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93話 侯爵令嬢の嫉妬


 ルージーの登場で店内は異様に静まり返る。


 今は彼女の番だと言わんばかりに、誰も声を発せない。


 そんな沈黙が数秒続いた中、ようやく声を上げたのが一人。


「えっと……ヒカリ・ウィンガート伯爵? ヒイカちゃんって、伯爵の……」


 ハネットさんにとっては事態の混乱より、無邪気に平民服でお店にやってきた僕が、実は伯爵令嬢だった驚きの方が大きかったらしい。


「えっと、そうなんですよね? あはは、黙ってすみまーー」

「私より平民を優先するのですか?」

「っ!?」


 一言謝ろうとした瞬間、ルージーは淡々と言葉を発して横暴に扉を叩く。


(こいつ……!)


「……私に用事があるなら扉叩く必ーー」

「伯爵風情が……口答え?」

「…………申し訳ございません」


 言いたいことはあるけど、身分を使われたら流石にどうしようもない。


 伯爵は、侯爵より身分が低いのだから。



「折角貴女を見かけて、馬車を停めて、わざわざ地面に足をついてまで会いにきたのに……」


 カツカツとヒールの音を立てて目の前まで歩み寄る。


「……」


 そして『パァン』と大きな音が響く。


「少し、無礼が過ぎません?」

「…………申し訳、ございません」


 ビンタで痛む頬なんて気にしている場合じゃない。


 涙が出そうな目を、歯をくしばって堪え、震える声で謝罪を一つ。


「まぁいいですわ? 公爵様に取り入ったネズミが礼儀正しいはずありませんものね?」

「……」

「それに、レオン様にも汚い手を使って婚約者候補を維持しているようですし?」

「……」


 この女、どうにかして僕を汚い奴にしたいらしい。


 果たしてこれをレオンが見たらどう思うだろうか。なんて叶わぬ出来事なんだけど。


「ねぇヒカリさん、婚約者候補を解消する気はありませんか?」

「……何故ですか?」

「私がどれだけ手紙を送っても『婚約者候補以外からは受け取れない』の一点張りで、レオン様も多くの方と関わりたいはずなのに、お可哀想でなりません」

「……」

「だから、レオン様のためにも、レオン様が自由になるためにも、あなたの存在は邪魔なの」

「……」


 五年間でどれだけ妄想を熟成させてきたんだ。


「さ、ここで宣言なさい? セッカ侯爵の名の下に『あなたが婚約者候補は外れた』ことをレオン様にお伝えするわ?」

「……」


 僕は脳を必死に回転させて考える。



 ここで婚約者候補から外れる宣言したら、自分の身は完全に守られる。


 スーちゃんとシャイナちゃんは納得いかないかもしれないけど、カルラくんは僕を支えてくれる。


 やっぱり前世持ちっていいな。どれだけ高校生で死んだとしても、足りない脳で合理的な考えが浮かぶ。


「……そっか、それでいいのか」

「さぁ、早く」


 僕は深呼吸をして、目一杯目を見開いて、ルージーに言い放つ。



「絶対に、いやっ!」

「…………は?」


 だって、ヒカリちゃんの心が嫌だって叫んでたもん!


 合理性なんてクソ喰らえ! 前世を大切にする時間なんてとっくに終わってんだ!



「貴女はレオンのこと何にもわかってない!」

「っ!」


 再び『パァン』というか音が響き渡り、頬がジンジンと痛み出す。


 だけど、さっきより痛くない。


「まぁいいですわ? 礼儀のなってないネズミなんて最初はこんなもの」


 一つため息をついて、興が冷めたように背を向ける。


「帰るわよ?」

「承知いたしました」


 ドアを支えていた執事は丁寧に扉を閉め、半ば強引に停めていた馬車に乗り込んで、余韻を残したまま去っていった。



 そしてそんな凍った空気を壊す人が一人。


「だ、大丈夫ヒイカ……じゃなくてヒカリ様!」

「痛い……」

「ロア、お水持ってきてくれる?」

「わ、わかった!」


 痛みで自然に流れ落ちる涙をハネットさんが拭いてくれる。


「えっと、直ぐに冷たい水持って来ますので、少々お待ちをーー」

「なんで……」

「えっと……はい?」

「なんで、敬語なの?」

「それは……」


 痛みとかそんなことより、そっちの方が気になってしまった。


「私ヒイカだよ? だから身分隠して来たのに……」

「そう……よね、申し訳、じゃなくて、ごめんね、ヒイカちゃん」

「うん、大丈夫」


 ハネットさんは順応が早いようで、直ぐにさっきの砕けた口調に戻ってくれた。


「お待たせしましたヒカリ様」


 大急ぎでロアさんが冷たい水の入った瓶を持って来た。


(そっか、ビニールとかこの世界にはないんだ)


 そんなことを思いながら痛む頬に瓶を当てる。


「ヒカリ様、他にはーー」

「ロア、ヒイカちゃんね?」

「しかしーー」

「ヒ・イ・カちゃんね?」

「…………ヒイカさんね」

「今は平民のヒイカですよ?」


 えへへと笑うが、ロアさんはどうすればいいのかわからない様子。


「ごめんねヒイカちゃん。ロアね、昔学園で貴族に虐められてて」

「そうなんですね?」


 まだ営業もやっているので、とりあえず店の隅に移動して頬を冷やし続ける。


 そしてそんな中再びドアが開く。


「いらっしゃいま……え、ええぇぇぇ!」


 ハネットさんの大声に反応してお客さんを見る。


「よっ!」

「ゲェ……」


 そこに入って来た人物はーー


「なんでユアン様が来るのぉ……」

「おい、俺これでも王族だが?」


 ユアン・オリスティナ第二王子様だ。

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