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星の子 〜護るとは、一緒にいたいと願うこと〜  作者: 猫様のしもべ
第3章 “星の子”が灯すもの
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第35話 それでも、生きている

診療所の裏手には、薬草の花壇がある。

朝露の残る薬草に、淡い朝陽が注がれていた。


夜が明けてすぐ、診療所へ向かう影。

小さな星屑を散らしながら、扉をそっと開いた。

診療所の窓から差し込む陽光は、木製の床を柔らかく照らし、棚に並ぶ薬草瓶の影を細長く伸ばしていた。


薬草の微かに苦い香りが漂ってくる。

机の上には、摘みたてだろう薬草が置かれていた。

ティターニアは、黒曜石のような瞳でじっと見つめる。


そのとき、裏口から“幻夢の堕天”が現れた。

水やりをしていたのか、白衣が僅かに濡れていた。


「……おや、朝早いのに熱心ですね」


“幻夢の堕天”は、言葉とともに穏やかに笑う。


「あまり睡眠を惜しむと、体に良くないですよ」

「わ、わたしはよく眠れているので、大丈夫です」


ティターニアは、少し勢いをつけて言った。

本当はまだ少し眠いが、少しでも多く学びたかった。


“幻夢の堕天”は、薬草を仕分け始める。

爪先まで黒く染まった手が、景色を宿さない虚な瞳が、ほとんど違いもわからない薬草を丁寧に仕分けていた。


少し覗こうと、“幻夢の堕天”に近づく。

けれど、彼はピタリと手を止めて振り返った。


「……彼は、あなたのお友達ですか?」


驚いて振り向くと、ネフィラが立っていた。

いつの間にか、裏口の扉に寄りかかっている。


「ネフィラさん……」

「1人きりで、七堕天に近づくなと言っただろう」

「で、でもわたし、医療を学びたくて」


緑色の瞳が、鋭い光を帯びる。


「俺たちにとっては、お前の安全が最優先だ」


ティターニアは、何も言えなくなった。

彼の“使命”を考えれば、それは正しい言葉だった。


そのとき、“幻夢の堕天”が薬草瓶を机に置く。

コト、と小さな音が鳴って、ふたりは振り向いた。

薬草を瓶に詰めながら、彼はつぶやく。


「事情は存じませんが……」


その表情は魔族ではなく、医者そのものだった。


「やる・やらないを選ぶのは、ご本人だと思いますよ」


ネフィラは、少し視線を落として沈黙した。

俯いた彼の瞳には、微かな影が映っていた。


そのとき、扉が勢いよく開いた。

息を切らしたルフィーナが、診療所に飛び込む。

ティターニアに気がつくと、安心したように笑った。


「よかった、ここにいたのね」

「……ごめんなさい、主様」

「ふふ、できれば一言だけお願いね」


優しく微笑むルフィーナ。

剣は腰に提げたままだが、手をかけてはいない。


診療所の外では村人たちも起きて農作業を始め、魔族たちは狩りから帰ってきたようで、騒がしくなり始めた。

騎士たちは、まだ診療所周りで警戒している。


次の瞬間。


扉が勢いよく開かれた。

切羽詰まったような声が響く。


「先生、息子が……!」


ひとりの女性が、少年を支えていた。

少年は胸元を抑え、浅く呼吸を繰り返した。


穏やかだった空気が、一瞬で緊迫する。


運び込まれた少年の額には細かく汗が滲み、母親らしき女性は青ざめた表情で何度も少年の名前を呼んでいた。

昨日まで、一緒に楽しく追いかけっこをしていたのに。

村人たちが心配そうに、窓から覗き見ている。


“幻夢の堕天”は、穏やかな笑顔を一変させた。

真剣な表情で、ベッドに横たわった少年に近寄る。


ティターニアも、慌ててそばへ飛んだ。


“幻夢の堕天”は、看護師姿の魔族に指示を出す。

魔族は薬草瓶をいくつか取り、カルテを書き始めた。


「わたしも、お手伝いします!」


返事を待つより先に、羽を広げた。


微かに煌めく星屑が、少年を包み込むように広がって、傷ついた身体にそっと溶けていくーーはずだった。


「……え?」


星屑が、宙へと散っていく。


騎士たちみんな、目を見開いていた。

ティターニアは、言葉を続けられなかった。


星光は確かに輝いていた。

けれど、少年の身体に溶けることはなく、透明な何かに阻まれたかのように、空気中へと霧散してしまった。


もう一度。


小さくつぶやくと、羽に力を込めた。

星屑は溢れるように、少年を覆っていく。


けれど。


少年の息遣いは浅いままだった。

母親を安心させることもできなかった。

ティターニアの胸に、冷たいものが広がっていく。


「どうして……?」


守護神獣として、ずっと使ってきた能力。

騎士が傷つけば癒し、倒れないように支えてきた。


それなのに、何もできないなんて。


“幻夢の堕天”は、薬草をすり潰し溶かす。

量を慎重に確認しながら、お椀の中に入れる。

深緑色の薬が、小さく波を立てる。


けれど。


「……待て」


“幻夢の堕天”へ、低い声が響いた。


