第七幕 呼ばれなければ来られなかった人たち
地球人の幼体と老体は、カヂルグミにはすこし似て見えるらしかった。
もちろん、顔や背丈の話ではない。どちらも、こちらの言葉がまっすぐ届かないことがあり、本人のためだとわかっていることを拒むことがある。手を貸せば済むように見えても、手を出した瞬間に、その人のものを壊してしまう場合もあった。
そのあたりの扱いに、カヂルグミはまだ慣れていなかった。
その日、カヂルグミが見つけた小さな地球人は、マーケットの菓子売り場にいた。棚の下のほうから、袋菓子やチョコレートや、妙に色のついた飲み物を取り出し、慣れた手つきでリュックへ詰めている。背丈はまだ小さく、棚の上段には手が届かなかった。
店内に、ほかの客はいなかった。レジにも人はおらず、電気だけがつき、冷蔵ケースだけが低く唸っていた。地球救済が発表されてから、そういう店は珍しくなくなった。人間がいなくなったあとも、商品は棚に並んだままで、防犯カメラだけが最後まで勤勉に仕事をつづけている。
略奪は、思ったほど起きなかった。扉をくぐれば、欲しいものはなんでも手に入るようになったからだろう。
けれど、そこへ行くつもりのない子どもには、まだこの店が必要だった。
少女が棚の奥へ手を伸ばしたところで、カヂルグミは声をかけた。
「――そこの人」
少女は雷に打たれたように背筋を伸ばした。袋菓子を胸に抱えたまま振り返り、カヂルグミを見ると、今度は肩を小さくふるわせた。
逃げるか、泣くか、噛みつくか。その三つなら、どれが来てもおかしくない顔だった。
カヂルグミは両手を下げた。敵意がないと示すつもりだったらしい。
少女の目に、彼がどのような姿に見えていたのかはわからない。でも胸に『ぶらざぁ・かぢるぐみ』と書かれた名札をつけた見知らぬ相手が、だれもいないマーケットで急に声をかけてきた。怖がらせない方が難しかった。
「みんなと同じところへ案内できます」
カヂルグミは言った。
「行かない」
少女の声は小さかったが、拒否だけははっきりしていた。
「行かない。どうしてですか」
「行きたくないから」
少女は胸に抱えていた菓子をリュックへ押し込み、カヂルグミの横を抜けようとした。警戒したまま、すれ違いざまにカヂルグミを見上げた。
「ついてこないでね」
「距離を取ります」
「そうじゃなくて、ついてこないで」
「確認が必要です」
「いらない」
少女は早足で店を出た。
カヂルグミは一定の距離を空けて、そのあとを追った。十回ほど「ついてこないで」と言われたが、彼はそのたびに「距離は取っています」と答えた。距離を取れば追跡ではなくなると思ったらしい。
しばらく歩くと、少女は県道沿いにある、つまらない戸建てのまえで止まった。表札は残っていたが、もうだれの家なのかわかりにくい。郵便受けには、きっちり四日分のチラシが詰まり、玄関脇の鉢植えは、枯れる途中で仕事をやめていた。
少女はカヂルグミを一度だけ見てから玄関へ入り、内側から鍵をかけた。どうやら、この家でひとりで暮らしているようだった。
カヂルグミは玄関には近づかなかった。インターホンを鳴らすこともできたが、少女が鍵をかけた意味を、いちおう尊重した。その結果、通りをはさんだ向かい側で待つことにした。待たれる側からすれば、あまり変わらなかっただろうが、玄関先へ座り込むよりは、いくらかましだったかもしれない。
そのうち少女は二階の部屋で横になり、タブレットで動画を見はじめた。カヂルグミは向かい側の塀のそばに立ち、そのまましばらく待った。
しばらく、というのは彼の感覚である。
地球時間では、断続的に丸二日ほどだった。
三日目の朝、少女が玄関から出てきた。
「おはようございます」
カヂルグミが挨拶すると、少女はその場で固まった。その緊張を見て、カヂルグミは、待機位置に問題があったらしいことを理解した。
