第24話 星の使命が灯るとき
夜が深まるにつれ、雨は激しさを増していた。
暗雲が星を覆い隠し、帝国は月明かりさえ失っていた。
揺らめく炎だけが部屋を照らし、雫が窓を濡らす。
ルフィーナは、机の上に置かれた木板を見つめる。
そこに残された言葉は、たったひとつ。
ーーオトモダチ。
(・・・姫様は、どうしているのかな)
ルフィーナにとって、大切なお友達。
きっと弟のことを心配して、待っていただろう。
初めて会ったときから、だいぶ時が経った。
なんとなく、セティラの顔を思い出す。
その瞬間、お茶会でセティラの告げた名が、蘇った。
「ねぇ、ティターニア」
「はい」
星の光が、羽から零れ落ちる。
いつも不思議に思っていた。
星の能力なんて、他に聞いたことがない。
まして、星光を撒きながら飛ぶ守護神獣も。
ルフィーナは、小さく問いかけた。
「“星の子”って、なに?」
「・・・!」
ティターニアが、大きな瞳を見開いた。
そのとき、ガチャっと音がした。
扉が開き、セルヴィーロとルビアスが顔を見せる。
「ルナ、少しいいかな?」
「大丈夫だよ、セル」
ルビアスが少し俯いているのがわかる。
あまり話したくないことなのかもしれない。
セルヴィーロは、そっと椅子に腰掛けた。
ひとつ、息をつく。
雨音だけが響く部屋に、重い空気が漂った。
「ルナ、思い出したんだね」
「・・・うん。少しだけ、“星の子”のことを」
どこか懐かしい気がした。
“星の子”という言葉を、セティラから聞いて。
でも何か、誰なのか、わからなかった。
セルヴィーロは、窓に手を当てた。
この部屋の窓は、西向きに付けられている。
「“星の子”は、流星から生まれた子」
セルヴィーロが、ふいにそう言った。
故郷の村がある方を見つめていた。
なんとなく、その言葉が真実だとわかる。
冷たい光、暖かい腕、名を呼ぶ声。
思い出したのは、流星から抱き上げられたとき。
きっと初めて、この星に触れた日だった。
「“星の子”は、ただひとりーー」
セルヴィーロは、強く手を握った。
言葉を選ぶように、少し沈黙して。
迷いを隠すように、ルフィーナの目を見た。
「魔神を、倒せる」
理由は、語られなかった。
けれど、その言葉には疑う余地すらなかった。
羽を震わせるティターニアに、寄り添うルビアス。
まるで空を覆う暗雲のように、重い空気が漂った。
それと同時に、なぜか安心している自分がいた。
ーー置いていかれていない、理由がある。
「魔神って、なに?」
その名を呼ぶだけで、胸がざわつく。
けれどどこか、七堕天と似た哀しさがあった。
いくつもの矛盾した気持ちに、心が揺れていた。
セルヴィーロは、低く冷たい声で言う。
いつになく鋭い視線は、遥か遠くへ向いていた。
「“記憶を奪う力”を持った、魔族の王だ」
ようやく、ひとつの線が繋がった気がした。
誰も、その先に触れようとはしなかった。
雨音に包まれて、言葉が詰まってしまった。
セルヴィーロは、静かに窓から手を離す。
何も言わず、ルビアスと共に背を向けた。
扉の閉まる音が、やけに重く響いた。
(セルは、なにか知っているのかな・・・)
ティターニアは、静かに羽ばたいていた。
夜空のような、水面のような瞳が、揺れていた。
胸の奥に残る“何か”を、うまく言葉にできない。
ひとつ、息をついた。
その瞬間、床に描かれた金色の光を見つけた。
雨雲の隙間から、月光が差し込んでいる。
緑色の星が、ほんの少し煌めいた。
「そろそろ、寝よう」
「はい」
星が見える限り、笑ってくれるはず。
セティラの言葉を思い出しながら、眠りについた。
◇
ルフィーナは、ゆっくりと目を開けた。
帝国はとても、静かだった。
小鳥のさえずりも、葉のさざめきも聞こえない。
ほんの少しの、子どもの声だけだった。
ティターニアはいつも通り、先に起きていた。
髪飾りを磨きながら、小さな挨拶する。
「おはようございます、主様」
「おはよう、ティターニア」
剣を腰に提げ、扉を開ける。
セルヴィーロが、隣の部屋から出てきた。
昨日の様子とは違い、穏やかな表情だ。
けれどどこか、心ここに在らずだった。
いつもなら、すぐルフィーナに声をかけるのに。
ルビアスも、しきりに周りを見ていた。
「セル、どうしたの?」
「・・・あ、ルナ」
ほんの一瞬の“間”が、引っかかる。
「北東で、子どもが行方不明になってね」
セルヴィーロの一言に、目を見開く。
ほんの少し、心臓の拍が早まる。
孤児院の子どもが、脳裏に蘇った。
ーーオトモダチ。
ティターニアの羽が、微かに震えた。
「・・・わかった」
軽く頷き、廊下を歩み始める。
白く霞んだ光が、どこか遠くに感じた。
空気がいつもより冷たくて、しっとりと重かった。
正義感より、不安が先に立ったのだろうか。
少し呼吸が浅くなり、大きく深呼吸した。
◯
北東の孤児院は、人がとても少なかった。
数人の子どもたちは、院長の裾に手を伸ばす。
ルフィーナは膝をつき、目の高さを合わせる。
院長が聞いても、子どもたちは答えなかったらしい。
まだ若いルフィーナと、可愛いティターニアなら。
少し答えてくれるかもしれないと、思ったそう。
「ユアンくんがどこに行ったか、知ってる?」
目を合わせ、ゆっくりと問いかけた。
ティターニアが、星光をハート型に出してみる。
1人の女の子が、目を輝かせた。
そして、どこかを指差す。
それは孤児院のさらに奥の、大きな森だった。
「ありがとう」
ルフィーナは、笑顔を浮かべる。
ハート型の星光を、髪に飾ってもらった女の子。
とても嬉しそうに、頭を下げた。
セルヴィーロ、騎士たちと共に森へ進む。
枝を踏む音、葉が揺れる音が、静寂を破る。
土がぬかるんで、少し歩きづらそうだ。
どんよりと曇る空から、淡い光が注ぐ。
それは円を描くように、開けた花畑を照らした。
花冠をかぶり、笑顔を浮かべるユアンくん。
少し安堵した、その瞬間。
隣で手を伸ばす存在に、目を見開いた。
(堕落族・・・!)
