に、めり込んで
そのまま、動かなくなった。
二体とも、瞬殺だった。
S級ボスを素手で
息ひとつ、乱さずに倒した。
「……ば、化け物が」
コルヴスが、後ずさった。
その顔から、余裕が消えていた。
◆ ◆ ◆
「ノア」
俺は、振り返らずに言った。
「配信を、つけてくれ」
『……マスター。本気ですか?』
「うん」
『これを、世界に流すんですか?』
「ああ」
俺は、コルヴスを、見据えたまま、言った。
「この男みたいな奴が、また来るかもしれない。瑠花さんや、ステラや、ノアを、狙って」
「……だから、見せておく。俺の大切なものに、手を出したら、こうなるって」
『…………』
ノアは、しばらく、黙っていた。
それから、ぽつりと、言った。
『……わかりました。配信、つけます』
いつもの配信。
でも、いつもとは、何もかも、違った。
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>【草の民】え、なんか急に配信始まった
>【攻略ガチ勢】場所どこだ? 見たことないS級ダンジョンだぞ。てかボスいなくね?
>【holodive_master】このイベント何? 告知あったっけ?
>【ノア推し】なんか不思議だな……いつもと違う。何かあった?
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◆ ◆ ◆
「——さて」
俺は、コルヴスに、歩み寄った。
一歩ごとに、空洞の温度が、下がっていく。
「逃げても、いいよ」
「来るなあああ!」
コルヴスが、手から黒い魔力の弾を撃ち出した。
何発も
俺は、避けもしなかった。
全部、体に当たって——そして、消えた。
傷ひとつ、つかなかった。
「な……っ」
俺は、コルヴスの、胸ぐらを掴んだ。
そして、顔面を思い切り殴った。
一発
コルヴスの体が、壁まで飛んだ。
骨が折れる音がした。
俺は、歩いて、また胸ぐらを掴み上げる。
ひたすら顔を殴る。
また、飛ぶ。
また、掴む。殴る。
淡々と
感情のない、作業のように顔面を殴り続ける。
「ぐ、あ……っ、や、やめ……」
コルヴスが、何か言っていた。
でも、俺の耳には入らなかった。
頭の奥が、静かで
体の奥が、熱くて
ただ、目の前の、これを、壊さなければ、と
それだけがあった。
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>【草の民】え
>【草の民】ちょっと待って、なんかこれ、怖くない?
>【攻略ガチ勢】RENの動きが、いつもと違うぞ。禍々しい感じがする。
>【holodive_master】これ演出だよな? ボスキャラ殴ってるだけだよな?
>【陰謀論者】……お前ら、まだ気づかないのか。あれは、ボスキャラじゃないぞ
>【ノア推し】ノアちゃんが、何も言わない。いつもツッコむのに
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「……REN殿」
ステラが、大鎌を握りしめたまま、立ち尽くしていた。
その顔が、青ざめていた。
戦場を、いくつも見てきたはずのステラが震えていた。
「……なんでありますか? あのREN殿は……」
ステラの声は、それ以上続かなかった。
俺が、もう一度、拳を振り上げた、そのとき
「……やめ、て」
小さな声がした。
◆ ◆ ◆
ソファの上で
瑠花さんが、薄く、目を開けていた。
「……れん、くん」
「瑠花さん」
「だめ、だよ……そんな顔、しないで……いつもの蓮くんじゃないよ」
瑠花さんが、震える手を伸ばした。
俺の見たことのないだろう顔へ。
「わたし、ね」
かすれた声で、瑠花さんが、言った。
「ずっと、見てたの。ずっと、応援してた」
「……うん?」
「あなたが、ひとりで、頑張ってるの。ずっと、画面の向こうから、見てた」
瑠花さんの目から、涙がこぼれた。
「わたしが……ルカたん、です」
時間が、止まった気がした。
「いつも、たくさんスパチャ投げてた、変なやつ。」
「……あれ、全部、わたしなの」
「お願い……いつもの蓮くんの戻ってきて……」
俺は、拳を止めたまま、動けなかった。
ルカたん
毎日応援してくれた人
会ったこともないのに、何百万円、投げてくれた人
ひとりだった俺を、ずっと、見ていてくれた人
それが——目の前の、瑠花さん
……そう、だったのか
頭の奥の、熱が、ほんの少し揺らいだ。
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>【草の民】は?
>【草の民】今、なんて言った?
>【ノア推し】ルカたん……? あの、ルカたん本人が、そこにいるの……?
>【攻略ガチ勢】待て待て待て。スパチャ常連のルカたんが、画面の中で人質になってる? どういう演出だこれ
>【陰謀論者】演出じゃない。これは、全部本物だ。ずっと、そう言ってきただろ
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「……ありがとう、ございます」
俺は、瑠花さんを見て、言った。
「ずっと、見ててくれて。応援してくれて」
「俺、ダンジョンにいた三年間、誰にも見られてなかった。地上に戻っても、しばらく、何も感じなかった」
「でも、配信を始めて。ルカたんさんが、いつもいてくれて」
「……だから、笑えるように、なったんだと思う」
瑠花さんが、ぐしゃぐしゃの顔で頷いた。
「……うん。うん……っ」
「だから」
俺は、最後にコルヴスを見た。
冷たい目で。
「——お前は、絶対に許さない」
拳を、振り下ろした。
鈍い音が、一度だけ響いて
コルヴスは、動かなくなった。
……殴り、殺した
俺の手が、初めて人を殺した。
でも、不思議と、後悔はなかった。
この男は、俺の、いちばん大切な日々に、手をかけたから。
◆ ◆ ◆
俺は、ポケットから、ペンギンのストラップを取り出した。
昨日、瑠花さんがくれた、おそろいのやつ。
「これ。預かってた」
瑠花さんの、手に握らせる。
「ちゃんと持ってきたよ」
「……っ、う、ぅ……っ」
瑠花さんが、ストラップを、握りしめて泣いた。
子供みたいにわんわん泣いていた。
ステラが、そっと、瑠花さんの背をさすった。
『……マスター』
ノアが、肩に乗った。
『よく、戻ってきてくれました』
「うん?」
『いえ。こっちの話です。……配信、切りますね』
◆ ◆ ◆
その直後
殴り殺したはずの、コルヴスの体が
黒い霧になって。
すうっ、と、消えた。
そこには、何も、残らなかった。
「……っ、REN殿。今のは」
ステラが、息を呑んだ。
「分身……いえ、影。本体は、別にいるであります」
俺は、何も言わずに、その場所を見ていた。
……逃げたのか。
すぐにでも追って殺すべきと考えた。
でも、今は
泣いている瑠花さんを、抱えて帰ることの方が
ずっと、大事だった。
◆ ◆ ◆
遠い廃墟ビルの一室
無数のモニターの前で
本物のコルヴスが、ひとり座っていた。
たった今、消えた影越しに、すべてを見ていた。
その手が、わずかに震えている。
「……あれは、駄目だ」
乾いた声で、コルヴスが呟いた。
「S級ボス二体を、素手で倒した。あの魔力。あの再生力。……人間の規格じゃない」
コルヴスは、椅子に深くもたれた。
「RENは…正面から、戦ってはいけない相手だ」
長い沈黙。
それから、コルヴスは薄く笑った。
「だが——諦める、わけではない」
モニターのひとつに、笑って泣いている瑠花の顔が映っていた。
「力で、敵わないなら。……別の方法を取るまで」
暗い部屋に、その声だけが、静かに落ちた。