「保護者のところへ案内できます」
カヂルグミは声を落として言った。
少女は強い目で彼を見返した。
「行かない」
そう答えると、そのまま歩き出した。
「どうしてですか」
カヂルグミは、すこし離れてついていった。
「行かないから」
「お父さんとお母さんは?」
「知らない」
「向こうにいる可能性があります」
「知らないってば」
「一緒に確認しますか」
「しない」
「欲しいものはありますか」
「ない」
「おもちゃは」
「いらない」
「甘い飲み物は好きですか」
「嫌い」
「フラペチーノとか」
「嫌い」
「飲んだことは?」
「ない」
「では、嫌いと確定していません」
「うるさい!」
少女は勢いよく振り返った。
「しつこいよ!」
そう叫ぶと、そのままマーケットまで走っていった。
カヂルグミは追わなかった。どうせ同じ家へ戻るだろうと考え、来た道を引き返して、また近くで待つことにした。今度は家のまえではなく、すこし離れた角へ立った。
やがて少女は、リュックと手提げ袋をぱんぱんにして戻ってきた。前回と違って邪魔が入らなかったぶん、首尾は上々だったらしい。
カヂルグミは少女の前へ出ると、親切のつもりで告げた。
「次から、荷物を運べます」
返事はなかった。少女はむっつりしたまま家へ入り、やはり内側から鍵をかけた。
翌日の早朝、カヂルグミは少女の家からすこし離れたところへ、軽トラックを停めた。荷物の運搬補助としては理にかなっていた。そこで少女が自分を頼ると考えたところに、問題があった。
少女は軽トラックを見て、カヂルグミを見てから、わざわざ遠回りしてマーケットへ向かった。
その二日後にも、カヂルグミは運転席から声をかけた。
「乗りますか」
「乗らない」
「荷物は重いはずです」
「うるさい」
「安全確認済みです」
「知らない人の車には乗らない」
「知らない人ではありません。数日前から、保護確認をしています」
「もう怖い! ヤダ!」
少女は、得体の知れないものから逃げるように走っていった。
カヂルグミは軽トラックで追いかけなかった。ただ、自分が失敗していることは、さすがにわかっていた。保護しようとすればするほど、少女を追い回している形になり、声をかけるたびに、少女の逃げ足だけが速くなっていく。
「――扉さえ出ていればね」
あとで、カヂルグミは言った。
「首根っこをつかんで、蔵のなかに放り投げるの?」
僕がたずねると、カヂルグミは迷わなかった。
「保護が必要なら、やるよ」
「否定はしないんだ」
「必要があれば、やる」
判断能力がまだ十分ではない未成熟個体を保護することも、彼の仕事のひとつだった。ただし、放り投げる先がなければ、どうにもならない。
扉は、本人のなかに出る。まわりの者がどれほど行かせたがっても、本人のどこかが次へ向かうことを受け入れなければ、扉は現れない。カヂルグミの仕事は、相手を扉まで引きずっていくことではなく、その人のなかに、扉が出るだけの理由を見つけることだった。
赤ん坊なら、たいてい無邪気に扉が出た。ひどく年老いた者にも、言葉では拒んでいながら、もっと深いところでは次へ向かうことを受け入れている場合があった。
少女は違った。もう赤ん坊ではない。幼体であり、保護対象でもある。それでも、怖いものから逃げ、家に鍵をかけ、「行かない」と言うだけの形を、すでに持っていた。
少女のなかに、次へ向かう意思は無かった。
だから扉が出なかった。
「放っておけばよかったんじゃない?」
僕が言うと、カヂルグミは、意味がわからないという様子でこちらを見た。
「放っておく? なんで?」
「なんでって、結果は同じだろ?」
「同じ……」
「クソもらしのガンコ爺さんのときも思ったけどさ、そのままのたれ死ねば、めでたしめでたし、そのあとは蔵で幸せに暮らしましたとさ、だろ?」
無理をして扉を使わなくても、死んだあとで石を拾ってやれば、結末は同じだろう。僕はそう言ったつもりだった。
