第34話 治したいと願う心
夕陽が山の向こうに沈み始める。
帝都の明かりがない空には、星がより煌めいていた。
村の家々には、小さな灯りがひとつずつ灯り始めた。
畑仕事を終えた人たちは家に帰り、魔族は夜の狩りへ向かうため、黒い翼を広げて飛び立っていった。
「お姉ちゃんたち、また遊ぼうね!」
遊び疲れた子どもたちが、手を振る。
「うん、またね」
ルフィーナも、静かに手を振り返した。
また遊ぼうね。
ありきたりなはずの言葉が、なぜか胸の奥に残った。
魔族と遊び、子どもと笑い、剣を抜くことなく過ぎた。
ここへ来るまでは、七堕天の領地だと聞いて緊張していたというのに、気づけば優しい気持ちに包まれていた。
魔族と人が、支え合って暮らす村。
それを叶えているのは、七堕天のひとり。
もし実際に目にしなければ、信じられなかっただろう。
そのとき。
背後の木々から、微かに葉の擦れる音がした。
ルフィーナは、反射的に振り返る。
夕陽に照らされた枝の上。
セルヴィーロより暗い銀髪が揺れていた。
音もなく降り立ち、深緑の瞳が光る。
「……ネフィラさん」
思わず、少年の名前が口をついた。
僅かに身体が強張る。
「虚星の堕天」との戦闘では、確かに共闘した。
けれど、“星の子”を狙っていることは忘れていない。
彼の名を聞きつけたのか、セルヴィーロが走ってくる。
続けてティターニアたちも集まって来て、何も知らない騎士たちは、突然現れた少年に警戒を強める。
自然と剣に手をかけていた。
けれど。
そんな緊張感と裏腹に、本人だけどこか場違いだった。
髪や服には、木の葉が数枚ついている。
肩には、一羽の赤い小鳥までが止まっていた。
騎士たちの視線など気にも留めず、小さなくちばしで色鮮やかな羽を細かく整えていた。
誰も動かない沈黙が漂う。
やがて、ネフィラだけが小鳥に目を向けた。
少しだけ、穏やかな声で言う。
「……まだいたのか」
もう一度、こちらへ視線を戻す。
ほんの一瞬。
セルヴィーロの目線と、重なった。
けれど、何も言わないうちにすぐ逸らした。
言葉にできない、そんな沈黙がふたりの間に流れる。
直後、ルナシアが駆け寄って来た。
沈黙を気にも留めず、ネフィラに話しかける。
「あっ、緑色の人〜!」
ネフィラは、少しだけ眉を寄せる。
「……ネフィラだ」
「ネフィラ、前は助けてくれてありがとう!」
素直に言い直したルナシアは、いつも通りの明るい笑顔で、朝焼け色の瞳をウィンクさせる。
ネフィラは、すぐには答えなかった。
代わりに、半歩だけルナシアから距離を取る。
少しだけ間を置いてから、小さく首を振った。
「……礼を言う必要はない」
まるで、感謝されることに慣れていないようだった。
敵として、現れた少年。
それでも命を助けてくれた。
どちらも本当のこと。
ルフィーナは、静かに歩み寄った。
剣から手は離さないけど、騎士として敬礼する。
「……ネフィラさん」
彼は、ゆっくりと視線を向けた。
「あのときは、本当にありがとう」
ネフィラは、何も返さない。
少しだけ顔を伏せて、小さく拳を作った。
やがて、セルヴィーロが口を開いた。
「何をしに、ここへ来た?」
怒りも、威圧感もない。
ただ問いかけるだけの言葉。
しばらく、沈黙が続いた。
答えないのではなく、答えられない。
そんな空気が、ふたりにはあった。
やがて、ネフィラは小さく息をついた。
「……分からない」
嘘ではない。
なんとなくそんな気がした。
だから、ルフィーナは微かに笑った。
「……なら、一緒に行かない?」
ネフィラは、ほんの少し目を見開いた。
しばらくして、彼は静かに頷いた。
騎士たちは、小さく歓声を上げて準備を始めた。
一行は、村の奥にある診療所へ向かう。
ルビアスが少し、身震いしていた。
セルヴィーロが、魔族とネフィラへの警戒を続ける。
中に入ると、薬草の香りが漂って来た。
木製の棚には薬瓶が数多く並び、包帯や薬草など治療のための道具が丁寧に整頓されていた。
待合室には、数人の村人たちが待っていた。
薄いレースカーテン越しに、影が揺れる。
