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星の子 〜護るとは、一緒にいたいと願うこと〜  作者: 猫様のしもべ
第3章 “星の子”が灯すもの
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第29話 届かなかった手

ルキオスだったはずのものが、風の中に溶けていく。


シェウは、ただ静かに見つめていた。

剣を握る手が、ほんのり冷たく感じた。


胸の奥底には、まだ幼い声が残っている。


『ママ、パパ……どこにいるの……?』


七堕天として、笑っていた声ではなかった。

狂気とも思える笑顔は、そこにはなかった。


ただ迷子の子どもが、誰かを求めているだけの声。


シェウは、そっと目を伏せた。


あの声を、どこかで聞いたことがある。

まぶたの裏に蘇るのは、数年前の光景だった。


荒れた大地と、そこに響く涙の滲む声。


『僕から家族を奪わないで!』


胸を抉るように浮かぶ、少年の言葉。

崩れ落ちた、ふたつの影があった。

地面に落ちた、ひとつの剣と星型の首飾り。


そして、剣を片手に立っていた自分。


あのときの少年が、ルキオスだった。

どうして、今まで気づかなかったのだろう。


魔族になり、声も表情も変わっていたからか。

隣にいるはずの守護神獣が、いなかったからか。


それともーー。


自分が、忘れようとしていたからだろうか。


あの日、彼の名を聞く暇さえなかった。

目を合わせることもせず、保護しようとした。


『無事でよかったな、堕落族は討ったぞ』


過去の自分の声が、嫌になるほど鮮明に聞こえる。


シェウは、歯を食いしばった。

どこが、“よかった”というのだろう。

どうして、“無事”だなんて言えたのだろう。


あの子には傷がなかった。

鼓動があって、息をしていた。


たったそれだけで、助けたつもりになっていた。


両親を目の前で失った子どもを前にして。

ようやく見つけた家族を、奪われた子どもに向かって。


無事でよかった、などと愚かにも告げた。


(騎士としては、間違っていなかった)


襲われそうになっていた子どもを、護ったのだから。

今でも、同じ状況にあれば剣を振るう。


それでもーー。


自分の命だけが助かっても、何も救われない。

騎士団として、それを何度も見てきたはずなのに。

彼の涙の意味さえ、見ようともしていなかった。


自分はただ、ルキオスを“生かした”だけだった。

何もない場所に、彼を残しただけに過ぎなかった。


シェウの視線が、瘴気の元となる場所に落ちる。


そばには、ふたりの少年少女の姿。

最期までルキオスに寄り添った、ふたりを見つめる。


ルフィーナは、彼を抱きしめていた。

セルヴィーロは、彼の手を握っていた。

寄り添うふたりを、ルキオスは両親に重ねていた。


シェウにはできなかったこと。

ふたりは、当たり前のようにできていた。


そのとき。


ルフィーナが、そばに落ちていた絵本を見つけた。

勇者が魔王を倒すだけの、よくある童話の絵本だった。


ルフィーナは、そっとそれに触れる。


瞬間、絵本は小さな光を放つ。

細かい星光の粒子となって、ルフィーナへ向かう。

そして、胸の中へ吸い込まれていった。


彼女は小さな手で、星光を受け止める。

心を鎮めたように、優しく目を瞑っていた。


いったい何が、彼女のまぶたの裏に浮かんだのだろう。


ルフィーナは、しばらく動かなかった。

ただ微かに、何かをつぶやいているのがわかった。


「ふたりで、みんなを……」


ーー護りたい。


それは、きっと幼いころに彼女が抱いていた願い。

ティターニアと共に誓った、約束でもあっただろう。


ルフィーナは、目を開いて振り返る。


「ルキオスくんに、子守歌を歌ってあげてもいいかな」


ティターニアは、いいですね、と頷く。

騎士たちもみな、首を横に振る者はいなかった。


ふたりは、胸の前で手を組んだ。

いつも屋根の上で、星空を眺めながら歌うもの。

届くかもわからない誰かへ、捧げるように奏でる。


シェウも静かに、目を瞑った。

せめて、彼への想いを歌に乗せて。


ふたりの歌声が、重なり響く。


「眠りなさい、小さな星よ

 夜に溶けても、消えない声

 闇に堕ちても、見えない背ーー」


その瞬間。


ティターニアが、歌声を止めた。

歌に応えるように、小さな鳴き声が聞こえた。


森を覆う霧が、静かに晴れていく。

木々の奥からゆっくりと現れたのは、獣型の魔族。


シェウは、剣を片手に握りしめる。


どこかで、見たことがある。

そんな気がしてならなかった。


黒く染まった毛並み。

短い尻尾は、飼い主を見つけたようにぶんぶん回る。

けれど、光を宿さない瞳は騎士たちを捉えていた。


(狼のようだけど、行動はまるで……)