しかし、
「おい」
カヂルグミの声が低くなった。
「じゃあ、この小さな子どもを放っておけばよかったって? 自分じゃなにもできない、寝たきりのお爺さんも放っておけってこと?」
「いやぁ……」
「それとも、その場で絞め殺してやればよかったってこと?」
「そこまでは言ってないけど」
「言ったじゃないか」
「うーん」
「君って、ときどき恐ろしいことを言うよな!」
異星人からそう言われると、さすがに恥ずかしかった。僕は動揺を悟られないよう、カヂルグミの軽蔑の視線を見つめ返した。
「じゃあ、いったいどうしたのさ。ガンコ爺だけじゃなくて、その子の面倒も一緒に見てやったの?」
「考えればわかるだろ……」
カヂルグミは、いらついた様子でタバコをくわえた。
「いや、わからないよ」
僕も思わずムキになった。
「わからないってことはないだろ。相手は子どもだよ?」
「だから?」
「小さな子どもだよ?」
「だから?」
「君の腰くらいの高さしかないんだよ?」
「だからなに?」
「親を呼んだに決まってるだろ!」
カヂルグミは本当に、蔵のなかにいる係の者を通じて、少女の関係者を照会したそうである。
照会、という言い方は、あまり親しみやすくない。けれど実際、その手続きは親しみやすいものではなかった。
幼体は、単独処理の対象ではない。未成熟個体については、必要な場合に限り、関係者をこちら側へ引っぱってくることができる。これは少女のための処理であり、親のための面会ではない。保護処理であって、贖罪支援ではない。
カヂルグミはその違いを、僕にもわかるように何度か説明してくれた。僕は途中で聞くのをやめた。保護と贖罪が、どうして同じ皿の上に載るのか、よくわからなかったからだ。
それよりも、親が子どもを置いて、先に蔵のなかへ入っている。その異常さに、僕はすこし遅れて気づいた。
照会から数日後、まだ三千キロメートルしか走っていないドイツ製の高級車が、少女の家のまえへ停まった。
車から降りてきたのは、少女の実父と、母親と、継父だった。
カヂルグミは軽トラックの運転席から窓を開けた。
「どうも」
三人は煙の向こうにいるカヂルグミを見つけると、そろって頭を下げた。三人ともきちんとした装いをしていたが、置き去りにした娘へ会いに来たにしては、いささか華やかすぎた。
きれいだった。
そのきれいさが、まず不吉だった。
「この度は、ご迷惑をおかけしてしまい、申し訳ございません」
実父が事情を説明した。
少女の両親は、性格の不一致と、互いの不貞が原因で離婚したらしい。少女が三歳のころだった。
母親に引き取られた少女は、一緒に暮らすようになった継父から、きつい虐待を受けるようになった。母親は娘よりも夫の顔色を見ていた。
そして先日、母親と継父は、娘を置いたまま四泊五日の旅行へ出かけた。その帰り道、車内のラジオからカヂルグミの感動的なスピーチが流れた。この幸福をいち早く甘受しようと、ふたりは帰宅することなく、そのまま車を運転して蔵へ進入し、新たな人生を始めたそうである。
実父も、新しい家族の方が大切だったらしい。蔵へ到着するまで、古い方の子どものことを、まったく思い出さなかった。
ここまで、実父は一度もつかえずに話した。過剰に芝居がかっているわけでもなく、言い訳をしているようにも見えなかった。むしろ、こちらが聞くより先に、必要なことを差し出してくる態度は、よく整っていた。
その整い方が、また不吉だった。
「本人には、まだ伝えていません」
カヂルグミが言うと、三人はそろって少女の家を見た。
庭の端では、少女がマーケットから持ち帰ったらしい空き袋が、風に押されていくつか固まっていた。
母親は、その空き袋をしばらく見ていた。
「私たちは、どうすればよろしいでしょうか」
実父が聞いた。
「会ってください」
カヂルグミは答えた。