「先生、腰の調子良くなってきましたよ」
老人の嬉しそうな声が聞こえる。
「それはよかったですね」
応えるように返ってきた、穏やかな声。
カーテンが開かれ、青年が姿を現した。
白衣を見に纏っているが、髪と目は影より黒い。
黒曜石のように鋭い角が、2本伸びている。
けれど。
柔らかな微笑み。
患者を想う優しい目。
とても七堕天のひとりとは、思えない。
医者だと言われれば、確かに信じてしまいそうだった。
青年は、ルフィーナたちに笑顔を見せた。
「新しい患者さんですか?」
その笑顔に、ティターニアは目を奪われた。
治療する際の手際の良さ。
薬を丁寧に扱う姿。
相手を安心させる声かけ。
どれも、医者として正しいものだった。
そしてそれは、ティターニアが目指してきたもの。
「……すごい」
青年は、一瞬目を見開いた。
「ふふ、ありがとうございます」
ティターニアのつぶやきに、笑顔で応える。
騎士だとわかっているだろうに、動じなかった。
「あ、あの。見学しても、いいですか?」
ティターニアは、思わず問いかけていた。
「……ええ、どうぞご自由に」
彼は何も疑ったりせず、受け入れた。
ルフィーナたちは、互いに顔を見合わせる。
すぐに戦闘することはなさそうだからと、しばらく見学しつつ、調査することになった。
直後、診療所にひとりの男性が入ってくる。
畑仕事をしていたのか、服に土が多く付いている。
手に何かで切ってしまったような傷がある。
「幻夢の堕天」は、何も言わず手を取った。
水を使って丁寧に傷周りを洗い、土などを洗い落としたら、薬を塗って、手際良く包帯を巻き付けていく。
それは何の力も使わない、人間らしい治療だった。
星光を使って回復させる、ティターニアとは違う。
月日を重ねて、練習していたことが伝わる手つきだ。
(わたしは、力がなければ……)
ルフィーナを、護ることができない。
怪我をしていても、助けてあげられない。
ティターニアは、薬草棚の周りを観察する。
ひとつ、ひとつ薬草が瓶にしまわれていた。
どれも似ている気がするのに、名前がつけられていて、どんな怪我や病気に使うものかで分けられている。
どれも少しだけ、使われた跡がある。
隙間なく、小綺麗に並べられていた。
そのとき。
棚の奥に、何か置かれているのを見つけた。
失くし物ではないかと、引っ張り出す。
出てきたものは、ひとつのカルテだった。
患者の名前がいくつも書き連ねられているのに、半分で千切られてしまっていて、先は見えなかった。
ティターニアは、紙を静かにめくった。
裏から写真が1枚、ひらりと舞い落ちた。
担当医師エルフィス・セチア。
誰かの名前。
けれど写真を見た瞬間、それが誰なのかわかった。
写真に写っていたのはーー
「幻夢の堕天」と、よく似た姿の青年。
髪色や瞳の色は違えど、瓜二つだった。
(これは、人間だった頃の……?)
胸の奥深くに、微かな寂しさがよぎる。
「幻夢の堕天」の技術は、すごかった。
でも、彼はきっと努力の過程を覚えていない。
誰のために、何のために頑張ったのかも。
直後、カルテの1番下に書かれた名前に、目を止めた。
小さく、けれどとても丁寧に書かれていた。
患者リュミア・セチア 心臓病あり
ティターニアは、一瞬言葉が出なかった。
しばらく沈黙したあと、カルテを机に置いた。
そして「幻夢の堕天」のそばに戻った。
「何か発見はありましたか?」
笑顔で話しかける青年。
「……もっと、学びたいです」
青年は、目を瞬いた。
けれど何も聞こうとはしなかった。
「誰かを助けられるようになりたいですか?」
「……たぶん、そうです」
「まだ、迷いがあるようですね」
青年は、優しく笑った。
彼を倒すために来た、そのはずなのに。
迷いを認めようとする笑顔に、心が和らいだ気がした。
ほんの、ほんの少しだけ。
彼は、ベッドを見つめて言った。
その言葉は、ティターニアの胸に小さく残った。
「誰かを治したいと願うなら、学ぶことを諦めてはいけませんよ」
「……はい」
羽から零れ落ちる星光が、微かに煌めいた。