ルフィーナ剣が、星を纏って煌めく。
その瞬間ーー
紫の軌跡を残す剣が、止まりそうになった。
黒く染まった腕が、ユアンの頭に置かれていた。
感じる気配が、敵意じゃなくて“優しさ”のようで。
まるで、小さな子どもをあやす親のようなーー。
抱きしめられた、あの腕のような暖かさが伝わって。
けれど、振りかざされた剣は止まらなかった。
星の軌跡が、紫の残光が、貫いた。
「星閃・・・!」
堕落族の首を、斬り払った。
落とされることもなく、瘴気の塵となり宙へ舞う。
静寂を取り戻す森に、小さな声が残る。
「お母さん・・・?」
ユアンの、つぶやきだった。
ルフィーナの背筋に、小さな震えが伝う。
花冠から、突き刺すような甘さが漂っていた。
セルヴィーロが、言葉を紡いだ。
優しい声で、小さな肩に手を置いて。
「もう大丈夫だ。堕落族はいないから・・・」
言い終わらないうちに、強い声が遮った。
「いっしょに遊んでたのに!」
純粋な、無垢な言葉だった。
けれどそれは、騎士たちの正義を突き刺した。
深く、まるで剣のように鋭く。
ルフィーナは、言葉を失った。
子どもにとっては、ただの“遊び”だったのだ。
それもそのはず、彼女は見たのだから。
斬られる瞬間、子どもの前に出された腕を。
護ろうと、防ごうとするように、立ち塞がる体を。
「ごめんね・・・」
胸の奥がぎゅっと、締め付けられる気がした。
純粋な眼差しが、針のように鋭く感じた。
俯くルフィーナに、優しい声がかけられる。
「ルナ、君は気にしなくていい」
セルヴィーロは、霧散する瘴気を見ながら言った。
セルヴィーロが、とても遠くにいるような気がした。
計り知れないほどの、距離があるようなーー。
「君は、“正しいこと”をしたのだから」
その言葉は、まるで嘘のように軽く感じた。
敵から子どもを護るのは、正しいこと。
それはよく知ってるし、それが義務だから。
でも。
子どもを護ろうとする敵を、倒すのはーー?
「ユアンくん、どうしてここに来たんだ?」
セルヴィーロが、優しくそう問いかけた。
その笑顔すら、どこか違うと感じてしまう。
頭を振って、ユアンの前に膝をついた。
ユアンは、小さく答えた。
「お兄ちゃんに、あそぼうって言われたから」
「お兄ちゃん・・・?」
背筋が凍りつくような、寒気に襲われた。
だって、ユアンと騎士団以外には誰もいないから。
魔族の気配も、人の気配も全くない。
シェウがつぶやいた。
「俺、お化けとか無理なんだけど・・・」
「お、おいそんなこと言うなよ!」
「フェル、お前に先頭譲るわ」
「いらねぇよ!」
団員たちは、互いに前を譲り(押し付け)合う。
ルフィーナも少し怖くなって、身震いする。
ティターニアも、いつもより距離が近い。
思わず、質問してしまった。
「セル、お化けっているの・・・?」
怯えるルフィーナに何を思ったのだろうか。
セルヴィーロは、はっきり答えた。
「うん、いるよ」
一瞬にして、団員たちの顔が青ざめる。
恐怖のあまり、抱き合っている者もいた。
その瞬間、淡々とした声が通り抜ける。
「何を怖がってるの。堕落族だってお化けでしょ」
その一言で、森に沈黙が流れる。
ルフィーナは、苦笑いを浮かべた。
直後、シェウの大きな声が響いた。
「それとこれとは別っすよ!!」
緊張が解けたのか、団員たちはまた話し始めた。
これもまた、セルヴィーロの団長としての気持ちだろうと、ルフィーナは思った。
(ただの嫌がらせって可能性も・・・)
頭に浮かんだ可能性は、すぐに消した。
その瞬間ーー
背後から、冷たい何かを感じた。
即座に振り返ると、そこにあったのは小さな背中。
「ねぇ、アソボウよ」
低くて、冷たくて、震えてしまった。
けれど、その背が遠ざかっていく。
ルフィーナは思わず、追いかけた。
「待って!」
オトモダチ。
そう刻まれた木板が、何度もよぎる。
言葉にならない不安に、足がもつれてしまう。
月光はまた隠され、足音だけが響いていた。




