決着編―リリアの願いを叶えよう9
リリアは跳び起きた。気づけばベッドで寝ていて、体には丁寧に布団が掛けてあった。
(しまった!)
ベッドから慌てて下りて、窓から外を見やる。とうとう空は耐えきれなくなったように雨を降らせていた。森の奥で、夜闇に浮かぶ白い光が見えた。
「まだやってるのか!」
(そもそも)
「今はいつだ!」
日は沈み時間は夜。戦闘からさすがに丸一日眠っていたはずはないだろうとは思うが、確信はできない。リリアは唇をかみ、窓を開け窓枠に足をかけた。
「リリア!」
名を呼ばれて後ろを振り返る。シルビアが部屋に入ってきたところだった。
「何してるんだ!?」
「邪魔者を消しに行く!」
「待て、その前にせめて食事を!」
「時間が惜しい!」
窓枠にかけた足にぐっと力をこめる。体重を移動してそのまま窓を越えていこうとした、その時。
「シルの言う通りだ。まずは力を回復させろ」
アストラスにつかまった。
「放せ!」
「だめだ」
アストラスはリリアを抱えて廊下に出る。リリアが戦いに赴くのをいったんは止めることに成功し、シルビアはほっと息をついた。
「放せ!どこに連れていくつもりだ!」
「食堂だ。今から夕食だ」
「そんな暇はない!」
「夜は目が利かないルーシアとアスランも、一緒に戦うと言ってくれているんだ。ふたりにも腹ごしらえは必要だし、浅葱と劉輝だって同じだ。―万全の態勢で臨まなければ、簡単に死人が出るぞ」
リリアは悔しそうに歯を食いしばった。しかし暴れるのはあきらめたようだ。きつくアストラスをにらみつけながら言った。
「―自分で歩く」
「―逃げるなよ?」
「そこまで子どもじゃない」
アストラスはリリアを下した。リリアは言葉通り逃げはしなかった。すたすたとアストラスとシルビアの前を歩く。その背は不機嫌だと如実に語っていたけれど、素直に食堂に向かっているようだった。
「あ!リリア!」
食堂につくと、ルーシアが手を振った。温かそうなスープを食べているところだ。リリアはしかめっ面でルーシアの隣に座ると、何も言わずに肉をわしづかみにしてもしゃもしゃと食べはじめた。その様子に、ルーシアとシルビアは顔を見合わせて苦笑いをこぼす。
シルビアは空いているリリアの隣に腰かけ、サラダを取り分けた。それを食べながら口を開いた。
「水の王の時代の供物の話なんだがな」
リリアは興味があるのか、一瞬動きを止めた。何事もなかったかのように食事を続けていたが、ごまかすことはできていなかった。
「どうやら戦をする国が、鬼神の手助けを期待して捧げたものらしい」
「馬鹿なことをする」
リリアは吐き捨てた。気分が悪いと顔に書いてある。
「それ以外に何かわかりましたか?」
留守番ですることもなかったシルビアは、調べ物の続きをしていた。アスランの問いに頷く。
「鬼神は受け取りたくなかったようなのだが、返したところで連れてこられた人間は虐げられるだけだろうと考えて城の近くに住まわせたらしい」
「その人たちがリディスの村のご先祖様なのかしら」
「そうだとすると、鬼神に感謝こそすれ恐れる理由が分かりませんね」
ルーシアとアスランは考え込む。浅葱と劉輝は考えるのは仕事ではないと割り切っているようで、黙々と食事をしていた。見れば、アストラスもあまり興味はなさそうだった。
「まだ別の出来事があるのかもしれない。もう少し調べてみるよ」
「ありがとう、助かるわ」
ルーシアが笑顔で礼を言う。
「これくらいしかできることもないしな」
シルビアは苦笑した。少し寂しそうな顔に、リリアは何か口を開きかけたが何もかける言葉は見つからなかった。逃げるようにうつむいて、ただ黙々と口を動かした。
「それにしても、あの骸骨魔術師は何なのかしらね。どこから出てきてると思う?」