振り返ると、剣に手をかける銀髪のふたり。

一瞬互いに目を合わせるも、すぐに逸らした。

ふたりの鋭い瞳が、薬だけを見つめていた。


ルビアスが、僅かに毛を逆立てている。

“幻夢の堕天”は、少しだけ首を傾げる。


次の瞬間。


セルヴィーロの言葉に、空気が止まった。


「なぜ、薬に瘴気が混ざっている?」


ティターニアは、思わず薬に目を向ける。


薬草をすり潰しただけの薬ーー

だが微かに、黒い粒子が光っていた。


“幻夢の堕天”は、少しも動じなかった。

むしろ責められていることすら不思議だと言うように、セルヴィーロたちの目をまっすぐ見つめていた。


「心臓の一部分を、魔族化させているのです」


あまりにも、静かな説明だった。

けれど、それだけで何かがわかった気がした。


村の中で、暮らしている魔族たち。

狩りから帰ってきた彼らは、少し怪我をしていた。

けれど、村に入った途端黒い光に包まれーー

怪我が跡も残ることなく、綺麗に治っていたのだ。


少年の患部が、魔族化していれば。

村の中にいる限り、きっと治り続けるだろう。

ティターニアは、身震いした。


いや、“治す”ではない。


壊れないように、支え続けているだけだ。

母親が、小さくつぶやく。


「……先生、お願いします」


“幻夢の堕天”は、柔らかく笑った。


「ええ、もちろんですよ」


薬をそっと差し出した。

少年も、抵抗なく飲み始める。


しばらく。


沈黙の中に、少年の呼吸だけが響いた。

だんだんと、落ち着いていく。

苦しそうに握られていた胸元の手から力が抜け、青白くなっていた顔にもほんの少しだけ色が戻ってきた。


母親は、少年の手をぎゅっと握っていた。

そのとき、小さな声が聞こえた。


「……先生、ありがとう」


少年が、微笑んでみせる。


「よかった……!」


母親が安堵した表情で、少年の頭を撫でる。


ティターニアは何も言えなかった。

瘴気が危険であることに変わりはないけれど、それによって少年と家族が救われたことは疑いようもなかった。


そのとき。


少年が、明るい表情で顔を上げた。

瞳を輝かせながら、ティターニアを見つめる。


「わぁ、かわいいうさぎさん!」


母親の手が、一瞬止まった。


「ねぇ……君は、だれ?」


上下に動いていた羽が止まる。


昨日、一緒に遊んだばかりだった。

他の子どもたちと一緒に、走り回っていた。

綺麗な羽だね、と褒めてくれた。


「……また、忘れちゃったのね」


母親は、とても小さくつぶやいた。


諦めの声ではない。

悲しみを、いくつも飲み込んだ声。


「また、なんですか……?」

「ええ」


母親は、目尻を拭って言った。


「それでも、息子は生きています」


胸が締め付けられるよう。


記憶を失っても。

大切な人に忘れられても。

隣にいてくれるのならーー。


そんな願いを、誰よりも知っていた。

ティターニアの脳裏に、あの日の言葉が蘇る。


『……だれ?』


ルフィーナに、忘れられた日。


それでも、生きているから。

いつか思い出してくれるからと。


願い続けて、彼女に寄り添ってきた。


「先生、ぼくは治るの?」


少年の無邪気な問い。

“幻夢の堕天”の瞳が、微かに揺れた。


「ええ」


彼は、優しく微笑んだ。


「絶対に、治してみせます」


まっすぐ告げる“幻夢の堕天”。

医者らしい笑顔で、安心させようとしていた。


けれど、母親は少し切なげな表情をした。


カチャリ。

剣を抜いた、静かな音が響いた。


銀髪のふたりが、同時に引き抜いていた。


ふたつの剣先が、“幻夢の堕天”に向けられる。

距離は離れているのに、同じ敵を前にしていた。

あの日以来、一度もなかった光景。


ティターニアは、小さな手をぎゅっと握った。


「……どうしました?」


けれど、ふたりは答えない。


その瞬間。

ルフィーナの言葉が紡がれた。


「……私も、記憶を失ったよ」


少年と母親は、目を見開いていた。


「……ですが、あなたも生きています」


“幻夢の堕天”は、首を傾げた。

ルフィーナの表情から、笑顔が消えた。


「でもね、どうしても……」


煌めく羽から、水色の星屑が零れる。


「胸から空白が消えないの」


彼女は、まっすぐに見つめていた。

少年に、母親に同じ想いをさせまいと。


“幻夢の堕天”は、しばらく沈黙した。


やがて、静かに立ち上がった。

穏やかな笑顔のまま、低く告げる。


「……あなたたちは、重症ですね」


診療所の裏口へと向かっていった。


裏口の扉をゆっくり開いた。

明るい外には、山の奥へ道が続いていた。


静かに振り返った。


案内するように、片手を奥へ向けて。

昨日と変わらない笑顔で、目を合わせる。


そして。


「手術室で、お待ちしておりますーー」


木々の奥へと、姿を消していった。

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