子犬のようだ、と誰かがつぶやいた。


シェウの胸の奥で、糸が繋がる。

知らないはずがないだろう。

あの日、ルキオスの隣にいたのだから。


魔族に対して、震える足で立ちはだかる子犬。

まだなんの力も扱えない、小さな守護神獣だった。


子犬の魔族は、鋭い爪を持つ前脚で斬りかかる。


「こいつ、能力使えないみたいだぞ!」

「なら弱いな、早く倒してしまおう」


ふたりの騎士が、そう会話していた。


シェウは回避し、後ろに回り込む。

だが、子犬の魔族は続けて襲おうとはしなかった。

騎士たちの間を駆け抜け、ルフィーナの前へ。


シェウは当たり前のように、彼女を庇おうと立つ。

けれどやはり、子犬の守護神獣は見向きもしない。


ただ、何かを探していた。


鼻を地面に近づけ、匂いを嗅いでいる。

僅かに残っていた瘴気の塵へ、顔を近づけた。


残されたルキオスの服に、動きを止めた。


「……くぅん」


苦しそうな、小さな鳴き声だった。


頭を服にすり寄せて、コロリと転がって。

近くに落ちていた、お菓子の袋を爪で裂いた。

もう腐ってしまったお菓子を、咥えて隣に置く。


姿の見えない主を、求めるように。


シェウは息を呑んだ。

周りからも、涙を堪える気配が伝わる。


記憶の中で、ルキオスに寄り添い続けた子犬。

主と一緒に、両親の影に縋りついて。

最後には、主を護るために自身を盾にして。


魔族に堕ちてなお、見つからない背を求めている。


やがて子犬の魔族は、シェウたちに顔を向けた。

低い唸り声と共に、鋭い爪を剥き出しにする。


直後、地面を蹴り上げて爪を振りかざした。


その先にいるのは、シェウだ。

シェウは剣の腹で爪を受け止め、後ろに退がる。

大して重くはないし、反撃に転じることもできる。


斬って、倒さなくては。


それはわかっている。

けれど、どうしても剣を振れない。


蒼い輝きを見せることに、ためらいを感じた。


彼らの両親を、斬った光。

それでも、護るためにあった光だ。

なぜためらう必要があるというのか。


隣にいた騎士が、大きく剣を振り上げた。

瞬間、思わず声を張り上げてしまった。


「待て!斬るな!」

「えっ!?」


その騎士は剣を下ろし、隣に着地した。


「なんでだよ、シェウ」


首を傾げて、問いかける騎士。


お前がやっても可愛くねーよ。

そのくらいの軽口は、普段ならすぐ言えた。

けれど今は、うまく声が出せなかった。


代わりに、ありもしない自信を口にした。


「……あいつは、俺が斬る」


なんでそんなことを言えたのか、わからない。

でも、やらなければならないとどこかで感じた。


子犬の魔族が、爪を横なぎに振る。


シェウは剣で受け止め、薙ぎ払った。

今もまた、決着をつけるチャンスだった。

なのに、なかなか腕が動かない。


黒く濁ってしまった瞳に、ルキオスの面影が映る。

そのたびに、自分の覚悟の弱さを感じてしまう。


子犬の魔族を斬っても斬らなくても、彼らが出逢うことはきっとないのだろう。

雲に届くこともなく、風に流れて消えてしまう。


「ーーならせめて、俺の風で送ろう」


シェウの剣に、蒼色の光が宿る。


子犬の魔族は、何かに気づいたように唸る。

微かに震える脚で、あの日のように立ち向かう。


まるで、魔族になった気分だ。


一瞬、刃を止めそうになった。

それでも、風を纏って跳び上がる。

静かに、剣を振り下ろした。


蒼風旋(シルフィラ)


蒼く煌めいた光が、子犬の魔族の胴体を貫いた。


子犬の魔族は、ふらふらと歩く。

ゆっくりと進んだ先で、パタリと横になった。

ルキオスの倒れた場所の、隣に寄り添って。


ーーずっと、一緒にいるよ。


そう告げるかのように、頭をすり寄せた。

風にかき消されるような、微かな声で鳴いて。


尻尾を弱々しく振ったあと、瘴気の塵となった。


しばらく、誰も話そうとはしなかった。

やがてルフィーナが、再び弔おうと声をかけるまで。

シェウは、離れた場所で歌声を聴くことにした。


すると、隣にセルヴィーロが立つ。

木に寄りかかって、静かに見つめる。


「……俺、護れなかったっす」


慰めてほしいわけじゃない。

ただ、事実を述べただけだと自分に言い聞かせた。

年下の団長は、黙っていた。


しばらくして、口を開いた。


周りを見渡し、人がいないことを確認して。

他に聞こえないよう、声を落として言った。


「シェウ、お前にやってもらいたいことがある」


歌声が終わらないうちに、告げる。


「決して、ルフィーナには悟られるなよ」

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