「もし粉々に砕いているのが再生しているとしたら泣くしかないね」
ルーシアの話題変えに劉輝が乗ってくる。楽しそうな声ではなかったが。
「絶対、操ってるやつがいるわよね。だってあれどう考えたって死体だもの」
「そちらを探した方が早い気がしてきましたね。相手の目論見もわかりませんし」
「だからって、あの骸骨どもを放っておくわけにもいかないだろう」
浅葱が肉をかみちぎりながら言った。
「そうよね~」
ルーシアはため息を吐く。そして、ちらりとシルビアとアストラスを見た。アストラスは知らん顔で食事をしているし、シルビアはどこか落ち込んでいる。
「シル―」
「やらないぞ」
答えたのはアストラスだった。ルーシアは苦笑いをする。
「やっぱり?」
「なんだ?何の話だ?」
名を呼ばれたのに返事をする前に話が終わってしまったシルビアは説明を求めた。ルーシアは気にしないで、と流してしまった。シルビアは何だったんだと首をかしげたが、どちらに聞いても教えてくれそうになかったのであきらめた。
「とにかく、戦いの邪魔はさせない―私は行く」
リリアは席を立った。見れば、食べ終わった肉の骨が何本も皿の上に乗っていた。この短時間でよくこれだけ食べたなとシルビアは感心した。
「なら、私たちも行きましょう」
「ええ、そうしましょう」
「戦闘開始か」
「俺たちにケンカを売ったこと、後悔させてやる」
アスランに促されて、ルーシアと劉輝と浅葱も立ち上がる。その後ろ姿をシルビアは見送るしかなかった。
「私は無力だな」
「ただお帰りと、言ってくれる人が待っていてくれるだけでも心強いものですよ」
「そんなものか?」
「そうです」
アストラスの言葉に、そうか、とシルビアは返すしかなかった。そしてシルビアも立ち上がる。
「書庫に行く。どうせすることもないしな」
「分かりました」
「そうだ、ラス、敬語になってるぞ」
「ああ、本当だ」
アストラスは顔をしかめた。シルビアはくすくすとおかしそうに笑って食堂を後にした。
※
外も中も暗い。シルビアは時折、空を駆ける赤い稲妻を見ては本に視線を落とした。手を伸ばしてテーブルの上にあるランプの位置を調節する。アストラスも本をめくっていたが、ちょうど読み終わったようだ。立ち上がり、本棚へと歩いていく。それを目で追いながら、シルビアはため息を吐いた。
(私も戦えたらよかったのに)
『―じて』
「え?」
何か声が聞こえた気がしてシルビアは周囲を見渡した。シルビアとアストラス以外には誰もいない。
『―とじて』
「なんだって?」
シルビアは小さな声の主に対してささやいた。
『とびら―とじて』
「扉を閉じる?」
「そう、扉を、閉じて」
「へ?」
気づけば、隣に小さな少女が立っていた。波打つ黒い髪は背を覆うように伸びていて、黒曜石の瞳がシルビアを見ていた。少女はしーと口持ちに人差し指を当てていたから、シルビアは驚きで声をこぼしそうになる口を押さえた。シルビアは少女をまじまじと見つめる。
リリアよりは年上に見える。しかし、シルビアよりは年下だ。大きな丸い瞳がかわいらしい。その少女はシルビアが騒がないのを認めると、そっとシルビアの手を取った。どこかへ導こうとしているらしい。
「扉、隠されてるの。紅い鬼神に」
「紅い鬼神って、リリアの父君のことか?」
少女はシルビアの疑問には答えなかった。
「だから、扉が今どこにあるのか私にはわからない」
少女に手を引かれ、シルビアは書庫の奥に歩を進める。
「でもきっと、あれなら読めるから―」
「おい、何の話だ」
少女は振り返って、優しげに目を細めた。その瞳の深さは、外見年齢にふさわしくなかった。
「かわいい私のシルビア」
「え?」
「ユリナにそっくり。でも、あの子の目は黒くはなかった」
「お前、どこで私を知って―」
「この日のために、あなたは私の血を受け継いだ」
