表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
星の子 〜護るとは、一緒にいたいと願うこと〜  作者: 猫様のしもべ
第3章 “星の子”が灯すもの
PR
27/31

第26話 ママを呼ぶ声

ぱしゃん、と水が跳ねた。


雨は静かに、降り続いていた。

空から落ちているはずなのに、どこか軽く感じた。

地面に触れるたび、割れるように滲んでいく。

小さな水たまりは、どれも濁っていて底が見えない。


視界の端で、ぎぃっと音を立てる木馬。

戦場のはずなのに、子どもの遊び場みたい。

崩してしまったつみきが、ほんの少し赤みを帯びる。


そして、その中心でーー

一定のリズムで、跳ねる水の音。


「ほらみて!水が踊ってるみたい!」


小さな、黒ずんだ長靴。

しっかり羽織られた、レインコート。


水たまりを踏みつけるたび、周りに飛び散る。

くるくると回転しながら、手を広げている。

心底楽しそうに、無邪気に遊んでいた。


ルフィーナは、手に握った剣を少し下げていた。


「いつもみたいに言うなら・・・」


シェウが、つぶやいた。


「『無純の堕天』ルキオス・ティアレス?」


本当なら手が震えるはずなのに。

明るすぎる笑顔が、空気を和らげていた。


戦わなくても、いいかもしれないーー。


心の奥で、そう思った瞬間。

子どもの幻影が、ゆらりと振り向いた。


「呼んだ?」


子どもたちの中で、ひとりだけそう答える。


雨粒のように冷たい声が、隙間を通り抜けた。

喉の奥がひりついて、震えないのに冷や汗が流れる。

剣先を向けることが、できなかった。


「ねぇ、純戯(アソボウ)よ!」


水たまりが、波立つように揺らいだ。

小さな影が、ゆっくりと浮かび上がる。

泥のように粘りついた影は、形を歪めていきーー


ーーねぇ、あっちにブランコがあるよ。


眼前に迫る瘴気の奥から、声が響いた。

遊びに誘おうと、伸ばされた手のように。


けれどそれは確かに、ルフィーナを握ろうとした。


「ルナ、惑わされるな!」


黒く沈んだ手に、輝かしい剣が突き立てられた。

瘴気に形作られたそれは、ぽっかりと穴があく。


ルフィーナは我に返り、剣を無理矢理握った。


星の煌めきが、剣に宿される。

「無純の堕天」をめがけて、水たまりを蹴る。

いつもより姿勢を低くして、振りかぶった。


その瞬間だった。


「ママ、どうして怒ってるのーー?」


下から見つめるように、瞳を潤わせてそう言った。

まるで、叱られることを恐れる子どものように。


「っ・・・!?」


小さな首元に届きかけた剣が、止まってしまった。

淡い星光が、ふわりと宙へ散っていく。


どうしても、あとほんの数センチを振れなかった。


彼が、ルキオスが、失ったものを知っていたから。

潤んだ幼さの残る瞳は、ティターニアに重なった。

お母さん(ママ)を捜す、震えた声。


「あ、違うのか・・・」


しゅんと俯いた頭に、手を添えたくなる。

何か声をかけたいのに、胸につっかえて出てこない。


けれど瞬きをしたあと見えたのは、笑顔だった。


「まぁいいや!ほら、純戯(アソボウ)?」


這い上がるように、瘴気の手が迫る。


「ティターニア!」


ルフィーナの剣が星を纏い、手を斬り裂いた。

小さな光を零す羽が、細かに震えていた。

ルビアスが輝く霧を放ち、影に潜む瘴気を包み込む。


「無純の堕天」は、一種不満そうな表情を見せた。

けれど直後、変わらぬ笑顔を浮かべて言った。


「ねぇ、どうして遊んでくれないの?」

「俺たちはお前のお友達じゃねぇよ!」


シェウが剣を握り、そう返した。


すると「無純の堕天」は、こてんと首を傾げる。

問いかけるように、とても無垢な仕草だった。

一歩踏み出すたび、影が歪んで揺らめいてーー。


次の瞬間、頬に滴り落ちる雫が重さを帯びた。