「それだけですか」
「今のところ、それだけです」
実父は玄関を見た。「連れて帰る」と言いかけたようにも見えたが、その言葉は、急いでいる人間の声にはならなかった。
「連れていく必要は」
「彼女が望めば」
「望まなければ」
「ほかの手段を検討します」
「では、私たちは」
「会ってください。それで終わりです」
「それで、よろしいのですか」
「よろしいかどうかを、あなた方が決める手続きではありません。彼女の扉のためです」
三人は黙った。実父はすぐにはうなずかず、母親と継父も、玄関の方を見ている。だれかが内側から扉を開けてくれるのを待っているようでもあり、開かなければ、そのまま帰るしかないと先にあきらめているようでもあった。
母親の手には、値札がついたままの小さな紙袋があった。中身は見えなかった。娘のために選んだものなのか、手ぶらで来るのが怖くて持ってきたものなのかもわからない。
ただ、母親は値札を剥がさずに持ってきていた。
継父は家の二階を見上げていた。そこに少女がいるのかどうかさえ、まだ知らないような顔だった。
「ここで話をしていても、進みません」
カヂルグミが行動をうながすと、実父が先頭に立った。この家にいちばん長くいなかった男が、まずインターホンのまえに立った。
実父はその場で振り返り、落ち着かない様子の元妻と、その夫がうなずくのを確かめてから、意を決したようにボタンを押した。
外でごちゃごちゃやっていたので、少女はすぐに出てきた。
三人とカヂルグミの顔を順番に見ると、なにも言わず、家の奥へ消えた。
三人は、しばらく玄関に立っていた。呼ばれていない家へ入る者の顔だったが、呼ばれなければ、ここまで来られなかった者の顔でもあった。
やがて実父が靴を脱ぎ、母親もそれにならった。継父だけが一拍遅れて、玄関の框へ足をかけた。三人とも他人の家へ上がるような態度で、遠慮がちに敷居をまたいだ。
カヂルグミは遠慮した。
家へ入るなり、実父は少女の体調を気遣い、不自由がないかを聞いた。聞き方はていねいだった。ていねいすぎて、病院の受付のようでもあった。
母親は罪悪感をにじませた笑顔で、持参したテイクアウトをリビングへ並べていった。温かいものと冷たいものはきちんと分けられ、紙袋の口は折られ、割り箸も人数分そろえられていた。
継父は落ち着かない様子で、部屋の隅に立ったままだった。
少女はなにも言わず、母親が並べた料理を見つめていた。食べたそうには見えず、実父の土産話も、まるで耳へ入っていなかった。
人形のように座っていた少女は、継父が謝罪のために口を開いた途端、ひと口だけ吐いた。
継父はあわてて、少女へ手を伸ばした。
その手が近づくと、少女は頭をかばった。叫び、残りもすべてぶちまけると、涙と吐瀉物でぐちゃぐちゃになったまま二階へ駆け上がり、部屋の扉を力いっぱい閉ざした。
その音を聞いて、三人はそろって動きを止めた。
だれも、すぐには少女を追いかけなかった。母親は口もとを押さえ、実父は持っていた紙袋を床へ置き、継父は自分が伸ばした手を見つめていた。
しばらくすると、継父が膝から崩れ落ちた。
実父と母親は悲痛な面持ちで、この哀れな男を優しく抱きしめた。
彼らは、少女を傷つけたことを理解したらしい。少なくとも、そういう顔をしていた。
もう二度と同じことはしない。子どもにも、犬にも、老人にも、店員にも、清掃員にも、よく知らない他人にも、これからは優しくできる。
こちら側では一度も使わなかったものを、向こう側では当たり前のように使える。
「――それで、この気色悪い連中に、むざむざ少女を引き渡したってこと?」
僕は口の端をつり上げ、当てこするように言った。
カヂルグミは、なにも答えなかった。
その沈黙を、僕は肯定だと思った。
カヂルグミは、すっかり見損なったような顔で僕を見ると、そのあとしばらく、話をしてくれなくなった。