少女はさえずるにように言葉を紡ぐ。シルビアは疑問を口にしつつも、足はしっかりと進んでいた。少女は止まり、もう片方の手も取る。両手を握り、見つめあう形になる。視線が絡まると、シルビアは何も言えなくなってしまう。聞きたいことはたくさんあるのに。
少女はシルビアが黙っているのを認めると、そっと手を放し、本棚から一冊の本を取り出した。とても古い、真っ黒な本だった。それを手渡される。
「お願い―扉を、探して、閉じて―」
そう言うと、少女は姿を消した。
「あ!おい!」
「こんなところにいたのか」
伸ばした手は空をつかんだだけだった。シルビアが後ろを振り向くと、アストラスが立っていた。
「今、ここに女の子が」
「誰もいないぞ?」
アストラスは一瞬険しい表情をしたが、すぐに緊張を解いた。シルビアは、ここに少女がいたと叫びたかったが、アストラスが気配を探っていないのならいないのだろうとあきらめた。
「―そうか」
「その本、どうした?」
「これは」
シルビアは説明を試みるがうまくいかない。黙ってしまうシルビアの手から、なんとなく気になってアストラスはするりと本を抜き取る。それをぺらぺらとめくる。
「何も書いてないぞ」
「なんだと?」
シルビアはアストラスの手元を覗き込む。そこには自分が知っている文字に何となく似ているよな、しかしどこか複雑な文字が書かれていた。
「文字が書いてあるじゃないか」
見れば本当に薄い本だった。
「それは本気か?」
「??お前こそ何を言ってるんだ?」
よこせとシルビアはアストラスから本を取り返す。とたん、体の自由が利かなくなった。その代わり、少し読みづらいと思っていた文字がすらすらと読めるようになる。
『鬼神の役割をここに記す。
ひとつ 妖魔の王として妖魔を管理すること
ひとつ 黄泉の扉が開かぬように閉ざすこと
黄泉へつながる扉は、他者にその存在を知られてはならない。結界を張り、厳重に隠すこと。』
続きに何か書いてあるようだったけれど、シルビアはそこまでしか読めなかった。体力をすべて奪われたように、足がくじけてその場に座り込みそうになる。それをアストラスが手を伸ばし支えてくれた。
シルビアは本に視線を落とした。もう、その本は真っ白になっていた。
「どうした?」
「いや―根を詰めすぎたらしい。今日は休む」
「―それが良さそうだな」
そう言うと、アストラスはひょいとシルビアを抱え上げてしまう。シルビアは文句を言おうとしたが、確かに歩けないと思い、あきらめて黒い本を本棚にしまいアストラスに体を預けた。
アストラスはちらりと黒い本を見たけれど、何も言わずに書庫を出た。すたすたと城の廊下を歩き、用意された客間へと戻る。ベッドにシルビアを下した。シルビアはほっと息をついて、窓に視線を移す。ちょうどリリアのものと思われる雷がいずこかに落ちていくところだった。
「暴れているな」
「あれは冷静なふりをしているが、なかなか狂暴だ」
「鬼神の娘だからな」
シルビアは笑った。青白かった顔に、少し血の気がさしてきた。それを見て、アストラスは安心する。
「私は自分の部屋に戻る。何かあればすぐに呼べ」
「ああ、分かっているよ」
シルビアがおとなしくベッドに横になったのを確認して、アストラスは部屋の明かりを消しし、部屋から出ていった。
(鬼神の役目は、妖魔の王として君臨するだけではないのか?)
少女は、扉を閉めるように言っていた。
(扉、黄泉への扉?)
紅い鬼神が隠しているとも言っていた。そして、隠せとあの本には書いてあった。あの本に、リリアの父は従っただけなのだろうか。
(確かに、開いてしまえば面倒そうではあるが)
そんなもの本当にあるのかと疑ってしまう。
(考えてもわからない)
シルビアは、思考を放棄して目を閉じた。