「じゃあ、幻友邪幽(オトモダチ)になろうよ!」


雨音がひとつ、ずれて落ちた。

まるで羽のように、不規則に注ぐ。


水たまりの波紋が、中心へ集まった。


視界が、水に沈むように揺らいだ。

溶けた絵の具のように、歪んでいく。


聞こえるはずの声が、とても遠くに感じた。

強く握りしめた剣が、やけに重くて大きい。

眼下に揺らいだ影が、どこか幼くて小さい。


周りに目を向けた、その瞬間ーー。


隣には、ルキオスがいた。

後ろにも、ルキオスがいた。

目の前にも、ルキオスがいた。


どこを見ても、目を擦っても、ルキオスだった。

一歩踏み出しても、距離がわからない。


「みんな、仲良しになれるね!」


どこからともなく、そんな声が響いた。

後ろかも、前かも、隣かもわからなかった。


ティターニアも、セルヴィーロも、ルナシアも。

いたはずのその場所に、思った姿はなかった。


心臓がどんどんと早く、音を立てる。

ルキオスの声を、かき消そうとするように。

雨なのか、汗なのか、わからない水が流れ落ちた。


「ねぇ、誰がほんもの?」


無邪気な声が、誰にも答えられない問いを落とす。


そもそも、本当にここに本物がいるのか?

いたとして、どうやって見分ければいいのか?

もし間違っていたら、どうなるのかーー?


“1人のルキオス”が、黒い手を見せた。

それは、隣にいたルキオスへ向けられる。


「うわぁっ!」


隣のルキオスも、黒く染まった手で防ぐ。


ルフィーナは、大きく息を吸った。

振るときの踏み込み、重心の傾き、剣技の癖。

攻撃されているのは、シェウだろう。

そして攻撃しているのは、フェルだ。


ルフィーナは、さらに深く息をついた。

瞳を閉じて、雨の音だけを感じる。

キィンという音が、ペンダントの保護を知らせる。


(彼は、あのときどうしていた?)


小さな姿を、思い浮かべる。


水たまりで跳ねていたとき。

遊ぼうと問いかけてきたとき。

ーーママ、と呼び間違えたとき。


脳裏に浮かぶ、彼の姿はーー。


「・・・いつも、笑っていた」


一言つぶやくと同時に、ゆっくりまぶたを開く。

ルキオスたちの表情を、細かく見る。


焦った表情、怯える表情、戸惑う表情。


そのなかに、たったひとり。

太陽のように明るく、水面のように揺れる笑顔。


ーー見つけた。


地を蹴って、雨を割いて、風を受ける。

ただひとつの剣が、星の煌めきを纏い散らした。

両手で握って、心からの祈りを込めて。


(もし、間違っていたらーー?)


雨を受ける体が、小刻みに震える。

騎士たちの笑顔が、ティターニアの涙が浮かぶ。

“星の子”が間違えたら、どうなる?


たった一振りで、何かを失うかもしれない。

失ったら、取り戻せないかもしれない。


それでもーー。


「私は、護るためにここにいる!」


声を張り上げて、力強く剣を振るった。


星祈斬(オルシアス)!」


重ねて斬りつけた、その瞬間。


雨粒に微かな光が宿された。

幻覚がほどけて、星光に包まれた。


色が溶けて、黒が銀に変わっていく。

騎士たちのぶつかり合う、鈍い音が消える。

いつもの剣が、星の煌めきを零した。


よかった、間違っていなかった。

たった一瞬の安心が、剣を軽くしてしまった。


「なんでダメなの・・・?」


喉の奥が、ひゅっと音を立てた。

瞳が震え、背筋に電流のような感覚が走る。


光を宿さぬ瞳が、まっすぐ捉えていた。

その表情は、笑っていなかった。

そこにあるのは、わからないという感情だけ。


空が裂けたような気がした。

闇より暗く、暗雲より重い、何かがふたつ現れた。


ルフィーナを挟み込むように。

まるで抱きしめようとするかのように。


セルヴィーロの叫び声だけが、雨音を裂いた。


「ルナ!!」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